離婁 下
離婁 下
孟子、曰。
「舜、生、於、諸馮、遷、於、負夏、卒、於、鳴条、東夷之人、也。
文王、生、於、岐周、卒、於、畢郢、西夷之人、也。
地、之、相、去、也、千有余里。
世、之、相、後、也、千有余歳。
得、志、行、乎、中国、若、合、符節。
先聖、後聖、其揆、一、也」
孟子 先生は言った。
「舜は、諸馮という所で生まれ、負夏という所に移り住み、鳴条で死んだので、東の未開な外国の人なのである。
文王は、岐周という所で生まれ、畢郢という所で死んだので、西の未開な外国の人なのである。
舜の生きていた土地と、文王が生きていた土地は、千里余りも離れている。
舜の生きていた時代よりも、文王が生きていた時代は、千年余りも後である。
舜と文王は、志を実行する好機を得て、国の中央で志を実行したが、割符が合うように符号している。
古代の聖王である舜と、舜より後の聖王である文王は、(思いやり深い政治を行うという)方法が同一だったのである」
子産、聴、鄭国之政、以、其乗輿、済、人、於、「溱( = 溱水)」、「洧( = 洧水)」。
孟子、曰。
「恵、而、不、知、為政。
歳、十一月、徒杠、成、十二、月、輿梁、成、民、未、病、涉、也。
君子、平、其政、行、辟、人、可、也。
焉、得、人人、而、済、之?
故、為政者、毎、人、而、悦、之、日、亦、不足、矣」
子産が鄭という国の政治をさばいていた時、自分の乗り物で、人々に、溱水と洧水という川を渡らせてあげた。
孟子 先生は言った。
「(子産は、)思いやりは有るが、政治という物を分かっていない。
十一月に徒歩で渡れる橋を完成させ、十二月に車が通れる橋を完成させれば、人々が川を渡る方法を気に病む必要が無く成ります。
王者が、自分の政治を公平に行っているならば、他人を避けさせて通行しても、善い。
(王者が、)どうして、人々に(一人一人、直接、)川を渡らせてあげるであろうか? いいえ!
統治者が、一人ずつ、喜ばせていたら、一日間でも足りないであろう」
孟子、告、斉、宣王、曰。
「君、之、視、臣、如、手足、則、臣、視、君、如、腹心。
君、之、視、臣、如、犬、馬、則、臣、視、君、如、国、人。
君、之、視、臣、如、土芥、則、臣、視、君、如、寇讐」
王、曰。
「礼、為、旧君、有、服。
何如、斯、可、為、服、矣?」
曰。
「諫、行、言、聴、膏沢、下、於、民。
有、故、而、去、則、君、使、人、導、之、出、疆、又、先、於、其、所、往。
去、三年、不、反、然、後、収、其田、里。
此、之、謂、『三有礼』、焉。
如此、則、為、之、服、矣。
今、也、為、臣、諫、則、不、行、言、則、不、聴、膏沢、不、下、於、民。
有、故、而、去、則、君、搏執、之、又、極、之、於、其、所、往。
去、之、日、遂、収、其田、里。
此、之、謂、寇讐。
寇讐、何、服、之、有?」
孟子 先生は斉という国の宣王に言った。
「君主が、自分の手足のように臣下を見なせば、臣下も、自分の腹や胸のように君主を見なしてくれます。
君主が、自分の犬や馬のように(敬意の対象外として)臣下を見なしてしまえば、臣下も、自国民に過ぎないかのように君主を見なしてしまいます。
君主が、土やゴミのように(無価値であるかのように)臣下を見なしてしまえば、臣下も、仇敵のように君主を見なしてしまいます」
宣王が言った。
「礼儀によると、前に君主であった人のために喪に服す、事が有るそうです。
どうすれば、前に君主であった人のために、喪に服してもらえるのであろうか?」
孟子 先生は言った。
「忠告したら行ってくれるし、提言すれば聴き入れてくれるし、恩恵を庶民にまで下りて来させる。
理由が有って去るならば、善い君主は、使者を派遣して国境を出るまで先導してくれるし、先に行き先へ推薦してくれる。
去って、三年間、帰らなければ、その後で、その人の田や家を回収する。
こうするのを『三有礼』と言います。
このようにすれば、前に君主であった、その人のために、喪に服してくれます。
今の君主は、臣下が忠告しても行わず、提言しても聴き入れず、恩恵を庶民にまで下ろさない。
理由が有って去るのに、今の悪い君主は、その人を捕らえてしまうか、または、その人を行った先で悲惨の極みに陥れようとします。
去った日に、その人の田や家を回収してしまいます。
このようにするのを『仇敵』、『目の敵にする』と言います。
どうして、仇敵の喪に服するでしょうか? いいえ!」
孟子、曰。
「無、罪、而、殺、士、則、大夫、可、以、去。
無、罪、而、戮、民、則、士、可、以、徙」
孟子 先生は言った。
「暴君が、罪が無い下級の役人を殺したら、上級の役人は去るべきである。
暴君が、罪が無い庶民を殺したら、下級の役人は去るべきである」
孟子、曰。
