0話 転生
「何者かになりたい。」
ある時期から思うようになったその気持ちは、いつしか私自身を縛る鎖となっていた。
私、星矢杏奈は凡人である。
何者かになりたいと強く願いながらも何者にもなれなかった、普通の女子高生である。
学力は中の下、運動神経は良いわけでもなく悪いわけでもなく、音痴というほど歌が下手なわけではないが歌手になれるほど上手いわけではなく、『画伯w』と馬鹿にされるほど絵が下手なわけではないが画家になれるほど絵が上手いわけでもない。
言ってしまえば中途半端なのである。
何者かになれる素質はある。
あと少しで何者かになれるのに、その「あと少し」が届かない。
そんな人生だった。
しかし、私は多くの人間に過度に期待される。
いや、期待されていた。
それは家族の功績が大きく関係している。
私の父、星矢聖壱は天才プログラマーである。
父は様々な国のお偉いさん方公認の下、コンピューターウイルスを殺すプログラム「殺誅剤」を作成し、それをネット上にばら撒いた。
その結果、世界中からコンピューターウイルスが完全に消滅し、また新たにコンピューターウイルスが発生した際、それを速やかに消滅させる仕組みが出来上がった。
父は世界からコンピューターウイルスというものを絶滅させたのだ。
父はこの功績を讃えられ、有名な賞を獲得した。
私の母、星矢善乃は天才的なハリウッドスターだった。
ありとあらゆる映画に主演として出演し、その全てが大ヒット。
テレビを付ければ母の名前ばかりが流れる。
そんな時期があった。
もちろんのこと、母は有名な賞を総なめ。
ハリウッドスター「Yoshino Hoshiya」は、世界中の誰もが知る存在となった。
そんな二人の間に生まれた一人娘。
それが私である。
当然、誰もが私に期待した。
天才的なプログラマーになるのか、天才的な女優になるのか、はたまた親とは全く違うジャンルで名を馳せる存在になるのか。
いろんな雑誌が私の未来を予測し、人々はそれを読んで楽しんでいた。
あの悲劇が起こるまでは……。
私が十二歳になる年、母は交通事故で非業の死を遂げた。
母の死は世界的なニュースとして大々的に放送され、世界中の人々が嘆き、そして悲しんだ。
母の葬式には世界の各地から十万人を超える人々が参列し、突然の別れを惜しんだ。
母の死後、私は亡くなった母の分まで強く生きようと心に決めた。
しかし、父は母の死を受け入れられなかった。
次第に様子がおかしくなっていき、部屋に篭りっきりになった。
時折、父の部屋からは狂気的な笑い声や悲痛な叫び声が聞こえるようになった。
私は、父との接し方が分からなくなった。
亡くなった母に、表舞台から姿を消した父。
始めのうちは私を心配する世間の声が多く寄せられた。
しかし、父や母と違って人々の期待に応えられず、何者にもなれなかった私は、次第に腫れ物のような存在となっていった。
そして中学を卒業する頃には、多くの人が言う「一般的な生活」ができるようになっていた。
父と母の背中を見て、二人のように「何者か」になることを願いながらも、運命に翻弄されて、結局何者にもなれないまま世間から忘れられた存在。
それが「星矢杏奈」という人間である。
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吹き付けるような木枯らしが、私の指先を冷やす。
私は玄関の鍵を開け、駆け込むように家の中へと入る。
「ただいま。」
出迎えるのは埃の被った父の靴。
私は学校指定のローファーを脱ぎ、自分の部屋へと歩みを進める。
私の部屋の真正面にある父の部屋からは、今日も相変わらず不気味な声が聞こえて来る。
「ふ、ふふふふふ。
やっと……、やっと見つけた……!
やはり僕の仮説は間違ってなどいなかったんだ……!
・・・いや、違う。
これはあの世界などではない!
ただのプログラムだ!
違う!違う!
違う!!!!」
私は「はあ……。」と溜息を吐き、自分の部屋へと入った。
始めのうちは、おかしくなってしまった父に恐怖心を抱いていた。
しかし、慣れというものは恐ろしいもので、今では何とも思わなくなってしまった。
私は一つに結っていた髪を下ろし、制服から部屋着に着替える。
そして鞄から今日返還されたばかりの中間試験の答案用紙を取り出す。
現代文七十二点、古典七十点、数学Ⅰ六十三点、数学A六十点、物理基礎五十五点、生物基礎七十五点、公民六十八点、英語表現七十二点、コミュニケーション英語七十五点。
「全部平均点に少し届かず、か……。
はぁ……。」
努力していないわけじゃない。
人並みに努力してるのに、結果だけ人並みに「あと少し」だけ届かない。
「人並みの努力で人並みになれない。
やっぱり私は『凡人以下』ってことか。」
天才の子供が天才だとは限らないのだ。
「『何者か』になるためには、まず人並みになるところから!
