第二十三話:天使はそこにいるだけで(1)
舞台袖の暗闇から、冴姫がゆったりとステージへ進んだ。
「行きましょうか。『一つの天使となって』」
歩きながらのユニット掛け声。
数歩違いで崇子が淑やかに続く。
「『歌い、踊り、羽ばたいて』」
今日は高めのヒールが、床を叩いてコツコツと。
最後は茉佑が胸に息をためて踏み出した。
「『見上げたくなる空にしよう』……!」
天使が舞えば、そこは。
遥か遠く、高い空。
黄金色に輝く光の下を。
不釣り合いの翼を広げた天使が行く。
音楽も演出も伴わず、堂々と。
一定の歩幅と歩調で、粛々と。
好奇でできた観客の騒めきは。
天使が脚を止める頃には静寂へと変わっていた。
──
衣装担当の衣笠松里は、照明眩しいステージを観客席前方の自校招待席で見上げた。文化祭の学校体育館とは違う、アリーナかつほぼプロ仕様の会場。果たして自分の作った衣装はこの場所で意味をもてるのだろうか。
ユニット衣装の色・形状ともに、曲調に合わせ靴を黒色のヒール高めに変更(崇子のみ白色)している以外で、文化祭時から大きな変更を加えていない。だがその分、徹底的に細部の出来にはこだわった。
ファスナーやボタン、肩の飾り布などを冴姫達から新たに材料費を集めてグレードアップ。白色トップスや黒色片側スカートには生地と同色の厳かな刺繍を追加。崇子のワンピースにのみ、胸部とスカートにフリルを増設した。衣装に揺れ物を足すことで体の動きをつぶさに拾い、脚を使わずとも動いて見えるようにする意図がある。
思いつく限り、丁寧に丁寧を重ねて作業した。毎日悩み、どうやって衣装で着用者に価値をもたらすかを考えた。結果、以前ほどの苦しさは感じないで済んでいる。崇子の衣装も歩行の上下動を受け取り、ふわりと揺れて動作感を演出していた。
隣に座る同科の友人が衣装を指差しはしゃぐ。
「すっごぃ、めっちゃいい! さっすが松里ちゃん!」
「……ううん。また足りなかった」
「足りない? ばっちり似合ってるのに?」
「今はね。でも……」
じっとステージを見つめ、深く息。
真の結果を受け止める心の準備をして、友人に答える。
「アイドルってね、高いところに飛んでいくんだよ」
今はまだ、翼を広げた段階。羽ばたくのはこれから。
であれば恐らく、いや確実に。
「(……がんばろう、茉佑さん。私達の居場所じゃないとしても、目指さないのは違うもの)」
松里は心の中で茉佑を想った。
どうしたって空を飛ぼうとしてしまう、同志のことを。
──
ステージ上に等間隔で三人横並びとなり、正面を向いて一礼。
第一声は中心の崇子が担う。
「天川女子高等学校アイドル部代表『偏翼の天使』です。この度はご来場くださり誠にありがとうございます。真ん中は天使部分担当。脚は悪いけど歌が上手い森山崇子です。どうぞご期待くださいね」
マイクを下ろしてニコリと微笑み。
観客が反応する前に、自信たっぷりの態度で冴姫も話した。
「偏翼の天使リーダー、大きな翼担当の龍ケ江冴姫です。色々言いたくなるでしょうけど、まずは素直に楽しんでいただければと思います」
歩いてステージに出てきての、奇をてらわない平凡過ぎる始まり。歌から入ったり、自己紹介をするにしてもBGMを伴ったりと賑やかさを作ろうとしていた他アイドル部とは大きく異なる、あまりにも飾らない自然体。
茉佑もまた、いつもの慌て調子で自己紹介する。
「ち、小さな翼担当の天野茉佑です。できることを精一杯頑張ります。え、えと、この衣装は我が校の、服飾デザイン科の衣笠さんが仕立ててくれたものですっ。ぜひ、よくご覧になってください。それでは課題曲より~~」
今日も忙しなく動く視線。しかし今日は普段と違い、所在の無さで動かしているのではない。たった一人でも『自分を見てくれる人』を探している。
茉佑の楽曲紹介で照明暗転。普通の、ありふれた時間の終わり。
煌びやかなシンセサイザーの高速イントロでライブは始まった。
