第 90 夜 『いいひと』
語り部 : 真柴湊
お相手 : 山瀬理緒
高校生にもなったんだし彼女の一人でも作って、楽しい学生生活を謳歌しようと望んでいたんだけど、なかなかそうは問屋が卸してくれない。
「真柴くんのことは好きよ。だけどお友達でいいんじゃない?」
好きだけどつき合うほどじゃあない。
いつもこんな風に言われる。
何でなんだろうな。
第 90 夜
『いいひと』
朝の通学途中でのこと。
「そりゃあお前、人が良すぎる彼氏といたら、自分もそれにつき合わされるかと思ったらさ」
「人が良いって言うのが、既によく分からない。一体どの俺のどの行動がそう見えるんだ?」
「その時点で良いんだよ。人が。自覚してないってところで既に」
酷い言われようだな。
でもそれがオーディエンスの意見であることは間違いない。
俺はそんな理由で、彼女の一人も出来ないのか……。
「あ、いたいた。まっしば君」
誰だ? 聞き覚えのない声に、呼ばれて振り返る。
やっぱり知らない。てかなんで高校の敷地内に小学生が……。
いや待てよ。
確か2年生に、小学生のような女子がいると聞いたことが……。
って、先輩?
さほど身長の高い方ではない俺の、胸までもない頭の位置、顔を見ても幼さが全く抜けていない。
やっぱり小学生か?
「えっと、なんの用でしょう?」
人の名前を呼んで近づいてきたんだ。
何か用事があるに違いない。
「私のことは知らないかもしれませんが、2年の山瀬理緒です」
やっぱり先輩なんだな。
存在は知ってたけど、名前は初耳だ。
「とりあえず二人で、話したいんだけど……」
「ああ、いいですよ。それじゃあ俺は先に教室行ってるわ」
「お、おお」
まだ予鈴まで10分以上あるしな。
どんな話か知らないけど、問題ないだろう。
「あのぉ、それで?」
「突然ですが、私とつき合って下さい。拒絶は受け付けません。あなた今、彼女とかいませんよね」
……なに?
「なにを藪から棒に言ってるんですか? つか、初対面で告白って、どういうことです?」
告白をする時は、いつもドキドキする。
人によっては、そのドキドキが伝染して緊張する子もいる。
今の俺は……、全然ドキドキしていない。
「ああ、もしかして本気だと思ってないでしょ?」
「いや、だって、じゃあなんで俺のことを? なにかあったんでしょ? 俺、身に覚えはないんですけど、理由もなしに人のこと好きになったりしませんよね」
「えーっとね。言わなきゃダメ?」
「お願いします。全く話が見えてこないんで」
と言いたいところだけど、時間もあまりないので、放課後、一緒に下校して、どこかで話を聞くと言うことにして別れた。
それはともかく、初めて女の子から告白された。
記念すべき日なのだけれど、全く感慨ってもんが湧いてこない。
ただ呆然と考えさせられる。
どれだけ思い出そうとしても、彼女との接点に行き着かない。
悩んでいるうちに、いつの間にか放課後、約束を果たしてもらいに、彼女の教室を訪れる。
「おう、湊くん」
既に名前で……。
「ちょっとだけ待っててね。このプリント先生に渡してくるから」
「あっ、ちょっと……」
渡してくるだけなら一緒に行けば、荷物持ちくらいするのに。
「真柴くん?」
「はい?」
山瀬先輩のクラスの人だろう女子に声を掛けられる。
「君がそうか。君、いい人なんだって?」
立ちつくす俺の元へ、ぞろぞろと何人もの女子が集まる。
あの人、俺のこと友達に喋ったんだな。
「友達からは人が良いって、よく言われます」
5人の女子に囲まれる。なんか緊張するなぁ。
「いい人か、人が良いか、なんだか紙一重って感じだよね」
「でも本当に理緒がまた、元気に笑うようになって良かったわ」
それって、どう言う?
「大切にしていた犬が死んでから、ちょっと伏し目がちだったもんね」
飼い犬が……、確かに大事な家族が急にいなくなったら、元気もなくなるか……。
「それでも少しは良いこともあったみたいで、必死に堪えて顔を上げようと頑張ってたんだけど」
次々と矢継ぎ早に5人の言葉は続く。
「あなたのことを好きになって、元気を取り戻したのね」
そう、そこだ。なんで俺なんだ?
俺には山瀬先輩と関わった記憶が全くないのに、なんでそんな風に思えるんだ?