よーし!
来月の期末試験に向けて、勉強を開始するぞー!
おー!」
私は教科書とノートとペンを鞄から取り出し机に広げ、勉強を開始する態勢を取った。
すると、その瞬間、私のお腹から空腹を報らせる音が鳴った。
「や、やっぱり、『腹が減っては戦は出来ぬ』って言うし、べ、勉強は夜ご飯を食べてから……、いや、お風呂に入って、ヘアケアとスキンケアをして、歯磨きもして、寝る準備を整えてからでも遅くはないよね……?
うん!
そうしよう!」
先程までの心意気はどこへやら……。
分かっている。
こういうことの積み重ねで人並みになれていないのだと。
だが、嫌なことから逃げてしまう幼少からの性格は、もうどうしようもないところまで来てしまっているのだ。
私は足早に自分の部屋をあとにした。
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お風呂上がり、私は自分の部屋へと戻ると、勉強道具が広がっていた机を一旦片づけ、最近はまっているVtuberの配信をパソコンで視聴しながらヘアケアを始めた。
『いやー、最近ハワイアンピザというものにハマってしまいましてね?
分かります?
一部の人間からパイナップルピザって呼ばれて忌み嫌われてるアレです。
ワタシも最初は「こんなん美味しいわけねぇだろ(笑)」みたいに思ってたんですけど、試してみたら意外と美味しくてですね。
・・・そう!
そうなんですよ!
アレ意外にイケるんですよ!
皆さん、本当に食べず嫌いは損ですよ……って、来たああああぁぁぁぁ!!!!
金のフナクイーン!!
やっと来た!!!!
約一か月の戦いが報われた!!!!
よっしゃー!!!!
パイナップルピザ様ありがとう!
パイナップルピザ教、略してPP教!
今、ここに立ち上げを宣言します!!!!』
「おお!!!!
なんか凄い瞬間に立ち会っちゃった。」
私は思わず髪を梳かす手を止め、見入ってしまった。
この人は一か月の間、休むことなく毎日ひたすら同じゲームで同じ作業をし続けた。
私は凄いなと感心しながら、机の隅に追いやられた勉強道具たちを見る。
一か月間モチベーションを保ち続けたVtuberと、始める前にモチベーションが消えた私。
差は歴然だ。
「流石に寝る前に少しは勉強した方が良いかな……。」
私は卓上ミラーに視線を移す。
鏡には可愛い少女が映っている。
腰まであるさらさらの長い黒髪に、黒い瞳の大きな目。
そして目のすぐ上で綺麗に切り揃えられたぱっつん前髪。
睫毛は長く、鼻筋も整っている。
肌は白くきめ細やかですべすべ。
誰もが憧れる「女の子」が映し出されている。
「はぁ……。
見た目だけは母譲りで完璧なんだよね……。」
きっと私が「美少女グランプリ」みたいなものに出場したら、あの『星矢善乃』の娘ということも相まって、簡単に優勝できてしまうだろう。
ただ、その賞は私の望むものではない。
己の肩書きは『誰かから与えられたもの』ではなく、己の力で『勝ち取ったもの』でありたいから。
「よし!
やるか!」
私は櫛やヘアオイルなどのヘアケア用品と卓上ミラーを片付け、教科書とノートを再び開いた。
そして最後にパソコンの電源を落とそうとした。
その時、私は一通のメールが届いていることに気づいた。
普段パソコンにメールが届くことはない。
珍しいこともあるものだ。
「差出人は……、『女神の使徒』?