「君、仁、莫、不仁。
君、義、莫、不義」
孟子 先生は言った。
「君主が思いやり深ければ、国民も思いやり深く成る物である。
君主が正しければ、国民も正しく成る物である」
孟子、曰。
「非礼之礼、非義之義、大、人、弗、為」
孟子 先生は言った。
「非礼な似非礼儀作法と、正しくない似非正義的行為を、大いなる人はしないのである」
孟子、曰。
「中、也、養、不中。
才、也、養、不才。
故、人、楽、有、賢父兄、也。
如、中、也、棄、不中、才、也、棄、不才、則、賢、不肖、之、相、去、其間、不、能、以、寸」
孟子 先生は言った。
「善い人が、善くない人を修養させるのである。
有能な人が、非才な人を修養させるのである。
そのため、人は、賢明な父兄がいるのを喜ぶのである。
もし、善い人が善くない人を見捨ててしまい、有能な人が非才な人を見捨ててしまったら、賢者と、愚者の距離は非常な距離に成ってしまうのである」
孟子、曰。
「人、有、不、為、也、而、後、可、以、有、為」
孟子 先生は言った。
「人は、悪行を為さない決意を所有した後で、善行を為す事が有るように成るであろう」
孟子、曰。
「言、人之不善、当、如後患何?」
孟子 先生は言った。
「他人の悪い所を言ってしまったら、今後の(、その他人による逆恨みによる凶行の)心配をどうするのか?」
孟子、曰。
「仲尼( = 孔子)、不、為、已甚、者」
孟子 先生は言った。
「孔子 先生は、度が過ぎている事を為さなかった者なのである」
孟子、曰。
「大、人、者、言、不、必、信。
行、不、必、果。
惟、義、所、在」
孟子 先生は言った。
「大いなる人である者は、言葉が必ずしも誠実ではない(。正義のために嘘をつく場合が有り得る)。
(大いなる人である者は、)行動を必ずしも果たさない。
(大いなる人である者は、)正義だけに従って誠実に話したり、嘘をついたり、行動したり、行動しなかったりするのである」
孟子、曰。
「大、人、者、不、失、其赤子之心、者、也」
孟子 先生は言った。
「大いなる人である者は、幼子のような心を失わない者なのである」
孟子、曰。
「養、生、者、不足、以、当、大事。
惟、送、死、可、以、当、大事」
孟子 先生は言った。
「親が生きれるように養っているだけの者は、一大事を担当させるには不足なのである。
ただ、親が死んで、(心を尽くして)葬儀をして送別できた者は、一大事を担当させるのは可能なのである」
孟子、曰。
「君子、深、造、之、以、道、欲、其、自得、之、也。
自得、之、則、居、之、安。
居、之、安、則、資、之、深。
資、之、深、則、取、之、左右、逢、其原。
故、君子、欲、其、自得、之、也」
孟子 先生は言った。
「王者が、道理、真理(を学ぶ事)によって、知恵を深く極めるのは、知恵を自分の力で『会得』、『理解』したいと欲するからである。
知恵を自分の力で『会得』、『理解』すれば、知恵に安定して留まる事ができる。
知恵に安定して留まれたら、知恵を元に深く応用できる。
知恵を元に深く応用できたら、左右の全ての場所で、知恵を用いて、万物の根源に遭遇できる。
このため、王者は、そのようにして(、真理を学ぶ事によって)、知恵を自分の力で『会得』、『理解』したいと欲するのである」
孟子、曰。
「博、学、而、詳、説、之、将、以、反、説、約、也」
孟子 先生は言った。
「博学に、広く学んで、その知恵を詳細に説明するのは、かえって逆に、知恵の要約を説明しようとするからである」
孟子、曰。
「以、善、服、人、者、未、有、能、服、人、者、也。
以、善、養、人、然、後、能、服、天下。
天下、不、心服、而、王、者、未、之、有、也」
孟子 先生は言った。
「善によって他人を(圧倒して)服従させようとする者で、他人を服従させる事ができた者は未だいないのである。
善によって(天下の)人々を修養させた後で、天下の人々を心服させる事ができるのである。
天下の人々が心服しないのに、真の王に成れた者は未だいないのである」
孟子、曰。
「言、無、実、不祥。
不祥之実、蔽、賢、者、当、之」
孟子 先生は言った。
「言葉には、実際、不吉な言葉など無いのである。
実際に不吉なものとは、賢者を覆い隠す者が、まさに、それなのである」
徐子、曰。
「仲尼( = 孔子)、亟、称、於、水、曰。
『水、哉。水、哉』。
何、取、於、水、也?」
孟子、曰。
「原泉、混混、不、舎、昼夜。
盈、科、而、後、進、放、乎、四海。
有、本、者、如是。
是、之、取、爾。
苟、為、無、本、七、八月之間、雨、集、溝、浍、皆、盈、其、涸、也、可、立、而、待、也。
故、声聞、過、情、君子、恥、之」
徐子が孟子 先生に言った。
「孔子は、何度も、水をほめて言いました。
