Prelude
綺綺、彝玖紗、神子斗が登場する。
眞神郡(眞神村、畒邨村、龍呑村、龜鹽村、薙久蓑町)の真義塾附属眞神高等学校文學倶楽部での出来事。
「無味乾燥。空莫。涸れ果てたナミブ砂漠。ざらざらした現實しかない」
彝之彝玖紗が言った。
細面で、尖った鼻と尖った顎、鞣革のような皮膚、眼は凛々とし、表情がいつもドライであった。鉄面皮のような無表情とも言える。
それゆえか、その言葉は乾いたテキサスの荒地の名も知られぬ小さな町のバーの場末で吹くハーモニカの中で震えるリードの金属的なひびきでしかない。
HOHNER社製ダイアトニック・ハーモニカ、単音十穴で、木製ボディに銀色の金属カバー、『BLUES HARP』の實在のサウンド(サウンドの實在)でしかない。
かつて天易真兮はブルースハープで吹いた半小節を「小説さ」と言い切ったと云うが、別に『乾屎橛』でも、銘『卯ノ花墻』でも、傷だらけのニッケル硬貨でも、意識の俎上に載らぬ『あらぬτὸ μὴ ἐόν』という、実体ない空疎な概念であっても、コンテンツContents(https://ss1.xrea.com/sylveeyh.g2.xrea.com/index7-2.html)であっても、実在であって、存在であり、物質なんだから、「ブルースハープのサウンドに拘る必要ないんじゃない、って言いつつ、拘っちゃいけねえ理由もねーし、別に拘ったっていいじゃん、・・・的な、のようなもの、ってゆー感じかな」笑。
彝玖紗のその言葉を聞くと、額に蒼い翳りのある天之神子斗は、ヴィオロンを磨いていたウエスを止めて、
「たしかに、そうだね。改めて考えると、ナニモカモワカラナクなる・・・・・・」
繊細な栗色の艶髪、潤んで揺らぐ大きな濃いセピアの双眸、乳白色の少年は、
「・・・・・・眼の前に在るモノや、コトを理解了解しているつもりでも、自分の中にある理解了解をよくよく見つめてみると、そこには何も見出せない。辣韮の皮剥きのように、剥いても剥いても皮ばかり」
「畢竟の處、理解や了解は、ただ、気分だ。わかったという納得の気分でしかない。それしかない。安堵という、心理的な現象でしかない。何もない。在ると思った理は、乾いてからっからの空き缶のようにナニモノでもない。ナニかですらない。空疎だ」
「モノ(物質)、コト(できごと・事象・現象)を理解了解するって、何だかモノ・コトにイデアみたいな本質・典型・原形があって、それを理で以て解しているかのように振る舞っているけれど、実際には納得という気分しかない」
「事象や物象は、結局は、脳内の現象、インパルス(神経細胞で起こる化学的な発火現象)でしかない、意識に過ぎないと言う人もいるけれども、それであっても同じコトだ」
「存在は識別でしかないと言う人がいる。かたちを与える(真空に〝かたち〟を企投する)ことは、差異を与えるコトだという訳だ。
人がモノ・コトを識別するとき、さまざまな差別・区別を適用する。
形状や色彩、臭い、味、触感、音などだ。そこに快か苦かの区別があり、そこに差異が設けられる。その設定が選択された理由やそのかたちに輪郭が定まった根拠や決定の意味・意義がわからない。
それが優劣とか、好悪とか、美醜とかの分類の拠りどころとなる。だが、それ自体が何であるかを熟慮すると、やはり辣韮だ。
真偽とか、是非とか、当否(あたり・ハズレ、妥当か不当か)の区別、差別も、そもそも、何であるか全くわからない」
丁寧に、一語、一語を舐めるよう、咀嚼するように考え考えしながら、何もない宙に思考を撚り、紡ぎつつ、文字を虚空に点綴させる。