はぁ……。
やっぱり迷惑メールか。」
そんなことを呟きつつも、一応メールを開く。
すると予想外のことが起きた。
パソコンの画面が真っ黒に染まり、そこに水色の文字が並び始めた。
私は「え?!な、何?!」と驚きながらも、その並んでいく文字たちを眺める。
『遘√?鬲疲ウ輔?螂ウ逾槭?菴ソ蠕偵?∝香莠檎・樒坤縺御ク?莠コ縲∽ク代?蟶ュ繝?Μ繧ェ繧ケ縺ィ逕ウ縺呵??〒縺 遯∫┯豁、縺ョ讒倥↑繝。繝シ繝ォ縺梧擂縺ヲ縲√&縺樣ゥ壹>縺ヲ螻?i繧後k莠九〒縺励g縺 辟カ縺励?∫ァ?#縺ォ繧よョ九&繧後◆譎る俣縺ッ蟆代↑縺??縺ァ縲∝腰蛻?逶エ蜈・縺ォ蠕。莨昴∴縺励∪縺 雋エ螂ウ縺ョ蠕。蜉帙〒縲∽ス募穀遘?#縺ョ荳也阜繧呈舞縺」縺ヲ荳九&縺 雋エ螂ウ縺梧擂縺ェ縺代l縺ー縲∫ァ?#縺ョ荳也阜繧りイエ螂ウ縺ョ豈榊菅縺ョ蜻ス繧ょ些縺ェ縺??縺ァ縺 隕壽ぁ縺梧アコ縺セ繧翫∪縺励◆繧峨?∵ュ、縺ョ繝。繝シ繝ォ繧帝哩縺倥?∬?後@縺ヲ讓ェ鬮ェ繧定?ウ縺ォ謗帙¢縺ヲ荳九&縺 蜈カ繧後′雋エ螂ウ繧呈ュ、譁ケ縺ョ荳也阜縺ク縺ィ蜻シ縺ウ霎シ繧?髫帙?蜷亥峙縺ィ謌舌j縺セ縺 隧ウ邏ー縺ッ雋エ螂ウ縺梧ュ、譁ケ縺ォ縺?i縺」縺励c縺」縺ヲ縺九i蠕。隧ア縺苓?縺励∪縺 遘√?險?闡峨′雋エ螂ウ縺ォ螻翫¥莠九r鬘倥▲縺ヲ』
「キャアアアアァァァァ!!!!
待って!!
無理!!」
ホラー耐性0の私は、恐怖のあまりその場で縮こまった。
あまりにも酷い。
悪戯メールにしては度が過ぎる。
このままにしておくわけにもいかないので、私は手探りでマウスに探し出し、パソコンの電源を落とすために顔をそっと上げる。
縮こまったせいで顔に掛かってしまった髪の隙間から画面を覗き、急いでメールを閉じた。
私は大きな危機を脱した後のような安堵の表情を浮かべながら、「ふぅ。」と息を吐いた。
『女神の使徒』。
誰だか知らないが、とんでもないことをしてくれたものだ。
ホラー耐性ゼロの人間に、黒画面と文字化けのコンボは辛過ぎる。
赤文字じゃなかっただけ、少しマシではあるが……、いや、そういう問題ではない。
私は顔に掛かった横髪を退かすように耳に掛けた。
するとその瞬間、脳天を銃弾で撃ち抜かれたかのような感覚が頭に走った。
衝撃で体が仰け反る。
「な……に……?」
自分の身に何が起こったのか分からぬまま、私は意識を手放した。
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ーーーーー
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暗闇の意識の中で、走馬灯のように様々な記憶が脳内を駆け巡る。
『ここは……どこ……?』
・
・
・
『その話が……なら、……はもう……。』
・
・
・
『この記憶に……はない。なら、私が……べき行動は……。』
・
・
・
『私は……じゃない!……があんたを終わらせる!』
・
・
・
『……の言っていたことは……だった。なら、災厄は……訪れる。』
・
・
・
『残念……ね。……曰く、まだ……んだって。きっとこの……は、……を救うまで終わらない。』
『頼んだよ。次の私。』
記憶の最後、靄が掛かったように混濁する意識の私に差し出された手は、傷だらけで、酷く血生臭かった。
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「はっ!!」
私は勢いよく目覚めた。
「今の夢は一体……。」
そう呟きながら、私はゆっくりと体を起こす。
とても長く後味の悪い夢だった。
夢にしては現実的過ぎるし、現実にしては現実離れし過ぎている。
次第に頭が冴えてくると、自分が変な状況に巻き込まれていることに気づいた。
「え?