『水であるかな。水であるかな』と。
(孔子は、)水の何に感じ入ったのか?」
孟子 先生は言った。
「(水は、)源泉から、昼も夜も絶え間無く、混混と尽きる事無く湧きます。
水は、一部分ずつ満たしていった後に、前進して、四海にまで行き渡ります。
根本が有るものは、この水のようなのである。
それを感じ入るばかりなのです。
仮に、根本が無いとしたら、七月から八月までの間に雨が田畑の用水路の溝に集まって全て満たしても、その雨水が枯れるのを、立って待つ事ができてしまうであろう。
そのため、世の人々に聞こえている名声が、実情を超過しているのを、王者は恥じるのである」
孟子、曰。
「人、之、所以、異、於、禽獣、者、幾、希。
庶民、去、之。
君子、存、之。
舜、明、於、庶物、察、於、人倫、由、仁義、行。
非、行、仁義、也」
孟子 先生は言った。
「真の人が、動物的人間と異なる理由と成る物は、希少に近い(思いやりと正義な)のである。
庶民の大衆は、それ(ら、思いやりと正義)を除去してしまう。
王者には、それ(ら、思いやりと正義)が在るのである。
舜は、諸々の物を明らかにして、人の倫理、道理を観察して、思いやりと正義(についての知恵)によって行動したのである。
(舜は、受け売りで猿真似で)思いやりと正義を行おうとした訳ではないのである」
孟子、曰。
「禹、悪、旨酒、而、好、善言。
湯( = 湯王)、執、中、立、賢、無、方。
文王、視、民、如、傷、望、道、而、未、之、見。
武王、不、泄、邇、不、忘、遠。
周公、思、兼、三王、以、施、四事。
其、有、不、合、者、仰、而、思、之、夜、以、継、日。
幸、而、得、之、坐、以、待、旦」
孟子 先生は言った。
「禹は、美味い酒を嫌い、善い言葉を好んだ。
殷の湯王は、『中庸』、『節制』を執り行い、賢者を立身出世させて、その際に一定の方法は無かった(。様々な方法を用いた)。
文王は、自分の傷口のように国民を観て(大事にし)、未だ見た事が無いかのように道理、真理を望んだ。
武王は、近くの者達になれなれしくせず、遠くの者達の事を忘れなかった。
周公は、三人の聖王を兼ね合わせて、三人の聖王による四つの事をしようと思った。
(周公は、)三人の聖王による四つの事に適合できないものが有れば、仰いで、それについて思考して、日中に思考し続けて夜も思考するほどであった。
(周公は、)そうして、幸いにも、(夜に、)それについての善い考えを得ると、座して翌朝まで待っ(て、実行するほどであっ)た」
孟子、曰。
「王者之跡、熄、而、詩、亡。
詩、亡、然、後、『春秋』、作。
晋之『乗』、楚之『梼杌』、魯之『春秋』、一、也。
其事、則、斉、桓( = 桓公)、晋、文( = 文公)。
其文、則、『史』。
孔子、曰。
『其義、則、丘( = 孔子)、竊、取、之、矣』」
孟子先生は言った。
「王者の跡が途絶えてしまって、(王者による)詩が滅んでしまった。
(王者による)詩が滅んでしまった後に、(孔子 先生は、歴史書)『春秋』を作った。
晋という国の歴史書『乗』、楚という国の歴史書『梼杌』、魯という国の歴史書『春秋』は、歴史書としては同一である。
その歴史書『春秋』は、斉という国の桓公と、晋という国の文公の事の歴史書である。
その歴史書『春秋』の、元と成った文書は、『史』という歴史を記録した役人による文書である。
孔子 先生は言いました。
『私、孔子は、ひそかに、この歴史書、春秋に、私、孔子による意義、真意を取り入れたのである』と」
孟子、曰。
「君子之沢、五世、而、斬。
小人之沢、五世、而、斬。
予、未、得、為、孔子、徒、也。
予、私淑、諸、人、也」
孟子 先生は言った。
「王者の恩恵は、五世代後に切れてしまいます。
矮小な人の恩恵も、五世代後に切れてしまいます。
私、孟子は、孔子 先生の(直接の)学徒に成る事ができ得なかった。
私、孟子は、儒学者の人に学んで、ひそかに、孔子 先生を善いとして手本としているのである」
孟子、曰。
「可、以、取、可、以、無、取、取、傷、廉。
可、以、与、可、以、無、与、与、傷、恵。
可、以、死、可、以、無、死、死、傷、勇」
孟子 先生は言った。
「取っても善いし、取らなくても善いのに、取ると、清廉潔白を損なってしまう。
与えても善いし、与えなくても善いのに、与えると、思いやり(の価値)を損なってしまう。
死んでも善いし、死ななくても善いのに、死ぬと、勇気(の価値)を損なってしまう」
逢蒙、学、射、於、羿。
尽、羿之道、思。
「天下、惟、羿、為、愈、己」
於、是、殺、羿。
孟子、曰。
「是、亦、羿、有、罪、焉」
公明儀、曰。
「宜、若、無、罪、焉?」
曰。
「薄、乎、云、爾。
悪、得、無、罪?
