桜桃
行き交う人々の雑踏を耳の隅に残し、二人は香ばしい匂いを漂わせるパン屋の壁に寄り掛かっていた。
男は唐突に呟く。
「サクラダファミリアってなんであんなに惹かれるんだろうなあ」
間隔を置かずに隣の女は反応する。
「そりゃあたくさんの職人たちが知恵を出し合って、時間かけてるからね。分業でやったら、一+一が二にしかならないけど、一つの過程に多くの職人が携わってるから十にも百にもなるのよ。大変そうだけど」
「おいおい。そうやってさ、理屈で反論されると納得しちゃうじゃねえか」
「なんで? 嫌なの?」
「だって、永遠に謎のままにした方が、なんかいいじゃんか。曖昧にしといたほうが深読みしていろんな考え出てくるし」
ターミナル駅の東口。大通りの反対側には大きな大木が立っている。その手前。視界の先の喫煙所から、男が一人出ていく。
「どう思う?」と女は問う。
「何が?」
「さっきの」
男は、ああ、と軽く言葉を吐いた。
「同じ者同士、接触してるのに気がついてないから大丈夫だろう。本当は気がついてくれなきゃ困るんだけど、最近は他にも当てが増えたから、まあいいんじゃないの。片方の子はそのうち来ると思うし」
「そう」
彼女の顔は納得した様子で囁いた。
「またこうやってさ、一人、人間が増えていくんだ。きっかけが恋愛だろうと興味本位だろうと、何だっていいんだ。実際、あの立原って奴は興味本位だろうしな」
「女の子を探すためじゃなくて?」
「そんなの建前だ。人にはさ、消したい過去や、やり直したい過去ってのがあるもんなんだよ。君もその一人って訳」
「じゃあ興味本位じゃなくて、ちゃんとした理由があるじゃない」
「まあそれもそうか。いいんだよ、社会が回れば。前世が犬だろうと蟻だろうと同じ人間だったとしてもそれで。別に誰もこの構造に気づいてる訳じゃないんだし」
「それはそうだけど、前世はお門違いでしょ?」
「同じようなもんだ。そこらへんは俺にはよく理解できん。俺でさえ理解できないんだから、当人たちは気づきもしないだろうな。様々な前世の記憶、同じ名前、同じ顔、不可解な現実と名前。入り乱れたいろんなものを吸収した挙句、彼らはまた同じことを繰り返すようになっている。それが人間だろう?」
女は口をすぼめて聞く耳を持たない。そんな女を振り向かせようと、男は話を続ける。
「運命ってにわかに信じがたいが、実際ありそうなもんだよな。欲に逆らえなかったり、そういう人間特有の感情が逆に人間を操っている。過去に飛ばしたり、同じ人間を創り出したり、現代の科学はありえないほど進歩しているな。数年前は考えられなかっただろう?」
「うるさい、馬鹿。仕組みなんか本当は知らないくせに」
「お前だって騙されてた一人だろう?」
「私は気づいたもん。馬鹿はそっちよ! 馬鹿! 馬鹿!」
男は肩を何度も叩かれる。
「頭の出来が悪くて悪かったな、頭のいい百華ちゃん」
嫌味ったらしく、何かを込めて。百華はどんな反応をくれるだろうか。
「なによう。何か不満でもあるの?」
あらま。こりゃまたかわいいお顔だこと。嘘でも歪でもあなたがいればそれでいいんだけど、見つけてしまったものはしょうがない。手放したくないのは当然の思考回路。
鼻から息を吸って、吐息交じりに言う。
「ないよ」
イナイはずのキミがいれば。




