一次試験
「筆記用具、よし。
執事服、よし。
アイマスク、よし。
伯爵の紹介状、よし……」
僕はベッドに持ち物を並べ、指をさして点検していた。
これで三回目だった。でもこれで最後。
「短剣、よし。
ブーツ、よし……」
インベントリの中の装備も、一度とりだして確認する。念のため。必要ないとは思うけど。念のため。
最後に、深呼吸を一回。よし。
姿見を見ると、口元がこわばっているのがわかった。頬をつまんでマッサージして、無理矢理に笑顔を作る。
僕は宿部屋を出た。主人に鍵を返し、外に出る。
朝早いせいだろう。空気が冷たい。それでもあちこちに働き始めている人がいる。それは故郷の田舎町であっても、この王都であっても変わらないらしい。
僕は彼らの働く音を聞きながら、街はずれへと向けて進んだ。
街はずれの墓地、そこの隣に立つ幽霊屋敷。そこが僕の目的地だ。
いまから僕が就職面接に行く場所である。
***
僕がシャルロット様に初めて会った日からざっと九年がたった。もうそろそろゲームの開始時点においつくはずだ。
あれから、僕は猛特訓・猛勉強してきた。といっても、剣術と魔術はさておき、勉強の方は正直大したことはなかった。あの日、僕が前世の記憶をおぼろげながらも取り戻したことで勉強の問題はほとんど解決したに等しかった。
どうもこの世界は、こういってはなんだが、地球と比べると文明レベルはかなり遅れている。まあ中世ヨーロッパのイメージとだいたい重なる感じだ。
具体的にどれくらい遅れているかというと、貴族のエリートが学習する算術の一番難しいものが二次方程式だったり、簡単な数列の問題だったり、という具合だ。現代日本なら、ちょっと頭のいい中学生なら解けるようなレベルだろう。
念のためにフォローしておくと、決して彼らの知的レベルが低いわけではない。ただ未発見の事実がたくさんあるだけだ。未探索領域が多いために、視点を変えれば解ける問題も、視点を変えるための場所に立てない、といった感じだろう。僕はそう解釈している。
まあ、そういうわけで算術や理科などの理系科目は問題なかった。世界は異なっても法則は同じだったからだ。ただ、誤解されている法則を「間違って覚える」のが面倒ということはあったが。
文学はまあ、そこそこ。執事として恥ずかしくないレベルまではあるはずだ。
隣国の言語をおぼえるのは難儀したが、日本語に比べれば楽なもの、と暗示をかけてどうにかした。
問題は歴史だったが、ラグラン先生がいてくれたおかげで人物、年代、地理の因果関係をまとめて理解することができた。
正直なところ、文学、言語、歴史については詰むことはないにしても、先生がいなければただの知識にしかならなかっただろう。覚えたことを直接役立てる機会はないかもしれないが、先生のおかげで、物事を整理して冷静に分析する力がついた。前世で勉強していたことももちろんプラスになっているだろうが、先生がいなければ絶対にここまでの力はつかなかった。
先生にはどれだけ感謝してもし足りない。
あ、まだあるか。
剣術と魔術については……。
いや、やはり後にしよう。
もう、幽霊屋敷に着いたから。
墓地の隣にたつこの館は晴れていてもどことなく陰気だった。シャルロット様はこの屋敷に住んでいる。なぜこんな郊外の、それもこんな陰気な屋敷に住んでいるのか。【バッドエンド】のサブストーリーで語られていたような気もするが、内容は忘れている。
門に、錆びついた鎖が垂れている。
鎖に伸ばす手が震えていた。鎖をひく前に深呼吸して呼吸を整える。
鎖をひくと呼び鈴が鳴った。しばらくして正面の玄関扉がひらく。大きな丸眼鏡をかけたメイドさんがゆっくりと門まで来てくれた。彼女こそ、シャルロット様のお付き―――
「ベル・スティラです。お初にお目にかかります」
―――ベル・スティラ嬢がうやうやしくお辞儀をして出迎えてくれた。他には誰もいない。この屋敷は彼女が一人で切り盛りしているのだ。
「はじめまして、クリム・ホワイトです。執事採用試験を受けに来ました」
「承知しております。こちらへ」
手入れされた庭を横目に見ながら、屋敷の中へ入った。寒々とした廊下を進んでいく。見覚えは全くない。おそらく、ゲームでは家の中が未実装だったか、全然違うデザインだったのだろう。
「おかけください」
ベル嬢は使用人用の台所のテーブルを指さした。
