第三章 B
第三章のBパート。
「それで、何か言い訳はありますか? 下僕」
「はい、何もありません」
「被告人、罪状を述べよ」
「はい……雪子に酒を呑ませ、潰させました」
「その他には?」
「え、その他?」
「あんた……! 何であんたに用意してあげたベッドにお姉が眠ってたのよ!」
もう何がなんだか……。
あれから翌朝の食堂にて――仁王立ちする桜子と、その前に正座する龍一さん。
目を覚ました私は何故か、桜子が龍一さんの為に用意したベッドで彼と一緒に眠っていた。
そういえば――
「俺は知らない、桜子が用意してくれたベッドで寝た。そしたら何故か雪子がいた」
「言い訳するのね」
「やめろ、その手の呪符をしまえ! 俺は本当に何も知らないんだ、何もしてない! 天地神明に誓って!」
そういえば私、夜中トイレの為に起きて、それで――
「あんた……最低の馬鹿ね!」
「だから誤解だ!」
「――ごめんなさい!!」
「「えっ!?」」
夜中トイレに起きて、私は確か龍一さんの眠る部屋へ……。
誤解を解かないと龍一さんの身が!
私は深々と頭を下げ、全てを話した。
――
「もう、お姉もこんな男に酒を勧められても付き合っちゃダメだからね!」
「ごめんね、気をつけるから……」
「雪子、本当にごめん」
「私も誤解を招くような事をしてすみませんでした」
もう、これは一体どんな光景だろう。
互いに深い土下座をし合う私と龍一さん……。
「罰として龍一は下僕としてより一層私達に尽くすこと――いい? 龍一」
「それなんだが――」
「まだ言い訳する気!?」
「ひっ、滅相もございません桜子様!」
歳下の桜子に完全に主導権を握られる龍一さん……。
「桜子様、一ついいでしょうか?」
「話しかけられた時以外は口を開くな! 口で○たれる前と後に『サー』と言え! 分かったか○虫!」
「サー、イエッサー!」
桜子……完全にキャラ変わってる。
「発言を許可する」
「サーッ! お詫びとして海へ招待します! サーッ!」
「ダメだ、それだけじゃ許されん」
「サー! しかしそこはスゲーデカい波が来ます! サー!」
「なぜ先にそれを言わん! さっそくそこを攻めるぞ!」
これって何かの芝居なの?
――
一悶着あって。
「――それでは、明日から海へ行こうと思います」
足が痺れた様子でふらふらと立ち上がった龍一さんは突然そう宣言した。
「ということでお姉、海行こうよ海!」
さっきの芝居……の前、桜子は龍一さんに目配せを一つ送った気がするけど……。もしかしてこの為の伏線だったのかな?
海か――凄く行きたいけれど。
「でも、色々とその……準備があるし急には」
「細かい事はいいの! 二泊三日だよ? 準備なんて今日パパッと済ませちゃえば問題なーし!」
これ以上ないほど張り切る桜子。
二泊三日?
「桜子、二泊三日って――」
「依頼入ってないし、休みだから大丈夫でしょ?」
「大丈夫だけど、宿とかその……」
「へへん! それは問題ないよお姉――龍一!」
「おう」
桜子に呼びかけられた龍一さんは、堂々とした足取りで食堂の隅に向かう。
あれ……食堂にいつの間にホワイトボードが。
ガラガラとホワイトボードを私達の方まで押してくる龍一さん。
マジックでその白地に文字を書き連ねる。
ホワイトボードには――
「ザ・サプライズ! 真夏の二泊三日ケチケチ旅行! ポロリもあるよ!」
達筆な字体でその文字が。
「ポロリはないけど、実はお姉には黙ってたんだ。私と龍一で日頃から頑張ってくれてるお姉の為に考えたの! 私達がお姉を素敵なケチ旅行に案内するよ!」
私の為に? そんな――
「嬉しい」
「宿は既に取ってある。予算の関係上宿は満足して貰えるかは分からんが……。とりあえず買い物、海、エトセトラ! 日頃の事は忘れて楽しんでくれ!」
「うんうん、とりあえず明日に備えて準備しよ? 依頼が入らない事を祈りましょ」
そんな、こんな私の為に。
何だろう……。私まだ酔ってるのかな?
「お姉、何で泣いてるのっ!?」
「ううん、大丈夫よ……まだ酔いが抜けてないのかな。凄く、本当に凄く嬉しい。本当にありがとう」
ポロポロと頬を伝う涙。
私ってこんなに涙脆かったっけ?