ここ、どこ?」
視界に広がるのは水平線の彼方まで一面に広がる花畑。
花は全て同じ種類の白い花。
初めて見る種類のため名前は分からない。
とても綺麗で良い香りがする。
しかし、前後左右どこを見ても同じ景色なので、若干気味が悪い。
空は雲一つない快晴。
そのため直射日光を浴びているはずであるが、少しも暑くなく、それどころか心地よさすら感じる。
恐らく長時間この場所で寝ていたであろう私の体に日焼けの痕跡が一つも見られないのも、この場所の不可思議さを醸し出す。
「もしかして、ここが夢にまで見た天国?
私、死んだ?
なんで?」
パソコンに届いた文字化けメールを閉じたら、頭に銃で打ち抜かれたかのような衝撃が走り、気づいたらここにいた。
もしここが天国だと仮定した場合、私は死んだことになるわけだが、そうすると死因が全く分からない。
「私は一体どうすれば……。」
その時、私は遠くの方に建造物のようなものがあることに気づいた。
なんとか視認できる程度のため、建物の形を捉えることは困難だが、どのような建物であれ、建物があるならば、そこに人がいる可能性は高い。
私はとりあえず、建物を目指して歩みを進めることにした。
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歩き始めてから体感一か月ほど経った頃、私は建物のすぐそばまで来ていた。
私はこの一か月間で、この謎空間に関するいくつかの発見をした。
一つ目の発見は、この空間には時間という概念が存在しないこと。
この空間は常に昼であり、天気の変化どころか気温の変化もない。
そして、私の体の時間も変化していないのか、お腹が減らず、眠くもならない。
もう何日も風呂に入っていないが、肌は未だピチピチで、髪のキューティクルも損なわれていない。
体の状態は、歩き始めたあの日のままである。
二つ目の発見は身体能力が向上しているということ。
私はこの一か月間休むことなく歩き続けた。
そう、文字通り“休むことなく”である。
一切の歩みを止めず、ただひたすらに歩き続けたのだ。
しかし、私の体は全く悲鳴を上げていない。
汗すら流していない。
それどころか普段よりも高くジャンプできるし、速く走れる。
これはおそらく一つ目の発見である「時間という概念が存在しないこと」が関係している。
私の体は常に一定の状態に保たれているため、疲労を感じることがなく、また怪我も瞬時に治る。
そのため、脳が体の力を制御する必要がないと判断したのだ。
その結果、今の私は力の限界を完全に突破したバケモノと化している。
三つ目の発見は、この空間は平面、もしくは地球より大きい球体であるということ。
私は目覚めた場所から一か月経っても辿り着けない場所にある建物を目視できた。
しかし、よく考えれば、これはなんともおかしいことである。
もしこの空間が地球と同程度の大きさ、もしくはそれ以下の大きさの球体であれば、これほど遠い場所にある建物は水平線の向こうに沈んでしまっているはずだ。
しかしながら、私はそれを目視できた。
つまり、この空間は平面、もしくは地球より大きい球体であることは必然となる。
ちなみに「なぜそんな遠くのものが見えたのか」だが、それはおそらく二つ目の発見である「身体能力が向上している」ことが関係している。
この身体能力の範囲には、筋力や瞬発力、動体視力などと共に、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の「五感」も含まれており、その全てのリミットも外れているのだ。
今の私は、数キロ離れているであろう花の花弁がくっきり見えるし、髪一本すら動かせない僅かな空気の流れすら感じることができる。
四つ目の発見は、この空間には私以外にも何かがいるということ。
人なのかそれ以外の何かなのかは分からないが、今の私の視覚でも捉えきれない程の距離から、何者かが剣と剣で争い合うような音が聞こえて来る。
それはこの一ヶ月間、絶えることなく聞こえて来た。
恐らく彼らも今の私と同じように、全ての身体能力のリミッターが外れているのだろう。
敵なのか味方なのか分からない以上、丸腰状態の今の私が剣らしき何かを持つ彼らと遭遇するのは、あまりにも危険と言えよう。
そのため、私は全ての気配を完全に消しながら、ずっと歩いていた。