鄭、人、使、子濯孺子、侵、衛。
衛、使、庾公之斯、追、之。
子濯孺子、曰。
『今日、我、疾、作。
不、可、以、執、弓。
吾、死、矣、夫』。
問、其僕、曰。
『追、我、者、誰、也?』。
其僕、曰。
『庾公之斯、也』。
曰。
『吾、生、矣』。
其僕、曰。
『庾公之斯、衛、之、善、射、者、也。
夫子、曰。吾、生。
何、謂、也?』。
曰。
『庾公之斯、学、射、於、尹公之他。
尹公之他、学、射、於、我。
夫尹公之他、端人、也。
其、取、友、必、端、矣』。
庾公之斯、至、曰。
『夫子、何為、不、執、弓?』。
曰。
『今日、我、疾、作。
不、可、以、執、弓』。
曰。
『小人、学、射、於、尹公之他。
尹公之他、学、射、於、夫子。
我、不、忍、以、夫子之道、反、害、夫子。
雖、然、今日之事、君、事、也。
我、不、敢、廃』。
抽、矢、叩、輪、去、其金、発、乗矢、而、後、反」
逢蒙は、弓で矢を射る技術を羿から学んだ。
(逢蒙は、)羿の弓道を学び尽くすと、思った。
「天下で、私、逢蒙を超越しているのは、羿だけである」と。
このため、(逢蒙は、)羿を殺してしまった。
孟子 先生は言った。
「これは、また、羿にも罪が有る」
公明儀は言った。
「羿には、罪が無いような物ではありませんか?」
孟子 先生は言った。
「罪が軽いと言うだけである。
どうして、『(羿には、)罪が無い』とでき得ようか? いいえ!
鄭という国の人々が、子濯孺子に、衛という国を侵略させた。
衛という国の人々は、庾公之斯に、子濯孺子達を追い払わせた。
子濯孺子は言いました。
『今日、私、子濯孺子は病気に成ってしまいました。
そのため、弓を執る事ができません。
私、子濯孺子は死ぬであろう』と。
子濯孺子は、仕えている者に質問して言いました。
『私、子濯孺子を追撃している者は誰なのか?』と。
その、子濯孺子に仕えている者は言いました。
『庾公之斯です』と。
子濯孺子は言いました。
『私、子濯孺子は生き延びるであろう』と。
その、子濯孺子に仕えている者は言いました。
『庾公之斯は、衛という国の、弓で矢を射るのが上手な者です。
あなた、子濯孺子は、言います。私、子濯孺子は生き延びるであろう、と。
なぜ、そう言えるのですか?』と。
子濯孺子は言いました。
『庾公之斯は、尹公之他から、弓で矢を射る技術を学びました。
尹公之他は、私、子濯孺子から、弓で矢を射る技術を学びました。
その尹公之他は、正しい人です。
友(を作ったり、弟子)を取るのも必ず正しいはずです』と。
庾公之斯が、到来して、言いました。
『あなた、子濯孺子は、どうして、弓を執らないのですか?』と。
子濯孺子は言いました。
『今日、私、子濯孺子は病気に成ってしまいました。
そのため、弓を執る事ができません』と。
庾公之斯は言いました。
『私、庾公之斯は、尹公之他から、弓で矢を射る技術を学びました。
尹公之他は、あなた、子濯孺子から、弓で矢を射る技術を学びました。
私、庾公之斯は、あなた、子濯孺子の弓道によって、逆にかえって、あなた、子濯孺子を殺害してしまうのを忍耐できません。
ですが、今日の追撃は、君主からの命令です。
私、庾公之斯は、あえて、(完全に、)やめる事は、できません』と。
(庾公之斯は、)矢を引き抜くと、戦車の車輪に叩きつけて矢の金属製の鏃を除去して(矢の殺傷能力を無くして)、そうした四本の矢を(子濯孺子へ形式的に)発射すると、その後、(子濯孺子を見逃して)帰還した」
孟子、曰。
「西子、蒙、不潔、則、人、皆、掩、鼻、而、過、之。(西子は有名な美人。)
雖、有、悪人、斎戒、沐浴、則、可、以、祀、上帝」
孟子 先生は言った。
「美人である西子でも、汚物を被ってしまったら、人々は皆、鼻を覆って、この西子を通り過ぎてしまうであろう。
