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パスバイクローンズ  作者: 面映唯
第6章
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生きる走馬灯

 鳥のさえずりが聞こえる。今そんな時期だっけ? 

 何か匂いがする。味噌?

 鼻歌が聞こえる。大分下手だな。

 何かを注ぐ音。


「あっつ」


 ああ、味噌汁溢したな。

 蛇口をひねる音。水が落ちる音。ステンレスを打つ音。

 また蛇口をひねる音が聞こえた。今度は、絞った水が落ちる音。

 スリッパが床を擦る音が近づいてきた。


「あ」

「おはよう」


 いい匂いがした。彼女のシャンプーだろうか。


「髪伸びてない?」

「そう? 結婚してからはずっとこんな感じだけど」


 ああそうか。私は結婚したのか。よく見ると部屋も違うし。あんな山奥の家に住むのはやめたんだ。そりゃそうだよな。やっぱ叶いっこなかったんだ。


「鉋さん」

「何?」

「あたしは今、鉋さんと一緒に居られてすごくうれしいよ。昔なんてどうでもいいくらい、今がうれしい」

「そう。なんかそう言われると俺もうれしいな」

「鉋さん、あたしのこと好き?」

「え……」

「あたしは、鉋さんのこと好きだよ?」

「俺も……、……のこと好き」

「嘘? ホント?! ちゃんと名前で呼んで」

「えっと…………」


『名前、わかんないや』


 パッと目が開いた。


 自分の寝言で目を覚ますなんてどうかしているが、起きてしまえばそんなことどうでもいいが、事実になってしまう。


 変な夢を見た。断片的にしか覚えていない。でもこれだけははっきりと覚えている。


「彼女の名前、わからないや」


 名前も知らない女に恋しているなんてどうかしている。私の脳はおかしいのか。上手くいかないからって、私をからかって彼女と結婚した夢でも見せたのだろうか。


 立ち上がって、冷蔵庫を開ける。


「電気切れてるし」


 おまけに裸足だった。ソファアは汚れるから、寝る前に脱いだんだったっけ?


 外に出る。


 相変わらず、朝の空気は信じられないほど身体に効く。そこら辺の一類薬品よりよっぽど効くんじゃないだろうか。


 しゃがんで堀の中を覗いてみる。


 誰か人がいる。


「誰?」

「鉋さーん。助けてくださーい」


 急に自分の頬が上がったのがわかった。


「お前、そんなところにいたのか! 今出してや、」


 いない。

 頬を両手ではたいた。


 馬鹿な夢を見ている。そんなに影響力があったのだろうか、彼女には。


 何度も頬を叩きながら玄関に向かう。そして家のドアを開けた。


「あれ! 鉋さんだ。おかえりなさい」


 また頬が上がる。


「おう、ただい、」


 キッチンが見えた。


「まあ、いる、訳、ないよな」


 起きているから嫌なことを考える。いつかの自分に戻った気がした。しょうがなく何か食べて寝てしまおうと、冷蔵庫を開ける。


「あれ」


 さっきも開けたが、普通におかしい。誰がこんなに詰めたのだ? 食材がぎっしりと詰まっている。


 あ。

 あのときも。

 あのときも。

 あのときも。

 彼女はいつも笑っていた。


「お前……」


 誰もいないプレハブ小屋に、水が染みた。床に落ちた粒が埃をたてた。 


 また同じことを繰り返したのだ。何が時間は待ってくれないだ。悠長にしていられないだ。悩む時間は無駄だ、だ。全然違うよ。全部違う。


 彼女は誰よりも大人だった。私みたいなドブネズミみたいな男と一緒にいて、笑って、ご飯食べて、寝て、出かけて帰ってくれば出迎えてくれる。


 とめどなく溢れてくる涙は、拭っても拭っても止まってはくれない。袖がびしょ濡れになってもまだ止まらない。


 変えてしまえる。人間の感情は他人に唯一影響を及ぼせる。


 気づいたら私のそばには誰もいなくなっていた。私が情けないから、私が馬鹿だから。臆病だから。ケチな感情ですら押し殺せず、大切なものを見失っていく。


 身体は動き出していた。




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