弐-16 9f563a_異変
帰りの車では、父親は無言だった。家に着いた頃には開店時間まであと小一時間しかなかった。ボクは店の掃除や料理の下ごしらえを手伝い、早めの晩御飯を食べた。
開店してからの仕事は、高校生のときから手伝っているので、お手の物だ。注文を聞いて、厨房の父親に伝え、料理をお客さんに出す。ごくごく普通の仕事だ。今日は週の始めなのでそこまでお客さんは多くないだろう。母親と二人なら、あまり忙しくないはずだ。
数時間後、この期待は裏切られることになる。というのも、6時間の開店時間で5組しかお客さんが来なかったのだ。それも、夕方の早い時間に集中していた。あまりどころか、全く忙しくなかったのである。
「最近はこんな感じなのか?」
「そうねぇ。化け物さ、増えてるから。さ、店じまいするべ。」
「まだ閉店時間まで結構あるぞ?」
「いいんだ。」
親父が一言でボクを制する。実のところ、昨日ボクが店に入ったときにいた常連のお客さんも、週に1回来るか来ないか程度だという。夜はコンタギオンが見にくく、襲われる可能性が高いことから、居住区を統括する区長も、夜はあまり外出しないように求めているらしい。
店じまいも数か月前とは打って変わって、普通の掃除だけでなく、大量の消毒液を振り撒く。確かに家の中でコンタギオンが発生しても困るが、ボクがいなかった数か月でかなり警戒が強くなっている。それほどコンタギオンが増えているということか。
「最近はね、都会式の無菌ホームっつう家も増えてるよ。」
「あぁ、今朝散歩してる時に何軒か見たよ。」
家自体が抗菌、抗ウイルス仕様になっており、窓やドアを極力減らし、生活空間とは別に除菌室がある建物を無菌ホームという。部屋の中ではコンタギオンが出現する不安を抱えなくていいという優れものだ。居住区Ⅰではほとんどが無菌ホームだが、ボクが軍に入るまではこの辺りには一軒もなかったはずだ。
夜間の外出制限、無菌ホームの増加など、かなり緊張が高まっているな。今朝みたいに不用意に外出はしないほうがいいと心に決めた。
数日後、店が定休日で暇だったので、本格的に仕事を探すことにした。のろのろと起きてきて、冷蔵庫の中を漁って適当な朝食を用意する。パンを温め、魚肉ソーセージをかじる。電話の横に積んであった分厚い電話帳を1冊持ってきて開き、企業名をだらだらと眺める。しかし、企業名だけを見ていても何も始まらない。
朝食を食べ終え、今度は地域の地図を眺める。脱柵者という立場もあるし、最近はこの辺りでもコンタギオンが増えているということなので、なるべく近場で働かせてもらえそうなところがないか探してみる。
「だめだ、分からん。」
ぼそっと呟いて、地図を折りたたむ。電話帳と地図を元あった場所に戻し、お茶を口に含む。
ボクはハローワークというところに行ってみることにした。しかし、外に出るリスクを考えてくよくよしているうちに、太陽は高く昇り、暑くなってきた。暑い、捕まるかもしれない、コンタギオンに出くわすかもしれない、よし、今日はもうやめておこう。
両親はまだ寝ているようなので、起こさないように自室へ向かう。学生の頃寝ていたベッドはもうないので、帰ってきてからは来客用の布団で寝ている。流石に悪いと思い、新しい布団を買うと申し出たが、泊まりに来る人もいないので使っていいと一蹴された。その布団に転がり、高校の連絡網を眺める。
「中学の友達以外はほとんど会ったことないな…。」
ボクは中学まで実際に学校に登校していたが、高校からは完全に遠隔授業だったので、高校の友人にはほとんど会ったことがない。しゅうぞーは中学からの友人なので顔を知っていた。
しばらくすると、両親が起きたようで、部屋の外から声が聞こえてきた。特にボクを気にかけることもなく、二人でどこかに出かけて行ったようだ。
「しっかし、どうするかなぁ。」
ここ数日ひとりごとばっかり呟いている。憧れの軍に入るためにこの部屋で一生懸命勉強した。しかし体が軍に向いていないなんてつゆにも思わなかった。確かに運動はそこまで得意ではなかったが、軍に入ってから鍛えればいいと思っていた。
そんな生易しい話ではなかった。研究部も、幹部も、ルキも、全員ボクのことは人間としてみていなかったんだ。ただの実験体。もしくは生物兵器か。
ごろん、と寝返りを打ち、ほんの少しだったが楽しかったLEUKでの記憶を掘り起こす。全部、全部信頼関係を築くための嘘だったんだろう。
ぴんぽーん、とインターホンが鳴る音が聞こえる。
んん…、と余韻が響く。やがて、しん、と静まり返る。
「あ。」
そういえば両親はどこかに出かけたようだった。上半身を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がる。
ぴんぽーん。
「はいはい、今出ま~す。」
玄関でスリッパに片足を入れたところでボクはぴたりと止まった。
もし、この訪問者が軍の手先だったら?背筋がぞっとなり、慌ててスリッパを脱ぎ、玄関を離れる。
スリッパが傘立てに当たり、がちゃんと音を立てる。
肩で息をしながら、インターホンの向こうを映すカメラを付ける。映ったのは、近所に住む妙齢の女性だった。
「はい。」
「あ、アイさん?私よ~。」
「すみません。母は今、外出しております。」
「あらそう。変ねぇ。あらっ、あんた、ミズチくんじゃないの。出戻ったって聞いたけどほんとだったのねぇ。」
「はぁ、まぁ。今開けますから、中で待っててください。」
先ほど蹴飛ばしたサンダルを足で掻き寄せ、玄関の鍵を開ける。
「ごめんねぇ。」
「いえ、母と約束してたんですか?」
「そうなのよ。あんたのところ、今日お店定休日でしょう。お昼、一緒に食べましょうって言ってたのよ。」
家のキッチンに入り、母親がいつもメモを貼っていた冷蔵庫のドアを眺める。
「ほんとだ。『ミヨちゃんとお昼』って書いてあります。どうしたんだろう。」
「電話さ、かけてみっか。」
ミヨちゃんこと、ミヨコさんがケータイで電話をかける。何コールか待ったであろうあたりで、ボクは、はっ、と気が付いた。お客さんにお茶を出していない。麦茶でいいか。来客用の上等なガラスのコップに氷をふたつ、からん、と入れ、麦茶を注ぐ。
「すみません。気が利かなくて。」
「あらぁ。ありがとうねぇ。繋がらないわぁ。どうしたんでしょ。」
「忘れてるんですかね。すいません。」
親父が無理やり買い出しに連れて行ったとしても、友達に連絡くらいは入れられるだろう。いったいどうしたんだろう。
「それで、ミズチくん、どして帰ってきたの。」
「あ~、その、やっぱり都会が合わなくて。」
「そうけぇ。辛かったねぇ。お父さんもびっくりしたでしょう。」
「そうですね…。最初は怒鳴られました。」
ミヨコさんがボクの出したお茶を少し飲む。ボクも喉が渇いたのでお茶を用意することにした。