これが一番大変だったかもしれない。
そして遂に建物に辿り着いた。
その建物は、とても見覚えのある建物だった。
なぜならーー、
「やっぱり私の家じゃん、これ!!」
今の私は恐らく猛禽類よりも視力が高い。
だから薄々分かってはいた。
けれど、脳がそれを受け入れてくれなかった。
そして今、やっと脳が受け入れた。
これは見間違いなどではないと。
白い花が咲き誇る謎の空間にポツンと佇む一軒家。
異常な光景である。
私は体感一か月ぶりに我が家の玄関を開いた。
「ただいま〜。」
出迎えるのは埃の被った父の靴。
……ではなく、透明なハイヒール。
ガラスのような見た目をしているが、柔らかい。
見たことのない素材で出来ている。
それにやたらとヒールが高く、おまけにピンヒールと来た。
このような歩きにくそうな靴、私は持っていない。
「誰の靴?」
私は恐る恐る進み、そっとリビングのドアを開ける。
誰もいない。
私はゆっくりとリビングの中へ入る。
テレビの位置、ソファの位置、棚の位置、キッチンの位置。
その全てが我が家と同じ。
どうやら外見だけでなく、中身も同じようだ。
何かおかしな部分はないかとリビングを彷徨いていると、細い線のようなものが落ちていることに気づいた。
私はそれをそっと広い上げる。
そしてそれが何なのかに気づいて驚いた。
それは「銀色の髪」だった。
銀髪は染めなければ、有り得ない髪だ。
しかし、この抜け毛は毛先から根元まで一貫して同色であり、染めているようには見えない。
これは「地毛が銀髪の人間」という不可思議な人物の存在を意味する。
勿論、一本では判断基準に欠けるが……。
そんなことを考えていると、突然二回から物音がした。
誰かいるのかもしれない。
私はビビりながらも、二階へ進むことを決意した。
二階にあるのは、父の研究室と化している元両親の寝室と私の部屋。
物音がした位置から考えて、誰かがいるのは後者だと察した私は、とりあえず前者から行くことした。
私はドアの前に立ち、ドアのレバーを下げる。
そして押した。
しかし、開かない。
鍵がかかっているようだ。
私はもう片方の部屋へと向かった。
ドアの前に立ち、深呼吸をする。
体感一か月ぶりの人との邂逅である。
会話の仕方を忘れていなければいいが……。
私はゆっくりとドアを開け、中を確認する。
白色で揃えられた棚、ベッド、机。
どれも見覚えのある家具ばかり。
しかし、違う点もある。
それは、私を出迎える人がいるという点。
私が愛用しているゲーミングチェアに座る長い銀髪の少女。
パソコンで何かの作業をしている。
少女はこちらに振り向きもせず、たった一言告げた。
「特訓はもう終わったのですか?」
私はその問いに対する答えを持ち合わせていないためその問いには答えず、逆に少女へ質問した。
「あの、あなたは一体誰ですか?」
私の問いを聞いた少女はキーボードを打つ手を止め、驚いたように振り向く。
そして私の顔を見た瞬間、悔しそうな表情を浮かべて唇を噛んだ。
「もう時間はあまり残されていないということですね。」
少女は立ち上がると、私に言った。
「はじめまして。
私はリーゼロッテ・ハクシスと申します。
いろいろと聞きたいことがあると思いますが、まずは何か飲み物を用意しますね。
そこら辺に座って待っていてください。」
「は、はい……。」
現実ではお目にかかれないであろう太ももまである長い銀髪を優雅に靡かせながら部屋を出ていく『リーゼロッテ』と名乗る少女。
その背を見ながら思う。
自分の家で他人に接客されるのはこんなにも摩訶不思議な感覚なのか、と。
意味不明な現状に戸惑いながらも、私はとりあえず、リーゼロッテに言われた通り、座ることにした。
本当なら私が長年愛用しているゲーミングチェアに座りたいが、今それはリーゼロッテが使っている。
横取りしたら何をされるか分からないので、私はベッドの上に座ることにした。
ふとパソコンの画面が目に入る。
その画面を見て、私は戦慄した。
見たことのない文字の羅列が並んでいたのだ。
パソコンの文字変換でも見たことがないような変な形の文字。
どうやってその文字を出したのか分からないような文字。
「何語?」
そして新たな不思議な点を発見した。
それは、私はリーゼロッテの言葉を理解できたということ。
