九十七話 悪鬼の妄執
絶対強者たるシュテンを前に、ハバキは去り際のフレムの後ろ姿を思い出す。
左だと言ったはずなのに、フレムは階段の先を右に曲がって行った。
それを見た時、ハバキはこの窮地にあって思わず呆れ返り笑ってしまったのだ。
底抜けに適当な、あまりの緊張感の無さ。
凝り固まった己の真面目さが、酷く馬鹿らしく思えていた。
(よもや、口火も切らずに敗北する日が来ようとはな……)
微笑を浮かべるハバキは、自らの弱さと本当の意思を知った。
その見聞の狭さ故にあった迷いはもはや存在しない。
瞬き程の間にシュテンとハバキ、互いの間合いが交差する。
肥大した筋肉を躍動させ、シュテンはもはやその巨大な体躯に合わない刀を打ち下ろした。
ハバキの刀に捌かれたその一刀の余波は、ハバキのすぐ隣の地面を抉り取る。
更に衝撃波は止まらず後方の瓦礫の山をも打ち砕いていった。
「ほう……」
感嘆の声を上げるシュテンは、そのまま数度に渡り追撃を仕掛ける。
薙ぎ払いを刀で受けたハバキはコマのように回転して受け流し、打ち上げは受けた直後に身体を浮かせながら宙に逃がす。
剣圧が部屋の壁にいくつもの亀裂を入れ、天井は破壊されていく。
一撃でも受ければ即死。されどハバキはその刃、重い一刀一刀を全て紙一重で捌き続けていた。
「そのナマクラに伝導する衝撃すら受け流すか! かかか! 神懸かるとはこのことよの!」
「随分と長い刹那よ……。どうやら口先も肥大したようだな」
大砲の玉を木の板であしらうような所業に感服するシュテン。
ハバキは皮肉を入れながらも反撃する糸口を掴めずにいた。
しかし剣撃の猛攻、その間隙を縫い、シュテンの頬に衝撃が走る。
ハバキが打って出たのではない。シュテンは歪む顔から、衝撃の元に目を向けた。
そこには拳をシュテンの顔面に突き立てるフォルテの姿。
「ぶっ飛べクソがぁぁ!」
叫ぶフォルテの拳から発せられた斥力にて、壁に打ち付けられたシュテン。
いくら戦意を放とうと、残りの三名に余力などないと高を括って侮っていたのだ。
「ぐは! 黒天が孵化しただと!? 貴様、何を対価に捧げた!」
「ちんけなもんだよ、本当に……な」
驚愕するシュテンに、フォルテは消え入りそうな程小さく答える。
巨大な体躯を持つシュテンを殴り飛ばす程の力を得たフォルテ。
握り締めていた黒天狗の卵は消え、代わりに背中からカラスのように黒い大きな翼を広げていた。
それに追従するように辺りに光が溢れ出す。
倒れていたサンダルフォンは切られた接合部から溢れる光の帯に支えられ、立ち上がっていた。
「私もいつまでも寝ておれぬな……。力を示せ! 光神鎧……、ライトブリンガー!」
ゴルギアートの怒号が木霊し、弾けた光がハバキ、フォルテ、シャルディアを包み込む。
シャルディアの持つ魔導書からは黒煙が吹き出し、かざした左手に集約する。
「具現せよ! 大火の霊獣、ヒノカグツチ!」
「禁書の妖気に耐えた? まさか! それは玉室の加護か!」
今一度放てば左腕が腐り落ちるはずであったシャルディアが、先程より更に強力な魔術、炎の大鳥を解き放った事に驚きをあらわにするシュテン。
光神鎧の玉室効果、身体能力向上と攻性魔力の上乗せにより、その身が崩れることなく制御していると結論付ける。
「させぬわ! この一刀にて、霊獣もろとも消し去ってくれよう!」
相手を侮っていたシュテンは、ここでついに慢心を捨てた。
シュテンが上段に構えた刀にどす黒い瘴気が集約する。
見るだけで寒気のするような、誰もが戦慄するおぞましき呪いの塊。
間違いなく戦いを決する一撃。誰もがそれを確信した。
「並みの人間であれば瘴気に触れただけで魂砕け、廃人と化すぞ……。もろとも居ねぃ! 秘剣! 『黒御雷』!」
全力で勝負を仕掛けるシュテンの刃から呪い纏う黒い雷が、この施設を塵に出来るだけの力が放たれる。
その大技が放たれた瞬間、高く静かな音が鳴り響く。
おぞましき剣擊の暴威、その切っ先の元には……
すでに刀を振り抜いた後のハバキが参じていた。
