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Let's begin with here (ここから、始めよう)

 雪が降ってきた。

着こんでは来たが、さすがに寒い。

幸いなことに、風はない。

波間に、月が揺らいでいた。

耳に突っ込んだイヤホンから、ストリングスの音が漏れていた。

アツアツの缶コーヒーを一口飲んだ。

ナトリュウム灯の黄色の光で、辺りは暗くなかった。


空になったカンカンに釣り糸を掛けた。

簡易的な、トラップだ。

博史は、船着き場のコンクリートに寝転んだ。

真上に半月の月が輝いていた。

カタンと缶が倒れて、リールのからジーという音がした。

この音は、イカがアジに食いついた音だ

30から40メータほどテグスが出て行って止まれば確定

ヤエンを入れて引っ掛けるだけだ。

まるで、高校時代に戻ったみたいだ。

功がタモを持って近づいてきた。

まだ、イカ引きの腕は鈍っていないようだ。


 功から、真姫の遺品の指輪を受けった後で、博史は、決めたなければならないことがあることに気づいた。

 

少し前から、体がだるいことがあった。疲れが抜けないこと多くなり。

酒がうまいとも思えなくなっていた。

どこか、おかしいと思い、病院にいくと


"HCVキャリア" 


C鋳型肝炎と言われた。

思い当たる節はある。

あの時だ、現在では輸血での感染はほとんどないが、2000年代のまで、スクールリングが完全でない頃は

C型肝炎のウイルスに感染してしまうことがあった。

精密検査をすると、相当悪いらしく、すぐに治療が始まった。

何でと思いがあるが、会社の健康診断項目には、肝炎の検査項目はない。

肝機能の数値も今まで、悪いことはなかった。

1989年にC型肝炎ウイルスが発見されて以来、輸血後肝炎の80%以上がC型肝炎であるいわれている。

インターフェロンによりウイルス自体を排除することを目的とした治療が行われるようになっが日本人の場合、2/3の方がインターフェロンの効きにくいIb型のC型肝炎ウイルスたせとのこと。

慢性肝炎後は、肝ガンになりやすい。

精密検査をうけたところ、ステージ3の肝ガンとのこと。

3年生存率36.6%、5年生存率27.1%だそうだ。


博史は、もういいかなと思った。

あの時に失っていたはずの命が、三十年近く生きながらえてきた。

退職金もあれば、保険も入っている。

人に迷惑もかけることはないだろう。

輸血が原因だとしても、恨んではいない。


病院で、薬害についてのバンフを手渡されたが、いまさらと思った。

どうも、死という観念が人と違っているらしい。


とにかく、月曜日の憂鬱に惑わされることもないかと思い、辞表を書いた。

そんな時、功から連絡が入った。

なんと、功の会社を手伝ってほしいとのことだった。

なんでも、娘さんの奈央さんが結婚して、県外へ行くとのこと。

博史は、これね何か縁ということで、了承した。


"案外 真姫の思惑かも"


と博史は思った。


しかし、病気のことは功に話しておこうと思った。


 あの浜辺に功を呼び出した。

 

 海風が、熱気を冷ましていた。


 「すまんな、お前には話したいことがあってな」


 と博史は功に缶コーヒーを投げてよこしながら言った。


 投げられた缶コーヒーを受け取ってから


 「いい話か?」


と聞いたが博史は


 「どっちだろ」


とうそぶいた。

正直に功に病気の話をした。


 「今すぐにどうってことはないけど、あんまり長くは働け来から、次の人が見つかるまでだ」


とさらりと言う博史に功は


 「やっば、真姫がお前を迎えにきているのか、」


意味深に言った。


 「いや 違うよ。真姫やお前に許してもらうのに、三十年以上かかっただけだ。絶対はないけどただ一つの絶対は、人間は何時か死んでしまうことだろ」


 博史はこともなげに他人事のように言った。

 生きているのか死んでいるのか時間を過ごし、生存本能だけで生きてきたようなものだ。

 つまり、腹がすいたら食べて、眠くなったら寝て、それらの生活を維持するために働いてきた。

 突き詰めれば、それが一番楽な生き方だったのかもしれない。


 「だから、今からは昔のように生きてみようと思うんだ。お前と真姫がいて俺がいた。あの頃のように

  ここから、ここから始めたいんだ」


 博史は、漁火の浮かんだ沖を見て立ち上がった。


 「わかったよ。俺たちも、何があるかわからない年だということだな。人生の終いの用意ということだな」


 といった功も、沖の漁火を眺めていた。



 あの日、 会社の前には、E90 BMW 330i のシルバーの車体が止まっていた。

 運転席の窓が降りて奈央が


 「乗っていきますか?」


 と言ったので


 「よろしく、お願いします」


 と博史は答えて、後部座席に乗り込んだ。


 奈央は助手席のエアコンのつまみを回して温度を下げると博人に尋ねた


 「気分は」

 

 「最高かな」


 と博史が言うと


 二人して大笑いした。


 後日談


 功と奈央は、以前博史が勤めていた会社に対して、地元の結束?を生かして、海産物の取引を中止

 支店の売り上げの2割を占めていたので、あの支店長と課長が来たらしいが、歯牙にもかけずに

 取引中止にしたらしい。

 その影響なのか、定年も待たずに、支店長は関連の子会社に出向、課長も姿を見なくなったらしい

 と、失業保険の申請で会社に博史が立ち寄った時に聞いた話。

それと、その後の取引先を探すのが博史の最初の仕事だったこと



 

 


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