第 91 夜 『一発勝負!』
語り部 : 宮島剛志
お相手 : 滝川怜
負けられない時がある。
譲れない場面がある。
正念場、絶対にアイツだけには勝たなければならない。
第 91 夜
『一発勝負!』
中学生の頃までは、苦手な物は苦手なんだからしょうがない。と言って逃げてきた。
でも高校生になり、このままではよくないと思い切って挑戦することにした。
その成果が徐々に実を結ぶ。
小学生の頃は結局泳げなかった25m、中学に入って何とかそこはクリアーしたけど、そこが限界だった。
限界だったと思っていた25m越え、人間頑なんとかなるもんで、入部から一月で、100mまで泳げるようになった。
「そりゃあ先生がいいからでしょ」
俺のコーチ役は同い年のクラスメート滝川怜。
水泳部のエースを担うであろう自由形の選手。
100mを泳ぎ切ることが出来るようになった俺の、次の目標は彼女に勝つこと。
いや、勝たなきゃならないのだ。
入学式、遅刻寸前で教室入りした俺は、既にみんな移動してしまっている講堂に急いで、廊下を小走りに向かっていた。
先生達もみんな移動済みなのか、注意を受けることなく走ったので、チャイムが鳴る前に入れそうだった。
だけど最終コーナーを曲がったところに、予想外の存在が立っていた。
「きゃあ!?」
「おっと、ご、ごめん。大丈夫?」
辛うじて接触を免れたが、いきなり現れた俺に驚いて、その子は尻もちをついてしまった。
「いったぁ~い! なによもう!? いきなり出てこないでよ」
「悪い悪い、……とその前にスカート、めくれてる」
「えっ? きゃーーー! どこ見てんの、この変態」
初対面でえらい言われようだな。
入学式に来てるから、執行部役員とかでないなら、同じ新入生のはずだ。
そうなるとこの子とは、出身中学が違うってことになる、初めて見る顔だ。
俺は所在なさ気にボーッとしてしまった。
そこに彼女から右手が差し出される。
「起こしてよ」
「ああ、ごめん」
俺は慌てて右手を出して、掴んだ手を引き上げた。
彼女は汚れたスカートの誇りを払う。
「あぁ~あ、チャイムなっちゃったねぇ」
「えっ? ああ本当だ」
講堂の方から進行のスピーチが聞こえてくる。
もう式が始まったんだ。
「あぁ~あ、ギリギリになってトイレになんて行かなきゃよかったよ。君はどうしたの?」
「あ、俺は遅刻寸前で登校して」
「それで走ってきたんだ。もう気をつけてよ」
「ごめん」
「いいっていいって、君さっきから謝ってばっかりだよ。あっ、私1年6組の滝川怜」
「俺、宮島剛志」
「おお、強そうな名前だね」
「名前負けしてるって、よく言われる。っと、同じクラスだ。よろしく」
「よろしく、高校生第一号の友達だね。さぁ~てどうしよっか、今から入っても目立つだけだよね。どこかに隠れてよっか」
「……いや、そうもいかないようだ」
「こらー! お前ら何してるんだ。入学式はとっくに始まってるんだぞ」
先生に見つかって、仕方なく中に入った俺達は案の定、みんなの失笑の中、クラスの列に並ぶこととなった。
友達第一号、くすぐったくもあったが嬉しい響きのある言葉だった。
その後、恋に落ちるのにはさほど時間はいらなかった。
1年生歓迎のレセプションで同じグループになり、新入生交流イベントのダンスパーティーで、一緒に踊ることが出来た。
その時だ、自分の気持ちに気付いたのは、きっとあの入学式の日には恋をしていたんだろうけど、自覚として現れると、なんだかくすぐったいような、いてもたってもいられないような気分になる。
俺はすぐに告白をした。
彼女には特定の彼氏や片恋の相手は居ないと聞いていたから。
クラス内でも結構仲良くしているほうだし、自信はあった。
だけど返ってきたのは、返事とはほど遠い質問だった。
「ふ~ん、宮島ってさぁ、どれだけ泳げる?」
彼女は入学早々、水泳部に所属した。
