30✤要らなくない?
華やいでいたのが嘘のように静まり、誰もが気まずそうにしている。
そこでさっき話しかけてくれたおじいさんと目が合った。困惑気味なその様子から何かを知っているように見えた。
「あの女性は誰でしょうか?」
ざわつく心を抑えながら尋ねると、おじいさんは気の毒そうな表情を浮かべるばかりで私からそっと目を逸らす。
「ご領主様の愛娘でレクシー様とおっしゃるんだ。……ひと月前に婚約者を亡くされてね、ずっと塞ぎ込まれていたんだけれど、ようやく外へ出られたんだね」
「お亡くなりになった婚約者と私の連れが似ていたということですか?」
「似ているのかな……。現実が受け入れられないんだろうね、お可哀想に。あんたもひどい災難だが、どうにもならないよ」
どうにもならないと。
それは、私にできることはないという意味だろうか。
「……当人はその婚約者の身代わりになることを承知してはいないはずですが」
それは当然だろう。ロドリックは別人なのだから。
そう思うのに、おじいさんは首を振っている。
「レクシー様は魔法使いだから。彼の意思は問題じゃない。……あんたが忘れた方がいい。あんたなら、いくらでも他の男が寄ってくるだろう?」
愕然とするようなことを言われた。
当人の意思などとは関わりなく、ただ操り人形のように扱われる。それがまかり通ってしまうらしい。
「そんな……」
言葉を失っていると、知らない男性が私に近づいてきた。
私よりも二、三歳年上だろうか。どこかで見たような、つまりどこにでもいそうな風体だった。
「災難だったね。でも、レクシー様のご不興を買ったら大変だ。悲しいと思うけど、僕でよければ話を聞くよ。……少し向こうで話さない?」
「いえ、間に合っています」
きっぱりと断ったにも関わらず、その男性は私の腕をつかんだ。
初対面の女性を相手に無作法にもほどがあると驚いたものの、ここは紳士淑女が集う社交場ではないのだ。これが彼らにとっての〈普通〉なのかもしれない。
それでも、私はそんなものに馴染むつもりはない。
「そう言わずに、ね」
「放してください!」
ぞわ、と悪寒がする。これはあのチェスニー子爵に触れられた時と同じだ。
父様、兄様、キリアン――そして、今のロドリックには感じていないもの。
いつからか、ロドリックに触れられても嫌ではなくなった。安心感すら覚えてしまうようにもなっていた。
だから、離れてしまって今の私は心もとない。急に、この世界にいることが不安で仕方なくなる。普段は隠している、私の本来の弱さが表に出てこようとする。
私はなんら特別なところなどない、ただのちっぽけな人間だと思い出さされる。
ロドリックが私を大事に扱ってくれたから、それを忘れてしまっていたような気分だった。
「ぼくの連れに何か用?」
いつの間にか隣にサディアスが戻っていた。
それも、三歳児ではなくて青年の姿になって私と男性の間に割って入る。
青年の姿のサディアスは絵にかいたような美形で、男性も気後れして下がった。サディアスはそんな男性から私をひったくるようにして肩を抱いた。
――私はサディアスを男性にはカウントしないけれど。
そして、何かをもごもごと言っている男性に背を向け、サディアスは艶やかな微笑を浮べながら言った。
「ミシェル、大丈夫? じゃあ、気を取り直してお城へ行こっか」
「へっ」
私が間の抜けた声を出しても、サディアスはお構いなしだった。
そのまま、ロドリックが乗った馬車とは真逆の方、町の入り口に向けて進もうとするから慌てた。
「ちょっと、ロドリックは……っ?」
「うん? 連れて行かれたね」
事実としてそれを述べ、サディアスはうなずいている。そこには一切の感情が挟まれていない。
「ええと、放って行くのはちょっと……」
「なんで? 要らなくない?」
そのきょとんとした表情に、私の方が言葉を失ってしまう。本当に扱いが雑だ。
「お城に行ったら、そのまま王様にお願いして元の世界に戻るつもりなの。この世界に彼を一人で置いていくのはさすがにどうかと思うの」
