表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野
からっぽな騎士

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/44

28話

部屋に居た彼女の表情は、硬かった。

何かを必死に保っている顔。


服は従業員用のまま着替えていない。

裾を、ぎゅっと握りしめている。

指先に力が入りすぎて、白くなっていた。


蝋燭の灯りが、今日はやけに頼りなく見えた。


「行くのね。戦争」


先に口を開いたのは、エリシアだった。

声は落ち着いていたが、語尾が少しだけ細い。


「……ああ。行かなければならない」


短く答える。


「さっきの酒場で、聞いてた」

「部隊長になったって」


「……ああ」


それ以上、言葉はなかった。


エリシアは俯き、深く息を吸った。

一度では足りなかったのか、もう一度。

何度も、自分を落ち着かせるように繰り返す。


その仕草がいつかの浜辺と重なって、胸に刺さる。

あの時は美しくすら見えたのに、今は祈りにしか見えない。


やがて、彼女は顔を上げた。


「いってらっしゃい」


笑顔を浮かべて、そう言った。


今にも崩れそうな、笑顔。

深呼吸までして、どうにか形にしたものだと分かる。


俺は、やるせない気持ちになった。

無念さが、身体を包む。


だからこそ。

今日は、これを。


俺は懐に手を入れ、小箱を取り出した。


――君に、贈りたい。


差し出すと、エリシアは一瞬だけ目を見開いた。


小箱の中身は。


金の、指輪。


派手な装飾はなく、石も嵌めていない。

光を受けて静かに輝く輪。


褒章の、大部分をはたいた。

鎧や武器を揃えたあとに残った金のほとんどを。

俺の、代わりになれるように。


エリシアは言葉を失い、指輪と俺の顔を交互に見た。


俺は視線を逸らさず、言った。


「これを君に、贈りたい」


声は、思ったより落ち着いていた。


「もし俺が……無事に帰って来れたら」


「結婚、しよう」


部屋の中が、ひどく静かになった。


蝋燭の火が揺れ、その音すら大きく感じられる。

外の風の気配も、窓の隙間の鳴りも、今はない。

二人の呼吸だけが、互いの胸の中で鳴っている。


エリシアの喉が、小さく鳴った。


指輪に触れようとして、途中で手を止める。

触れてもいいのか、迷う動き。


俺は、辛抱して待った。


彼女は、指輪と俺の顔へ、視線を巡らせたあと。


指輪を手に、取ってくれた。


手元の指輪を、愛しく眺めてくれた。


胸に、抱いてくれた。


「……そんな」


声は震えていた。


エリシアが、息を吐く。

吐ききれないものを、漏らすように。


「ずるい」


「私が、断れるわけない」


絞り出すような声。


「その言葉で……断れるわけ、ない」


堪えていたものが切れた。


エリシアは顔を歪め、声を殺そうとするように唇を噛んだが、間に合わなかった。

肩が震え、涙が溢れる。


俺は一歩近づき、彼女の顔を胸に抱き寄せた。


細い身体が、すぐに俺に縋る。

布越しに、必死に呼吸を整えようとする動きが伝わってきた。


「……ロアン」


熱く呼ぶ声が、胸元に落ちる。

俺は何も言わず、背中に腕を回した。


「俺、いってくるよ」


決意でも、約束でもない。


エリシアは何も答えなかった。

ただ、俺の服を離さない。

俺は彼女の背中に手を置いたまま、目を閉じた。


そのまま、夜が更けていった。

花のような匂いの奥に、酒場の煙と酒の匂いに包まれて。


彼女が落ち着くまで、俺は一晩中、抱き寄せていた。





出立の前日。

俺は一人で、墓地を訪れていた。


街外れの小高い丘。

夕陽が低く差し込み、無数の墓標を赤く染めている。

影は長く伸び、石の一つひとつが同じ形に溶けて見えた。


名前を追う気は、最初からなかった。


俺の両親は、ここにはいない。


異国へ赴いたきり、帰ってこなかった。

近所の騎士から「死んだ」と聞かされ、それで終わりだ。

遺体も、墓も、確かな知らせもない。


だからここに来ても、参る相手はいない。

普段も、来たことはない。

なのに、足は自然と向いていた。


両親がいないことによる寂しさは、もう残っていない。

遺品も、最後の形見だった鎧も、今回はすべて手放した。


守るべきものが、変わったからだ。


俺は墓標の列の前で立ち止まり、ゆっくりと息を吐いた。


父さん。母さん。


ここにいないのは、俺が一番分かっている。


それでも、聞いてほしい。


俺にも、守るものができた。

大切な人だ。


夕陽の向こうに、彼女の顔が浮かぶ。

笑った顔も、泣いた顔も、すべてが胸の奥に残っている。


絶対に、生きて帰る。


本人には、大仰すぎて言えない。

だから、ここで誓わせてほしい。


エリシア。


俺は——


絶対に、生きて帰る。


誰に届かなくてもいい。

指輪に彫った文字は、もう俺の中に刻まれている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