第 11 夜 『結婚するって本当ですか?』
語り部 : 佐野健
お相手 : 皆菊恵里香
盛立役 : 長谷川直樹
俺は全く覚えていない。
だけど確かに言ったらしい。
でもそんなガキの頃の言葉なんて、いつまでも口にするのもどうなんだろうな。
第 11 夜
『結婚するって本当ですか?』
中学3年、この学校で俺のことを知らないヤツはいない。
断っておくが、俺はどちらかと言えば地味ぃな性格で、自分から目立つ行動を取ったことは一度もない、大人しい方の人間である。
俺じゃないんだ。おれじゃあ。
「おーい、えりかぁ、今日も佐々野のこと愛してるか~い?」
「当たり前のこと毎日聞かないでくれる~♪」
かなり遠いところから、聞きたくないやり取りが聞こえてくる。
「健、嫁さんのご登校だぞ」
「直樹、もしかしてケンカ売ってる?」
「言うな言うな、俺のはただのやっかみだ」
ちっ、どいつもこいつも好き勝手言ってら。
「おはよう~」
入ってきたよ悩みの種が。
「あ~、いたぁ! タケちゃん今日も恵里香のこと置いていったぁ。なんでぇ?」
「入ってくるなり大声出すなよ。周りに迷惑だろ?」
「安心しろ健、誰もお前達の痴話喧嘩の邪魔はしないよ」
直樹のヤツ、ワザワザ離れてからデカイ声で、クラス中の笑いをかっさらっていきやがった。
「おはよタケちゃん」
「はよう皆菊」
「もう、いつも二人っきりの時はエリカって、呼んでくれるのにぃ」
毎朝毎朝このノリだ。
俺は穏やかな毎日を送りたいのに、事ある毎に恵里香がつきまとってきやがる。
なんでこんな事になってるのかと言うと、恵里香の説明によると、俺達はガキの頃に結婚の約束をしたそうだ。
幼稚園の時はそれも良かったのだろう。
だけどこいつは小学生になっても、中学生になっても、周囲の目も憚らずに公言していた。
よって俺は、学校中に知れ渡った“尻しかれ”と呼ばれるようになった。
昼休み、俺は恵里香から逃げるように、直樹と屋上にやってきていた。
「もういい加減に諦めろよ。誰がどう見たって、皆菊の方が一枚も二枚も上手なんだからさ」
「口じゃあ勝てないからな」
「まぁ向こうは成績トップクラス、お前は自他共に認めるバットクラスだもんな」
ドングリの背比べな直樹に言われるのが一番腹立つが、言っていることは間違いない。
「それでお前はどうしたいんだ? 皆菊のこと嫌ってるのか?」
「嫌う理由なんてないさ。だからって、ガキの頃の、俺自身覚えていない事を持ち出されても、正直どうしていいか、全く解らないさ」
ガキの頃に何があったのかは、言葉としては教えてもらっている。
俺は恵里香が大きな犬に襲われそうになるのを、身を呈して助けたそうなのだが、いくら情景を説明されても、思い出せないものは思い出せない。
「いいじゃんか、皆菊って性格もいいし可愛いじゃんよ」
そうは思うけどなぁ。でもこれで俺まで、あいつみたいにほんわかしたら、……ただのイタイ奴らだよな。
「あ~、ここにいたぁ!」
見つかったか、校内じゃあ隠れられる場所なんて決まってるからな。
昨日の校舎裏、職員室下ってのがいい線いったんだが、今日の屋上は最短記録かな。
「なんか用か?」
「うん、そうだよ」
毎度の同じやり取り、不毛と分かっていても言わずにはいられない。
「なんの用だ」
「タケちゃんの側にいたいからだよ」
嬉しいのは嬉しいんだよ。
こんな風に言われて嬉しくないって言うヤツは、頭のネジが吹っ飛んじゃってるだろうぜ。
でもここで素直に嬉しいなんて言ったら、こいつは一気に増長してしまうに違いない。
「それで、本当になんの用だよ」
ここ数日の引っ付きっぷりは尋常じゃない。
本当に何か俺に用事があるはずだ。
「さすがはタケちゃんね。皆菊の考えはお見通しってヤツだ」
へらへら笑う直樹にデコピンをくれてから、恵里香に顔を向ける。
「タケちゃん、志望校ってどこ?」
「志望校、高校のか?」
「そう、もうすぐでしょ、進路指導。私の志望校はタケちゃんが行く高校なの」
「おいおい、そんなもったいない。お前なら最高レベルの学校選べるだろう」
「そんなのなんの意味もないもん」
そんなことで将来を棒に振るヤツがあるか。
「教えない」
「えー!?」
「教えたらその高校を志望校に選ぶんだろ? だったら教えらんねぇよ。それって俺の所為になるじゃん」
「ぶー! じゃあタケちゃんが私の行く高校に来てよ」
それこそ無茶な話だ。
「今からなら間に合うよ。私が懇切丁寧に教えてあげるから」
勉強か、確かにこいつに習ったら、もっと行ける高校増えるだろうけど。
「勉強ならするよ。一人で」
「タケちゃん!」
まだ何か後ろで言っている恵里香を置いて、俺は校舎に入っていった。
あんまり勉強しないでいると、恵里香が本当に家まで押し込んできそうな気がしたから、俺は親に言って塾に入れてもらうことにした。
親は俺から勉強する意志を見せたことが嬉しかったらしく、さっさと行き先を決めてきてくれた。
小学生の頃は成績も上位だった。厳密には高学年になるまでだ。
小さい頃は恵里香が勉強見てくれるのを、素直に受け入れて教えてもらい、それが結果に出ていたんだ。
あいつに教えてもらえば成果が上がる。それは間違いない。
もしかしたら、あいつがあれだけベタベタ引っ付いてこなかったら、もっと素直に受け入れてこれたのだろうか?