僕が座るのを見届けて彼女は対面に腰かけた。
「単刀直入にお尋ねします。なぜこの屋敷で働きたいのですか?」ベル嬢がにらみながら尋ねた。「執事など募集した覚えはありませんが、何度断ってもお手紙をくれましたね。なぜそれほど雇って欲しいのですか?」
ベル嬢は若干恨みがましい口調で言った。
そう。この屋敷は執事どころか、メイドすら募集していない。過去にメイドの募集はあったようだが、ベル嬢以外は全員クビになるか辞職している。シャルロット様やベル嬢と馬が合わないこともあるのだろうが、なにより二人が要求する従者の水準が高すぎることが原因だろう。
ちなみにこの屋敷にシャルロット様が住んでいることは公にはされていない。
だから、シャルロット様のことは知らないフリをした方が、怪しくはないだろう。
「シャルロット様がこちらにいらっしゃるからです」
そう。怪しくはないだろうが、だからといって嘘をつくかどうかは話が別だ。
シャルロット様について嘘をつくことは僕にとって耐えがたい苦痛である。不敬である。シャルロット様に対する尊敬の念をどうして隠す必要があるだろうか。そんな必要は世界中どこを探したって存在しないのだ。
「シャルロット様がこちらにいらっしゃるからです!」
「……どうして二度おっしゃったのですか?」
「聞こえていないのかと思いまして」
「近いです。お下がり下さい」
そう言われて、僕はテーブルに手をつき、身を乗り出していたことに気づいた。
恥ずかしい……。
ベル嬢が咳払いをして続けた。
「こちらにシャルロット様はいらっしゃいません」
「リエーゼ様とお呼びするべきですか?」
「……」
この屋敷の主人の名前は形式的にはリエーゼという名前になっている。
ベル嬢はしばらく沈黙したのち、ため息をついた。
「いえ、構いません。ミドルネームの一つにシャルロットも含まれていますから」
「わかりました」
「どのように知ったのですか?」
「もうすでにお察しかとは思いますが、僕は目がみえません」
僕は自分の目を隠しているアイマスクに触れた。
「ですから特別に五感がいいのです」
「理由になりません」
「足で探しました。王都にいらっしゃるだろうとあたりをつけて、シラミつぶしに歩き回って会話を盗み聞きして探したのです」
これは一部嘘だ。本当はゲームのおぼろげな記憶で、墓地の近くだったと覚えていただけだ。絞り込むのは非常に簡単だった。あとは、言った通りだ。
こういう小さな嘘から慣れていこう。
「あまり褒められた方法ではありませんね」
「誰にも迷惑はかけていません」
「道徳的に問題があります。それに私は聞いていて不愉快になりました」
「そのようですね」
「一応うかがっておきますが、私が視力のことについて注意するべきことはありますか? 例えばハンドサイン代わりの合図が必要になるかと思いますが―――」
「不要です」僕は即答した。「考慮する必要はありません。ハンドサインのままで結構です。視覚に関する配慮も一切不要です」
「は……?」
ベル嬢はいぶかしげに眉をひそめた。
「目が見えないとおっしゃったのでは?」
「言いましたね」
「どういうことですか?」
「目は見えませんが、何がどこにあるかを感じることはできるのです」
「音を聞くだけで、目で見たように状況を把握する人の話を聞いたことはありますが……」
「魔術も使っています」
「マスクを取ってもらえますか?」
「見ない方がいいですよ」
「取ってください」
僕はアイマスクを取った。
ベル嬢が息をのむ音が聞こえる。
無理もないことだ。僕の両目は呪われている。他人から見るとどうもかなり気持ち悪いらしい。どす黒い泥が沸き立っているとか、大量の虫が這いずり回っているように見える、とか言われる。
しかし、ベル嬢はすぐに気を取り直したらしい。かなり早い。僕が今まで目をみせた中では二番目くらいに早いのではないだろうか。
「ふむ……」
「満足していただけましたか?」
「少し待ってください」
ベル嬢はそういうと袖口から取り出したナイフを僕の目の前で振り払った。風切り音が目の前を通り過ぎていく。僕はいましがた少し短くなった前髪に触れた。
「長すぎますかね?」
「なぜ避けなかったのですか?」
ベル嬢は顔をしかめている。
「のけぞりすらしないなんて……」
「ははは」
僕は笑ってアイマスクを戻した。
「避けられなかっただけですよ」