第六章 浪漫派と古典派
ロマン主義の演劇、文学、美術は今日云うところのロマンチックな、つまり、甘やかで、センチメンタルで、抒情的な、胸高鳴る情熱に溢れる、というものではない。
とは言え、そう云う要素がないわけでもない。
十八世紀末から十九世紀初め、フランス革命(自由と人間理性)やナポレオンの第一帝政の時代(古典主義への回帰)の狭間に揉まれ、又科学の時代の到来も含み、ロマン主義は権威の枷を壊し、現実的で、自由な叫びを、その発露とした。
乃ち、さまざまな制約をもたらす古典主義に反するための反伝統、破壊、規定を壊し超越する怒濤、破壊としてのリアリズム、そこに反西欧と非日常的・空想的と云うニュアンスを込めたエキゾチズムを添えたもの、それがロマン主義である。
それゆえ、必然的に、自由解放された人間の自然な感情を重視した。或る意味、一九六〇年代の米西欧のようでもある。
ルネッサンス期が古代ギリシャ・ローマに人間主義を感じて、自由な人間理性に基づき、禁欲的理想主義の戒めを牽き裂いたのとは逆に、古代ギリシャ・ローマの「人間は万物の尺度である」とした人間中心主義的な均整の美・規範・完成の静謐に遵う古典主義を束縛・規制と見做して、打破しようとした。
そう云う意味では均整を破綻させる疾風怒濤の人間的な自由を尊ぶ意味での人間感情主義で、現在のロマンチズムに通じなくもない。
眞神文學倶楽部においても、古典主義派とロマン主義派がいる。
彼らもまた対立していた。
その大本となった、文学史上、有名なエルナニ事件が未だに彼らの争点なのである。
一八三〇年二月二五日、パリのコメディ・フランセーズ劇場でヴィクトール・ユゴーの韻文劇『エルナニ』が初演されたが、ユゴーはその劇で、当時主流であった古典派が厳格に守る「劇の形式・規則」と「言葉遣い」を破壊した。
と言われても現代人にはピンと来ない。
一つは、「三一致の法則」という劇の形式・ルールの無視だ。
古典劇では「24時間以内、1つの場所、1つの事件」が厳守されるが、エルナニでは劇中で数ヶ月が経過したり、場所が次々と変化したり、悲劇の中に、他のジャンル(滑稽な喜劇の要素など)を混ぜ、「悲劇は終始厳かであるべき」とする古典派の神経を逆撫でた。
もう一つは、伝統的な詩の形式的規則の無視、韻律)を意図的に崩した。
又登場する高貴な人たちが、格調高いセリフではなく、普段遣いの現実的な生々しい言葉を使った。
我々には理解しがたいが、当時は「もう夜か?」というセリフだけで、客席が騒然となったという。
古典派にとっては冒瀆でしかなかったらしい。
舞台の上で、王侯貴族が「今は十一時二十分だ」などと言ってはいけないのである。じゃ、何て言うんだよ、と言われそうだが、たとえば、「今宵の満月輪が天の頂きに達する頃」などと言うと、現実の卑俗さがなくて、高雅ということになるらしい。
結局、ロマン主義が勝って今日の価値観を築き上げたから、後代の我らには、そう感じられるのであって、それだけのことでしかないとも言えるが、現実主義・平俗性への嗜好・規制なき自由が崇められる、っていうことは、芸術に限らず、時代全体の趨勢であった。
それはやがて戦争による果てのない欲望と節度のない殺戮によって、巨大なニヒリズムに陥ることとなるのであるが。
実は、普通に考えると自由とありのままの人間性を尊ぶロマン主義が現代的には好感が持たれるはずなのに、未だの古典主義を標榜する者たちがいるのは、このニヒリズムを打破する突破口という意識が働いているためであり、単に芸術至上主義的な部分もあるが、現実を超越した美への意識が古典への回帰を促していて、それはどこか数学派と繋がっていた。
綺綺の平安調毛筆仮名文字小説は、毛筆痕跡というマテリアルの現実性と、遥かな平安王朝文化などの理想・均整美の古典主義との混淆とも言えた。
神子斗は超越論的古典主義で、彝久紗は無頼な現実主義である。
滔々たる大河のような赤毛の同源蘊弟喃は空想癖の強い非日常的な物語と、現代的衝撃的なテーマを波瀾万丈に展開させるロマン主義であるが、昨今は二百年前とは状況が異なり、ロマン主義が負けそうな勢いであった。
真夏でも上着とチョッキを欠かさぬ、均整美と条理とを愛する古典主義の天之聖は、
「固定された規則に囚われることが心地よい。
崇高な普遍の美がある。美の基準は神が人の身魂に、基準に適合するか否かを計る尺度として、ア・プリオリに与えたものだ。
人が音程を聴き分け、響きの良い音とよくない音とを区別することと同じで、天然自然の理に適い、神の真理である」
そう言ってロマン派を責めた。
蘊弟喃は毅然とし、
「それは理窟に過ぎない。真の真実は人に知られざるものよ。雨に濡れる石庭の石のように黙して語らない。あなたの批判は虚しい言葉でしかない」
と言い放った。
神子斗がいみじくも言う、
「結局、答は風の中なのさ」




