港町ポルテ3
ノルンエマ達と海から戻り、リリアは着替えを済ませると、ちょうど夕食の時間だった。
ヨナの手によって、リリアはすっかりいつもの上品なドレス姿へと戻っていた。
ディナーの席に着くと、そこには昼間のパニックが嘘のように、すっかり落ち着きを取り戻したノルンが待っていた。
地元の新鮮な海の幸や、南国のフルーツが食卓に並ぶ。
「新港の建設予定地はいかがでしたか?」
リリアが切り出すと、ノルンは興味深そうに頷いた。
「条件は悪くない。それに、『ルミナスティア・ビーチ』からもかなり近い。観光名所になるかもしれないな」
「ええ、私もそう思っていましたわ! そうなったら、遠方からの観光客が泊まれるような素敵なホテルや、地元の特産品を扱う商業施設も作ったら楽しそうですわね」
「あぁ。リリアの言う通り、宿泊施設や店が充実すれば、この領地はさらに発展するだろう」
新しい事業の話に夢中になっていると、最後のデザートが運ばれてくる。ノルンはふと真面目な顔つきになってカトラリーを置いた。
「……リリア。俺は明日、王都に帰る」
「あら、明日ですの? 少し急ですわね」
「あぁ。残りの休みは、今回の『聖獣騒ぎ』の事後処理と、領地の手伝いでスケジュールが完全に埋まっていてな……」
寂しそうに、けれどどこか名残惜しそうに告げるノルンに、リリアはそっと微笑んだ。
「お忙しいのは良いことですわ。魔力操作の訓練は、お一人で大丈夫ですわね?」
「……そういう意味じゃなくて……」
またしてもあっけらかんとしたリリアの態度に、ノルンは少し拗ねたように呟いた。だがすぐに気を取り直したように、上着の内ポケットから丁寧に包まれた小さな小箱を取り出し、リリアの前へと差し出す。
「これ、お前にやる。……その、これまでの御礼だ」
「まぁ、何かしら?」
リリアが箱を開けると、中から現れたのは、息を呑むほどに美しい二つの魔力石だった。
一つは燃え盛る炎のような深い赤、もう一つは澄み切った空を凝縮したような美しい青緑。どちらも落ちる一滴の雫にも似た小ささだが、そこには身を滅ぼしかねないほど純粋で膨大な魔力が凝縮されていた。
「これ……ノルン様がご自身で作られた魔石ですの!? こんなに純度の高く、魔力が凝縮されたものは見たことがありませんわ。火と風が、一つずつ……」
「あぁ。お前が熱心に教えてくれたおかげで、魔力の高密度圧縮ができるようになったからな。その成果だ」
ノルンはフイッと視線を逸らした。
この世界において、魔法使いが『自分で作った魔力石』を贈る行為には、非常に重い意味がある。
その高い価値ゆえに、贈る相手は基本的に『家族』か、あるいは『生涯を添い遂げたいと願う、最も大切な相手』に限られている。公爵令嬢であるリリアが、その意味を知らないはずはなかった。
「ですが、ノルン様。これほど価値のある、ご自身の魔力石をいただくわけには……」
「いいから受け取れ!」
リリアが遠慮しようとすると、ノルンは耳まで真っ赤にしながら、遮るように声を荒らげた。
「これは、ただの『御礼』だ! お前が根気強く魔力操作を教えてくれたことに対する、純粋な報酬だ。だから……四の五の言わずに、持っていろ」
大切な相手に贈るものだなんて口が裂けても言えないノルンは、やや強引に、魔力石の入った箱を握らせる。
手の中に伝わってくる、ノルンの魔力石の心地よい温かさ。
リリアは、真っ赤になってそっぽを向くノルンを見つめながら、「ふふ、ありがとうございます」と、その特別な贈り物を愛おしそうに胸に抱きしめるのだった。
翌朝、雲一つない青空が広がる港町に、王都へと向かうノルンの馬車が用意されていた。
ノルンはリリアの前に立つと、何かを必死に堪えるような、言いたげな表情を浮かべて彼女を見つめる。
何か言葉を紡ごうと、微かに唇が動く。けれど結局、彼は何も言わずにただ静かに視線を落とした。
代わりに、ノルンはリリアの白く華奢な手にそっと触れる。
そのままゆっくりと引き寄せ、手の甲へと優しく、名残惜しさを込めて、一つ口付けを落とした。
「っ……」
唇が離れても、ノルンは繋いだ手を離そうとはしない。
顔を上げ、じっとリリアの顔を見つめる。
その時、リリアの翡翠色の瞳に映っていたのは、深くきらめく琥珀色の瞳。
波の音が遠くで聞こえる中で、二人はしばらくの間、ただじっと互いの瞳を見つめ合う。
あまりにも真剣で熱を帯びた琥珀色の眼差しに、リリアは言葉を失ってしまった。
「……またな、リリア」
ようやくそれだけを告げると、ノルンは名残惜しそうに手を離し、翻るようにして馬車へと乗り込んだ。
パカパカと蹄の音を響かせ、動き出す馬車。
それを見送るリリアは、ふと、自分の胸の奥が妙に騒がしいことに気がついた。
(あら……? 何かしら。ドクドクと、胸が苦しいような……動悸かしら?)