もしかすると、リーゼロッテが話している言語は日本語ではない何かの言語なのかもしれないが、私にはその言語が確かな日本語に聞こえているのだ。
この空間は本当に何なのだろうか……。
少しすると、リーゼロッテが黄色い液体の入ったグラスを二つ持って戻って来た。
彼女はグラスを私に手渡すと、私のゲーミングチェアに座った。
私は何が入っているのか確認しようと、グラスの中の飲み物の匂いを嗅いでみる。
レモンのいい香りが鼻孔をくすぐる。
正体が劇薬であろうと麻薬であろうと私の体は一定に保たれているから死ぬことはないだろうと覚悟を決め、私はそっとそれを口に含む。
口の中でパチパチと弾ける感覚と共に、レモンの風味が口いっぱいに広がる。
「レモンスカッシュ……?」
「はい。
確か好物でしたよね?」
「え……?」
リーゼロッテの一言に言葉を失う。
確かに私はレモンスカッシュが好きだ。
けれど、それは出会ったばかりの彼女が知るはずのない情報である。
まだ何もまともに話していないのだから。
私はリーゼロッテに対して得たいの知れない何かを感じ、恐怖心を抱いた。
グラスを持つ手が震え始める。
「『なぜあなたが私の好物を知っているの?』って顔をしていますね。
凄い表情をしていますよ、"星矢杏奈"さん?」
私の表情は更に強張る。
私は彼女に対し、まだ自己紹介をしていない。
「ど、どうして私の名前とか好物とかを知ってるんですか?」
私の問いに応えるかのように、リーゼロッテは口を開いた。
そして、知るはずのない私の情報を次から次へと並べ出した。
「星矢杏奈。
20xx年生まれの十六歳。
誕生日は十二月六日。
身長は162.6cm。
体重は……乙女の秘密ということにしておきましょう。
好きなものはレモンスカッシュとゲーム。
嫌いなものは心霊。
天才プログラマーの父と天才女優の母を両親に持ち、自分も二人のように『何者』かになりたいと願いながらも『何者』にもなれずにいる少女。
お風呂上がりにパソコンに届いた文字化けした謎のメールを見た後、気づいたら謎の空間に居て、遠くに見えたこの家を目指してしばらく歩き、やっと辿り着き、そして私と出会った。
ですよね?
私はあなたの全てを知っていますよ。
まるで自分のことのように。」
リーゼロッテが言葉を紡ぐ度に、顔が青ざめていくのを感じた。
初対面の人間が、自分に関する全ての情報を知っている。
こんなのもはや心霊現象である。
私の全細胞が震え出す。
「あ、あなた、一体、何なんですか……?!」
恐怖で声帯が動かなかった。
自然と囁き声になってしまった。
「ふふふ、こうして客観的に聞くと本当に透き通った良い声をしていますね。
現実に戻ったら、ASMRでもしてみましょうかね。」
「な、何を言ってるんですか……?」
「ふふ、いずれ分かりますよ。
さて!」
リーゼロッテはそう言うと、「パン!」と手を叩いた。
そしてずっと戸惑い続けている私に笑いかけ、続けて言った。
「まずはあなたが置かれている今の状況について説明しましょうか。」
リーゼロッテは「これからたくさん話しますよ。」と告げるかのように、レモンスカッシュをゴクゴクと音を立てながら飲んで喉を潤すと、やっと説明が始まった。
「あなたは救難信号を受け取りました。」
「救難信号?」
「はい。
とある世界からの救難信号です。
その世界の名は『ボクスデン』。
一柱の女神と、その女神に仕える十二の使徒たちを信仰する人々が暮らす剣と魔法の世界です。
ボクスデンでは千年に一度、災厄が訪れます。
その災厄から人々を救うために、ボクスデンの人々があなたに助けを求めたのです。
私たちが今いるこの空間は、地球とボクスデンを繋ぐ中継地点として私が作り上げた空間。
そして私はボクスデンからの救難信号を受け地球から送られてきた人間の魂を、ボクスデンへと送る神様のような存在です。
まあ私はボクスデンでは大賢者と呼ばれているので、『神様』ではなく『賢者様』と呼んでほしいものではありますが……。」
私は頭を働かせ、リーゼロッテの語る現実味のない説明を懸命に咀嚼しようと試みる。
「えーっと、つまりは私にボクスデンという世界を救ってほしいということですか?」
「端的に言えば、そうなりますね。」
「そうですか……いや、無理無理無理無理!!!!」
一度納得しかけたが、冷静に考えると無理な話である。
ただの女子高生が世界を救うだなんて。
物語じゃあるまいし。
「無理、ですか?