ピンク色の天井照明が薄ぼんやり灯り、同時に足元で複数の通常色スポットライトが激しく点滅。ステージ上に三人の姿を浮かび上がらせる。ダンスは疾走する音楽に乗ってリズミカルに、スピーディに、艶めいて、力強く。冴姫と茉佑は全身で、崇子は上半身と簡易な脚の動きで踊る。
腕の振付もしっかりあるが、主として魅せるのは『脚』。冴姫は小生意気な表情で、高めヒールが引き締める脚に、高さをものともしない安定感で動作させた。
腰を折り曲げ、すねの辺りを手でなぞってからステップワークへ移行。ショートパンツの生足に視線を誘導し、ヒールで絞られたふくらはぎを──張りのある太ももを──みずみずしい肌を──動くための力を詰め込んだ肉体の、動いてこその魅力を見せつけた。
滑らかにうねる胴、鋭い左右腰ヒット、華麗な脚運び……。ビートに乗って曲線美と脚線美を意識させるのは、そこが顔よりも『示せる』から。歌い出しまでピンク色に薄暗いステージで、もったいぶった点滅ライトでの見え隠れ。『大人っぽく』観客を魅惑する。
煽情的、なのに下品さはなく、むしろ優雅。課題曲中でも上位の高難易度かつ癖のある位置づけの楽曲を、アレンジを極力加えず元ネタままに。冴姫にはそれができ、それが許された。
原曲を歌ったのは、ある程度著名だった現役当時からファンの間で『実力の高さに対し評価(メディア露出や売れ行き等)が不十分』と言われていたアイドルユニット。解散後も根強い人気で彼女達を惜しむ声は多く、残る映像により一般での再評価が進んだ現在では、半ば伝説的存在と認知されている。
こうした経緯から、部活動アイドルの課題曲にも一部選者の強い推薦により毎回選定されているのだが、人気がかえって足を引っ張り『安易に手を出せない楽曲』と位置付けられていた。
そのような扱いが難しい楽曲でのパフォーマンスを、冴姫はイントロの二十秒で八千人の観客に受け入れさせた。キャッチーな曲調、速いテンポ、ビートに合致したわかりやすい振付。その全てが目指す一つのねらい。観客の『気持ち良さ』。噛み合った要素のもたらす快感とノれる音楽が、客席のアイドルファンの本能を完全に呼び起こしたのだ。
訓練されたファン達は適切なタイミングで、『はいっ! はいっ!』と大きなコール。アイドルのパフォーマンスに盛り上がり、声を出し、一体となる。まさにプロアイドルのライブ風景がここに。
これを冴姫が成し得た理由はシンプル。冴姫には楽曲の魂を表現する実力があった。
スポットライトの激しいフラッシュの中、手振りくらいでしか参加できないもどかしい二十秒で崇子は思う。
「(デビューレベルの『ビート解像度』をオーディション時点で持っていた逸材。異次元のレッスン量で表現力を完成させた傑作。これが『髪にも踊らせる』、TeSseRaのMiSaKiの真の実力……!)」
目の前で踊る冴姫はハーフツイン髪をご機嫌に揺らし、アリーナの大ステージと観客の視線を我が物としている。崇子は脚に負荷のかかるダンスはできずとも、音楽的能力と審美眼は父母からのアイドル事務所相当のレッスンで鍛え上げており、故に冴姫が(事務所基準で)どれほどのクオリティであるか正確に測ることができた。
その崇子をして冴姫は『怪物』だった。
「(うわぁすんごい気持ち良さ。TeSseRaの子達も大変だったろうね。私だって、脚が動いたとしてもアレは無理だもん。解像度を身に着けるのも簡単じゃないのに、それでホントにダンスも歌も運用するなんてさ)」
冴姫の(元)所属事務所がアイドルに求めるのは、ビート(※)への高い解像度。その目でもって楽曲の魂を理解し、歌やダンス、表情等で表現すること。
(※『拍』だけでなく『フィール[感覚・感触・体感]』のニュアンスを含む)
解像度の違いは今回のパフォーマンスであれば、両腕を頭上に伸ばし体をくるりと一回転する振付がわかりやすい。体が半回転・半回転するうちに両腕を一回転・一回転の計二回転させる動作だが、茉佑はビート解像度が粗く、体はビートに当てられても腕は当てどころがわからずズレがちで、勢いまかせのガチャガチャした印象になってしまっている。