止まらないや。
「今日も特に仕事はありませんから、それでは準備しましょう」
「うんうん、お姉買い物行こ! 水着買わないと!」
「よし、車は俺が出す!」
「当たり前よ下僕なんだから」
「え、許してくれたんじゃ――」
「んなわけないでしょ!」
それからは慌ただしく時が過ぎた。
こんな嬉しくて楽しい事、もしかしたら初めてかもしれない。
何気ない日常が一番大切だと思っていたけれど、こういう非日常的な事なら……それが乱されてもいいのかもしれない。
祭りの前の様な胸騒ぎ……。
年甲斐もなく私の心は踊って、うずうずして、早く動きたい衝動に駆られる。
みんな、本当にありがとう。
大好き。
もしかしたらこれも夢なのかもしれない。起きたらいつもの日常で……。
でも、それでもいいやと思える。
あの悪夢じゃなく、こんな幸せな夢が続くなら。
私は夢の中にいる……今も、そしてこれからも。
私の大切な、絶対に忘れられない宝物の夏が、こうして始まった。
――
「えー、という事で兼ねてから計画しておりました――」
「はいはい、前置きなんていらないからさっさと電車乗るよ! ほら、来たよ!」
私達の荷物を持って下さっている龍一さんの前置きを遮り、桜子は声を張り上げる。
八月某日。今日も朝から日差しが強い。
昨夜はあの夢を見なかった。
このままずっと見ませんように……。
二人が計画してくれた旅は最寄りの駅からスタートする。
当初は龍一さんの車で近くの海までドライブ旅――という事であったみたいだけれど、せっかくだからと列車を使って少し遠くの海まで行く事にしたようだった。
片道一時間半から二時間ほどで着くようで、それまでは列車を二回乗り換えるらしい。
まずは一つ目の乗り換え駅を目指す。
「さて、最初は何がしたい?」
ボックス型の席に座りながら、龍一さんはそう切り出す。
「そうね、まずは買い物がしたい! ね? お姉」
「うん、そうだね!」
「おいおい、これ以上荷物は増やさんでくれよ」
「自業自得よ下僕」
「やっぱり私、自分の荷物は持ちます」
「いいのお姉は! こいつを甘やかしたら終わりよ」
「くそ、何も言い返せない――」
列車は私達を乗せて目的地へ進む。
「しょうがないわね、私は自分で荷物持つわよ――その代わりお姉に負担はかけないこと!」
「ああ、なんというご寛大なご措置! ありがとうございます桜子様」
「あんたふざけてんの?」
「その呪符をしまって下さい」
列車の旅。
私達は息つく暇なく次から次へ会話を弾ませる。
普段とは違う非日常が私達の心を浮つかせる。
隠す事もない。
正直に、楽しい時は楽しまないと。
二人が私の為に用意してくれたのだから。
移り変わる景色。
移り変わる人達。
まるで異国に来ているような――
何もかも捨て去り、自由になれる。
そんな気さえする。
世間を、煩わしい関係を、社会を。
それらを振り切るように列車は走る。
――
「よし、それじゃ少し自由時間にしよう。電車の時間まで余裕あるしな」
一つの乗り換えが終わり、やがて次の乗り換え駅に着く。
私達は駅中でお昼をとり、電車の時間までまだ余裕があるので各自自由行動となった。
「お姉、この駅って中に色々お店があるみたい! 回って来ようよ!」
「あ、桜子待って――!」
まるで幼子のようにはしゃぐ桜子。
(ずっと、こういう事できなかったもんね)
私のせいで桜子には不自由な思いをさせてきてしまった。
(私、頑張るから)
桜子の背を追いながら、一つ決意を固める。
屈託無く笑う桜子。
この笑顔が見られるなら、私はどうなったっていい。
「おい、あんま遠くに行くなよー! 雪子、三十分後にここ集合な!」
「はい、龍一さんは!?」
「俺はタバコが切れたからコンビニだ! んじゃな――!」
桜子を見失わない様に注視しつつ、龍一さんの呼びかけに応える。
慌ただしいけど、楽しい。
そうして三十分後に集まる約束で、私達はそれぞれ繰り出した。
――
「桜子、私ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「うん、ここで待ってる!」
それぞれ別れて十分ほど経った頃、駅中のモールを見て回る桜子に待ってもらって、私はお手洗いへと向かう。
(ええと――あった)
数十メートル先にお手洗いの表示が掲示されている。
人混みの間を縫って向かう。
この駅は大きく、行き来する人も多い。
喧騒。
いつもなら苦手な雑音も、今は自然と苦に感じない。
(私の心もざわついているからなのかな)
あと数メートル。
もうすぐそこ。
「――お嬢さん、ちょっといいかい?」
お手洗いまですぐそこで。
「すまないね、ちょっと道に迷っちゃって」
どうやら私に呼びかけたのだろう。
その声のする方へ振り向くと、一人の老年の紳士が。
「私も初めてここに来たので、お力になれるか分かりませんが」
「ええと……『――』線に乗りたいのだが」
老年の男性。
グレーの背広をピシッと着込み、黒のボーラーハットを被っている。
なんともおしゃれで高貴さ漂う格好、雰囲気をしているので……紳士という印象を持った。
(その路線は確か私達が乗って来たものだ!)
