重なる想い
私は手を伸ばしたままであった。
川に戻った私は、独りだったのだ。
そのまま一晩寝た。
迷いはない。後悔もない。いや、それは嘘。ただ何となく、昔に戻っただけだと思う。気まぐれ。驟雨。たったそれだけのこと。その程度のこと。そんなことは言葉にするまでもなく、頭で浮かべるものでもなく、今までの経験からか体に染みついていた。
百華は妖精だったのだろうか。幻だったのだろうか。彼女が伝えたかったことは何だったのか。他の話が布石だということはわかった。映画も、そんな時代を飛び越えるようなSF染みた話も、彼女の本心を埋もれさせるに過ぎない飾りだ。
アトリエの中でバッグを整理していると、一つの封筒が出てきた。確か、一か月ぐらい前に来たとき、実家で拾ったものだ。表には、「鉋へ」と書かれている。裏返してみたが、何も書いていない。
指先で封を開ける。一枚の便箋が出てきた。
『鉋へ』
小さい頃のあなたは世話がかかる子でした。同時に世話が掛からない子でもありました。おっちょこちょいな部分があって、小学校の先生に注されることもありましたが、友達がゲーム機で遊ぶ中、休みの日は自分から外に出かけて遊んでいました。そんな鉋を見ながら、母は、うれしく思っていました。周りに流されないで、自我を持っている。そういう子に育って欲しいと思っていたので、本当に親泣かせでした。
そんな鉋も、中学に上がる頃から変わっていきました。何がきっかけだったのかいまだにわかりませんが、ある日の土曜日に、泣きながら帰って来たのは今でも忘れません。母の声に反応してくれないくらい泣きじゃくって、「ごめんね、ごめんね」と何度も謝っていました。「どうしたの?」と聞いても、ひたすら泣いていました。
そのまま反抗期に入ったのか、母とはあまり話してくれなくなりました。
高校に入ってもバイトばかりで……。姉の影響か、自分も自由でいいのかなと思ったのかもしれません。
せめて大学だけは出て欲しいと願うようになりました。
もうこの辺りになると、子どもたちのことをないがしろにしていたと思います。
母には一つだけやり直したいことがあります。それは、また家族みんなで一緒に暮らしたいということです。父は、あなたの金を持って今も音信不通ですが……。
夢にまで出てくる、まだみんながいた頃の家庭が、戻ってきて欲しいなんてないものねだりなのかもしれません。
過去を振り返ると後悔しかありません。何でもっと寄り添ってあげなかったんだとか、厳しい言葉をかけてでも教えてあげなかったのかとか、たくさんあります。
子どもを産むのは、言ってしまえばどうにかなります。お金を払えば助産師さんや看護師さんがサポートしてくれます。でも、子どもから親が消えたら、誰も動いてくれません。一人の人間としてでは済まされなかったんです。母親としての自覚がなかったんだと思います。駄目な母親です。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、これだけは信じてください。
ふとした瞬間に思い出すのは、いつもあなたたちでした。苦しい、助けて欲しいと思ったときに頭に浮かんだのは、あなたたちでした。
愛している人とは、切っても切っても離れないものなんです。時にはちょっかい出して見たくなるんです。試してみたくなるんです。愛しているから知りたくなるんです。愛しているから教えたくなるんです。それが愛ってことなんだと思います。
言い訳はしません。人間として、母親として大事なものを見失っていました。
ありがとう。
母より
百華からの手紙ではなかった。だが、期待は失望へと変わらなかった。
血が繋がっているから人間なのか。それは関係ない。いじめっ子で、ガキ大将で、意地っ張りで、貞操気にしがちな母親から、たまに優しくされる気分は明日の降水確率が百パーセントと知ったときのような不確かな気分だと思う。
もっと早く読んでいれば、私の行動は違ったであろうか。多分違っていた。この手紙に促されて、人情が大事なんだと心の中で豪語していたであろう。
わからない。どうすればいい。
百華。いないなら誰でもいいから教えてくれ。説明してくれ。
感情って何だ。今の私の感情を説明してくれ。
鏡の前に立って無言で叫ぶ。触れる。嫌いな自分。それすらも言い訳にして、可愛い自分が捨てられない。
教えてくれ。
本当のことを教えてくれ。
誰も答えてくれるはずがない。ねえ神様。




