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悪魔を憐れむ女  作者: 機乃 遙
エピローグ
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エピローグ

 CIA本部は、その別名としてラングレーと呼ばれることがある。しかし、現在CIA本部が存在するのは、ラングレーではなく、ヴァージニアだ。

 ヴァージニア州マクレーン。ポトマック川を隔てて、D.C.の対岸に位置するその場所。さらにその地下奥深くで、ある処理が成されていた。実際のところそれを処理と呼ぶのは正しくはないのかもしれないが、しかしMというCIAの幹部は、処理という言い方を好んでいた。処刑とか、拷問、尋問などという言い方よりも。よっぽどスマートで、美しく聞こえるからだ。

 中央情報局の地下室。そこは、通常の職員さえも知ることがない。そもそも、どこの地図にも載っていないし、そこへ行こうにもエレベーターも階段も、エスカレーターも続いていないのだ。唯一、極秘の通路を通ってのみ、その地下室へたどり着くことが出来る。血生臭い、コンクリートむき出しの部屋だ。

 そこには、窓も何も無かった。差し込む光は、天井に吊された電球のみ。それも、不定期に右へ左へと揺れを繰り返す。その光が動く度、部屋の中の者たちの影は歪んだ。

 小会議室ほどの大きさの部屋には、七人の男女が膝立ちにさせられていた。全員灰の作業着を着せられており。後ろで手を組まされ、その上で結束バンドを結ばされている。足首も同様に結束バンドで締められていた。

 そんな処理を待つ男女の他には、一人の執行代理人がいた。黒のBDUを着た男は、肩からスリングでMP5SD6をさげていた。内蔵型サプレッサーを備えた、消音仕様のサブマシンガンだ。そして右手には、同じくサプレッサー装備のハンドガンHK45を持っている。銃口は、右端の若い男に向けられていた。

 そして、処理を見届ける男、Mは、相変わらずスピーカーだけの姿でそこにいた。部屋の天井から吊り下げられた黒のスピーカー。それが、彼の分身だ。

「やあ、諸君。おはよう。元気だったかな」とスピーカーからボイスチェンジャーを通した声。「さて、諸君は何故このような目に遭っているか、もちろん分かっているよね?」

 Mはそう問いかけたが、しかし処理を待つ七人の男女は、黙りを決めこんでいた。これからどうせ殺されるのだ。何かしゃべったところで、変わる訳がない。

「うーん、そうだ。そのとおり」と、Mは無言の中で再び喋り始める。「君らは、シンジケートという組織に荷担した某CIA幹部の命令で、フリーランスのスパイ、ルビー・チューズデイを拘束。彼女を薬漬けにして、情報を抜き出そうとした。自分たちの存在を知り、計画を止めようとしている男。コードネーム・サタンを暗殺する為に……違うかな?」

 沈黙はそのまま。M以外に口を開く者は、誰一人として存在しない。

 Mは、そんな彼らの反応がつまらなかったのだろう。ため息をつくと、それから軽い声で言った。

「ではしょうがない。終わらせてしまおう。ミラー君、初めてくれたまえ」

 すると、彼が言った途端、後ろに構えていた執行官が頷いた。

 銃口を上げる金属音。サプレッサーの先端が、まずは若い男の後頭部に向けられた。男は逃げようとはしなかった。逃げられないと、分かっていたからだ。

 そして、大虐殺が始まった。一人ずつ、その後頭部に銃弾をぶち込んでいく。淡々と。まるで、機械を組み上げる作業員がごとく。ミラーという執行官は、Mの指令通り、並べられた男女を殺していった。彼らの死体は、為す術もなく、そのままコンクリートの床に倒れていった。自らの血で作ったプール。その中にに顔をうずめ、消えていく。顔が赤く染まる。自らの血によって。一人、また一人と。

 しかし、最後の一人といったところで、Mが声をあげた。

「ストップだ、ミラー君。この男だけは別だよ」

 ミラーが銃口を上げる。そして、再び部屋の奥へと戻った。壁の前で姿勢を正し、Mの次の指令を待った。

 最後に残された男。ドナルド・マクレガー。CIA秘密工作本部の東アジア部、副部長。普段はメガネをかけた、小太りの壮年の男だ。かつてのテロ対策活動で名を上げ、副部長のポストにまで上り詰めた男。現場の最前線にいたころは、逆三角形の筋肉が自慢の青年であったが、いまやピザとバドワイザーを楽しんだ成れの果てというような姿だ。

