弐-19 250d00_死期
翌日は自然と目が覚めた。まだ日は昇り始めで、外は明るくない。ボクはまとめてあった荷物にちらりと目をやった。
「こんなに…いらないか…すぐ…。」
その後が続かなかった。すぐ殺されるだけだ、と言いたかったが、口から言葉が出てこなかった。
ケータイに遺書は残してあるが、一応両親に書置きをしておくことにした。その辺に転がっていたペンと紙を拾い、今まで育ててくれたことや、ボクが戻ってきてから数日の感謝を述べる。布団をたたみ、散らかした勉強道具を片付け、少し掃除をする。
よっこらしょ、と荷物を背負い、部屋を出る。階段を降り、居間の机に先ほど書いた紙をそっと置き、静かに玄関に向かう。いつも両親が起きてくるのが遅いので、書置きをして出掛けることは日常茶飯事だったが、これも最後だろう。
玄関を出て、ちらりと店の入り口を振り返る。
「ありがとうございました。」
小さく一言呟き、歩き始める。見慣れた景色も今日が最後だろう。
重い。荷物がとにかく重い。気分も、足取りも、荷物もなにもかもが重い。空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうだ。のっしのっしと歩を進め、軍の駐屯地へ向かう。遠くの方でどーん、どーん、と遠雷のような音が聞こえる。
頬にぴりぴりとした空気が張り付く。
駐屯地の入り口が見えるあたりまでやってくると、門からなにやら武装した隊員がぞろぞろと出てくる。
訓練だろうか。いや、訓練で軍の敷地から出てくることはないはずだ。少なくとも居住区ⅠのLnodeでは実戦以外では敷地の外には出ない。つまり、あの隊員たちは実戦に向かうのだろう。
ボクが感じ取った、ぴりぴりとした空気は、コンタギオンの気配だったのかもしれない。なんにせよボクにはもう関係のない話だ。淡々とした足取りで門衛に向かう。
「ご用件は?」
守衛の鋭い眼光がボクの全身を突き刺す。しゅうぞーが守衛をしていると言ったので、ここで会えると思ったが、どうやら今日は非番か、別の門衛にいるようだ。
「饗ミズチです。」
「はぁ…。少々お待ちを。」
無線でどこかの部署と連絡を取っているようだ。
「そうですか。はい、わかりました。………。あ、こちら西門衛です。」
雰囲気からして、たらい回しにされているようだ。かわいそうに。こんなややこしい客を相手にするのも一苦労だろう。
「お待たせしました。正面に見えるあちらの建物にどうぞ。」
「は、はぁ…。」
案内された建物は5階建てくらいの小さなビルだ。玄関の自動ドアを通ると、右手に受付のようなところがあったので、声をかけることにした。
「すみません。饗と申しますが…。」
「はい。再召集研修会ですね。饗様は3階の第1会議室になります。こちらの階段からどうぞ。」
「へっ?」
「3階の第1会議室です。3階まで上がれば構内図がありますから、お分かりになると思いますが…。」
「あっ、すいません。ありがとうございます。」
とことこと階段に向かい、大きな荷物を抱えてひいひい言いながら階段を昇る。3階に到着すると、受付の妙齢女性が言っていた通り、階段の出口に分かりやすく案内図があった。
どれどれ…第1会議室…。
ん?
