第 12 夜 『オフクロノアジ』
語り部 : 岸茂信
お相手 : 広瀬薫
盛立役 : 荻窪誠二
「もしもし母さん」
『茂信かい?』
「母さん、相手を確認する前に俺の名前出すもんじゃないよ。詐欺かもしれないだろ」
『お前の声はわかりやすいから、何の心配もしてないよ。そんなことより何の用?』
「いや、特に用事ってんじゃないよ。たまには声聞いてみようかと思ってさ」
『なにそれ、気持ち悪いわね。でも元気そうね。電話くらいちょくちょく頂戴よ。あとたまには帰っておいで、お嫁さん連れてね』
何かと言えば嫁って言うから、あんまり電話もできないんだよ。
「それじゃあ、また電話するよ」
第 12 夜
『オフクロノアジ』
最後のお客様をお見送りして30分、店内の清掃も終わり、伝票整理も一通りが済んだ。
「岸店長、キッチンの方片づきました」
「広瀬さんご苦労様、それじゃあ今日はこれで上がろうか」
ホールリーダーの広瀬薫さんとキッチンスタッフ3人が出てきた。
鉄板グリルの店を経営する俺は、最近はほとんどキッチンに入ることもなくなったけど、この店は苦労して5年前にオープンし、今では常連様もそこそこ定着している。
店舗も三軒目まで拡張することができた。
順風満帆これで結婚できていれば言うこともないが、俺としてはこの店が繁盛する方が重要だったんだ。
気が付けば四十二歳、お袋からは再三結婚の知らせをと口喧しく言われたが、近頃はそれもあまり言わなくなった。
今日、久し振りに言われたんじゃないか?
「お疲れさまでした」
「お疲れ、明日もよろしくな」
電車組を見送って、俺は愛車に乗り込む。
「本当に悪かったね広瀬さん、早番だったのに、ディナーにまで残ってもらって」
「いえいえ、今日は学校の方が臨時休校になりましたから」
ホールでバイトリーダーをしてもらっている広瀬さんと、メインシェフの荻窪誠二を乗せて発進させる。
後部座席に陣取る荻窪は、あっと言う間に夢の中。
助手席の広瀬さんと話しながら、まずはシェフの荻窪の自宅へ向かう。
「学校とお店の両立は大変でしょ」
「いえ、毎日が充実していて、やる気も充分なんです」
彼女は就職浪人の状態で大学を卒業し、アルバイトでうちの店にやってきた。
明るい性格で物覚えも良く、俺は早々に社員待遇での配置に転換した。
社員待遇と言っても一号店は、オーナー業務に明け暮れる俺と、シェフの荻窪、セカンドとパティシエールの3人、そして彼女の五人だけ。
アルバイトはホール係に5人雇い入れているが、さほど大きくもない店では十分すぎる人数だった。
十一時から十四時のランチタイムと十七時から二十二時のディナータイムの二部構成。
「もうすぐ卒業試験なんだよね」
「はい、筆記と実技です」
彼女はうちの店に来るようになって暫くすると、料理の勉強がしたいと言って、専門学校に通うようになった。
それまではランチとディナーどちらも出勤してくれていたのだが、この二年は遅番オンリーになっていた。
今日は卒論代わりのテーマ料理を夜通しかけて作るはずだったのだが、学校の調理室を急遽消毒することになり、予定は繰り下げとなったのだそうだ。
「あそこももう古いからね。予定外のメンテナンスもしかたないよね」
俺も卒業している調理師学校は、建物の老朽化は心配されるが、設備は充実していて、面白い実習もあり、今でも人気が高いと聞く。
「卒業できそう?」
「はい!」
「でもよかったの、君の成績なら調理師として、ホテルのキッチン入りもできたんじゃない?」
「いいんです。私ここが好きですし、店長も機会があればキッチンに入ってもいいって、言ってくれたじゃないですか」
それは後部座席でイビキをかいている荻窪次第で、キッチンに空きができてしまうかもしれないからだ。
「荻窪さん、お店借りれるようになればいいですね」
「ああ、俺がキッチンに入る余裕がなくなってからは、ずっと任せきりになってしまったが、彼が店を持てるようになるなら、快く応援してやりたいからね」
3号店をまるまる任せる案もあったのだが、彼はどうも別の料理店を開きたいらしく、固い意思で望んでいるのに、止めることはできないからな。