ハバキの持つ刀の刀身は粉々に砕け散り、シュテンの放った剣擊はハバキの手により逸らされる。
呪いの雷はハバキの脇を掠め、岩盤は大きく抉れ大空を露出させた。
一瞬にして、施設の半分が灰塵に帰したのだ。
「見事なり……」
爆心地を逸らされ、シュテンは被害を最小に押さえた事へ感嘆の意を示す。
技を放った直後の硬直に合わせ、シュテンの身体に絡み付く炎の大鳥ヒノカグツチ。
それは瞬く間に烈火のごとき火柱へと転じ、その身を焼き始めた。
「ぐお……お……!」
「追い討ちだ! こいつも食らえ!」
焼かれ呻くシュテンを見据えるフォルテが、魔力を込め広げた両手を目の前で打ち鳴らす。
それと同時に火柱に包まれるシュテンは刀を手放し、その身体は左右から圧迫されるように軋み潰されていく。
「が! うぐぁぁぁぁ!」
「これが最後だ! 振り絞れサンダルフォン!」
堪えきれず絶叫するシュテンに、ゴルギアートは最後の攻勢を掛ける。
サンダルフォンから溢れている光の帯が矛のように束ねられ、そこから解き放たれた一条の光帯がシュテンを貫く。
巨大にして強大な光の矢は流れ、一瞬で施設を崩壊させた。
天井は完全に抜け落ち、周囲の岩盤はめくれ上がり、もはや施設の体をなしていない空間。
頭上から降り注いだ瓦礫はフォルテが残りの力で防ぎきり、なんとか全員事なきを得る。
そしてシュテンは……、少年の姿で戦場に立ち、その身は薄く消えかけていた。
「口押しや……。焦がれた美しき鬼姫、欲した神剣。ワシが見惚れたものを全て手にした憎き男を越えるため、姫と男の残した全てを消し去るという望みはついぞ叶わんかったか………」
「鬼姫? 神剣? 二千年前、ジュホンを建国した夫婦神のことか? そんな事のために……」
天を仰ぎ悲しげに呟くシュテン。ハバキはその言葉に祖国の伝承を重ねた。
三種の神器の二柱を行使した夫婦神。蒼天の剣を携え、剣神とも呼ばれし男神。鬼神の玉を瞳に宿し、鬼姫とも呼ばれし女神。
「そうじゃ、水竜の剣と闘竜眼の持ち主でもあったなぁ。ああ、憎い憎い……。果てる前にこの無念、呪詛と化してこの国全土を包んでくれようか……」
「させぬよ……。その妄執、俺の手で絶たせてもらう」
宿願成就を果たせぬと知るや、この地に災いを振り撒こうとする悪鬼。
それを阻むため、シュテンの前に歩を進めるハバキ。
「主に何が出来る。武士の魂である刀は折れ、その身もろくに動くまいて。と言っても……、残りも全て瀕死のようじゃが……」
「魂か……。ならば問題ない。我が魂、一欠片の刃零れ無く、一辺の曇りも無い。この魂、かつてない程に研ぎ澄まされておる」
シュテンとハバキ以外の者はすでに立ち上がる力を残していなかった。
神器、魔導器も機能停止し、これ以上戦闘を続ける手段が存在していない。
それでも、ハバキは足を止めずシュテンの間合いに足を踏み入れた。
「戯れ言か、良かろう。最後に一太刀、付きおうてやろう。つまらぬならばそれまでよ」
シュテンは人であった頃に自らの生涯を掛けて鍛え上げた刀、『黒雷鬼』を拾い上げて肩に乗せ、両手で柄を握り込んだ。
対するハバキの刀は申し訳程度に誂えられた、蒼天の剣の模造品。
ハバキの手にする柄から魔力が洩れだし、薄い水の膜が刀身を形作る。
それは振るえば揺らぐ程に儚く、紙切れ同然の刃であった。
剣気を込め、ハバキは中段にて真っ直ぐに刀を構える。
互いに制止する数秒間の後。ハバキはゆるりと腕を振り上げ、一足と同時にシュテンの懐に入り込む。
「無迷一刀。これが俺の全てだ……」
呟き振り下ろされたハバキの刃は、動作として単調な太刀筋。
雫が落ちるように自然にして、優雅な一閃。
シュテンはその一太刀を何もせず、ただただ呆然として見送っていた。
「ただの……素振りに見えたが?」
「ただの素振りだ……。俺が、一番多く振るった動作……。無心にて研鑽し続けた……平凡な型よ……。仕掛けて来ぬとは見くびられた……ものよ」
シュテンの口角が上がり、ハバキは臆面もなく自信を持って答える。
力尽き、眼下で膝をつくハバキにシュテンは笑みを向けていた。