悪人でも、飲食を節制して体を洗浄して心身を清浄にすれば、天の神を祭っても良い」
孟子、曰。
「天下、之、言、性、也、則、故、而已、矣。
故、者、以、利、為、本。
所、悪、於、智、者、為、其、鑿、也。
如、智者、若、禹、之、行、水、也、則、無、悪、於、智、矣。
禹、之、行、水、也、行、其、所、無、事、也。
如、智者、亦、行、其、所、無、事、則、智、亦、大、矣。
天之高、也、星辰之遠、也、苟、求、其、故、千歳之日至、可、坐、而、致、也」
孟子 先生は言った。
「天下の万物の性質を言えたとしたら、過去によってしか言えない。
過去によ(って天下の万物の性質を言え)る者は、智慧を根本とする。
智慧を嫌われてしまう者は、その智慧で他人を探ってしまうためである。
もし智者が、禹が水の流れを通して行かせたようにすれば、智慧を嫌われないのである。
禹が水の流れを通して行かせた時は、(水の流れに)無理が無いように通して行かせたのである。
もし智者もまた、(智慧に)無理が無いように実行したら、その智慧もまた大いなる物なのである。
天が高くても、星々が遠くても、(禹のような智者が、)仮に、過去を探求すれば、千年後の夏至の日を、座して計算する事が可能なのである」
公行子、有、子之喪。
「右師( = 王驩)」、往、弔。
入、門、有、進、而、与、「右師( = 王驩)」、言、者。
有、就、「右師( = 王驩)」之位、而、与、「右師( = 王驩)」、言、者。
孟子、不、与、「右師( = 王驩)」、言。
「右師( = 王驩)」、不、悦、曰。
「諸君子、皆、与、驩( = 王驩)、言。
孟子、独、不、与、驩( = 王驩)、言。
是、簡、驩( = 王驩)、也」
孟子、聞、之、曰。
「礼。
『朝廷、不、歴、位、而、相、与、言。
不、踰、階、而、相、揖、也』。
我、欲、行、礼。
子敖( = 王驩)、以、我、為、簡。
不、亦、異、乎?」
公行子の子の葬儀が有った。
王驩が弔問しに行った。
王驩が門から入ると、王驩の所へ進んで王驩と話す者どもがいた。
王驩が自分の位置の席についても、王驩と話す者どもがいた。
孟子 先生は、王驩と話さなかった。
王驩が、不機嫌に成って、言った。
「諸々の人々は皆、私、王驩と話してくれました。
しかし、孟子、独りだけが、私、王驩と話してくれませんでした。
これは、私、王驩を軽んじているのです」
孟子 先生は、この王驩の言葉を聞いて、言った。
「礼儀によると、
『朝廷では、席を巡りまわって、互いに共に話すなかれ。
位階、段を超えて、互いに挨拶するなかれ』と言われています。
私、孟子は、礼儀を実行したいと欲したのです。
王驩は、『私、孟子が王驩を軽んじている』と見なしたそうですが。
これはまた、おかしな事を言う物です」
孟子、曰。
「君子、所以、異、於、人、者、以、其、存、心、也。
君子、以、仁、存、心、以、礼、存、心。
仁者、愛、人。
有、礼、者、敬、人。
愛、人、者、人、恒、愛、之。
敬、人、者、人、恒、敬、之。
有、人、於、此。
其、待、我、以、横逆、則、君子、必、自、反、也。
『我、必、不仁、也。
必、無礼、也。
此物、奚、宜、至、哉?』。
其、自、反、而、仁、矣。
自、反、而、有、礼、矣。
其、横逆、由、是、也、君子、必、自、反、也。
『我、必、不、忠』。
自、反、而、忠、矣。
其、横逆、由、是、也、君子、曰。
『此、亦、妄人、也、已、矣。
如此、則、与、禽獣、奚、択、哉?
於、禽獣、又、何、難、焉』。
是故、君子、有、終身之憂、無、一朝之患、也。
乃、若、所、憂、則、有、之。
『舜、人、也。
我、亦、人、也。
舜、為、法、於、天下、可、伝、於、後世。
我、由、未、免、為、郷人、也』。
是、則、可、憂、也。
憂、之、如何?
