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エンタングルメント  作者: 広育 春美


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遭遇

 “トゥルルルゥ、トゥルルルゥ――”

 黒電話型の目覚まし時計を止めると、一日が始まった。今日は外回り点検の日。永野美柚にとって、それは初めての実地任務だった。

 訓練生時代、美柚は数々の訓練で常に上位三位以内の成績を収めていた。だが、外回り訓練だけは別だった。何度挑戦しても上位十位にすら入れない。唯一、自信を持てない作業だった。

 しかも今日は、初めて“外”へ出る。その緊張のせいで昨夜はほとんど眠れなかった。浅い眠りのまま朝を迎え、頭はまだぼんやりとしている。美柚は共同洗面所へ向かい、貴重な水を少量だけ掌に広げて顔へなじませた。

 その瞬間。背後から肩を叩かれる。

 「うぁっ!」

 驚いて振り返ると、同期の喜多治那奈が笑っていた。

 「あはは、ごめんごめん。そんな驚く? おはよう。今日の外回り、私と美柚のペアになったから。加東さん、緊急会議が入ったみたい」

 「バディ変更なんて珍しいわね。こちらこそよろしく」

 美柚は眠そうに目を擦りながら答えた。

 本来ならベテランと組む予定だった。苦手な任務でも経験者と一緒なら何とかなる――そう思っていた。

 だが、まさか同期の那奈と組むことになるとは。成績はトップとは言え、心なしか不安感が募る。今日は長い一日になりそうだった。


 ここは地上高度約四百五十キロに建造された宇宙ステーション。

 中央には、直径五十メートル、全長三百メートルにも及ぶ巨大な円柱型コアが存在している。水の再生処理、発電、地球から送られた資源の加工。さらに無重力環境を利用した生物・動物実験まで、その内部では数え切れないほどの設備が昼夜を問わず稼働していた。

 まさに、この宇宙都市の心臓部だった。

 コアからは十六本の通路が放射状に伸び、その先には巨大な円形居住区が接続されている。居住区は超電導機構によって高速回転しており、遠心力によって地球とほぼ同等の重力環境を生み出していた。

 四年前には二基目の居住区が増設され、現在はさらにコアを拡張し、三基目の建造計画が進行中である。

 外回り点検は、その増設工事を担当する作業ロボットの整備確認、そして施工箇所に異常がないかを直接確認する任務だった。ほんの小さな欠陥一つが、宇宙では致命傷になる。だからこそ、その作業には絶対的な正確さと責任が求められていた。


 美柚と同期の那奈は、居住区内にある点検室で最終確認を行っていた。

 各種機器の動作チェック。

 点検ルートの再確認。

 さらに、作業ロボットのコックピット内で装着する簡易宇宙服の気密確認まで、一つひとつ丁寧に進めていく。

 宇宙ステーションは九十分で地球を一周する。

 点検作業は、ステーションが夜側へ入る十時頃に開始され、二度目の夜が訪れる頃に終了する予定だった。暗闇の間に点検箇所へ移動し、工事完了部分を確認する。太陽光が直接当たる時間帯は、センサー誤差を防ぐため作業ロボットを停止させて点検を行う決まりだった。


 二人は通路エレベータでコアへ向かった。

 ドアが開くと同時に、回転する居住区と同期したテザー装置が伸び、二人の身体を安全にコア側へ引き寄せる。

 無重力を検知した簡易宇宙服が自動起動し、足元のマグネットが床へ吸い付いた。

 カチリ――という小さな音だけが、果てしない宇宙との境界線だった。

 二人はそのまま点検作業ロボットの格納庫へ向かう。

 時刻は九時五十八分。既に出撃準備は整っていた。

 「急な予定変更で美柚と組めて助かったわー。来週の予定通りだったら、鬼の春リーダーと一緒だったし」

 那奈はシートに深く腰掛けながら気楽そうに笑った。

 外回り訓練では常にトップ成績。実地経験も複数回ある那奈にとって、この任務は半分日常のようなものだった。

 「あのね、私は初任務なの。少しは緊張感持ってよ」

 美柚は呆れ気味に言った。

 「何かあったら本当に助けてよね」

 「はいはい、大丈夫だから」

 那奈は軽く手を振る。

 その余裕が、逆に少しだけ美柚を安心させていた。美柚は深呼吸すると、格納庫ハッチの開閉ボタンを押した。警告灯が赤く点滅し、格納庫内の空気が排出され、重厚な扉が静かに開いた。その先に広がっていたのは、どこまでも続く漆黒の宇宙だった。

