第二話:転校生はアイドル様(2)
お昼休み後半。春の陽が眩しい校舎屋上に冴姫と茉佑はいる。普段なら日焼けを気にしない生徒がそこそこ見られる人気休憩スポットだが、今日は新学期初日。新しいクラスメイトとの交流を差し置いて出てくる者はいなかったらしく、貸切状態だった。
心地良い陽気も、涼しい風も。桜咲く校庭の景色にも一切興味を示さず、冴姫は口を尖らせる。
「ちょっと歌とダンスを見るだけでなんの準備がいるワケ?!」
「それは……、その……」
「その、何?!」
「ひっ……、な、なんでもない……」
「なんなのよ、まったく」
ぐずぐずな茉佑の話しぶりに、冴姫は足をトントン動かし苛立ちアピール。
そうこうしているうちに屋上の扉が開き、崇子が現れた。
「お待たせー。御機嫌いかが? お二人さん」
片手に抱えられている、三脚付きのビデオカメラ。
冴姫は呆れた。
「何が出てくるかと思えば……。準備ってカメラ? まだ入部もしてないのに広報とか……」
崇子はいそいそと撮影の準備を進め、言葉を返す。
「それもあるけど、龍ケ江さん、見たら絶対に文句言うから」
「レベルが低かったらね」
「低いの知ってるくせに。これはそのありがたーいご指導を今後に繋げるためのもの」
茉佑の歌とダンスを見れば、冴姫は間違いなく技術的指摘をする。それを後の練習に活かすため(あわよくば広報に活かすため)、崇子はビデオカメラを用意した。
冴姫が鼻を鳴らす。
「思ったより謙虚ね。良い心掛けだと褒めてあげる」
「もうカメラ回してるよー」
「どうぞ。見られて困る生き方してないから」
「常にアイドルたれ、と。さすがアイドル様。現役の時からツンツンだったもんねー」
「引退した覚えないんだけど???」
あっという間に小さな口喧嘩を起こし、火花を散らす冴姫と崇子。
二人の間で茉佑はきょろきょろと顔色を伺い、尋ねた。
「あ、あの、龍ケ江さん、ダンスは何をやれば──」
「──動画のやつ。定番なんでしょ? ここで歌って踊りなさい」
「は、はひっ! わかりましたっ……!」
顎を動かし冴姫が指示したのは、部活動紹介ブログで公開されている、昨年夏にアイドル部がポップソング&ダンスコンクールで行った課題曲の演技。コンクールでは運営指定の楽曲リストから曲を選び演技する【課題曲演技】と、許諾協力曲(権利者が部活動使用を許可している曲)もしくはオリジナル曲で演技する【自由曲演技】とがあり、課題曲の方が『マシ』な出来だろうと冴姫は判断した。
屋上の真ん中に茉佑を立たせ、ちょっと離れた正面に三脚ビデオカメラ。カメラ両隣に冴姫と崇子。崇子が自身の携帯電話を操作し、音楽プレーヤー機能で課題曲の歌唱ナシ版を再生準備する。
「茉佑ちゃん、準備良いー?」
「う、うん!」
「じゃあいくよー、3、2、1……」
流れたのは、最新の流行から二つ前くらいの明るい雰囲気の曲。音域の上下はさほど広くなく、メロディもシンプル。歌詞は夢や希望、努力など前向きなメッセージ。いつの時代にも幅広い世代に受け入れられるものだ。
始まってさっそく茉佑は歌い踊り、冴姫は腕組みに険しい顔で見つめた。
「(踊りは下手。歌はまぁ……、素直だけど才能は無いわね)」
高校生の部活動だと甘く採点しても、パッとしない演技。冴姫はそう思った。簡単な振り付けの踊りは目立つ間違いこそないが、お手本をマネしているのが透ける見どころのなさ。歌は実力を誤魔化したり、流行りの歌い方を安易にマネしたりしていない点は評価できたが、それだけ。歌唱力や表現力はナシ。音域や声の質にも才能を感じられない。
曲が終わっても、冴姫の表情は険しいまま。
聞かなくてもわかる評価を、茉佑は恐る恐る尋ねた。
「ど、どうかな……?」
「ダメね。全然ダメ」
冴姫はきっぱり。
茉佑はガックリ。
「そうだよね……。ちなみにどの辺が──」
「──全部。ダンスは覚えた振りそのままでつまらない。魅せ方考えてないのねって。歌はそれよかマシだけど魅力ナシ。まさか歌にも踊りにも武器が一つも無いとは思わなかったわ」
「う……」
「でも、そうね。センスが無いなりに、量をこなしたってのだけはわかってあげる。息切れしてないし。あと、歌に素直さがあるのは良かった」
「えっ?! 良かっ──」
「──ま、どれも評価には程遠いけどね」
褒められる点を出したのは慰めるためではなく、現状を伝えるため。茉佑が喜ぶより早く、冴姫は続けた。