如、舜、而已、矣。
若、夫君子、所、患、則、亡、矣。
非、仁、無、為、也。
非、礼、無、行、也。
如、有、一朝之患、則、君子、不、患、矣」
孟子 先生は言った。
「王者が、他の人と異なる理由は、正しい心が在るからである。
王者には、思いやりによって正しい心が在るし、礼儀によって正しい心が在る。
思いやりが有る者は、他人を愛する事ができる。
礼儀が有る者は、他人を敬う事ができる。
ある人を愛する者は、その人も常に、その者を愛するのである。
ある人を敬う者は、その人も常に、その者を敬うのである。
ここに、ある人がいたとします。
横暴な態度で遇されたら、王者は必ず自身を反省します。
『私には、必ず、思いやりが無かったのである。
私には、必ず、礼儀が無かったのである。
でなければ、こんな横暴な態度が、どうして、(運命的に、)都合良く到来するであろうか? いいえ!』と。
王者は、自身を反省して、思いやり深く成る。
王者は、自身を反省して、礼儀を持って接する。
それでもなお、横暴な態度で遇されたら、王者は必ず自身を反省します。
『私には、必ず、誠実さが無かったのである』と。
王者は、自身を反省して、誠実に成ります。
それでもなお、横暴な態度で遇されたら、王者は(心の中で)言います。
『こいつもまた、愚者なだけなのである。
このように横暴ならば、獣、人でなしと、どのような違いが有るというのか? いいえ! 無い!
また、獣、人でなしを、どうして、非難する(暇が有る)であろうか? いいえ!』と。
このため、王者には、一生の心配は有るが、一時的な心配は無いのである。
次のような一生の心配が、王者には有るのである。
『舜も、人に過ぎない。
私もまた、人に過ぎない。
しかし、舜は、天下の手本となるような大いなる事を為して後世にまで伝えられて語り継がれるであろう。
他方、私は、今なお、庶民である境遇を免れる事が未だできていない』と。
王者は、このような事を心配しても善いのである。
このような事を心配するならば、どうしたら善いのか?
舜のように成るしか無いのである。
あの舜のような王者には、心配するものが無いのである。
思いやりの無い事はしないだけなのである。
失礼な事は行わないだけなのである。
一時的な心配を、王者は心配しないのである」
禹、稷( = 后稷)、当、平、世、三、過、其門、而、不、入。
孔子、賢、之。
顔子( = 顔回)、当、乱世、居、於、陋巷、一、箪、食、一、瓢、飲。
人、不、堪、其憂、顔子( = 顔回)、不、改、其楽。
孔子、賢、之。
孟子、曰。
「禹、稷( = 后稷)、顔回、同、道。
禹、思、天下、有、溺、者、由、己、溺、之、也。
稷( = 后稷)、思、天下、有、饑、者、由、己、饑、之、也。
是、以、如是、其、急、也。
禹、稷( = 后稷)、顔子( = 顔回)、易、地、則、皆、然。
今、有、同室之人、闘、者、救、之、雖、被髪纓冠、而、救、之、可、也。
郷、隣、有、闘、者、被髪纓冠、而、往、救、之、則、惑、也。
雖、閉、戸、可、也」
禹と、后稷は、平安な世にあたっていても、三回、自分の家の門を過ぎても、家に入れなかった(ほど多忙であった)。
孔子 先生は、これら禹と后稷を「賢者である」とした。
顔回は、乱世にあたって、路地に居住して、竹の容器一つ分の食べ物を食べ、ひょうたん一つ分の飲み物を飲んでいた。
他の人々は、その苦しみに忍耐できなかったが、顔回は、その苦行を楽しんで改めなかった。
孔子 先生は、この顔回を「賢者である」とした。
孟子 先生は言った。
「禹、后稷、顔回の道理、真理は同一なのである。
(治水を担当していた)禹は、天下で溺れた者がいたら、その者を自分が溺れさせたかのように思ったのである。
(農業を担当していた)后稷は、天下で飢えた者がいたら、その者を自分が飢えさせたかのように思ったのである。
このため、急いだので、あのように多忙であったのである。
禹、后稷、顔回は、立場が変わったら、皆、他の者と同様に急いで、多忙であったであろう。
今、同じ家の家族達のうち、闘争している者達がいて、その闘争を止めて、それらの家族達を救うためであれば、慌てていて乱れ髪で冠の飾り紐を結ぶ途中でも、それらの家族達を救うのは、(家族は自分の担当の範疇なので、)善い事なのである。
故郷で、隣人達のうち、闘争している者達がいて、その闘争を止めて、それらの隣人達を救うためであったら、慌てていて乱れ髪で冠の飾り紐を結ぶ途中で、それらの隣人達を救うのは、(隣人達は自分の担当の範疇ではないので、)気の迷いのような物であり、自分の家の戸を閉ざしても善いのである」
公都子、曰。
「匡章、通、国、皆、称。『不孝、焉』。
夫子、与、之、遊、又、従、而、礼貌、之。
敢、問。
何、也?」
孟子、曰。
「世俗、所謂、不孝、者、五。
惰、其四支、不、顧、父母之養、一、不孝、也。
博弈、好、飲酒、不、顧、父母之養、二、不孝、也。
好、貨財、私、妻子、不、顧、父母之養、三、不孝、也。
従、耳目之欲、以、為、父母、戮、四、不孝、也。
好、勇、闘很、以、危、父母、五、不孝、也。
章子( = 匡章)、有、一、於、是、乎?