「なぜ、その〝かたち〟でなければならなかったのか」
想い煩うかのよう悩ましげに眉根を寄せ、長い睫毛を伏せて俯く。
「なぜ、そういうプラン、仕組み、図式、システム、枠組み、仕様、プログラムじゃなきゃいけなかったか、その根拠も原因も理由も意味・意義も絡繰りもわからない」
遙か遠い真理を遠望する眼差しで、ヴィオロンを磨いていた柔らかい上質なウエスの感触を確かめる。
「区別の大本となる同異、又は差異、っていうのも、考えたら、何だかわけがわかんない」
人差し指の関節の甲を鼻尖に当て、親指のつけ根で唇を隠す。まるで隠れるかのように。
「そもそも、諸々の考概が既に意味不だし、もっと言えば、わかったからって、何だって言うのか。わかるって、何なのか。そうなるともうわかりようがない、解り方がない。
問いは際限もなく湧き出ずる。
永遠に辿り着かない。空疎しか得られない。どこにも着地できない。〝ワカラナイ〟にも着地できない」
彝玖紗はそれを聞きながら、無関心な、表情のない顔をしていた。
神子斗は自分が言った「意味不」という言葉と彝久紗が言った「空莫」というキーワードとを結びつけようと焦る。
「〝意味がない〟って、つまり、実体がない、価値がない、甲斐がない、それぞれお互いの違いがない、差異という型式がない、目的がない、根拠が見出せないってことなんだ。
意識に浮かぶ全ての〝もの・こと〟、〝かたち〟、それら諸々の思考概念は皆、形骸で、空疎だ。
無色透明。空(零)だ」
それでも彝玖紗の表情が変わらないため、歎息し、もう自分の言いたいことだけ言おうと肚を決める。
「だから、人間の思考では、もうダメなんだ。考えてはならない。超越しなければならない。それはもう、思惟では辿り着かない。神の領域だと思う。
価値(差異)を捨て、何もかも全てを擲ち、事象を超えた形而上(Μετὰφυσικά自然学を超えた)の神に、理を超えたメタ・ロゴス(Μετάλογος)、本質を超えたメタ・イデア(Μεταιδέα)の神に躬を任せ、神に依らなければ」
そう言ってから、おずおずと見遣る。そんな神子斗に一瞥することすらなく醒めた表情で彝玖紗は、
「理窟の範疇さ。
全く理を超えていないじゃん。ただ、本質(概念)の構築物だ。
現實じゃない。空疎で、非現實だ。
現實をどうにか出来てこそ眞實だ。
だから、そんなモンは非現實だ。敢えて、そう言い切る」
彝玖紗が「敢えて、言い切る」と言ったのは、『非現實』という言葉の矛盾を、自分は承知した上で、敢えて言っているんだと主張したいがためだ。
もし現實が彝玖紗の言うとおり、〝何もない〟〝何ものでもない〟ならば、『非現實』ということ・『非現實』であることは、(理窟の上では)あり得ないからだ。
0に数を掛けても0にしかならない。正の数(是)にも負の数(非)にもならない。〝あらぬ〟でしかない。
畢竟の處、『非現實』=『非〝何もない〟』は、論理の機らきの範疇内では絶対に起こり得ないことである。
それを踏まえて、敢えて『非現實』、すなわち『非〝何でもない〟』と言い切るっていうことは、
「理窟(論理)なんざ、屁でもねえのさ。ナミブの砂のような、ZALAZALAした現實でしかない」
っていうニュアンスを醸すためである。
神子斗は何の反論も抗弁もせず、過ごすごと退却・撤収したが、入れ替わるかのように、いつも眸の虹彩が燦々として、睿らかなる天平綺々は微笑しながら、
「彝玖紗が、何もない、って言っちゃうことが言い過ぎなのよ。
それ自体、意味を持っちゃって、〝かたち〟を持っちゃってるから、何もなくないじゃない。矛盾になっちゃうじゃない。