「でも、大事にしてくれそうだったよ」
「人違いみたいだったわ」
レクシー嬢はロドリックを自分の婚約者であるエメランだと勘違いしている。けれど、ロドリックはエメランではない。
「大丈夫だよ、ミシェル。あいつは快適な生活を送らせてもらえるって」
そう言って、サディアスは私とその場から去ろうとする。
大丈夫、大事にしてくれる――なんて、納得していいわけがない。ロドリックは物ではないのだから。
「大事にするって、本人の気持ちを無視して都合よく扱うことなの? 私にはそんなふうには思えないわ」
人を大切にするというのは、その人の気持ちを尊重することのはずだ。
ロドリックは私に謝罪して、ずっと謝意を見せてくれていた。
それを私は簡単に受け入れなかったけれど、ちゃんと謝ったのにとロドリックが腹を立てることはなかった。
まだ許せないという私の気持ちを尊重してくれたからだ。
人を想うというのは多分そうしたことで、ロドリックは真剣に私を想って接してくれていた。この時になってそれを強く感じた。
――そうだ、ロドリックはそういう人だった。
仲違いする前に、幼かった彼が女の子と二人でいるところに遭遇した時のことを思い出す。
女の子は泣いていて、ロドリックがそれを宥めていた。私と兄様が誘いに来たことに気づくと、ロドリックはその子を庇いつつ私に言った。
『後で行くから、先に行っていて』
苦笑するあの表情の意味が、私にはよくわかっていなかった。それでも、あの女の子はロドリックのことが好きなんだろうなとそれだけはわかった。
想いを返せない相手でも、ロドリックは冷たくできない。
レクシー嬢にもきっとそれで、操られていなくてもきっと可哀想な女性には優しさを見せるのだ。
あの子供の頃、私はどう感じただろう。あの女の子をどう思っただろう。
思い出すのが嫌だ。
「ミシェル。あいつがいなくても僕がいれば困らないよ。ね?」
サディアスは私の心境をいまいち理解してくれなかった。
「困るとか、そういうことじゃないの。本人が望まない形で扱ってはいけないということなの」
すると、サディアスは不機嫌そうに赤い目をスッと細めた。
「あいつのことが必要?」
「えっ?」
「要るか要らないか、もっとシンプルに答えてよ」
とても痛いところを突かれてしまった。
本人の意思ではないとか、間違っているとか、そうっやって私が自分の主張をごまかしているのに気づいたからだろうか。
私がどうしたいのか、それを言わずに済まそうとした。サディアスが納得しないのも当然だ。
たったひと言に、私は震えるくらい力を込めなくてはならなかった。
「…………要る。だって私、まだ彼とちゃんと仲直りしていないままだもの」
「今までごめんなさいって言えば満足? そしたら置いてきてもいい?」
滑らかな白い髪を揺らし、サディアスは首を傾ける。その仕草が恨めしい。
「なんでそんな意地悪ばっかり言うの?」
私の使い魔だというのに、私の味方をしてくれていない。今の揺れる私の心を試すようなことを言わないでほしかった。
「意地悪かな? だってはっきりしないと身動きが取れないんだもん」
それを言われて、私は自分の方が間違っているのだと自覚した。
曖昧にしていいことではないのだ。
グッと拳を握り締め、サディアスに告げる。
「そうね、ごめんなさい。じゃあロドリックを連れ戻しに行くから手伝って」
「えー」
嫌がられた。
「ちょっと、そこは『ミシェルがそう言うなら』って返すところじゃないの?」
「そーだけどさ。行くけどさ。囚われのヤローなんて助けに行くの楽しくないよ」
「本音は呑み込んでちょうだい。さ、行きましょう」
私だって楽しくはない。勝手に帰ってきてくれるのなら行きたくない。
それでも、動かなくてはならないのなら動くしかない。
ベリスのせいで領主館にはいい思い入れもないけれど、またここに来てまで足を向けることになってしまった。
私とサディアスで対抗できるかはわからないけれど、心配ばかりするのはよそう。
覚悟を決め、坂の上にある屋敷を見上げた。