夫章子( = 匡章)、子、父、責、善、而、不、相、遇、也。
責、善、朋友之道、也。
父、子、責、善、賊、恩、之、大、者。
夫章子( = 匡章)、豈、不、欲、有、夫妻子母之属、哉?
為、得、罪、於、父、不、得、近、出、妻、屏、子、終身、不、養、焉。
其、設、心、以、為、不、若是、是、則、罪、之、大、者。
是、則、章子( = 匡章)、已、矣」
公都子が孟子 先生に言った。
「匡章は、国中の皆が『親不孝者である』と言っています。
しかし、孟子 先生は、この匡章と遊び、また、従って、この匡章に対して礼儀正しくしています。
あえて質問いたします。
どうして、でしょうか?」
孟子 先生は言った。
「世俗で、いわゆる、『親不孝者である』と言われる者には五種類あります。
自分の四肢を怠惰にして働かず、父母を養うのを顧みない者は、第一の親不孝者です。
賭け事をし、飲酒を好み、父母を養うのを顧みない者は、第二の親不孝者です。
金銭や財産を好んで自分と自分の妻子のために自分の物にしてしまうが、父母を養うのを顧みない者は、第三の親不孝者です。
耳による欲望や目による欲望に従ってしまって父母を辱める悪行を為してしまう者は、第四の親不孝者です。
武勇を好んで口論して父母を危険にさらす者は、第五の親不孝者です。
匡章には、これら五種類の親不孝のうち、一つでも有るでしょうか? いいえ! 一つも無い!
あの匡章は、父と子の間で善、正義によって責め合ってしまって、互いに会わないように成ってしまったのです。
善、正義によって責め合うのは、友人同士の道理なのです。
父と子の間で善、正義によって責め合ってしまうのは、父の恩を損なってしまう事のうち、大きな物なのです。
あの匡章が、どうして、夫妻の絆や親子の絆を欲しない事が有り得ようか? いいえ! 欲する!
しかし、匡章は、父への罪を得てしまって、父へ近づく事ができ得ないので、妻を自分の家から出してしまい、子を自分の家から退けてしまって、一生、(妻や子によって)養われない事にしたのである。
匡章が、そのように(妻や子によって養われない)決心をしたのは、そうしなければ、父への罪が大きく成ってしまうと匡章は見なしたのである。
このようにできるのは、匡章だけであろう」
曾子、居、武城。
有、「越」、寇。
或、曰。
「寇、至。
盍、去、諸?」
曰。
「無、寓、人、於、我室、毀傷、其薪木」
寇、退、則、曰。
「修、我墻、屋。
我、将、反」
寇、退、曾子、反。
左右、曰。
「待、先生、如此、其、忠、且、敬、也。
寇、至、則、先、去、以、為、民、望。
寇、退、則、反。
殆、於、不、可」
沈猶行、曰。
「是、非、汝、所、知、也。
昔、沈猶( = 沈猶行)、有、『負芻』之禍。
従、先生、者、七十人。
未、有、与、焉」
子思、居、於、衛。
有、「斉」、寇。
或、曰。
「寇、至。
盍、去、諸?」
子思、曰。
「如、汲( = 子思)、去、君、誰、与、守?」
孟子、曰。
「曾子、子思、同、道。
曾子、師、也、父兄、也。
子思、臣、也、微、也。
曾子、子思、易、地、則、皆、然」
ある時、曾子 先生は武城という所に居ました。
越という国からの侵略が有りました。
ある人が曾子 先生に言った。
「侵略軍が到来します。
どうして、ここを去らないのですか?」
曾子 先生は言った。
「私、曾子の家に他人を泊めて、薪と成る樹木を傷つけるなかれ」
侵略軍が退却すると、曾子 先生は言った。
「私、曾子の塀の壁と家を修理してください。
私、曾子は帰ろうと思います」
侵略軍が退却したので、曾子 先生は帰ってきた。
曾子 先生のそばに仕える人達が言った。
「(武城の人々による)曾子 先生への待遇は、このように、誠実、かつ、敬意に満ちている。
侵略軍が到来したら、(曾子 先生は、武城の)人々の望み通りに先に去った(ので、武城の人々も曾子 先生に続いて避難できた)。
侵略軍が退却したら、(曾子 先生は、武城に)帰ってきました。
(曾子 先生の行動は、)ほとんど善くないと思います」
沈猶行が(、曾子 先生のそばに仕える人達に、)言った。
「これ(、曾子 先生の行動)は、あなた達が(未だ)知る事ができない境地の事なのである。
昔、私、沈猶行には、負芻に襲われる災難が有りました。
(現場には、曾子 先生と、)曾子 先生に従っている者達が七十人いました。
しかし、(曾子 先生は、)関与しようとしませんでした(。無視しました)」
ある時、子思は衛という国に居ました。
斉という国からの侵略が有りました。
ある人が子思に言った。
「侵略軍が到来します。
どうして、ここを去らないのですか?」
子思は言った。
「もし私、子思が去ったら、君主は誰と共に、ここを守るというのか?」
孟子 先生は言った。
「曾子と、子思の道理は同一なのである。
曾子が、教師であり、父兄であ(る、という立場であ)っただけなのです。
子思が、臣下であり、下級の役人であ(る、という立場であ)っただけなのです。
曾子と、子思は、立場を変えたら、皆、他方と同様にしたであろう」
儲子、曰。
「王、使、人、矙、夫子。
果、有、以、異、於、人、乎?」
孟子、曰。
「何、以、異、於、人、哉?