小学生の頃にスイミングスクールに入り、中学時代も水泳部にいたそうだ。
「いや、泳ぎは苦手だ」
対する俺は丘の上の競技なら、そこそこなんでもやれるけど、水に入ったらてんでダメだ。
「じゃあさ、水泳部に入らない? 私が教えてあげるからさ」
体のいい勧誘だった。
だけどそうすれば、一緒にいられる時間も長くなるし、水泳部は夏のシーズンでもなければ、陸の上で体を作る時間の方が長い。
「本当に泳げるようになれるのか? 俺、25mが関の山なんだぜ」
「それだけ泳げるって事は、頑張り次第でもっともっと泳げるようになるって事だよ」
その言葉を信じて、俺は入部することを承諾した。
「と、ところで返事は?」
「う~ん、私に自由形100mで勝てたらね」
「なっ、きったないぞ! そんな詐欺みたいな」
「何言ってんの、スピード競技なら男子の方が断然有利なんだよ。本気なら直ぐに追い越せるって」
狸か狐に化かされているみたいだが、俺は渋々その条件を受け入れた。
しかし俺の誤算はそれだけではなかった。
うちの学校は授業用の屋外プールの他に、競泳用の室内プールの存在があった。
温室仕様で年中使用が可能。
水泳部は全国レベルの大所帯、その中でもエースクラスだという滝川に俺は勝負を挑む事となる。
「やっぱり詐欺じゃねぇか」
「私、嘘は一つも吐いてないもーん。宮島が勝手に思ってただけでしょ?」
畜生、100m走なら簡単にぶっちぎれるのに、水の中だと、どうしてうまくいかないんだ。
年中水に入れる水泳部でも、基礎トレーニングとして陸上を走ることはある。
俺の走りを見た陸上部が、引き抜きに掛かってきたくらいだから、女子には絶対に負けない自信がある。
「でもすごく頑張ってるよね、宮島。春には本当にまともに泳げてなかったのに、一月で100m泳げるようになって、今じゃあ男子1年生部員の中でも、上位にまで成績伸ばしてるし」
それでも全く及ばない相手だと知っていたら、こんな条件飲んだりしてねぇーつうの。
「くそう、後10秒くらいなんだがな」
その10秒がどのくらいの差なのかは知っているが、何ともならない数字とも思えない。
俺は基礎トレーニングのために体育着に着替えた。
「なんだ、お前も走るのか?」
更衣室を出てきた俺に、滝川が待ったをかけた。
「私はあんたのコーチだからね。それにもうすぐ校内選考会があるから、しばらく相手できなくなるし、今の内にしごいておかないと」
「鬼コーチめ」
「えへっ、直ぐに着替えてくるから、ちょっと待っててね」
滝川とつき合うことは出来ないままでいるけど、こうして毎日一緒に部活出来るだけで十分か。
「それにしても校内選考会かぁ、俺って今部内でも、どれくらいの位置にいるんだろうな」
「結構いい線いってると思うよぉ。力もあるし、体も柔らかいし、バランスも悪くないし、リキまなければいけるかもよ」
着替えを終えた滝川がやってきた。
先ずは軽くランニングにと、学校の周りを軽く流す。
「とにかく先ずは、選考会でそれなりの結果を出す。そしてお前にも勝つ」
「はいはい、頑張ってね」
「って、あれ? なんか元気なくないか? いきなり」
「あっ、うぅうん大丈夫だよ」
いや、明らかに様子がおかしい。
一体何があったんだろう?
選考会の結果が出た。
俺は驚きのタイムをたたき出し、補欠としてだが、公式戦当日は選手として、プールサイドに並ぶこととなった。
これもアイツのコーチのお陰と言えるだろう。
しかし部内トップ3の滝川は、今回の選考会では選ばれなかった。
「よ、お疲れ」
「……お疲れ」
やっぱり元気ないな。
それはそうだろう。
こいつが早いのは、天賦の才でもなんでもない、努力の賜なのだから。
無言が痛い。どう切り出せばいいのかが分からない。
「おめでとう、やったね」
「お、おお! これもコーチの腕がよかったからだな」
「本番でこけるコーチの力なんて、大したことないよ」
なんでこんなに卑屈になるんだ?
