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電界駆動ブレード- compression  作者: 不治痛
point of no return - 白刃鼓動すべし
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断章 王の闇/01

 それは、まだV5という言葉が公に定義される前。

 V3と呼ばれていた時代の、終わりかけの頃の話だ。


 ヴァイロン・アークライトは、手と床のあいだで跳ねるボールの反発だけを感じ取りながら、目の前の配置に意識を向けていた。


 十五メートル×十一メートルのコート。

 天井から切り取られた箱庭の中央に、直径四十五センチのリングが吊られている。

 跳べば届く高さ。

 考えるまでもない距離だ。


 ゴールへ向かう自分を止めるために、敵は三人。

 真正面から潰しに来る一人。

 その斜め後ろで、こぼれ球だけを狙う一人。

 そして、ゴール下に貼りつき、防御という役割だけに思考を割いた一人。


 左右では、味方が二人。

 ボールを寄越せと、意味のないジェスチャーを繰り返している。


 ……あくびが出るほど単純で、退屈な配置だ。


 ヴァイロンはこの光景を、ひとつ上の次元から眺めていた。

 これこそが、今の仮想現実(インター・)世界(ヴァーチュア)だ。


 数を揃えただけの同盟。

 役割を与えられただけで満足する凡庸さ。

 誰もが「勝っているつもり」でいる浅さ。


 飛び込んできた一人の腕を、ドリブルの切り返しでいなす。

 身体を翻し、跳ぶ。

 ヴァイロンは確認もせず、ボールを斜め上へと放った。


 着地と同時に、彼はもう背を向けている。

 コートの外へ歩き出す足取りは、結果を知っている者のそれだった。


 数拍遅れて、「バスンッ」という鈍い音が響く。

 放物線を描いたボールが、リングを抜け、床に落ちた音だ。


「ナイスゲーム!」


 振り返ることもなく、ヴァイロンは無能な敵と、いないも同然の味方へ、義務としての笑顔と労いだけを投げ捨てた。


 差し出されたジャケットを受け取り、羽織る。

 正面の視界には、彼が築いたPROMETHEX(プロメテックス)の巨大なエントランスホールが広がった。


 オープンオフィスを兼ねた、過剰なまでに開放的な空間。

 ワークスペースも、休憩所も、遊びの場所すらブチ抜きの巨大なドーム状の社屋だ。


 行き交う社員は皆若く、カジュアルという言葉すら生ぬるい、完全に自由な服装をしている。

 ビジネスの場というより、前時代の現実(リアル)に存在した大学のキャンパスに近い。


 こんな演出で迎合するだけで、人は簡単に集まる。


「社長―― よろしいでしょうか」


「なーに、ラブレス君?」


 隣に立つ女へ、ヴァイロンは視線を向けた。


 クルエラ・ラブレス。

 東洋人のような顔立ちだが、ショートカットの黒髪は光を吸い取る素材のようで、カーボンファイバーを思わせる冷たい質感を帯びている。


 全ての光を吸収するような底知れぬ、黒。

 均一で、影よりも深く感じる。


 黒のパンツに、赤い細身のヒール。

 腹部がわずかに覗く短い白いシャツの上から、赤いレザーのジャケットを羽織っている。

 秘書としては大胆すぎるが、どこか計算され尽くした「知的な不遜さ」があった。


 機能的なシルバーのワイヤーフレームのメガネ。

 その奥の瞳はブラウンというより、アンバーに近い。


 光を反射しているのではなく、内部から点灯しているような―― LEDを思わせる静かな輝きを宿している。


 ラブレスは、紙の書類の代わりに、薄く重なった複数の空間ディスプレイを胸元に保持していた。


 表示面は半透明で、段落や署名欄、注釈が書(・)類(・)ら(・)し(・)い(・)間(・)隔(・)で整列している。

 触れれば崩れそうなのに、構造だけは妙に堅牢だ。


 まるで、書類という概念そのものを再現した模型のようだった。


 そんなミステリアスな容姿と所作が気に入って、ヴァイロンは最近、彼女を法務部から引き抜き、秘書に据えた。


 一応、経歴には目を通している。

 だが、あまりにも整いすぎていて、どこか作り物めいている。

 それすらも、彼は気に入っていた。


 信じるに値する人間など、ここにはいない。

 ならば―― 最初からそ(・)う(・)い(・)う(・)存(・)在(・)の方が、よほど扱いやすい。


 ヴァイロンは、空間ディスプレイの最上段に浮かぶ署名欄を一瞥すると、空いている手頃なテーブルの椅子に座った。


 プロメテックスには気休め程度に集中用のプライベートブースはあっても、特に役員室や社長室などは設けてはいない。


 経営責任者であっても、基本的にすべてはオープンスペースで業務を行う。

 無論、これも、こういったのが今どきは受けると計算しての演出だ。


「……置いておいてくれ」


「承知しました」


 胸に抱えていた書類のファイルを再現したようなデータの塊をヴァイロンの目の前のテーブルにそっと置くと、ラブレスは一礼し、寸分の狂いもない角度で隣に控えた。


 その所作に、感情の揺らぎはない。

 だが、なぜかヴァイロンは一瞬だけ、この仮想現実そのものに見透かされているような錯覚を覚えた。


 すぐに、その感覚を切り捨てる。