トントン、と自身の胸元に手を当ててみる。
昨日の海での抱擁、そして先ほどの熱い琥珀色の瞳と、手の甲に残る確かな熱の余韻。その全てが関係していることをリリアは気付いていなかった。
「昨日は少し、泳ぎすぎて疲れてしまいましたのかしら……」
そう呟きながらも、リリアは胸のトクトクという高鳴りを抱えたまま、ノルンを乗せた馬車が地平線の彼方へ、完全に見えなくなるまで見送り続けるのだった。
「リリア様、どうなさったのですか?」
不思議そうに胸に手を当てて立ち尽くすリリアの様子に気づき、ヨナが歩み寄る。
「えぇ、何故か胸が少し……トクトクと騒がしいのですわ。少し疲れているのかしら」
リリアが小首を傾げながらあっけらかんと答えると、ヨナは一瞬だけ驚いたように目を丸くした。
けれどすぐに、去っていった馬車の方向と、リリアの手の甲に視線を向ける。
すべてを察したヨナの唇が、大人の余裕を含んだ美しい弧を描いた。
「そうですか、ふふふ」
「あら、ヨナ? 何が可笑しいのです?」
「いいえ、何でもありません。リリア様、それはきっと“とっても素敵な疲れ”ですわ。お部屋に戻られましたら、温かいお茶をご用意いたします」
ヨナは楽しそうにクスクスと笑いながら、まだ何も自覚していない可愛いお嬢様の背中を、優しく促した。
* * *
数日後、きらめく陽光が降り注ぐポルテの町に、華やかな紋章の入った馬車が到着した。
馬車の扉が開くと同時に、涼やかな風をまとうような美しい令嬢が姿を現す。
「リリア、久しぶりですわ! まったく、ヴァルディアン避暑地では散々だったわ」
サリーナはいつもの豪華な扇を優雅にパタパタと仰ぎながら、不満げに、けれどリリアとの再会を心から喜ぶように笑みを浮かべて馬車から降りてきた。ヴァルディアンでの騒がしい日々からようやく解放された開放感が、その表情からも伝わってくる。
「さぁ、楽しむわよ! リリアの手紙に書いてあった白浜のビーチ、早速参りましょうよ!」
お供の侍女たちに荷物を運ばせながら、サリーナは待ちきれないといった様子でリリアの手をきゅっと握りしめた。
「ええ、お待ちしておりましたわ、サリーナ様! ルミナスティア・ビーチは本当に美しい場所ですから、きっと気に入っていただけますわ」
リリアが嬉しそうに微笑み返すと、後ろに控えていたヨナも上品に一礼する。
「サリーナ様、長旅お疲れ様でございました。お着替えと、ビーチへ向かう馬車のご用意はすでに整っておりますわ」
「まぁ、さすがヨナね、手際が良いわ! リリア、例の“新しい水着”、早くお互いにお披露目しましょうね」
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「まあ、リリア! 本当によく似合っているわ! まるで海の妖精のようよ」
「ありがとうございます、サリーナ様。サリーナ様の深いワインレッドの水着も、とても華やかで大人っぽくて、うっとりしてしまいますわ!」
「ふふ、そうでしょう? 」
お互いを褒め合い、キャッキャと声を弾ませる二人の姿は、眩しい日差しの中でもひときわ光を放っていた。
ひとしきり海で遊んだあと、パラソルの下のラタンのベンチに横たわり、心地よい海風に身を任せる二人。
「ねえ、リリア」
