接触
緑の光が膨張を始めた瞬間、美柚と那奈は反射的に両腕で顔を覆った。
激突――。
そう確信していた。だが、いつまで経っても衝撃は来ない。恐る恐る指の隙間から前を見る。そこには、静止した“光”があった。
まるで観察するように。まるで、こちらを理解しようとするように。緑色の輝きを放つ正立方体は、音もなく作業ロボットへ接近してくる。その異様な存在感に、二人は悲鳴すら失っていた。
次の瞬間――。
立方体が閃光のように膨れ上がった。ロボット内部を、赤、緑、青。三原色が混ざり合った霧のような光が満たしていく。光は空間を漂うだけではなかった。眼球を通り、鼓膜を抜け、口腔へ入り込み、血管や神経をなぞるように全身を駆け巡っていく。
恐怖は、不思議と存在しなかった。むしろ、深い海に沈み込むような安堵。重力から解放されたような浮遊感。意識だけが、どこまでも遠くへ溶けていく。
美柚は三色の霧に包まれながら、自分が夢の中にいるのだと思った。
その時だった。声が聴こえた。
――いや、“頭の内側へ直接流れ込んできた”と言った方が正しい。
それは、母親の声だった。
『あなたの身体組織を解析しました。そして現在、あなたを媒介として会話しています。私たちが制御している間、あなたは身体を動かせません。しかし、危害を加える意思はありません。話が終われば制御を返還します。どうか落ち着いて聞いてください』
美柚は叫ぼうとした。だが、身体は一切反応しない。まるで意識だけを肉体から切り離されたようだった。
『私たちは、あなた方が“プロキシマ・ケンタウリ”と呼称する恒星系から来ました』
美柚の思考が止まる。
――宇宙人。
そんな単純な言葉で片付けられる存在ではない。相手は、人類を遥かに超えた科学文明を持っている。それだけは瞬時に理解できた。
『かつて、アルファ・ケンタウリA系とプロキシマ・ケンタウリ系の間で長期的戦争が発生しました。アルファ・ケンタウリA系によるダークエネルギー波動攻撃は極めて強力で、防御だけで膨大なエネルギーを消費していました。反撃を行う余力は失われつつありました』
声には感情がない。だが、その奥には永い戦争を振り返る悲しい声のようだった。
『そこで私たちは、この恒星系の恒星エネルギーを利用する計画を立案。恒星へエネルギー転送装置を送り込みました。しかしアルファ・ケンタウリA系に察知され、転送装置は小惑星帯で迎撃を受けました』
三色の霧の中に、映像が浮かび上がる。
漆黒の宇宙の中、小惑星が弾丸のように飛び交う光景。それは戦争というより、恒星系そのものを巻き込む災害のようだった。
『転送装置そのものは破壊を免れました。しかし制御機構が損傷。結果、装置は恒星軌道への投入に失敗し、この青い星の重力圏へ捕獲されました』
地球の周囲を回る“何か”がある。美柚はようやく理解し始める。
『永い永い戦争は終結しました。その後、転送装置の状態を確認するため、探査機を送り込み、完全修復は困難であると判明しました』
声は続く。
『しかし調査中、この星から極めて微弱な電波信号を検知しました。そこで地表調査を実施。二足歩行型知的生命体が多数存在することを確認しました』
一瞬、間が空いた。
『生命レベル二。知能レベル一。脅威性なし』
その言葉に、美柚は奇妙な寒気を覚える。人類は、既に評価されていた。
『意思疎通可能な知的生命体は貴重です。文明段階は低位ですが、知性を持つ存在であることに変わりはありません。私たちは相互理解を望みます』
母親の声が、わずかに柔らかくなった気がした。
『以前、この恒星系を調査した際には知的生命体は存在していませんでした。あなた方は比較的新しい種なのでしょう』
美柚の背筋に鳥肌が走る。彼らにとって、人類文明など“最近発生した現象”に過ぎないのだ。
『あなた方には、種全体を統括する中枢個体が存在するはずです。頂点に立ち、意思決定を行う者。その存在へ、この接触を伝えてください』
その瞬間、霧がわずかに脈動した。
『対話を拒否したとしても、私たちは攻撃を行いません。我々の最終目的は、転送装置を修復し、再稼働させることです』
そして最後に、声は静かに告げた。
『――では』
直後。三色の光が一斉に弾けた。
美柚の身体が操縦席へ叩き戻される。肺が酸素を求め、激しく咳き込んだ。隣では那奈も荒い呼吸を繰り返している。
二人はしばらく言葉を失ったまま、ただ震えていた。静まり返った宇宙空間の中。放つ色が青に変わったの正立方体だけが、何事もなかったかのように、漆黒の闇に浮かんでいた。
「美柚、聞いたわよね?」
那奈の声は震えていた。恐怖ではない。興奮だった。
美柚は無言のまま、小さく頷く。
「……面白いことになってきたじゃない。私たち、人類で初めて地球外生命体と接触したのよ?しかも向こうから正式なメッセージ付き。こんなの、歴史の教科書どころか文明史そのものを書き換える出来事じゃない」