「いい? こんなレベルは『完成』じゃない。観客はアンタのセンスの無さや努力なんか知る由もないんだから、普通に『下手』で終わりなの。わかってる?」
「はい……!」
「声が小さい!」
「はいっ!」
あっという間に出来上がる上下関係。冴姫はツカツカ歩いて茉佑の横まで来て、片手でグイと背中を押して退けた。
「そっちで見てなさい」
「い、いいの?!」
「アンタが言葉だけで理解できると思ってないわ」
冴姫はカメラの前に立ち、黒の髪ゴムで髪型をストレートからハーフツインテールに。
崇子に言った。
「さっきと同じ曲をかけなさい」
携帯電話片手に崇子が応じる。
「はいはい、仰せの通りに。いくよー。3、2、1……」
音楽が始まる前から冴姫はアイドルだった。足を肩幅に広げ、瞼を閉じて集中。瞬時に伝わる『本番前』の空気に、茉佑はもちろん、崇子までもが思わず息を飲む。そして曲の再生と同時に開かれた瞳が、二人を釘付けにした。
同じであって同じでなく。茉佑と同様の振付で披露されたダンスは、動作・接続・停止のメリハリ、手足の角度・曲げ伸ばし、姿勢など全ての要素が別次元に高度なもの。淀みなく軽やかに舞う様は、背中に翼が生えていると思わせる美しさだった。
歌唱もまた高度で、曲調に合う爽やかさでありつつ、音域は余裕で伸びも豊か。声質も大変クリアで、耳のどこにもぶつからないで、頭の中に歌詞とメロディとが届けられる。
加えて、どこを切り取っても完璧な表情管理は、見るものを観客に、屋上をステージに変えた。
茉佑とは比較行為すらも失礼にあたるほど、『完成』した演技。曲が終わり、一拍遅れて茉佑は大はしゃぎ、崇子も心からの拍手を送った。
「すっっっっっごい……! コレがMiSaKiちゃん……!」
「いやー、思った以上だわ。本物のアイドル様だね」
二人の反応に、冴姫は上機嫌に顎を高くする。
「芸名は止めてって言ったでしょ。あとアイドル『様』ってのも止めて。……これで少しは理解できた? アンタがお遊戯会以下だってこと」
「は、はい……!」
かなり厳しい発言だが、茉佑は素直に返事。計画通り実力で手駒を得た冴姫は髪を解き、次のターゲットである崇子に言う。
「じゃあ次。実力を見せてちょうだい」
平静な調子で崇子は返した。
「歌だけね」
「なんでそうなんの。アイドルよ?」
「踊れないから、私」
「はぁ?」
意味がわからず首を傾げる冴姫。
崇子は表情を変えず淡々と答える。
「脚、上手く動かせないの。生まれた時から。立ったり歩いたりはできるようになったけど、ステップみたいな負荷のかかる動きは無理なんだよね」
「っ……、そんな……」
意味を察し、冴姫は言葉を詰まらせる。
続きを待たず、崇子は課題曲を再生した。
「だから歌だけ。まぁ聞いてってよ」
歌い始める寸前まで冴姫は混乱していた。『不憫』だとか、『なぜアイドル部に?』とか、考えが頭を巡って。こんな状態ではとても集中して聞けないと思った。しかし歌い出しワンフレーズで雑念は消えた。この歌声を感じたい、そうとしか思わなくなった。
綺麗で、澄んでいて、力もあって。歌詞と音の連なりに込められた心が浸透してくる。初めから曲と崇子が、二つで一つだったとさえ錯覚する歌唱。冴姫にとって初めてではないにしろ、五指に入ろうかという衝撃。
音楽が終わり、さっぱりした顔で崇子は言う。
「ご清聴いただきありがとう。感想はある?」
冴姫は静かに拍手し、口を開いた。
「……見事ね、本当に」
「お褒めに預かり光栄です」
「でもわからないわ」
「なにが?」
「こんなにできるなら動けなくたって、一人で全国大会まで引っ張って行けたんじゃないの? どうして裏方やってんの」
崇子の返事はあっさりしたもの。
「本気じゃないとやりたくないから。あと、鮮度」
「鮮度?」
疑問に対し、崇子の視線が茉佑へと動く。茉佑は目を瞑り、冴姫と崇子のパフォーマンスに浸っている。
その姿を見つめる崇子は、微笑んでいた。
「一発ネタを使うなら、一番良い場面にしたい。『ハンディがあるけど抜群に歌が上手い美少女』は、同情込みですごいウケると思う。だけど高校三年間で三回も使えるネタじゃない。だから使うのはここぞって時」
冴姫もまた茉佑をチラリ。
同意できず目を細める。
「それがこの子とってこと?」
崇子の答えは揺らがない。