そうしたらもう少しマシな成績でいられたかもしれないな。
「タケちゃん塾行くんだって?」
俺に関する情報は、こいつが一番先に仕入れてくる。
お袋が嬉しがって、昨日皆菊のおばさんに電話でくっちゃべっていたからな。当然か。
新情報を聞きつけて、今朝は相当早い時間から家に上がり込んで、俺が先に行ってしまわないように待ちかまえてやがった。
「ああ、やっぱりお前も自分の勉強した方がいいと思ってな。俺にかまってたら、志望校に行けなくなるかもしれないだろう? お互い頑張って、各々にあった学校目指して頑張ろうぜ」
走り去るのもありだが、そんなことしたら、こいつは俺に追い付けなくても、全力で付いてこようとするはずだ。
そんな危なっかしいこと、分かっててできるはずがない。
仕方なく俺達は、久しぶりに並んで登校することにした。
「私もね。おばさんから聞いて、同じ塾に行くことにしたんだよ」
またか、本当に徹底してやがる。
「大概にしろよ。そんなことして何になるんだ。ちょっとは将来のこと真剣に考えろよ」
俺は口が裂けても「つきまとうな」とは言わない。
「お前がいると調子が狂うんだよ」
とも言えない。
恵里香は強いように見えて、もの凄く弱いところもあるから、絶対に直積的な拒絶の言葉は言わないようにしてきた。
「俺は俺のペースでやっていきたいんだよ。もう放っといてくれよ」
いつもなら絶対に言わない三連発。
いきなりの拒絶に面食らったような顔をする恵里香は、何も返さずに走り去ろうとする。
「馬鹿! 足下見てから走り出せ!?」
恵里香は目の前に階段があるにも気付かず、全く確認せずに飛び出そうとした。
バランスを崩す恵里香の腕をどうにか掴み、引き戻そうとしたが、俺も情けないな。恵里香共々階段オチを演じることになった。
「くそ!」
恵里香の小柄な体を、無意味にでかい図体をイカして抱え込む。
後は重力のまんま転がり続ける。
これくらいの高さなら打ち身かひどくても打撲程度で済むだろう。
地面につくまでの辛抱だと思い、身を固めて待っていたが、目に飛び込んできたのは、階段下に放置された自転車。
「なんでそんなところに!?」
放置自転車禁止区域で派手な衝突音が響く。
背中に異常な痛みを感じたかと思ったら、そこでホンの少し意識が飛んだ。
「…ちゃ、…ちゃん」
暫くして意識は回復した。
ただなんだこの背中の痛みは、そうか俺、階段上から転がり落ちて、下にあった自転車にぶつかったんだっけ。
「タケちゃん、タケちゃん」
「おお、恵里香大丈夫か?」
彼女を見れば、足からちょっと血を流している。
「けが、大丈夫か?」
「バカ! 私のことなんかどうでもいいでしょ、自分のこと心配しなさいよ」
初めて恵里香に怒鳴られた。いや2回目か? 幼稚園の頃のあれと……。
「もうすぐ救急車くるから」
「もう、大丈夫な気がするけどな」
俺に抱きついたまま泣きやまない恵里香の頭を撫でてやる。
手は思い通りに動かせるな。
「ケガ、本当に平気か?」
「平気じゃないよ」
「足の他にもどこかケガしたのか?」
「痛いのは心だよ。ごめんね。私の所為で、ごめんね」
そういや恵里香が急に走り出して、それを助けようとして転がり落ちたんだった。
「大丈夫だからもう泣くなよ。あの時の犬に噛まれた痛みに比べたら、なんて事ないからさ」
階段を転がり落ちたショックで蘇った。
幼稚園の頃、近所のバカ犬に近所のバカガキが石を投げつけて怒らせて、投げた石の勢いで留め金がはずれて犬が飛び出してきた。
脱兎の如く逃げていったバカガキどもの代わりに、側で遊んでいた恵里香に標的を移したバカ犬が突進。
俺は無我夢中でタックルを仕掛けたんだ。
馬鹿でかい犬だった。幼稚園児に止める事なんてできないことは明白だった。
俺とバカ犬の声に気付いた大人が慌てて助けてくれたけど、俺はその時左腕を肉がもげそうなくらいに、噛まれていたそうだ。
今でも傷は残っている。
これを見ると恵里香が泣き出すから、俺は夏でも長袖を着ている。
「ごめんね、ごめんね」
「そんなに申し訳なく思ってくれるんなら、俺に勉強教えてくれよ。恵里香が行きたい学校に、行けるくらいに」
こいつはこれからも、ずっと俺の側から離れようとしないだろう。
だったら俺が、こいつの側に居られるところまで行くしかない。
まだ受験までは時間がある。
頑張ってやってみるか。
遠くに救急車のサイレンの音がする。駆けつけた救急隊員の手によって、俺は病院に搬送された。