でも、ボクスデンを救えば『救世主』になれますよ。
私は知ってるんですからね、杏奈さんが何者かになりたいと思っていることを。
地球で何者かになろうと、ボクスデンで何者かになろうと、『何者かになる』という点は同じじゃないですか?」
「そ、それは……。」
痛いところを突いて来る。
この女、本当に私のことを知り尽くしているようだ。
私が何の言葉に弱いのかまで理解している。
「勿論、私も鬼ではありません。
なんの力も与えず『世界を救え!災厄から守れ!』だなんて言いません。
ボクスデンは剣と魔法の世界ですから、生身のままでは世界を救うことはおろか、ただ生きることすらままならないでしょう。
なので、あなたに力を幾つか与えたいと思います。
ま、あれですね。
異世界転生モノでよく見るあれですね。」
「ちょ、ちょっと待って!?
異世界転生ってことは、私、死んだの!?」
「ん~、どうでしょう。
死んではないと思いたいですが……。
半分くらいだと思います。」
「は、半分?」
ナ、ナニソレ、ドユコト?
ワタシノカラダ、ドウナッテルノ?
「世界を救えば地球に戻れますから、その時に確認しましょう。
たぶん死んではいないと思いますよ。
てゆうか、そうじゃないと私の方も困ります……。
魂を体から抜き取って一時的に預かっている形ですから、肉体がないと永遠に返せなくなってしまいます。」
リーゼロッテの言っていることをよく理解できなかったが、全てが終われば一応地球には帰れるっぽいので、私はとりあえず深く考えることはやめることにした。
「それで、私に与えられる力というのは……?」
「この空間での体です。」
「・・・?」
この世界の体。
それはつまり、時間という概念の影響を受けず、体が常に一定の状態に保たれ、疲労感を感じず、傷が瞬時に治り、様々な身体能力がその限界を完全に突破した、人間というにはあまりにもバケモノじみたこの体を意味する。
「あ、あの、私、ちゃんと人間の形でボクスデンに転生できるんですよね?」
「はい。
とある国のお姫様になります。」
「お、お姫様?!」
「前回来られた方は一般階級の人物に転生させたんですが、一般階級だとどれだけ頑張っても一つの軍を動かせるレベルの上級職には就けないんですよね。
上級階級の方々は変にプライドが高いですから、『一般階級のくせに生意気な。』って態度を取って足を引っ張るんですよ。
そのせいで災厄にコテンパンにやられて、あれを打ち倒すのに必要なピースを半数以上一度に失うことになって……。
あー、思い出したらイライラして来ました。
あのハゲ!
私の計画を悉く台無しにしやがって!」
リーゼロッテのグラスを持つ手に力が入ってプルプルと震える。
相当な怒りだ。
とある上級階級の人物との間によっぽどのことがあったのだろう。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
私が心配して訊くと、リーゼロッテはレモンスカッシュを一気飲みし、「ふぅ。」と息を吐いた。
「ごめんなさい。
取り乱しました。」
リーゼロッテは落ち着いた声で謝罪した後、「コホン。」と咳払いをし、続けて言った。
「杏奈さん、あなたにはとある国のお姫様になってもらい、その立場からバケモノじみた体を持って災厄を打ち倒していただきます。
私も出来る限りのサポートを致します。
共に災厄を討ち、そして地球へと帰還しましょう。」
リーゼロッテが私に手を差し出す。
まだ全てに納得がいったわけではないし、リーゼロッテのことを完全に信頼しきったわけではない。
しかし、『世界の救世主になれ!』だなんて漫画やアニメの主人公にでもなったようで、ワクワクしないと言ったら嘘になる。
面白そうと感じている自分がいるのは確か。
それに、そもそも災厄とやらを倒さない以上帰れないのだから、私に選択肢なんてない。
やるしかない……。
「仕方がありませんね。
ボクスデンの救世主になりましょう。
よろしくお願いします。」
私はリーゼロッテの手を握り返した。
リーゼロッテの手は、やけに汗ばんでいる。
私に断られた時のことを考えて緊張していたのかもしれない。
「大賢者」なんて名乗っているが、心は見た目通りただの少女のようだ。
少し親近感が湧いた。
「さあ、そうと決まれば早速転生の準備を始めましょうか。」
「準備?