堯、舜、与、人、同、耳」
儲子が孟子 先生に言った。
「王が、他人に、あなた、孟子 先生をひそかに監視させました。
果たして、(孟子 先生には、)人とは異なる所が有るのでしょうか?」
孟子 先生は言った。
「(私、孟子が、)どうして、人と異なるであろうか? いいえ! 人である!
堯や、舜も、人と同じであっただけなのである」
斉、人、有、一妻、一妾、而、処、室、者。
其良人、出、則、必、饜、酒、肉、而、後、反。
其妻、問、其、所、与、飲食、者、則、尽、富貴、也。
其妻、告、其妾、曰。
「良人、出、則、必、饜、酒、肉、而、後、反。
問、其、与、飲食、者、尽、富貴、也。
而、未、嘗、有、顕者、来。
吾、将、矙、良人、之、所、之、也」
蚤、起、施、従、良人、之、所、之。
徧、国中、無、与、立、談、者。
卒、之、東、郭、墦、間、之、祭、者、乞、其余。
不足、又、顧、而、之、他。
此、其、為、饜足、之、道、也。
其妻、帰、告、其妾、曰。
「良人、者、所、仰、望、而、終、身、也。
今、若此」
与、其妾、訕、其良人、而、相、泣、於、中庭。
而、良人、未、之、知、也。
施施、従、外、来、驕、其妻、妾。
「由、君子、観、之、則、人、之、所以、求、富貴、利達、者、其妻、妾、不、羞、也、而、不、相、泣、者、幾、希、矣」
斉という国の人で、一人の正妻と、一人の正妻ではない妻がいて、自分の家にい(て働かないでい)る者がいた。
その者である夫は、家から出ると、必ず酒や肉を飽きるまで飲食した後で、帰ってきた。
その正妻が、夫と共に飲食した者達に質問すると、ことごとく金持ち達か高貴な地位の人達であった。
その正妻は、正妻ではない妻に言った。
「私達の夫は、家から出ると、必ず酒や肉を飽きるまで飲食した後で、帰ってきます。
私達の夫と共に飲食した者達に質問すると、ことごとく金持ち達か高貴な地位の人達でした。
しかし、未だかつて、高位な地位の者達が、私達の家に来た事は有りません。
私は、私達の夫の行き先をひそかに尾行しようと思います」
正妻は早く起きると、夫の行き先を尾行した。
夫は、国中を遍くまわったが、夫と共に立って話す者はいなかった。
夫は、ついに、東の郊外の墓場へ行き、墓と墓の間で先祖を祭っている者に、供え物の残りを乞食した。
それで不足していたら、また、見回して、他の者の所へ行っ(て乞食し)た。
これ(、乞食)が、その夫が、満足するまで飲食する方法だったのである。
正妻は帰ると、正妻ではない妻に言った。
「夫という者は、妻が仰ぎ望むように畏敬したまま身を終えるような者であるべきなのです。
それなのに、今、夫は、このように乞食していました」
正妻は、正妻ではない妻と共に、自分達の夫を非難して、共に中庭で泣きました。
しかし、夫は、それを未だ知りませんでした。
夫は、いそいそと外から帰って来て、自分の正妻と、正妻ではない妻に(贅沢な飲食を)自慢してしまったのです。
(孟子 先生は言った。)
「王者から、この逸話を観察、考察すると、人が、金銭や高貴な地位や立身出世を求める方法が、その人の正妻や、正妻ではない妻が恥ずかしく成って共に泣かない方法であるのは、希少に近いのである」