 作業ロボットが静かに外部フレームへ降り立つ。自動ナビゲーションが起動し、工事完了後の未点検エリアへ向けて移動を開始した。

 乗員はセンサーを用いて、機器の固定状態、溶接強度、配線異常などを最終確認していく。問題がなければ点検完了マークを入力し、次のポイントへ進む。

 作業は驚くほど順調だった。

 「美柚、初めてとは思えないんだけど。ポインタ操作も正確だし、センサー確認も早いし」

 「私が苦手なのは、この後の作業ロボ点検の方よ」

 そう答えながら、美柚はふと視線を止めた。遠くの暗闇の中。何かが、小さく光った。

 「……那奈。あれ見える?」

 「ん?」

 那奈が顔を上げる。漆黒の宇宙空間の中に、緑色の光が浮かんでいた。何かが点滅している。まるでこちらを観察しているように。

 「衛星……?」

 「違う。あの方向に登録軌道は無いはず」

 那奈は即座に手元のスイッチを押してマップを展開した。該当なし。

その瞬間、那奈の表情から笑みが消えた。

 「……確認が必要ね。緊急度99で春リーダーを呼んで」

 美柚の指が一瞬止まる。

 ――レベル99。

 通常規格外であり、“不明な現象”や“重大事態に繋がる可能性”のそれを意味する非常コードだった。

 通信を接続すると、春リーダーはすぐに応答した。

 「どうした。落ち着いてゆっくり報告してくれ」

 低く、冷静な声だった。現場の混乱を抑えるための声。

 「春リーダー。未確認物体を視認しました。NGN42HRK0804方向です。緑色に発光しています。サイズ、距離ともに不明。確認をお願いします」

 一瞬の沈黙。

 「了解。直ちに確認する。二人は速やかにコアへ帰還しろ。結果は追って連絡する」

 通信が切れる。

 那奈は無言で帰還コマンドを入力した。作業ロボットが方向転換し、コアへ向けて加速する。

 帰還まで三十分。

 その間、二人はほとんど言葉を交わさなかった。

 普段は陽気な那奈でさえ、前方モニターを見つめたままだった。緑の光だけが、ゆっくりと大きくなっていく。


 ――管制室

 「こちら春。コントロールセンター、応答してくれ。非常コード、レベル99が発生した」

 緊張が走る中、即座に応答が返る。

 「こちらコントロールセンター、レベル99を確認。要件をどうぞ」

 「大型レーダー三基をNGN42HRK0804方向へ向け、光る物体の存在を調べてくれ」

 「了解。大型レーダー三基の走査開始します」

 コア部の大型レーダー三基が一斉に火星方面へ向けられた。

 電磁波、熱源、光学センサー、未知の存在の状態を調べる為に宇宙を走査する。

 そして、三十秒後。

 「春リーダー、未確認物体を捕捉。物体までの距離は約五百万キロ。サイズは小型ですが、異常な速度で接近中です」

 管制官の声がわずかに震える。

 「シミュレーション結果では、約三十分後にステーションへ衝突。その確率九十七パーセントです」

 管制室の空気が凍り付いた。

 「対小惑星レーザーで迎撃は可能か」

 「困難です。射程距離内に入った瞬間に迎撃しても、物体が小さすぎる上、速度が速すぎるため、迎撃回数は一回のみとなります。照準維持は不可能と判断します」

 数秒の沈黙。

 「わかった。コントロールセンターにいる全員にシェルターに移動するように伝えるんだ」

 その後、春は一旦呼吸を整え、静かに緊急退避ボタンを押した。

 警報音がステーション全域へ響き渡る。それは全員シェルターへ移動する事を告げる合図だった。

 そして春は全ステーション回線を開いた。

 「ステーション統括の春だ。現在、火星方面から未確認物体が高速で接近している。推定サイズは約三十メートル。速度は秒速約七百キロ。すぐに付近のシェルターに移動せよ」

 全員が落ち着いて即座に移動を始めた。

 「衝突予測まで残り五分。脱出シェルターが大気圏突入ポッドへ到達するには八分を要する……」

 春は一度だけ息を吐いた。

 「よって、現時点では待機を選択する。我々は、万が一の確率に賭ける」

 その言葉に、恐怖を煽る響きはなかった。むしろ不思議なほど静かだった。

 「願わくは、全員が生きて地球へ帰還できることを。以上だ」


 運命の五分が迫る。

 美柚と那奈は、まだ点検ロボットでコアへ帰還している途中だった。二人は無言のまま互いの宇宙服を掴む。緑の光だけが、ゆっくりと近づいてくる。

 そして――衝突予測時刻。

 何も起こらない。

 次の瞬間。

 緑の光が爆発的に膨張した。

 同時に。

 宇宙ステーションの全システムが停止する。

 照明。

 通信。

 推進。

 あらゆる機能が沈黙した。宇宙そのものから切り離されたような静寂。暗闇の中、巨大な物体だけがゆっくりと姿を現す。

 ――正立方体

 その一面の縁が、不気味な緑色に輝いていた。物体は衝突することなく、一定距離を保ったままステーションと並走し始める。まるで観察しているかのように。


 十分後。

 正立方体の光が、緑から青へ変化した。

 その瞬間、停止していたステーション機能が次々と復旧していく。

 照明が戻る。

 通信が繋がる。

 生命維持装置が再起動する。

 だが、立方体は依然として沈黙を続けていた。

 敵意もない。

 意思表示もない。

 ただ、そこに存在している。


 シェルターに向かわず、二人の帰還を待っていた春リーダーは、通信が戻った直後に二人を呼び出す。

 「永野、喜多治、応答しろ」

 返事はない。

 通信機の呼び出し音だけが、静かな管制室に虚しく響き続けていた。


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