那奈は半ば笑いながら、早口で続けた。
「いやー、生きててよかったってこういう事を言うのね。確認だけど、相手はプロキシマ・ケンタウリからの来訪者。そこは間違いない?」
「えぇ。私には母さんの声で、そう伝えてきた」
「私は妹だったわ。あいつが敬語で喋るなんて初めて聞いたかも」
那奈はそこで一拍置き、真顔になる。
「……で、どう伝える?」
「どうって?」
「決まってるじゃない。“演出”よ」
その言葉に、美柚は呆れたように眉を寄せた。
「こんな状況で、そこまで頭回るの?」
「だって超重要イベントよ?人類初接触よ?記者会見とか、絶対あとで映像残るじゃない」
「現実感なさすぎでしょ……」
美柚は小さく息を吐いた。
「でも、多分この話も聞かれてるわよ。『二人を通して話している』って言ってたでしょ。最初の三色の霧……あれ自体が通信システムみたいなものなんだと思う」
那奈の表情が一瞬で引き締まる。
「……確かに。下手なことしない方がいいか」
そして肩をすくめた。
「じゃ、素直にお偉いさんに全部丸投げしましょう。どうせ私たちの手に負える話じゃないし。エネルギー転送装置ってやつも探さないといけないんでしょ?」
那奈は即座に通信端末を開き、春リーダーへ回線を繋いだ。
一度目の呼び出し音が鳴り終える前に繋がった。
『――こちら春。よかった、無事だったか』
低い声の奥に、隠しきれない安堵が滲んでいる。
『通信に応答しないから、何かあったのかと思ったぞ。なぜすぐ返答しなかった?』
那奈と美柚は視線を交わした。そして美柚が静かに口を開く。
「リーダー、聞いてください。……彼らから接触がありました」
一瞬、通信の向こうが沈黙する。
「重要な内容です。通信ではなく、直接報告した方がいいと思います。これからコアへ戻りますので、作業ロボット発着場横の会議室を使わせてください」
『……わかった。すぐ向かう』
回線が切れる。
二人は無言のまま作業ロボットを帰還コースへ乗せた。窓の外には、青い立方体がこちらを監視するように佇んでいた。
会議室で待機して数分後、自動ドアが開いた。春リーダーは二人の顔を見るなり、すぐに問いかける。
「まず確認だ。身体に異常は?精神状態は安定しているか。幻覚、幻聴、記憶障害は?」
「すべて、大丈夫です」
美柚が答える。
「二人とも意識は正常です」
春リーダーはしばらく二人を見つめ、静かに息を吐いた。
「……そうか。なら一安心だ。だが戻ったら、正式な検査は必ず受けてもらう」
そして椅子へ腰を下ろす。
「聞かせてくれ。彼らが何を話したのかを」
美柚は深く息を吸った。
コックピットで起きた出来事。三色の霧。身体の制御。プロキシマ・ケンタウリ。アルファ・ケンタウリAとの戦争。ダークエネルギー波動。そして、地球近傍に存在するという“エネルギー転送装置”。
一つ残らず説明した。話が終わった時。部屋には重い沈黙が落ちていた。
春リーダーは腕を組み、長く考え込む。やがて低い声で言った。
「……俺たちの判断の範疇を完全に超えているな」
その表情には、宇宙飛行士としての冷静さと、一人の人間としての動揺が同時に浮かんでいた。
「JAXAの指示に従おう。二人はいつでも離脱できるよう準備を進めてくれ」
そして少しだけ笑う。
「だがその前に、ちゃんと検査を受けろ。宇宙人との接触後に『異常ありませんでした』で済むかは知らんがな」
張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
三人は居住区へ戻り、JAXA所長との直通回線を開いた。
報告を受けた所長は、即座に非常事態プロトコルを発動。ステーション機能の大部分を遠隔操作へ切り替え、全クルーへ帰還命令を出した。
さらに事態の重大性を重く見た所長は、日本政府へ極秘報告を提出。話は総理官邸へ渡り、そこから世界各国首脳へ共有されることとなる。
八時間後。
各国代表による緊急オンライン会談が開かれた。
議題はただ一つ。
――地球外知的生命体との接触。
会談の末、来訪者のコードネームは“キューブ”に決定した。
彼らが搭乗していると推定される正立方体型の物体は極めて小型であり、さらに宇宙ステーションの死角に存在しているため、地上から直接確認される可能性は低い。
世界的パニックを避けるため、現段階では情報を非公開とする方針も決定された。
そして、ファーストコンタクトを経験した二人――美柚と那奈は、地球側代表として最重要保護対象に指定される。
“人類史上初めて、異星文明と対話した人間”であり、“これから異星文明と対話を通す人間”でもあった。
その肩書きは、あまりにも重かった。
それから二日後。
灼熱のプラズマを纏った二人を乗せた帰還カプセルが、大気圏へ突入した。