サリーナがふと、ジュースのグラスを傾けながら悪戯っぽく尋ねた。
「……ノルン様、今朝王都へ帰られたのでしょう? 名残惜しそうにしている姿が目に浮かぶわ」
「 ええ、今回のお礼にと、ご自身で作られた素晴らしい魔石をくださったのですわ」
「ご自身で作った魔石……!? それって!」
サリーナが思わず跳ね起きると、リリアは首を小さく傾げ、不思議そうに微笑んだ。
「 ノルン様は『ただの指導の報酬だ、四の五の言わずに受け取れ』とおっしゃっていましたわ」
「……リリア。あなた、本当に……」
サリーナは頭を抱え、深々とため息をついた。
彼女は手にしていたグラスをテーブルに置くと、身を乗り出すようにして、扇の陰から真剣な眼差しを向けた。
「そういえば、ずっと気になっていたのだけれど……リリアには今、気になる殿方はいらっしゃらないの?」
「気になる殿方……ですか?」
唐突な問いかけに、リリアはポカンと翡翠色の瞳を瞬かせた。
「ええ。ヴァルディアン避暑地でも、あなたを熱い視線で追う若い貴族たちが大勢いたでしょう? 」
サリーナの頭には、真っ先にあの『魔石』を耳まで真っ赤にして押し付けていったというノルンの顔が浮かんでいた。
サリーナは期待に胸を膨らませ、リリアの唇からどんな甘い告白が飛び出すのかと息をのむ。
対するリリアは、しばらく首をひねって真剣に考え込んでいたが、やがてハッと手を打った。
「ああ……! 気になる殿方、ということですのね。ええ、もちろんおりますわ!」
「まあ! やっぱり! どなたなの!? 差し支えなければ教えてくださらない?」
喰いつくように尋ねるサリーナ。
リリアは嬉しそうにほほ笑むと、少し声を潜めて秘密を打ち明けるように言った。
「実は……港町ポルテの造船所で働いていらっしゃる、腕利きの棟梁の方なんですの」
「……は?」
予想外すぎる単語に、サリーナの扇を持つ手がぴたりと止まった。
「新港の予定地を見学した際に少しお話しさせていただいたのですが、船の補修技術が本当に素晴らしくて! あの技術と知識があれば、新しい商業船の導入もスムーズにいくのではないかと、ずっと気になって頭から離れませんのよ」
「……リリア。それってビジネスパートナーとして気になる男性よね?」
サリーナが頭を押さえながら脱力する。
「もちろんですわ!気になって昨夜は眠るのが遅くなってしまいましたわ」
「……はぁ。やっぱり分かっていないのね……」
サリーナは深々とため息をつくと、哀愁漂う表情で遠い目をした。
(ノルン様……そしてヴァルディアンでリリアを追っていた殿方たち……合掌ですわ。この子の難攻不落ぶりは、きっと新港の防波堤より強固ですわね……)
「でも……」
ふと、リリアが胸元にそっと手を添え、少しだけ不器用そうに小首を傾げた。
「先日、ノルン様をお見送りした時……胸の奥が静かに騒いで、なんだかとても離れがたく感じてしまいましたの。……あんな感覚、初めてでしたわ」
無自覚のまま、ぽつりと零されたリリアの本音。
それを聞き逃さなかったサリーナは、思わずパッと目を見開いた。
(……あら? 完全な脈ナシというわけでもなさそうですわね……?)
リリアの無意識の恋心の発芽を感じ取り、サリーナの瞳に怪しくも美しい「恋のキューピッド」としての企みの光が宿るのだった。




