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第25話

 ――自分が育った街、ここに足を踏み入れるのはいつ以来のことだろう。

 もう10年は帰ってきていなかっただろうか。

 あの頃と何もかも違うようで、それでいて変わらない場所もあって、不思議な気分にさせられる。


「そうか。ここが君の育った場所か」

「ああ、溝の近くさ。ここで頼まれてもいない溝掃除をしてるのが彼だ」

「ふふっ、あまりそう卑下するな」


 かつての自分が暮らした場所に、彼女がいることは本当に凄まじい違和感があった。

 褐色の肌に翡翠色の瞳。セルタリスの人間ではない彼女がすぐ隣にいて、私が育った街を歩いている。

 メタリアじゃない場所に、彼女といるということを嫌というほどに実感させられる。


「……私は、君には知られたくなかった。ここで育ったということを」


 雑多な街だ。物乞いに溢れ、停滞に満ちた街。

 この中で誰が親なのかも分からずに生まれてきたこと。

 それ自体を知られていたとしても、それを見られたくはなかった。


「そうか? 良いじゃないか。

 君の言っていた”親が分からない”ということの意味をようやく理解したような気がするよ」


 ――そんな会話を続けている中、とうとうその場所が近づいてくる。

 孤児を集めて育てる奇特な牧師が運営する教会が、見えてきた。


「っ……」


 足をすくめてしまった私の手を、優しく掴むナビア。

 言葉ではない。彼女の微笑みが私を勇気づけてくれた。

 ……今日は日曜だ。時間としては礼拝が終わったくらいの頃合いだろう。

 だから、きっと、この先に彼はいる。私の育ての親が、オルブライト牧師が、この先に。


「ッ――先生……」


 礼拝を終えた静かな時間、彼はいつも1人で教会に降り注ぐ天の光を見つめていた。

 そうするのが心地いいのだと言っていたし、同時に彼の優しさでもあった。

 礼拝に遅刻してくる者を待っているのだ。先生はそういう人だった。


「ふふっ、今日はみんな来ていると思っていたんだけれど、飛び込みかな……?」


 天の光を背にして、先生がこちらを向く。

 あの時よりも白く染まった頭髪、痩せた身体。

 そして何よりも痛々しかったのは、この室内でサングラスを掛けていることだった。


「先生、眼を、傷めたのですね……」

「その声……ああ、そうか」


 ゆっくりと先生がこちらに歩いてくる。その手には杖。

 本当に、あの時から苦労を重ねて続けてきたのだ。

 どうして、どうして、そこまで……


「――おかえり。スペンサー」

「はい、ご無沙汰しておりました、先生……」


 あの日のように、いいや、あの日よりも強く先生が自分を抱きしめてくる。

 もう、あの頃のような子供ではないというのに。

 けれど、それが本当に懐かしくて。


「元気そうで何よりだ。商会を離れたと聞いたときには本当に心配していたよ」

「……すみません。手紙のひとつも、送らずに」

「いいや、良いんだ……聞いているよ、君の活躍は。オルブライト防衛隊のことを」


 知らないと思っていた。

 世俗に疎い先生のところにまで、その話は届いていないと思っていた。


「……すみません。貴方の名前を使ってしまって」

「いいや、スペンサー。子供が名前を大きくしてくれたことを責める親が居るものか。

 おめでとう。君の願いは果たされたのだろう?」


 先生に投げかけられた問い。

 それを聞いて思い出す。この教会を去り、セルタリス商会に身を置くことになった時のことを。

 あの日、私は言ったのだ。必ず勝ってみせると。誰にも負けない富を手に入れてみせると。


「……はい。あの日に願ったことは既に果たされていたのだと」

「ふふっ、今、気が付いたのかな」


 微笑む先生に頷く。ようやくひとつの枷が外れたような気がした。

 身体が軽くなったような、それでいてどこか寂しいような、そんな感覚が身体を駆け抜けていった。


「……お嬢さん。ありがとう、スペンサーを連れてきてくれて」

「いいえ。私が見たかったのです。彼の育った場所を。彼を育てた人を」

「あまり良い場所ではないだろう?」


 先生の手を取るナビア。


「ええ。けれど、分かりました。彼を育てたのは良い人間であるとは」

「……ありがとう。なるほど、君が変えたのだな。スペンサーを」

「どうでしょう? 私は私と出会ってからの彼しか知りませんから」


 ナビアとの握手を終え、先生が踵を返す。


「お茶を用意しよう。話したいことはいくらでもある――」


 進み始めた私の肩をナビアが軽く突いてくる。


「――なぁ? 来てよかっただろう?」

「ああ、そうだな……ありがとう、ナビア。君が居なければここに来ようとは思っていなかった」


 素直に礼を言う私を前に少し退屈そうな表情を見せるナビア。

 けれど、ここで意地を張るつもりにはなれなかった。

 本当に心からそう思っていたから。


「ふふっ、良いものだな。里帰りというのは――」


 そんな風に隣を歩いてくれるナビアの横顔が、本当に美しかった。柔らかな彼女の微笑みが。

ご愛読ありがとうございました。


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