今生の名前が決まりました
ふと気が付くとナイスミドル、素敵な中年、イケオジであるところの領主に抱き上げられたまま、つい思考を手放していた。
一体どのくらい呆然としたまま時を過ごしてしまったのかよく分からないが、領主様は私をにこにこと眺め、その後ろではヒルデガルトが物凄い形相でこちらを睨んでいる。
ああ、可愛い顔なんだから、そんな表情をすると凄味が出てしまう。いや、違う、そんな顔をしてはいけない。まだ若いんだから、将来の己の容貌を見据えて、いい表情で過ごして欲しい。
ヒルデガルトの鬼の形相が、何によってなされていることかというのは、気付いてしまえば明らかなことなので、私はようやく口を開くことにした。
「あの、ひとまず下してもらえませんか」
「ん? ずいぶん落ち着いた物言いだな。なるほど、そこが人生経験というあたりなのか」
私を見ながらも、私に向けたというよりは独り言のようなそれに反応したのは、ヒルデガルトだった。
「そうよ、叔父様には勿体ない素敵な大人なわけよ。早く彼を下ろしてちょうだい」
いや、落ち着いているわけではなくて、どう対処するのがいいのかよく分からずいるだけです。
ヒルデガルトの面目を考えると、そう言うわけにも、首を振るわけにもいかなかった。
ふむ、とヒルデガルトにちらりと向けた視線を私に戻す領主様が、下してくれるのを待つしかない。
そういえば、ヒルデガルトは私のことを『彼』と呼んでいるな。と今ここで考えなくてもいいようなことが頭を過ったところで、床の上に立たされた。足が床についていることの安心感にほっとする。
そもそも、人に抱え上げられた記憶なんてない。余程幼い頃ならともかく、十を数える頃にはそういう機会はなくなるのが一般的というものなのではないだろうか。
私が対処に困ったのも、仕方がない。
大体、この体だって幼いとはいえ十やそこらの年齢に合わせてあるのだから、軽いわけではないのだ。
体重で考えれば30kgくらいはあるんじゃないだろうか。
男性にとって軽々持ち上げられるものなのかどうかがよく分からないが、先ほどの持ち上げようは、『ひょい』という感じだった。
ぬいぐるみを持ち上げるような気楽さだったと思うのだけれど、どうだろう。
ともかく、持ち上げられていた体が下ろされたので、私は一歩下がって領主様を見上げるのに楽な距離を取る。
相変わらずにこにことしている領主様の向こうでは、ヒルデガルトが頬を膨らませていた。
可愛いと思える範疇の表情に、少しほっとする。
「さて、マイディア」
「え、はい」
ヒルデガルトの相変わらずの不機嫌を、どう思っているのか、どうも感じていないのか分からない領主様だ。
そろそろマイディアなんて呼ぶのはやめて欲しいところなのだけれど、と戸惑いながら答えた私に提案されたのは願ってもないことだった。
「君の名前を決めたいのだけれど、構わないだろうか?」
「……ええ、それはもちろん」
元々、私のこの体を作らせた主、領主が決めるとなっていたことだ。否やはない。
うなずく私に、領主様も満足そうにうなずく。
ヒルデガルトは不満そうだが、この件に関しては口出しする気はないらしい。そこは次期領主で現領主の姪とはいえ、立場をはみ出す気はないらしい。いい子だと思う。
「それでは」
領主様はそう言って、改めて私の前に跪いた。
その手が私の額に乗せられる。
こうしてみると、ずいぶんと大きい手だと感じた。
同じ男性のはずの先生の手と比べても、大きい。
そして、何かを成して来た手だとも感じる。おそらくは、自ら人の先に立って事を成していくこと。それが何かと問われるなら、私のイメージに浮かんだのは、剣を持ち戦う姿だった。
何故そんなイメージが浮かんだのか分からないが、剣を持つ力を持つような手が、私の額を優しく包んでいる。
「マイディア、君はわたしの光となる者だ。どうか、ルカという名を受け取って欲しい」
ルカ。
その響きは、私の心の奥、記憶の底を甘く苦く締め付けるものだった。
瑠佳。
それが、私が私を一つの生涯を終えた女性として自覚させる名前だなどと、領主様が知るはずもない。
けれど、以前と同じ響きの名前を与えられたことが、何故かそう呼ばれる女性はもう存在しないのだと実感させた。




