Paraiso (最後の場所)
夜が明け前は、やはり寒い。
普段なら、パン屋か新聞配達しか活動していないのに、今日だけは特別。
どこからか、讃美歌か聞こえていた。
町全体が、静かに活動している。
博史は、コートのボタンも留めずに街を歩いた。
30年以上も前の記憶はまだ、道を覚えていた。
ただ、見慣れた街並みはそこにはなかった。
街は復興して、面影もなかった。
物は直せても、失ったものは取り戻せない。
博史は身に染みていた。
多くの人の人生が、大きく変わっていった。
自然を制御できるというのは、人間の驕りだ。
建物をどんなに丈夫にしても、壊れるものは壊れる。
結局は、どう折り合いをつけていくかということ。
ほんの10年前にも、未曽有の地震が襲ったが、この町の教訓が生きたのか救助者が死亡者を上回っていた。
二度とこの町の轍を踏まないという、自衛隊の幹部の進退をかけた命令によってだ。
いつの時代も、為政者が正しい判断をしたことはない。
いつでも現場の判断で事がなっている。
原発を守りとおしたのも現場の人間だ。
想定外という言葉が流行ったが、その想定外を想定していた原発もあった。
独りの技術者によって、わずか1.8Mの設置位置の差津波を防いだのだ。
これがなければ、2か所原発事故でこの国は、未曽有の危機に陥っていたのかもしれない。
"技術者には法令で定めてある基準や指針を超えて結果責任が問われる"
という信条の元、コストよりも安全を優先した結果だ。
安全は金では買えない。
安全はすべてに優先する
ということだ。
そして、人が人を助けて生かすかだ。
現場の判断で、津波を逃れた子供たち。
これ位として判断して多くの子どもたちが死んだしまった。
これは奇跡ではなく、現場の判断だ。
目的と手段を間違えるとこうなるのだ。
博史は、あの災害からそう学んだのだ。
あの災害の面影はもうどこにもなかったが、港の一角にそれはあった。
傾いた街灯と崩れた護岸が時が止まったようにそこにあった。
人は忘れる動物だ。
良いことも悪いこともみんな忘れていく。
まだ夜は明けない。
うっすらと空が白んできた。
あの日もそうだったのかもしれない。
祈りなのだろう。
そう人は願う。
"5時46分52秒"
鐘が静かに響く。
歪んで岸壁と傾いた街灯がシルエットを映し出した。
まだ明けっ切ってない朝の中に淡い光があった。
広場では、ろうそくの光が揺れていた。
思い思いのメッセージがキャンドルの光に照らされていた。
ガラスケースに灯った光のモニュメントの碑には
このように記されていた
"震災が奪ったもの命 仕事 団欒 街並み 思い出
・・・たった1秒先が予見できない人間の限界・・・
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われた すべてのいのちと
生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ"
博史は、
「思いはつながったのかな・・・」
と空を見上げた。
博史は手を挙げてタクシーを止めて行先を告げた。
タクシーを降りると結構なスロープを歩いて展望台に着いた。
かつて、真姫と一緒に来た場所だ。
そして、手すりに南京錠をつけた。
永遠に結ばれるようにと
もう今は別の場所に鍵をつける場所に移されて4年に一度鍵は溶かされてプレートにされるらしい。
かつて鍵をつけた場所に立ってみた。
街は朝日に照らされて遠くの海が煌めいていた。
あの時は春で桜が舞っていた。
つないだ手の暖かさを思い出した。
真姫の笑った顔が乱反射した光中で見えた気がした。
結構な坂を登ったので義足の足が痛んだ。
少し休んでモニュメントの場所へ歩いた。
モニュメントにはたくさんの南京錠がかかっておりマジックで願い事が書かれていた。
博史はポケットか鍵を出した。
そして鍵に指輪をつけてワイヤーに付けた。
博史はやり終えたと感じた。
すべきすべてのことを
誰がほめてくれるわけではない。
だけれども、真姫への思いは真実だった。
叶わなかったけれども、決して今は後悔はしていない。
人の思いは、時間に比例しない。
むしろ短かければ短いほど鮮明に心に刻まれて昇華されていく。
「帰ろう」
と博史つぶやいた。
季節は巡る。
真姫の一周忌が近づいてきた。
博史はベッドの上にいた。
病状が悪化していた。
しばらくしたら、高カリウム症状で意識が混濁するらしい。
功や奈央もちょくちょく見舞いに来てくれていた。
会社の運営の件は奈央に教えてある。
特に危ないことはないらしかった。
真姫の一周忌が近づいてきたので、博史は病院から無理をいって外泊届をもらい。
故郷のホテルに宿泊した。
功は家に泊まれといったが、法事の忙しいときに迷惑を掛けたくはなかった。
法事も無事終わり、博史はホテルに戻るためにタクシーを呼んだ。
奈央が送っていくというのを丁寧に断った。
「功 今日は真姫を独りするなよ」
と博史は優しく言った。
「ああ、分かっている」
博史はタクシーをあの海辺の浜で降りた。
夜なだけに運転手は訝しんだが、親類が近くにいるといって博史は納得させた。
月がきれいな夜だった。
少し歩いても体かだるく、休み休み歩いて浜辺に降りた。
満潮ですぐそばまで波が来ていた。
数時間そうしていたが、潮が引き始めると海に向かって歩き出した。
50mほど歩いて小さな石の横に腰をおろした。座り込むと胸の上まで潮に使った。
少し熱のある体に潮水は心地よかった。
博史は何十年ぶりに神に祈った。
幼いころ母に連れていかれた教会で祈ったように
"天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン"
博史はゆっくりと目を閉じた。
どこからか声が聞こえた。
博史は、この浜の言い伝えを思い出した。
悲しい話だ。宗教禁止令が出でいたころ改宗しない信者がここで大勢処刑された。
今 博史がもたれている石でだ。
祈りを唱えながら老人も女子供もが処刑された。
いつしかこの岩は昇天石と呼ばれようになったと。
Valparaiso(天国へ行ける場所)だと
完結です。
最後の内容は皆さんの中で完結させてください。
死を望んだのかあるいは生きることを望んだのか
読む人の思いです。