「茉佑ちゃんは私のアイドルだから。プロのステージじゃないとしても、ステージに立つなら私はアイドルでありたいし、隣に立つ人もアイドルであってほしい。じゃなきゃ嫌」
「……まぁいいわ。崇子が言うなら、この子がホントにそうか見ていてあげる」
仕方なさそうに言う冴姫へ視線を戻し、崇子は柔らかい声色で話した。
「それは良かった。これからよろしくね、冴姫ちゃん。……はぁー、これでやっとダンス練習を効率化できるよ。お手本ナシはさすがに茉佑ちゃんには厳しくて苦労してたんだよね。今後は両翼としてしっかり指導してあげて」
「は? ……は?? 両翼??? 何言ってんの????」
頭上に疑問符が浮かんでそうな冴姫。
崇子は笑顔のまま。
「私は踊れないからセンターでしょ? で、冴姫ちゃんについてくる人は他にいないから必然的に、私の横に二人が並ぶ両翼フォーメーションになる」
「ついてくる人がいないって、そんなワケ……」
「あるある。とりあえず現部員は間違いないと言い切って良い。この学校でやるくらいの意気込みなら、冴姫ちゃんはポッキリ折っちゃうよ」
「あのねぇ、ワタシだって多少の許容は──」
「──あったらここにいる? いないよね??」
「ぐ……」
冴姫は言い負かされたのが悔しくて茉佑を見た。二人の話がわからず、きょとんとしている。
「……?」
「この学校でもって、この子だってそうじゃない」
崇子は首を横に振った。
「違うよ。茉佑ちゃんは、この学校『でも』やるくらいの意気込み。……って、お昼休みもそろそろ終わるし、今回は解散にしない?」
「っ……、そうね」
「じゃあ帰ろう。茉佑ちゃん、三脚とビデオカメラの片付け頼めるー?」
一応尋ねてはいるものの、崇子は返事を待たず、畳んだ三脚とビデオカメラを差し出し。
茉佑は当たり前に受け取った。
「うん……! 超特急で行ってくる……!!」
「ありがとね。よろしくー」
崇子に見送られ、小走りで屋上を去っていく茉佑の背中。
冴姫が言った。
「パシリ扱い?」
「そんな人聞きの悪い。助け合い、同意アリのギブアンドテイクだよ。小っちゃい頃から、アイドルのレッスンをつけたり家の設備を貸してあげたりする代わりに、介助してもらってるの」
「へぇ、設備。防音室とか?」
「小さ目のレッスン室だね」
「よくそんなものあるわね。バレエ教室みたいな習い事稼業のお家か、お嬢様とか?」
「両親のライフワークだからかな。そこそこのお金持ちでもあるよ」
「ライフワークって……。……。もしかして、両親が業界人だったりしないでしょうね?」
「もしかしてるね。隠居気味だけど」
少しも隠さず明かされ、冴姫の目が点になる。
「……」
それからやや大きめのリアクション。
「そういうことは先に言いなさいよ! 脚のことだって──」
「──初対面で親の威を借りるのはダサいし、私なりの戦略でもある。こうやって不意を突いた方が、驚きで精神的優位を取れて良き」
「はぁ?」
「なんて。新入りに意地悪したくなっただけー」
「どっちでも悪いわ」
「私は良い反応が見られて楽しかったよ」
向けられるジットリ目つきを崇子は笑い、校内へ。階段の手すりに片手を添えて降りた。
冴姫はその一段下を、ほぼ横並びで歩く。
「手助けが必要だったら言って」
「日常生活の範囲ならへいきー。……あ、そうだ」
崇子は何やら思いついた様子で、制服のポケットから携帯電話を出した。
「冴姫ちゃんにオススメのジョギングコースと時間を教えてあげよう」
「なに、急に。困ってないけど」
「地図送るよ。知らない土地の安全な道や時間帯、知ってて損ないと思うけどなー」
「山と田んぼくらいで何をそんな。ま、勝手にすれば」
「じゃあ連絡先教えて。携帯の」
冴姫は再びジットリ目つきになった。
「それが目的じゃないでしょうね?」
「さぁ、どうでしょう。どの道、アイドル部に入部する気なら連絡先知ってないと不便だよ。知らせる相手を絞りたいなら、なおさら」
「……わかった。わかったけど、その前に崇子のご両親の事を教えて」
「信用情報ってこと? いいよー」
頼まれた崇子は携帯電話に保存している写真を数枚、冴姫に見せた。写真館で撮られたフォーマルなものや、自宅レッスン室で楽器遊びをしながら撮ったものなど。幼少期から最近のものまで、どれも仲の良さが伝わる三人家族の写真だった。
見つめる冴姫は、口をぽっかり開けて固まっている。