「おっ待たせぇ~」
その辺りを聞こうと思ったところ、山瀬先輩が戻ってきた。
「それじゃあ理緒のこと、よろしくね」
小声でそう言われ、彼女たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「なんか人気者だね湊くん、お姉さんちょっと妬けちゃったぞ」
いや、あなたにお姉さんって言われても……。
「帰ろっか」
「ああ、はい」
核心部分を聞く前に先輩が戻ってきたから、結局何で俺なのかはまだ分からない。
やっぱり直接聞くしかないんだけど、どうもその飼い犬のことも気になって、どう切り出していいのか迷ってしまう。
「湊くん、あの子達からなんか聞いた?」
考え倦ねている俺に、先輩の方から話を切り出してくれる。
「ああ、えっと、その先輩の大事な家族の話を、飼い犬が死んでしまった話」
先輩が元気を無くしてしまった話、言葉に出していいものか迷ったものの素直に話す。
「そっかぁ~。……えーっと、それじゃあ、今朝の質問の続きだよね」
そう言って先輩は黙ってしまった。
「うんとね、グレート・ピレニーズって犬知ってる?」
質問の続き? なんだよな。
「名前ですか?」
「うん、大型犬、牧羊なんかに使う護羊犬」
「ああ……、ちょっと分からないです」
そう言うと先輩は俺を連れて、とあるペットショップまでやってきた。
ここはちょっとしたドッグランも備えている大型店舗で、様々な種類のペットを取り扱っている。
その一角にある犬のコーナー、小型犬、中型犬と、大型犬になると赤ちゃんでも割と大きめのケージに入っていて、元気に狭い中をチョロチョロと動き回っている。
「これがグレート・ピレニーズ、大きくなると80cmにもなる子もいるの」
白い大型犬種の子犬は、どことなく見覚えのある、特徴的な感じの犬だ。
「すごく毛がふさふさしていて、毎日ブラッシングしないといけない、手の掛かる子でね。耳の掃除なんかもしてあげないといけないの」
詳しく犬の説明をしてくれる。
なるほど、これと同じ犬を飼っていたんだな。
「小学生の頃の私は、今よりもうんと小さかったから、上に乗ることも出来たんだよ」
嬉しそうに思い出話をしているんだけど、その目はどことなく悲しげで、きっと色んな事を思い出しているんだろう。
「これが私の犬」
そう言って携帯電話に呼び出したフォトデータ、目の前の子犬からは想像も付かない存在感だ。
「あ、この犬……」
「思い出した?」
そうか、俺、以前先輩に会ったことがあったのか。
俺達は場所を変えた。
公園のベンチに腰掛けて、ゆっくりと話をする。
「すみません、直ぐに思い出せなくて」
「うぅうん、仕方ないよ。あの時は私服だったし、私って制服来てないと、より一層小学生みたいでしょ」
ああ、そう言われると耳が痛い。
実際俺は、あの時の女の子は小学生だと思い込んでいたから。
その事件は今年春、入学式前に起こった。
俺は友達と買い物に出かけてきていたんだけど、たまたま通りかかった大通りの交差点で、やたらと大きな犬を連れた女の子に出会った。
「私、あの時は保健所に予防接種を受けさせに行く途中だったの」
いつもの散歩コースとは違う道、少し興奮気味の犬を一生懸命小さな体で引っ張っていた。
本当にたまたまだったのだ。
警官の制止を押し切って暴走する、二人乗りのバイクが赤信号を無視して交差点に進入、そこにいた先輩に向かって走ってきた。
後ろのパトカーを気にしていたライダーは、目の前にいた彼女に気付かず、減速せぬままに迫っていき、ついには接触。
だがしかし、バイクと先輩が接触する寸前に、身代わりになったのが先輩の犬だった。
「ミックは全身で私を突き飛ばして、身代わりになってくれた」
それも覚えている。
その衝撃でバイクは転倒、二人組は警察に捕まり、そして犬は即死だった。
「横断歩道の真ん中で、動かなくなったミックを見て、放心状態になってしまった私に、湊くんが声を掛けてくれて、そこじゃあミックが可哀相だって、服が汚れるの気にもしないで、歩道まで抱えて行ってくれた」
犬の血が付いたシャツがもとで、その日の買い物はキャンセルになったっけ。
あの後、警察やらマスコミやらの取材や聞き込みで、先輩とはろくに話すことも出来なかったけど、あの時の俺の顔を覚えていてくれたんだな。
「それからの私は何をするにも気が抜けた状態が続いた。だけど校内であなたの姿を見かけた時、すごく驚いて、すごく嬉しかったの」
あの時のお礼をずっとしたかったのに、相手がどこの誰かも分からなかった。
顔を見て間違いないと思ったが、しばらく俺の様子を見ていて、その人となりというか、人が嫌がることを買って出てしまう性格の俺を見て、間違いないと確信したそうだ。
「そしてその湊くんの姿を見て、いつまでも悲しんでばかりじゃあ、ミックも安心して眠れないなぁって思って、直ぐにあの日のお礼を、先ず言いたかったんだけど、気持ちの方が先行しちゃって……」
それで告白してくれたのか。
「本当にあの時はありがとう。そしてよかったら、これからもよろしくお願いします」
そう言って俯くと、先輩は右手を俺の方に差し出した。
ああ、返事か。
そうだな。こういう出会いも悪くはない。
だけど俺はまだ先輩のことをなにも知らない。
「もう少し先輩のことを知ってからでもいいかな? それまでは友達以上って事で」
俺は彼女の手を取った。
「そっか、私がこんな形だから、即答できないよね」
「ああ、いやそう言うんじゃあないよ。でも本当に俺、山瀬さんのことを何も知らないから」
「理緒でいいよ」
「それじゃあ理緒さん」
「理緒! さんはいらない」
頑として言い放った。意外な一面だな。
「じゃあ理緒、そう言うことで」
「分かった。湊くん、私のことまだ小学生じゃあないかって、疑ってるでしょう」
「ないないそれはない」
「えい!」
握っていた俺の手を、自分の胸に押し当てる。
あ、柔らかい。思っていた以上の膨らみを感じる。
「って、いきなり何するんだ、あんたは!?」
引き離そうとするがビクともしない。この体のどこにこんな力が。
「これで少しは分かったでしょ?」
「分かった分かった。と言うか、最初から小学生扱いしてないでしょ、俺は」
そう言うとニッコリと笑い、手を離してくれる。
「だから今度デートしよう。俺、楽しみにしてるから」
こう言ってはいるものの、その実、俺の返事はもう決まっていた。
ただあまりにも主導権を握られすぎていて、素直に返事が出来ないのだ。
少しだけ焦らして、答えはそのデートの時に打ち明けることとしよう。