そう言えば選考会前から、徐々に様子がおかしくなっていたけど。
「って、なんだよなんだよ。お前が人一倍頑張っていたことは知ってるよ。誰だって知ってる。だけど結果が出ない事なんて、よくあることだろ」
「み、宮島には分かんないよ!?」
「わ、分かんないって言うんなら、ちゃんと説明しろよ。何も言わないで、誰かに分かってもらおうってのが無理な話だろ? な!」
ちょっと興奮気味なこいつの気持ちが落ち着くまで待って、話をきいてみる。
「中学1年の時だよ。私メドレーリレーの選手に選ばれて、試合に参加したの。だけどその日、朝から調子が悪くて、だけど誰にも言わずに出場して、結果は散々たるものだった」
その結果を見て滝川は、チームメンバーから責められる事となった。
その時から、ここ一番の時は実力が発揮できなくなったのだという。
それは明らかにメンタルの問題。
このままではいつまで経っても、前に進めない難題。
「よし! 今から勝負だ。今のお前になら俺は勝てる。だから何を言おうが勝負だ。いいな」
「な、何を言って……」
「うるせぇ、俺は選抜選手に選ばれた。補欠だけどな。だけどお前は落ちた。俺はそんな弱っちいお前には負けない。だから勝負なんだよ」
俺達はコースに立った。
もう誰もいなくなったプールに先生の許可は取ってある。
「一発勝負だ。お前が俺に勝てたら俺の彼女にしてやる。つき合ってやんよ」
「はぁ、なにそれ? あんた私に一度だって勝ったことないでしょ?」
「うっせぇー、俺が勝つって言ったら勝つんだよ」
「あんたが勝ったらつき合うって話でしょ? それって勝っても負けても結果は同じじゃない」
「ふん、その約束は今はなしだ。そいつはまたお前が本調子に戻ったら、改めて勝負を申し込む」
「……もう、分かったわよ。一発勝負ね」
「合図はお前に任せる」
「……本気でバカにして! レディー……、GO!」
俺の泳法で間違っていたこと、それは極度の緊張による筋肉の硬直。
リキみすぎて実力の何パーセントかを出せなくしている。
そう言われて、そこを意識して、無駄な力を抜くんだ。
選考会の時のように周りは気にせず、ただ自分の体にまとわりつく水の抵抗に集中して。
いいぞ、これなら選考会の時以上の成績だって出しているはず、負けねぇ、これならまけねぇ。
「はい、私の勝ちね」
お約束な展開だった。
しかしこうもあっさり負けるとは。
「でも本当に早かった。合図を出したのが私じゃあなく、あんただったら分からなかったんじゃあないかな」
それでも結果は結果だ。
くそー、めちゃくちゃ格好悪いぞ俺。
「けど、と言うことはそっちは、いつも通りの泳ぎが出来たってことじゃんか。なぁ、お前も好きだから水泳続けてるんだろ? だったらさ、もっと気楽にやろうぜ。本番で実力が出せないのって、好きな水泳を自分自身で殺してるようなもんだぜ。そんなの勿体ないだろ」
「ふふ、うふふ、あはは、あはははははは! あんたって本当にバカ。もう気持ちいいくらいに」
「へへ、もしお前がまた変な緊張するようなら、俺のこと思い出してみろよ。バカでもがむしゃらになれば結果が出せるんだ。実力が付いてるヤツが悩むには小っちゃすぎるぜ」
滝川は笑い転げた。
よっぽどおかしかったのだろう。ついさっきまでのダウナーな気分は、全て吹き飛ばされてしまったようだ。
「ふぅ、ともかく私の勝ちだね。じゃあ、本当に彼女にしてもらおうかな?」
「えっ?」
「そう言う約束でしょ。よろしくね。かぁ~れし♪」
俺が惚れた女の、俺が一番好きな笑顔が戻ってきた。
滝川は極上の笑みを残して、水に飛び込んだ。
俺もそれを追ってダイブ。
いつかきっと必ずお前に勝ってみせるからな。
首を洗って待ってろよ。