いやいやいや、ちょっと待て、ボクは場所を聞き直したのではない。再召集研修会?ボクは今からルキのところに呼び戻されて人体実験をさせられて死ぬのではないのか?再召集研修会?なんだそれは?あまりにも流れが良すぎてつい受け入れてしまった。まぁ下手に受付の人に聞いても不審がられるだけだったろう。
落ち着け。とりあえずこの研修会とやらの部屋に入ろう。ボクはこれに呼ばれたわけではないから、そもそも席がないはずだ。それを伝えれば、ボクが本来行くべき部署に話が行くだろう。
第1会議室に向かう道中、こんなことを考えて悩んでいると、50代であろう壮年男性がひとり、ボクの横を通りすぎて部屋に入って行った。それに続いてこっそり部屋に入る。一応、会議室のホワイトボードに貼ってある座席表を眺めることにした。
なんとボクには一番前の席が用意されていた。というのも、ボクは苗字が饗なので名簿順に並べると、99.9%、1番なのだ。アさんとか、アイさんで名前の50音がボクよりはやい人がいない限りは1番になる。ある意味最強の苗字である。
なぜか用意されていた座席を見てみると、しっかりとボクの名前が印字された書類が並んでいる。しかも、名前の上にはGから始まる隊員番号が記されている。なんだこれは?もしかして、同姓同名の人と間違われているのか?
しかし、こんな珍しい苗字にカタカナの名前なんてボク以外にはいないだろう。この席は間違いなくボクに用意されたものだ。諦めて席に着くことにした。
「え~みなさん、本日は研修会にお集まりいただきありがとうございます。」
書類に目を通していると、部屋の入り口から声がした。LEUKの正装である真っ白の軍服を着た30歳前後であろう女の人が入室してきた。
早速話が始まる。どうやら、近頃、居住区Ⅵでコンタギオンが増えていることから、隊員不足になり、退役や除名になった隊員が再召集されたらしい。新人を育てるスピードよりも速くコンタギオンが増えているので、しょうがなく退役軍人を招集することになったというわけだ。
居住区Ⅵの隊員がどれほど忙しいかを懇々と説く。ボクが先日みた訓練の様子は、コンタギオンがいなくてダラダラしていたのではなく、コンタギオンが多すぎて疲れてぐったりしていたというわけか。なるほど。
部屋の様子を見た感じ、50名ほどがこの部屋で研修を受けているようだ。部屋の前の方に座っている10数名は、ボクと同年代か少し上くらいの若者、後ろには定年で退役したであろう壮年のおじさまがずらっと並んでいる。
LEUKは普通の軍隊とは違い、体の持つ免疫の力が重要になるため、定年が50歳とかなり早い。まぁ、これも入隊してから教えてもらった話だが。
「それでは、念のため、お一人ずつお名前を確認いたしますね。」
来た。チャンスだ。ここで本当にボクはこの研修会に呼ばれたのか確認しよう。
「まず、饗ミズチ様。」
「はい。」
「つい先日、居住区Ⅰから除名されたばかりということで、急な召集で申し訳ありません。」
「あ、はい。」
居住区Ⅰという単語が出た瞬間、会場が少しざわついた。
「居住区Ⅵ出身、18歳、20XX年入隊および除隊の饗様で間違いないですね。」
クリティカルヒットを打たれ、KO負けだ。これは確実にボクの席だ。そして目の前にある資料の隊員番号はボクのものだ。
「LEUKで活動する意思はおありと聞いています。訓練も道半ばだったということですが、今回は緊急ですので、早速明日より任務に当たって頂きます。」
「よ、よろしくお願いします。」
つまり、Aクラスに戻されるのではなく、居住区Ⅵでこき使われるというわけか。まぁ実験台になって死ぬよりましだろう。というか、そもそもそれを望んでいたのだから、喜ぶべきだ。しかし、なぜか喜ぶ気になれない。あまりにも急に軍の中心に触れてしまったからだろう。
その後は、他の人たちも同じように確認作業が続いた。予想した通り、後ろの方に座っている壮年男性たちは定年で退役した人たちだった。若い人たちはそろって除隊だったが、理由までは明らかにされなかった。
あれよあれよと話は進み、配属先の部屋へと移動する時間になった。詳しいことは配属先の部屋長に聞くように、と一言残し、女性は去って行った。よく考えたらAクラスでは普通の軍生活ではなかったのに、急に出来るものなんだろうか。部屋に入るときはどうしたらいいんだろう。それすら知らない。