「それにしても今日の賄いは、本当においしかったよ」
「本当ですか?」
彼女が専門学校に行くようになってから、時々賄いを任せるようになり、ようは査定なのだが、近頃はランチの一品にしてもいいかもと思える物を、幾つか作れるようになっていた。
「特に今日のは、里のお袋を思い出したよ。あまりに味が似ていたんでビックリした」
「ありがとうございます!!」
広瀬さんは本当に嬉しそうに、満面に笑みを浮かべた。
四十二歳の俺、二十五歳の彼女、年の差十七歳。
社会に出るようになってからは、一心不乱に料理の修業をし、店を持ち成長させ、俺には女性と交際をする余裕は全くなかった。
それは言い訳だな。
これという人が現れなかったのは本当だけど、自分から探しに行くこともしなかったのも事実、気が付いたらこの歳になっていた。ってのが正しい。
「気にかける理由が料理っていうのも俺らしいか」
賄いに出されたメニューを見て俺は驚いた。
昔、母さんが家族のために作ってくれた得意料理、そのいくつかを俺の店で、お袋じゃない女性が作って食べさせてくれたのだ。
それらを口にして更に驚いた。なんて懐かしい味だろう。
俺にとっての結婚の理想、俺の舌に合う料理を作ってくれる人と一緒になること。
今ようやく現れたその人は、まだ二十五歳。
いくら俺が望もうが、この年齢差を埋めることはできない。
「卒業おめでとう!」
先刻お客様にも告知していた通り、店は臨時休業。
今日は広瀬さんのお祝い会と、ついでに荻窪の狙っていた物件が彼の思う予算で落札できなかった残念会を開いていた。
「荻窪も残念だったけど、次のチャンスを待ちながら、何度でもチャレンジして欲しい」
居並ぶ料理の中には、広瀬さんの調理した物も並んでいる。
今日もお袋の味によく似たものがいくつかある。
これはもう偶然ではないはずだ。
宴もたけなわ、一本締めで締めくくり、全員で大慌てで片付け、まだ電車のあるうちに解散となった。
「あれ、荻窪さんは?」
いつものように彼女を送ろうと車を回してきた。
「ああ、彼なら他の連中と、今日は朝まで飲むそうだ」
明日は定休日、狙って連休にしてみたから、二次会三次会を予定している連中は、思う存分遊ぶつもりでいる。
「君も行きたかったかい?」
定休日でも休むことのできない俺は参加できないが、広瀬さんは明日も予定はないはずだ。
「私はいいんです。それでは今日もお見送り、よろしくお願いします」
俺の車は彼女の家目指して走り出した。
「広瀬さん」
「はい?」
「変なこと聞くようなんだけどさ」
「はい」
「ここんところの賄いとかさ」
「はい」
「俺、ツボだったんだよね」
「はい」
「その、もしかして……、いや、いいや」
「……」
何をどう聞いていいのか、どうしてもまとまらない。
無言のままに走る車、しばらくの沈黙。
「私、店長の実家に行ってきました。お料理を教わりに」
突然彼女が切り出した。
ああ、やっぱりあの味付けは、お袋の物だったのか。
「お母様は私のお願いを快く聞いてくださって、数日間特訓をしてくださったんです」
なんでそんなことを? 俺に店の調理スタッフとして認めさせるためか?
「あの、その、茂信さん! よかったら私に、あなたの朝食や夕食も作らせてもらえませんか」
うん? 今のってもしかして……。
「え、だって、それって」
イカン運転中なのに、集中力がどこかに行ってしまいそうだ。
「本当にいいの? 俺何歳か知ってるよね」
「はい」
いやだって、それに彼女が良くても彼女のご両親は。
「それなら大丈夫です。うちの父なんて、今の店長より年取ってから、今の私より若い母を口説いて、結婚までしてしまってますから、私のことをとやかく言えないんですよ」
それは彼女のご両親が、今でも仲睦まじくされているからだろう。
彼女の覚悟は本物だろう。わざわざ俺の実家まで行っているくらいだからな。
「完全に外堀を埋められてるな」
「将を射んと欲すれば、先ず馬を射よってやつですよ」
確かに逃げ場なし、俺の心までも射止められては、自分にウソをつくこともできない。
なんか男として情けない部分もあるが、ここからの主導権まで譲る気はない。
俺の人生順風満帆だよな。