一方冴姫は体も腕もばっちりビートに当て、胴に対し顔を遅らせる操作や膝の角度調整、腕の曲げ伸ばしを追加。タメがあり滑らかでリズミカル、観客目線で名残惜しそうかつセクシー、なのに仕上がりは上品、との印象を作り、楽曲テーマの『大人っぽさ』を表現した。
この差が冴姫の特異さで、冴姫は茉佑の倍の精度でビートが視えており、更に全く外さず体を制御できる。これは所属事務所で見てもかなり珍しく、訓練によりやっと体得するビート解像度を最初から持っていた者がまず一握り。その上で歌・ダンス・表情・フォーメーション等まで完成させられる者となると、歴史の中に指折り数える程度だった。
ビートの理でもって髪の揺らぎすら操り楽曲の魂を現す、変幻自在・精妙巧緻の傑作アイドル。見え方の全ては思いのまま。実力派で売り出したTeSseRaでも、ついぞ他のメンバーの追随を許さなかったエース中のエース──。
──に崇子は、ダンスでは譲っても歌を譲る気はない。
「(待ってなよ。冴姫ちゃんの総合力は、私にとって歌だから)」
歌い出しは冴姫のソロパート。無欠のダンスに付属して良いはずがない、息切れ一切なしのクリアかつ華やかな声で、口づけや抱擁、恋の歌詞を歌い、観客の耳目をいよいよ独占。
続くパートは茉佑。練習含め茉佑にとって一番の出来であっても、観客にとっては退屈な歌声を意識から外して冴姫のダンスを見るだけの時間になった。
そして、崇子のソロ。
「(茉佑ちゃんごめん。だけど、茉佑ちゃんなら大丈夫。ちゃんとアイドルだよ)」
茉佑のためアイドル部に所属した身。真の魅力を伝えられないことに呵責はあった。あったが、手は抜かなかった。冴姫が茉佑の六十五点のパフォーマンスを、同じ物差しで測定できない別次元のパフォーマンスで切り捨ててしまったように、崇子もまた別次元の歌唱をぶつけた。
崇子のワンフレーズを聴き、冴姫が小さく笑う。
「(うん、才能ね! 不利な曲種なのに皆の意識持ってかれちゃった。……まぁいいわ、ありがたく味わっておきなさい。すぐに戻ってきてもらうんだから!)」
この楽曲はダンスミュージックで、歌唱音域の高低はそこそこ。メンバーごとのソロ歌詞割りは多いが、ロングトーンもフェイクを入れる箇所もほとんどない。つまり歌唱力をアピールしづらい曲なのだが、それでも観客に『質の違い』は伝わった。
深く厚く、豊かな声。音域の余裕と声帯・息の精密なコントロールで加える彩り。表情も一流。冴姫の歌唱がリズムや音程のような『できる範囲』を不備なく固めているからこそ、崇子が聴かせる『才能の次元』が浮き彫りになる。
崇子の歌唱もまた『怪物』。耳と心で崇子の声を味わった観客は、冴姫がいるのに『もっと聴きたい』と欲した──。
「(はい終わり! 視線、返してちょうだい!)」
──のを今度は冴姫が、歌とダンスの合わせ技で『やはりMiSaKi』と思い直させ。
「(終わらないよ? 遠くの席の人、そこからだと冴姫ちゃんは豆粒だけど、私の声はしっかり聞こえるよね)」
ソロパートがくれば、崇子が再び『これは本物』と夢中にさせる。
冴姫と崇子。二人の怪物による、プライドを懸けた観客意識の綱引き。
言葉は不要。視線と実力をぶつければ気持ちは通じた。
「(お生憎さまっ! 大型モニタがあるし、四階席でもわかってもらうために這いつくばってレッスンしてきたんだっての!)」
「(そうでしょうね。けど私はそんな子に負けたくなくて、負けない歌に仕上げたつもり)」
「(経験が違うわ! ステージ二回目のヒヨッコちゃん)」
「(こっちは歌い込みが違う。生まれた時から音楽に囲まれてたんだから)」
「(悔しいけど、アナタの歌で踊るのは気分良いわね!)」
「(そっちこそ、私よりも私を踊れそう)」
「(あはは楽しいっ! 崇子もそう思うでしょ?!)」
「(……そうだね、楽しいよ。冴姫ちゃんと、同じで)」
最終的には、およそ七対三の比率で冴姫の方が強く観客に印象を残した。とは言え、歌唱力を披露するには不向きな楽曲だったことは観客もわかっており、崇子の凄まじい健闘ぶりを記憶すると共に、適度に『もっと』とその歌声に飢えた。




