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からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野


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1話

私は一度、彼を見捨ててしまった。

先頭部隊として戦場に赴く彼を。


なのに、帰って来た彼を見つけた時。


嬉しかった。

涙が出た。


しかし、彼は。


私のことがわからないようだった。


これは報いなんだ。

彼を死地に送り出した、私の報い。


それならば。

あなたが忘れてしまったなら。


私はもう一度、隣に立つから。


ねえ。


今度は――。



 ーーーーー



先頭部隊へ志願し、生きて帰った者には莫大な報酬が与えられる。

ロアンは志願した理由を、何度も頭の中で反芻していた。


街道を進む帰還兵の列は、想像よりも静かだった。

勝利の喜びも、凱歌もない。

鎧の音と足並みの揃わない歩調が、乾いた道に断続的な調子を刻んでいる。


ロアンの赤みのある短髪は埃にまみれ、

背負った剣の重みだけが、戦場にいた事実を辛うじて現実につなぎ止めている。


高潔な志など、最初からなかった。

俺のような下級騎士という身分は不安定だ。

家柄も後ろ盾もない者が生き延びるには、金か功績が必要だった。


先頭部隊の生還率は、無に等しい。

それは誰もが知っていた。


投石、矢、槍、――敵より先に死が襲いかかる場所だ。

戻ってくる方が奇跡に近い。

それでも志願者は後を絶たなかった。


名誉、金、焦燥。

あるいは失うもののなさなど、理由は様々だ。

ロアンにはそれらの差はほとんど見分けがつかなかった。


結果として、俺は生きて帰った。


奇跡の側に、泥臭さと運だけで転がり込めた。


その事実が、俺の中でまだうまく形にならずにいた。

生き残った者には、金も勲章も与えられるはずだ。

だが、列を進む足取りは重く、胸の奥には理由のない空洞が広がっている。


――何かを、忘れている?


頭の奥が鈍く疼いた。

戦場で受けた傷の名残。

投石が当たった場所は、時折こうして存在を主張してくる。


「……生きて帰ってこれたな」


隣から、力の抜けた声が落ちてきた。


歩調を合わせているのはバーツだった。

金色の短い髪は泥と汗でくすみ、彫りの深い顔立ちも今は疲労に削られている。

俺より四つ年上で、同年代の中では自然と前に立つ男だった。

下級の新人騎士に変わりはないが、家柄も育ちも俺よりいくらか恵まれている。


「ああ。運がよかったな」


俺は短く息を吐いた。

バーツは横顔をちらりと見て、わずかに眉を動かす。


「……先頭に出てた奴の台詞じゃないな」

「じゃあ、なんて言えばいい」

「もっと勝利を喜んだらどうなんだ。俺たちの中では、お前は英雄だ」


新兵として戦ったバーツは、俺より後方の部隊だった。

比較こそできないが、死が遠かったわけじゃない。

矢が飛び、叫び、列が崩れるのは、どこでも同じだったはずだ。


「……そうだな」


口にしてから違和感が残った。


俺は賭けに勝ったのだろうか、英雄なのだろうか。

うまく腹落ちしない。


バーツはちらりと俺を見て、すぐに視線を逸らした。


「……ロアンは変わったな」

「そうか?」


バーツは言葉を探すように、少しだけ視線を宙に泳がせた。


「前はもっと威勢が良くて、先を見ていた気がする」


言い方は、断定に近かった。

思い出をなぞるような様子だった。


「金の話はしてたがさ、それでも、生き延びた先のことを考えてた」

「今は……」


言い切るのを避けるように、軽く肩をすくめる。


「……ま、酒でも飲めば、少しは戻るかもな」


バーツは冗談めかして言ったが、どこか本気だった。


港町に戻れば、きっと変わらないものがある。

人や、匂いや、場所。


俺は答えず、遠くに見え始めた港町を見つめた。

懐かしいはずの景色は、どこか現実味を欠いていた。





港町に近づくと、空気が一変した。


潮と酒と油の匂いが混ざり合い、耳に届く声の数も一気に増える。

通りには人が溢れ、帰還兵の列に気づいた者たちが次々と声を上げた。


「生きて戻ったぞ!」

「英雄たちだ!」


酒樽を叩き、誰かが笑い、泣きながら兵の名を呼ぶ声も混じる。

生きて帰ってきた者を祝うための騒ぎだ。


俺は、その輪から少しだけ距離を置いている感覚だった。


「ロアン!」


呼ばれた気がして振り向いたが、人の流れが視界を遮る。


その時だった。

人垣を割るように、一人の女が俺の前に現れた。


年は二十前後、俺と同じくらいだろうか。

外套を羽織り、黒い髪は乱れ、呼吸が荒い。

目が合った瞬間、堪えていたものが決壊したように、その場に崩れ落ちそうになった。


「……生きて、帰って……」


言葉にならない声で、女は泣き出した。

両手で顔を覆い、嗚咽をこらえきれずに肩を震わせている。


俺はしばらく立ち尽くした。


知らない顔だったからだ。

戦場でも、ここ港町でも、思い当たる節がない。


周りを見れば、再会に泣く人間など珍しくもない。

家族、恋人、友人。

この女は、きっと別の誰かを待っていて、見間違えたのだろう。


「……人違いじゃないか」


そう告げると、女の表情が一瞬で変わった。


泣き崩れていた顔が強張り、目を見開いたまま言葉を失ったように俺を見る。

その瞳から溢れていた涙が、急に止まった。


彼女は唇を噛みしめ、息を詰めるように俯いた。

泣くことすら、許されなくなったみたいに。


「あ……ごめんなさい」


声は震えていた。

後ずさるように、一歩下がる。


「……ごめんなさい。似て、いたから……」


それだけ言って、女は顔を覆った。

再び嗚咽が漏れ出すが、今度はさっきとは違う。

必死に抑え込もうとしている、壊れかけの音だった。


――ああ。


この人の大切な人は、戦争でいなくなったのかもしれない。


俺と同じ年頃で、鎧を着て、同じ道を歩いて行って、

帰ってこなかった誰かだ。


「……悪かった」


慰めの言葉は見つからない。

女は首を振り、何も言わずに人混みの中へ消えていった。


残されたのは、俺だけだった。

祝福に包まれた港町の中で、自分が”生き残った側”だと自覚した。


同時に、頭の痛みだけが残った。

俺も何かを失っているはずだと、体だけが訴えているみたいに。

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