「久しぶりだね、マクレガー君。僕のことを覚えているかな?」

「ああ、忘れもしないさ」

 と、マクレガーは部下の血を浴びた顔で、悲しげな笑みを浮かべた。

「うれしいね。マクレガー君、調子はどうだい?」

「見てわからんか? 最悪だよ。CIAの秘蔵っ子、大統領の懐刀、CIA史上最強の策士……あんたの二つ名ならいくらでも聞いたことがあるよ、M。誰も知らないシークレットセクションで、日々殺しと策謀を重ねているってね」

「おおむね正解だよ、マクレガー君。だけどね、僕だって好きでこんな残忍な手を使っているわけじゃあないんだよ。君らのような存在がいるから、こうせざるを得ないだけさ。わかるかい、シンジケートの手駒?」

 そのとき、マクレガーの額、血管が浮き出るのをMは見逃さなかった。驚いたように揺れ動く彼の筋肉。滴り落ちる汗が、血と混じり合ってピンク色に変わる。監視カメラを通し、Mはその様子をすべて記録していた。

「すべてお見通しだよ、マクレガー君。だがね、僕が気になっているのは、そのシンジケートという連中の目的。そして、君が彼らと手を組むようになった経緯さ。さあ、話してくれないかな?」

「……仮にも私は、CIAのエージェントだった男だぞ」

「ああ、知っている。だからこういう手段に出たんだ。……ミラー君」

 Mが再びミラーを呼んだ。

 電灯揺れる薄暗闇の中、BDU姿の男がマクレガーへと近づく。そして、ミラーは筋肉の塊のような腕でマクレガーを掴むと、彼の顔を死んだ部下たちへ向けた。つまり、いまさっき『処理』を終えたばかりの、新鮮な遺体たちだ。それらは、すべてマクレガーの部下だった。それらは、かつてCIA直属の研究機関に勤めていた者たち。すなわち、チューズデイを拘束し、催眠と拷問を続けていた者たち。……それも、すべてマクレガーの命令によって。

「見ろ、マクレガー!」とMは途端に語気を荒げ、「こいつらを殺したのは、君だ。あの病院にいた一〇〇名以上のスタッフを、僕は処理しなくちゃいけなかった。それもこれも、君がシンジケートと取り引きし、ミス・チューズデイに拷問などをしたからだ。分かるかい、マクレガー君。これは君が犯した罪なんだよ。君はね、それを(あがな)う為にも、僕に吐かなくちゃいけないんだ。シンジケートについて」

「し、知らない!」

 ミラーの腕に押さえられたマクレガーが、顔を真っ赤にして叫んだ。

「知らないはずは無いだろう。君は、シンジケートという組織と結託して、我々の共有財産――ルビー・チューズデイに手をかけた。それはね、許せない行為なんだよ。わかるかい? 早く話してくれたまえよ」

「わかった! わかった! 話すよ! 彼らの目的は戦争だ! やつらは企業と結託して、アメリカの敵を作ろうとしていた。兵器を売りさばくために。私は脅迫されたんだ! もし協力しなければ、家族を痛い目に遭わせると言われた。だが、協力するのなら謝礼は出すと言われたんだ!」

「彼らはどうやってコンタクトしてきた? 誰が君をシンジケートと引き合わせたんだ?」

「ジェイムズ! ジェイムズ副大統領だ! これでいいか、M! これでいいだろう!?」

「ええ、いいとも。……ミラー君」

 三度、Mがミラーの名を呼んだ。

 そして直後、乾いた銃声が部屋に響いた。六つ並んだ死体の横に、新たに小太りの死体が追加される。グレーのコンクリート床は、いまや真っ赤に染め上げられていた。

「まったく、マクレガー。君という男は」

 Mは、その様子を監視カメラ越しに見ながら、ぼそりとつぶやく。

「すべては僕が仕組んだことだったんだよ。マクレガー君。病院にいるミス・チューズデイを助けるため、銃を用意したのも。バイクを用意したのも。真の諜報活動というのは、そう簡単に足がついてはいけないんだよ、君」

 いたわるような、憐れむようなその言葉。

 まもなく、掃除人が部屋に現れ、七つの死体を運び出していった。真っ赤な血もモップで拭き取られたが、しかし完全に色が落ちることは無かった。ここで死んだ多くの者たちの血が、このコンクリートには染み着いている。それもすべて、Mによるものだ。

 そして、すべての処理がなされたところで、部屋の電気が落とされた。もはやスピーカーから聞こえる声も無い。残るのは、暗闇だけ。誰もそこで殺しがあったとは気づかない。知らぬ間に、すべてが処理される。

 だが、Mは確かに次へのステップを踏んでいた。


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