それなら分かる。
「あ、私その路線でここへ来たので分かります! 案内します――」
「悪いねお嬢さん、お願いするよ」
みんなには連絡すれば大丈夫だよね。
ごめんね桜子。
突然のアクシデントに見舞われたけれど、道案内くらいなら許容範囲だろう。
老紳士を後ろに、私は構内を進む。
――
老紳士を改札の前まで案内して。
「ありがとうお嬢さん、なんとお礼すればいいか」
「お礼なんてそんな! あの、私そろそろ待ち合わせの時間なので――」
「おお、すまないね。本当にありがとう」
よし、任務完了!
みんなを待たせちゃいけない、早く戻ろう。
「それじゃ私はこれで――」
「お嬢さん、一ついいかい?」
踵を返そうとしたところ、老紳士に呼び止められた。
何だろう? 道は間違ってないはず。
「お嬢さん、もし自分の未来が見られるとしたら――見たいと思うかね?」
時間が止まった気がした。
口角を僅かに上げ、ニヤリと笑う老紳士。
その微笑は、どこか怪しげで……。
眼光はギラリと輝いていて。
その一言は周囲の雑音をかき消して良く響き、時間を止める。
未来を見られたら? 私の未来を?
「これも何かの縁だ、お礼になるかは分からんがお嬢さんの未来を占ってあげよう」
占い師なのかな?
ボーラーハットを被り直す老紳士。
したり顔で、それからもう一度微笑む。
「すみません、もう時間なので!」
何故かは分からない。
このまま承諾すれば何か恐ろしい領域に踏み込んでしまいそうで、私は老紳士に背を向け逃げ出してしまった。
時間がないからしょうがない。
悪い事をしたと思いつつも、そう言い聞かせて正当化する。
楽しいはずの旅なのに、私の心には以前感じた様な黒い何かが漂って、嫌な胸騒ぎがした――
――
「もう、お姉遅いよー!」
「ごめんなさい、実は道案内してたの」
「もう、駅員さんに任せれば良かったのに」
乱れる呼吸を整える。
嫌な汗、冷や汗が浮かんで、真夏なのに寒気がする。
嫌な予感を払うように走って、私は桜子の待つ地点に戻る。
やがて。
「ここにいたか! そろそろ時間だから行くぞ?」
集合場所ではなく、わざわざ私達を見つけて来てくれた龍一さんがそう言い放つ。
(もう、せっかくの楽しい旅なのに)
目的地はこの駅発の列車に乗って終点の駅を降りた場所。
そこへ向け、再び列車の旅が始まった。
――
再び列車での移動。
普段なら長時間の移動というのは酷に感じるだろう。しかし私達は小さな旅をしている。
移動も旅の醍醐味の一つで、むしろそれを主と位置付けることもできる。
旅は道連れ。
苦でさえも旅のフィルターが良き想い出に変える。
ただ――アクシデントはその限りではない。
「現象ですか、分かりました――」
前半で少しはしゃぎ過ぎた私達の口数はめっきり減って沈黙が現れ始めた頃――私の携帯が着信を告げる。
車内に乗客はあまりいないようだけれど、マナーの関係で最低限声を抑え応答した。
電話を寄越したのは対策室本部。
現象の二文字に二人は反応し、怪訝な表情で私を見つめる。
「雪子、依頼か?」
「もしかして、休暇取り消し――」
不安そうな面持ちで二人は呟く。
「いや、依頼ではありません。新たな現象が確認されたみたいなので――その事についてです」
本部からの連絡は「新たな現象が確認されたので念の為警戒せよ」との事だった。
「依頼じゃないなら良かった……。俺達は別に何もしなくていいんだよな?」
「はい、出現した地域を担当する支部が調査に動いたようですから。私達は管轄外なので大丈夫です」
「お姉、どんな現象かは言ってた?」
新たに確認された超自然現象。
「時間漂浪の現象、その名も『ナイトメアトレイン』が起こったとの事です」
悪夢列車。
「トレインって」
龍一さんの弱々しい呟きがエコーのように残響を生み、やがて列車の音にかき消される。
「鉄道に関する現象とは言っていましたが、ここからは離れた地域で起こったようですし」
「そうよ、よりにもよってこのタイミングで私達が遭遇するはずないわ。とりあえず依頼じゃないなら安心ね……。ふわぁ……なんか眠くなってきたから私は寝るね。着いたら起こして龍一」
「お、おう……。というかすまん、俺も何だか急に睡魔が――」
「大丈夫ですよ、私は特に眠くありませんから……。着いたら起こしますね」
「すまん、頼む」
列車は走る。
何もかもを払い除け、時間でさえも振り切って。
列車は、走る。
私達を乗せて。
――
静かな車内。
そのボックス席。
互いにもたれかかるようにして眠る二人。
微かな寝息を立てて――
それを聞いているとこちらも心地よくなり、やがてつられるように睡魔が顔を覗かせる。
(ダメだ、私まで眠ったら――)
先程まではなんともなかったのに、急に瞼が重くなる。
そうしてうつらうつら舟を漕ぎだすけど、なんとか意識を保ち――一度立ち上がることにした。
(うーん、終点の駅まではまだかかるかな)
まだ出発地点から数えて二番目の駅を通過し、三番目へ向かう最中。
目的地の終点駅まではまだ時間がかかりそうだ。
立ち上がって一度伸びをする。背筋を伸ばし、辺りを見回してみた。
(乗客がいない?)