 世界は、支配するものだ。

 信じるものではない。


 むしろ、ヴァイロンにとっては支配自体にも興味がない。彼が好きなのはビジネスとマネージメントであって、支配はプロセスの一つに過ぎない。


「さてさて、今日のお仕事なーにかなぁー」


 まずは最初の一枚目。


 ヴァイロンは、空間ディスプレイを指先で軽く弾いた。


 一枚目の表示が、少しだけ手前にせり出す。


 契約主体、責任分界、免責条項。

 淡々と並ぶ文言の裏に、数千単位のアカウントが切り捨てられる設計が透けて見える。

 サービス終了に伴う「自動最適化」―― 実質的には、人格ログの破棄だ。


「ふーん…… 相変わらず、後腐れがなくていいね」


 ヴァイロンは、署名欄に躊躇なくサインを走らせた。

 まるで、ランチのオーダーにチェックを入れるかのような軽さで。


 二枚目。


 今度は、少し毛色が違う。

 外部企業との提携―― 正確には、吸収。


 相手側の経営陣が自(・)発(・)的(・)に(・)同(・)意(・)したことになっているが、同意に至るまでのプロセスは、どこにも記されていない。


「ここ、好きなんだよね。 倫(・)理(・)委(・)員(・)会(・)の(・)承(・)認(・)を(・)経(・)た(・)も(・)の(・)と(・)み(・)な(・)す(・)って一文」


 小さく笑って、ヴァイロンは首を傾げた。


「み(・)な(・)す(・)って、便利だよねぇ。 現実でも仮想でも、責任を消す魔法の言葉だ」


 サイン。


 三枚目は、妙に短かった。


 実験環境。

 観測対象。

 予測不能な行動変数を含むため、結果に対する一切の保証なし。


 人間社会であれば、決して表に出せない類の計画書だ。


 だが、インター・ヴァーチュアでは―― エ(・)ン(・)タ(・)ー(・)テ(・)イ(・)ン(・)メ(・)ン(・)ト(・)という免罪符が、すべてを覆い隠す。


「……これは、ちょっと遊びすぎかな?」


 そう言いながら、ヴァイロンの指は止まらない。

 楽しそうですらある。


「ま、壊れたら壊れたで、データは美味しいし」


 最後の署名が完了すると、三枚のディスプレイは静かに畳まれ、一つの青白い四角の板に変化した。


 ラブレスは、何も言わない。

 ただ、そのアンバー色の瞳で、淡々と処理完了を確認している。


 ヴァイロンは、背もたれに身を預け、満足そうに息を吐いた。


「うん。 今日も健全で、まっとうな企業活動だ」


 その言葉に、皮肉はない。

 本心からそう思っているからこそ―― なおさら、質が悪かった。


「はい。 お仕事、完了です」


 軽く会釈し、ラブレスはヴァイロンが人差し指の先に乗せて差し出した四角の板を、恭しく受け取った。

 滑らかな動作で表示を確認し、表面を軽く人差し指でなぞると板は消えた。


「今日はこれだけかな?」


「社長に、アポイントメントのご依頼が来ております」


「ふーん。 誰?」


「ラリー・ゴールドマン氏が、直接お会いになりたいとのことです」


 さらりと告げられたその名前に、さすがのヴァイロンも一瞬だけ動きを止めた。

 思わず、名を口にしたラブレスの顔を見る。


 ラリー・ゴールドマン――

 メサイアの最高経営責任者。

 V3の一角……いや、誰もが知っている。


 それは事実上の仮想現実(インター・)世界(ヴァーチュア)の支配者の名だった。


「仮想現実(こちら)の時間で二日後、このアインシュタインブリッジでお会いになりたいとのことですが、いかがいたしましょう?」


 プロメテックスは躍進したとはいえ、起業から現実時間でまだ三年にも満たない新参だ。

 現実世界での資産も、事業基盤も、ほぼゼロに等しい特殊な企業。


 諸先輩方は決まって、この会社を

 成(・)り(・)上(・)が(・)り(・)の(・)ベ(・)ン(・)チ(・)ャ(・)ー(・)企(・)業(・)

 と呼び、

 ヴァイロンのことを成(・)金(・)の(・)若(・)造(・)と評している。


 その成(・)金(・)の(・)若(・)造(・)に会うため、この世の支配者が成(・)り(・)上(・)が(・)り(・)ベ(・)ン(・)チ(・)ャ(・)ー(・)の拠点―― 企業都市国家(テリトリー)アインシュタインブリッジへ、自ら足を運ぶと言っている。


 普通に考えれば、あり得ない話だ。


 だが、ラブレスはいつも通りだった。

 冷やかな眼差しを保ったまま、意にも介さない様子で続ける。


「ご判断をお待ちしております。 現在、先方を保留にしておりますが」


 どこの馬の骨とも知れない成金が、支配者に対して待てと代理で言ったというラブレスの言葉に一瞬、ヴァイロンはきょとんとした。

 次の瞬間、「ふふふっ」と、喉の奥で低く笑う。


 自分好みの秘書であることを、あらためて確認するように。


「救い主(メサイア)様が直々にご指名とは光栄だね。 ――会おう。 調整は任せるよ」


「承知しました」


 ラブレスは軽く一礼すると、そのまま踵を返して去っていった。


「……なんだか楽しくなってきたね」


 転がり込んできた不測の未来を前に、ヴァイロンは―― 新しいオモチャを見つけた子供のように、純粋な期待だけを胸に、心を躍らせていた。

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