理窟上はね。
理窟界隈限定でね」
彼女は態とらしく界隈と言い直し、重複して畳み掛けるかのような言い方をして莞爾とした。
「でもさ、戈楯なんてさ、ただの戯れでしかない。
話になんないわ」
さらに強烈に双眸を綺羅綺羅させ、
「けど、いいよ。
だから、世の中って、こんなふうなんじゃないの? とてもかくても候、って感じよね」
〝とてもかくても候〟とは作者不明の『一言芳談』という鎌倉末期の仮名交じりの法語集にあるエピソードに出てくる言葉で、その出典の中では「(今生のことは)どうであってもいい(来世を願うばかり)」の意に使われている。
ちなみに、綺々は平安朝の古語で、又ときに馬琴のごとき狂言綺語を弄び、哲学小説を書く十七歳。髪色をいつも変えるが、いずれにしても派手な色にしかしない。
眞神真義塾附属眞神高等学校は髪型も服装も何もかも自由だ。
「・・・ふっ」
彝玖紗は嘲るかのように鼻尖を鳴らし、皮肉な冷笑のように唇の端を吊り上げた。
綺々は面白がって、
「否定主義的な表現しかできないのね。
まるで、六師外道の刪闍夜毘羅胝子みたい。一切の断定を避けて否定形でしかもの言わないのよ」
「結局、断定的な物言いをすると、輪郭が決まっちゃうから、ダメ出しやら、批判やらの対象になり得る。だから、そうされることを回避してるだけよ。人間的な、余りにも人間的な景色、それはそれで、趣があるけどね。
古い貨幣みたいに」
古い貨幣蒐集が彼女の趣味だった。古い貨幣が帯びている金属性の古傷にあからさまな、存在の景色を味わうと云う。
扨、この序奏曲の旋律が奏でられた場所は文學倶楽部の専用棟であった。
あたかも、退廃した十九世紀末のサロン、重たい薔薇の香り、サイケデリックなペイズリー柄のヴェルベットのジャケット、ロココ調のパステル・カラーのような軽佻浮薄な生の悦びにあふれた刺繍のカフス、ヴィクトル・ユゴーのドラマチックで悲愴なコンチェルトのような水彩のスケッチ、みたいな明確な雰囲気を漂わせながらも、一概に名状し難い空間。
文學倶楽部にはスタジオも備えて、舞台劇の練習や演奏や詩の朗読会もできた。
ちなみに、文學部や文學同好会の専用棟は別の場所に建てられている。
倶楽部とは、この学校独自のルールでカテゴライズされたもので、部活動や同好会と違って、顧問がつかない。かつ、学生の自主的な運営によって成り立っていた。
それら一々が別棟であった。施設費だけでも月々十万円は伊達じゃない。
眞神村、畒邨村、龍呑村、龜鹽村、薙久蓑町から成る眞神郡は、古来、富裕の里として有名であった。
真摯な眞實の探究者、神子斗。
眞實の否定にも肯定にも興味のない、即物的現実主義者、彝玖紗。
龍のごとく狂裂に無際限な肯定である『龍肯』を游ぶ綺々。
日常平凡な他愛もない三人の遣り取りをいつものように傍観していた白舟梨琥はいみじくも言った。
「結局、あんたたちは似た者同士、仲がいいのよ。
あたしだったら、そんな莫迦々々しい会話に参加しないわ、空だの、理を超えるだの、何言っちゃってんの? って感じ。意味不。さんじゃやびらていし? バカなんじゃない? ってね。
現実生きなよ(嘲嗤)」
ナミブ砂漠・・・地球上最古の砂漠。「ナミブ」は現地サン人の言葉で「何もない」という意味。
刪闍夜毘羅胝子・・・サンジャヤ・ベーラッティプッタは、古代インドの沙門、自由思想家。正統バラモン教を懐疑し、自由な思索をしたサマナ(沙門)。釈迦に先行する思想家。仏教側からは六師外道と呼ばれている。真理を認識することは不可能であるとする不可知論者。形而上学的な問題に確定的なことを言わなかった。