あまり使う人がいない路線なのか、たまたまそういう時間帯なのか……。辺りに他の乗客は見当たらない。
キョロキョロと他の車両も覗いたりしてみたけど、まるで私達以外に誰も乗客が見当たらなかった。
(まだ昼間なのに、誰かしらは乗っているはずだけど)
列車が走る音以外は何も聞こえない車内。
ひしひしと違和感が訪れる。
不気味なほどの静けさ。
(近くにはいないだけだ――きっと、もっと前か後ろには乗客がいるはず)
そうやって無理矢理誤魔化して、私は着席する。
自分の勘違いだと、無心で外の風景をただ眺める。
(やっぱり何かおかしい)
やがて。
「眠い――」
どうしてだろう? 昨日は良く眠れたし、ほんの数分前までは全然眠くなかったのに。
二人ともごめんなさい、私も――
何だか眠い。
――
「雪子、ごめんね」
「雪子、本当にすまない」
またこの夢だ。
「雪子、目を閉じて」
そう、ここで夢は切り替わる。
これで何回目かな……この夢。
亡骸、大火、倒壊した家屋。
淀んだ雲からはやがて雨が降る。
殺伐とした恐ろしい景色の中、私は1人雨に打たれる。
傍に倒れるのは父と母。
冷たくなった、父と母。
そしてもう一方には気を失った桜子。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
夢の中の私は叫ぶ。
そして夢は決まってここで終わる。もう何度目か、私の消したい過去。
ほら、段々明るくなっていって――
「――お楽しみ頂けましたかな?」
「ここはっ!?」
夢は覚めた――そのはず。
私は列車に乗っていたはずだ。
そのはずなのに、ここは一体どこ?
立ち上がろうと脚に力を入れた。
しかし。
(脚が椅子に固定されている!?)
いや、手もだ!
自分の状況を確認する。
夢は覚めたはず。
それなのに目が覚めると見覚えのない場所で。
椅子に座っている私は椅子に取り付けられた鉄の輪で足首と手首を固定させられている!
「シネマ、ナイトメアへようこそ」
私の周囲には無数の椅子。
目の前には大きなスクリーン。
まるでここは――映画館。
「状況を理解して頂けましたかな? お嬢さん」
「あなたは!?」
声のする方へ顔を向けると仄暗い闇の中に誰かが立っている。
やがてどういうわけか、瞬時の内に室内の照明が一気に点灯して闇は消えた。
そこに立っていた者。
「また会いましたね、お嬢さん」
「あなたは――あの時の!」
グレーの背広にボーラーハット。
私が道を案内した老紳士。
帽子を脱いで、一度挨拶のような仕草を大仰にしてみせる。
「あなた、現象だったんですね――!?」
老紳士は私の問いかけに答えず、ニヤリと笑うだけだった。
「私をどうするつもりですか」
「どうするもこうするもあなたが道を案内して下さったので、そのお礼ですよ。先刻は立ち去ってしまわれたのでね」
私の前を行ったり来たりしながら、ブツブツと一人呟く老紳士。
「やめて、ここから出して下さい!」
「それは困りますねえ、あなた達は私を封じ込めるおつもりなんでしょう? それに私のお礼はこれからが本番なのだよ……言ったでしょう? 未来を占ってあげようと……。見せてあげよう、あなたの未来を!」
「私はそんなもの見たくありません!」
パチリ、と指を鳴らす老紳士。
やがて照明が一気に落とされ、再び仄暗くなる館内。
「さあさあ、あなたの未来、あなたの物語の始まり始まり!」
真っ暗な大スクリーンに映像が映し出されていき――
「時間漂浪の旅をお楽しみ下さい」
老紳士の声を最後に、私の瞼は強制的に閉じられて。
そうして――気絶した様に夢の世界へ落ちていった。