「どっちも業界人ってか、そのものじゃ……」
「昔のことだよ」
崇子の父親は、名物作曲家兼アイドルプロデューサー。母親は、パフォーマンス重視系アイドルの先駆者。どちらもアイドル業界で名の知れ渡った人ながら、実力・人気・影響力等の絶頂期に『一身上の都合で』表舞台からほぼ身を引いていた。
それだけで十分驚きに値したが、冴姫にとってはさらに特別。憧れたアイドルグループのプロデューサーと、自身も連なるアイドル像の系譜を作ったアイドルだったのだから。
冴姫が固まっているうちに、崇子は言う。
「先に言っておくけど口利きはしないよ。茉佑ちゃんにだって、私が指導するくらいの距離感でいてもらってるんだもの」
「く……」
先読みされ言葉を飲みこみ、冴姫はポケットから携帯電話を取り出した。
「崇子には教えるけど、他はNGで」
「りょーかい。私のもそんな感じで。パパとママのことも週刊誌に売らないでね」
「するワケないでしょ。好き勝手書かれる煩わしさくらいわかるっての」
人気のない階段の踊り場で連絡先交換は完了。
崇子が尋ねる。
「入部の件はどうする? やっぱり大会終わりまで保留?」
「それはね。けど、今日だけは顔を出して自分で話すわ。大会後いきなり入部したいって言っても顰蹙を買うでしょ」
「そういう社会性はあるんだ」
「馬鹿にしてんの? 学生しかやってないアンタ達よりは社会経験あるわ」
「それはごもっともで」
軽口を叩き合う二人。冴姫は崇子のしたたかさを厄介には思いつつ、おおむね好意的な印象を持った。機嫌を取ろうとせず、取られずとも腹が立たない実力を持っているのが良かった。
一方で茉佑にはあまり興味を引かれておらず、さほど印象に残っていないのだった。
~~
放課後。教室二つ分程度と広い板張りダンス室に、ポップソング&ダンス部アイドル組の姿があった。練習開始時刻より二十分早く、普段であれば茉佑と崇子以外、まだ部室でお喋りしているところ。崇子が冴姫の件を伝え集めた。なお、時間的都合と正式な入部でないことにより、顧問教師は来ていない。
えんじ色ベースに白色ラインのジャージに身を包んだ女子生徒十数名が、そわそわと落ち着かない様子で、あれこれ話しながら扉を気にする。
『崇ちゃん本当なの?』『ホントホント』『なんでまたウチなんかに』『お祖母ちゃん家に引っ越して来たんだって』『へー。良かったじゃん、茉佑』『えへへ……』
ガチャリと扉が音を立て、一同の注目が出入口へと向いた。入室したのは、制服のままの冴姫。朝の教室と同じ優雅な雰囲気で部員の前に立ち、軽く会釈。話し始める。
「初めまして。本日、普通科二年C組に転入してきました、龍ケ江冴姫と申します。お忙しいところお時間頂戴してしまい、すみません。崇子さん経由でご存知かとは思いますが、皆様にお伝えしたいことがあり参りました」
代表して返事をしたのは、キャプテンを務める黒髪ショートカットヘアの三年生女子。崇子から聞いていた事情に関して尋ねた。
「入部する予定だけど、時期は夏コン後、だっけ? 理由は?」
「皆さんのお邪魔になってしまうからです。今のワタシは悪目立ちします。規定により出場できないのに、主役の邪魔になるわけにはいきません」
説明を聞いたキャプテンが振り向き、他の部員に確認。
「だって。本人が言ってるしそれでいいー?」
茉佑と崇子以外の部員達はほとんど同じ調子で。
『いいでーす』『意義なしー』『いいんじゃないですかー』
など、気の抜けた声。
冴姫は反射で眉を動かすに止め、再び軽く会釈した。
「入部後は全国優勝のため尽力いたします。どうぞよろしくお願いします」
顔を上げる冴姫に対し、部員達は目線を逸らし言葉を濁す。
『そ、そうなんだー』『いいんじゃない……?』『フェスだったら……』『やりたい人がやればまぁ……』
あからさまに明言を避ける態度。今朝の冴姫であれば、間違いなく苛立ちを抑えられなかっただろう。しかし冴姫は声を荒げるなど、感情を露わにしなかった。激しい反応にならなかったのは、『崇子の予言』という、あらかじめのワクチンがあったからに他ならない。
「(本当にあの子らだけになったりして……)」
保つことのできた平常心は、意識を(冴姫からして)つまらない部員ではなく、キラキラした目で見つめる茉佑と、ちょっとイジワルな笑みを浮かべる崇子に向かわせた。