私は何をすればいいんですか?」
「ベッドに横になって目を瞑り、眠りにつくだけです。
目覚めた時には、転生していますよ。」
私は言われたとおりにベッドに横になり目を瞑る。
すると、リーゼロッテは私の側に寄って来て、私の頭を優しく撫で始めた。
そしてそっと囁くように喋る。
「最初の重要ポイントは五歳です。
それまではとりあえずボクスデンの世界観に慣れてください。
地球との差異がかなりあると思いますから。」
「はい。」
「重要ポイントが近くなりましたら、私の方から接触しに行きます。
それまでは暫しの別れです。」
「はい。」
「健闘を祈ります。」
リーゼロッテの優しい声に包まれ、眠気が増して来た。
しばらくして、私は意識を手放した。
ー
ーーー
ーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーーーーーー
目に差し込む強い光と誰かの話し声で意識が覚醒していく。
そっと目を開けると三十代半ばくらいの青髪の男性と三十代前半くらいの銀髪の女性が私を見下ろしていた。
背中の感覚から考えて、私は女性に抱っこされているようだ。
女性の頬は赤く染まっており、額には汗が滲んでいる。
この二人がこの世界での父と母だろうか。
初めまして、両親よ。
もしかして、生まれた直後ですか?
現在の自分の状況を整理していると、私を見下ろす二人の表情が次第に青くなっていった。
「あ、あなた……、この子、泣かないわ……。」
「ど、どういうことだ……?」
よく考えなくても分かることだ。
生まれた直後の赤ん坊は産声を上げる。
つまり、それがなければ健康上に何か問題があるのではと心配になるのが親の心だろう。
私は思った。
『泣かなくては。』と。
なめんな。
こちとら世界的ハリウッドスターの娘だ。
赤子の泣く演技くらいお茶の子さいさいじゃい!
私は目に涙を浮かばせると、お腹に精一杯力を入れ、一気に解放した。
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
私の泣き声(演技)が部屋全体に響き渡る。
ここ最近は人前で叫ぶことなどなかった。
だからだろうか。
凄く気持ちが良い。
私は気持ち良さに身を任せ、大きな声で泣き叫んだ。
そして、失念していた。
自分が人の形をしただけのバケモノであることを。
力のリミッターが外れている私が腹筋を精一杯使って叫ぶとどうなるか。
そう、ありとあらゆるものを破壊する。
部屋の壁や天井にひびが入り、窓ガラスが割れ、小さな机に置かれたコーヒーカップは割れて中の飲み物が飛び散る。
そして、不幸なことに私の泣き声を間近で聞いてしまった両親は、耳から血を流し出す。
鼓膜に傷をつけてしまったようだ。
少し経って、この悲惨な状況に気づいた私は、ぴたりと泣くのをやめた。
そして、心の中で謝罪した。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
自分がバケモノだったのを忘れてました。
わざとじゃないんです。)
私の父と思われる青髪の男性は、部屋をぐるっと見回すと怯える声で言った。
「これは、一体……?
この子の『魔法』か?」
「生まれたばかりの子が『魔法』を使えるわけないじゃない……。」
私の母と思われる銀髪の女性はそう言うと、倒れかけた。
青髪の男性はサッと彼女の体を支え、優しい声で言う。
「出産直後の体にあの大声は流石に響いたようだな。
少し横になるか?」
「ええ……。」
銀髪の女性は側に控えていたメイドに私を渡すと横になった。
私を抱き抱えることになったメイドは私がもう一度泣き出した場合のことを想像してビクビクしていたが、私が大人しくしているのを見て安心したのか「わあ!いい子ですね!よしよ~し。」と頭を撫で始めた。
中々に心地が良い。
少しずつ眠気が増して来た。
そういえば、私は今赤ちゃんの姿だが、ちゃんと成長するのだろうか。
この世界での私の体は、あの空間の体同様に一定の状態に保たれるわけで……。
もし今の体の状態が保たれるのであれば、私は一生赤子ということになるのでは……。
最悪の想像をしてしまった。
体が一向に成長しない女の子。
そんなの悪魔にでも呪われた存在も同然である。
呪い、それはつまり・・・『心霊』である。
(あ……、怖い……。)
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
眠気が吹き飛んだ。
部屋の壁と天井も吹き飛んだ。
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賢暦1992年8月30日午後11時15分。
ボクスデン最北の大陸『エレーラ大陸』に存在するとある国家『ヴィクトリア王国』に、第二王女が誕生した。
第二王女の産声は一晩止むことなく、城の壁や天井を破壊し尽くした。
図らずも彼女の誕生は、一晩の内に王国全土に知れ渡ることとなった。
「音撃の王女」という不名誉な二つ名と共に。