「勘違いするな。見くびっていたのではない。ただ……見惚れていたのだ。余りに美しい一太刀故にな……。至ったわ……。ワシが欲した剣はヴァルヴェールにあらず、ワシが焦がれた美しさはメリュジーヌにあらず。あの男の神技、そしてその気高き魂に引かれ、嫉妬していたのだな……」
言いながらズルリと中心から二つにずれるシュテンの身体。
薄い膜で形作られた刃は一切揺らぐ事なく、鬼の身体を通り抜けた。
シュテンはハバキの一刀にて、未練と言う名の魂を斬られていたのだ。
「ジュホンに神剣在り……。名を天原鈨。神の意志を現世に留め置くこの名刀に屠られる名誉。愚かな我が身には過ぎたる最後よ……。かかか……、持っていけ……、この一振りに罪はない。主を納める鞘代わりにはなるじゃろう……」
辞世の如く語り、シュテンは持っていた刀をハバキの足元に投げ捨てる。
これで満足と言わんばかりに満面の笑みを浮かべたまま、シュテンは二つに割けて黒煙と化し、欠片も残らず消滅した。
「最後まで自由な鬼よ。悪鬼とはいえ、その奔放さは見習わねばならぬ事もあるか……」
ハバキが皮肉を吐きながら妖刀黒雷鬼を拾い上げると、皆一様に座り込み力を抜いた。
ゴルギアートもサンダルフォンから這い出し、地面に座り込む。
静寂の中、ボルトは仰向けに倒れるフォルテの元に駆け寄った。
「フォルテ様! なんたる無茶を!」
「無茶はお前だ。俺の守りたい者はグレイビアの民、その中にはお前も含まれてんだぞ! お前を死なせたら、何のためにここまで来たのか分かりゃしねぇじゃねぇか」
無茶を咎め、涙を流すボルトを逆に叱責するフォルテ。
フォルテは守りたい者を守りきれた事により、ある種の充足感を抱いていた。
何も出来なかった自分、それが誰かの為になれたのだと。たとえそれが、寿命を削る事になったとしても……
激しい戦いが終わり、安息を得たのも束の間。
空から落ち、跳ねた白い塊に一同が驚愕する。
「これは……、先程の!」
声を上げるシャルディアのすぐ隣に落ちてきた繭状の球体。
全員がその正体と、現状の危機がまだ去っていない事に気が付く。
だが時すでに遅く、その身に起きた違和感が事態の深刻さを物語っていた。
「なんだ? 動けねぇぞ……」
「抜かったわ……」
「チッ! 隠れておったか!」
異変を察するフォルテに続き、ゴルギアートとハバキも身動きを封じられた事で焦りを口にする。
凝視せねば気付かぬ程の糸が張り巡らされ、全員の手足が拘束されていたのだ。
そして頭上から、いつの間にか妖気を放ち浮いていた豪華な着物を纏う少女、タマモがゆっくりと降下して来る。
「姉……上……」
「あれはもう、タマモ姫ではない! 乗っ取られたか入れ替わったか……。あれほど慕っていたお前を妹と思わぬ魔性、断じてタマモなどではないのだ!」
恐怖に表情を歪めるミコトに諭すように叫ぶハバキ。
姉に裏切られたと思っているであろうミコトと、自らに対する主への決別の言葉でもあった。
「やれやれ、エサを確保して観察しておれば……。シュテン様も所詮は大成の見込めぬろくでなしか……。これはアドラメレクに鞍替えかのぅ」
「随分と軽いですね。同じ女として軽蔑させてもらいますよ!」
「ほほほ、好きにせい。どのみちもはや全員動けもせぬじゃろう? 献上品も揃うておるしな。肉は遠慮なくわらわが頂こうかのぅ。ほっほっほっほっほっ!」
タマモの軽薄さに苦し紛れの苦言を飛ばすシャルディア。
それをタマモは一笑に伏した。タマモの高笑いが響く中、危機的状況に絶望を感じ始める一同であったが……
突如頭上に見える城の外壁が爆音を立てて崩れる。
そこから飛び出して真っ直ぐに降下し、ふんわりと着地する一人の少女。
その少女は狐耳の小さい少女を左肩に乗せ、ひよこ型の巨大なハンマーを右肩に抱え、ゴルギアート達を見回し口を開いた。
「ほふはひはからにゃ、もふらいひょーふらよ!」
「ハミュウェル様。パン食べ終わってから喋りましょう」
長く大きなパンを咥えたまま口上を述べるハミル、それを諌めるユガケ。
絶体絶命の戦場に、食堂帰りの破壊天使が降臨した。




