31話 先生、勉強を教えて!
まさか僕の人生で、寧以外の女の子に膝枕をすることがあるとは思わなかった。
「きゅ~~……」
今、僕の膝の上には、目をぐるぐると回しているであろう、タオルを顔にかけた美柑が頭を預けている。
なぜこうなったかというと、先の体育の時間に、バスケットボールが運悪く美柑の顔面に直撃したのだ。そこまで強く当たったわけじゃないから、怪我の程度で言えば少し休めば大丈夫といった感じだ。
けど、多分美柑にとっては、それなりのダメージになっていると思う。だって、美柑は僕と同じゾンビで、その体は脆い。ちょっとした衝撃でも、大怪我になってしまうこともある。僕なんかドッジボールの玉が当たっただけで肩が外れてしまったし。
(何か、前と逆になっちゃったな)
僕は、温水プールで溺れた時に美柑に膝枕をしてもらった時のことを思い出し、苦笑いしてしまった。
「レンレン~、バスケットは……?」
一応喋れるまでは回復したらしい美柑が、タオル越しに問いかけてくる。
「もうとっくに終わったよ。皆は今頃、教室で4時間目の授業を受けているよ」
僕と美柑は今、二人きりで更衣室にいる。本来なら保健室に行った方がいいのだろうけど、美柑が『レンレンの膝枕で休みたい』と言い出すものだから、こうなってしまった。
何か、クラスの皆から変に思われてそうで心配になるけど、保健室に行けばあの変態えせ教師がいると思うと、むしろこっちの方がいいやと思えてしまった。
「うう、ごめんね、私のわがままで授業サボらせちゃって」
「はは、そんなこと気にしないでいいよ。それに、今日やる範囲、というか、この学校で習う知識は、もうほとんど身についてるから」
何せ、これでも元教師だからね。わからない授業の方がほとんどないだろう。
「そっか! レンレンってば先生なんだから、頭いいもんね!? あれ? じゃあもしかして、レンレンってこれからのテスト、全部満点取れるってこと!?」
美柑がタオルを取り、思わぬことに気づいてしまったかのような、目を見開き衝撃的な顔をする。
「うっ……そ、そこは不問にしてくれないからな」
ズルをしているようなものだけど、さすがにこればっかりはどうしようもない。
「まあそうだよね。あ、別に責めてるわけじゃないよ!? 羨ましいとは思っちゃうけどね。でもそっか、なら!」
途端に、美柑は何かを閃いたかのような顔を浮かべる。
「レンレン! いや、先生! 私に勉強を教えて!?」
美柑は目をキラキラとさせながら、膝の上から僕を見上げてくる。
「べ、勉強を教えるね。まあ、それくらいなら別にいいけど」
それくらいならまあ、お安い御用だ。けど、またこうして先生みたく誰かに教えることになるとは。
「やった! じゃあ、さっそく今日やろう!?」
美柑の提案に、僕は思わずガクッとしてしまった。
「え? き、今日やるの?」
「思い立ったなら即行動だよ! それに、そろそろ忌まわしきテストがるからね……。そうだ! ましろんたちも誘おう!」
美柑はすっかり元気になり、僕の膝から体を起こし立ち上がった。
そうだ。そういえばそろそろ、うちの学校では実力テストがある。だから、勉強を教えてほしいってなったのか。
「まあ、特に予定もないからいいけど、どこでやるの?」
問題は場所だ。僕の家は当然無理だし、となるとどこでやるのか。
「それなら、私の家でやろう!」
……え? 『私の家』、つまり、美柑の家?
ま、マジですか……!?
あまりに自然と言われたものの、僕はなぜか彼女の家に上がる彼氏の心境のようなものを抱いてしまい、不安に感じてしまうのだった。
ドキドキを抱えたまま、すっかり回復した美柑とともに誰もいない廊下を歩く。そろそろ、4時間目が終わる頃だ。
「レ、レンレン、ちょっとそこ寄っていい?」
美柑が何やら股下をムズムズさせながら、近くのトイレを指さした。
「僕はここで待ってるよ」
「レンレンは行かなくて大丈夫?」
僕は別に、いや、行っとこうかな。後でまた行くのも面倒だし。
「そうだね。僕もい、……っ!? ごめん!? やっぱり僕はここで待ってるよ!?」
僕は慌てて思い直した。ダメだ、美柑と一緒にトイレに入ることなんて、もうできない!?
「……レンレンも行きたそうだけど、大丈夫なの?」
美柑が我慢しつつ、僕にそう問いかけてくる。意識した瞬間、確かに僕もトイレに行きたくなってきたけど、一緒にはダメなんだよ!?
「み、美柑。僕は……先生……なんだ。さすがに一緒に入るのはまずいよ」
今さら都合のいいことって自分でも思うけど、美柑が僕の正体が九重蓮だとわかった今、今までみたいに一緒にトイレに入るのは非常にまずい!?
「……!? そ、そうだね! じゃ、じゃあ、私が先に入るね!?」
美柑が顔を真っ赤にし、手をわたわたさせてトイレに入っていった。気まずい雰囲気が残された空間に、僕は顔を赤くして立ち尽くしてしまった。
「……っ!?」
しかし、先程感じた尿意が一気に押し寄せてきた。や、やばい⁉ 他のトイレに行くべき⁉ でも、他のトイレだってここからだと結構離れてる。
僕はつい、女子トイレの隣にある、いわば男子トイレに目を向けてしまった。
今の時間なら誰もいないから、さっと済ませれば間に合うのでは? まともな思考ができなくなった僕は、つい足を踏み出そうとしてしまった。
「何やってるの、蓮?」
「うおわぁっ!?」
急に後ろから声をかけられ、心臓が飛び出そうになった。同時に、気が一瞬緩んでしまったため、限界が近づいてしまった。
「ご、ごめんなさい、急に話しかけて。でもまさか、そこまで驚くなんて」
辛うじて振り向けば、申し訳なさそうな顔をしたましろがそこに立っていた。
「ま、ましろ? ……何で、ここに?」
僕は完全な内股になりつつ、震える声でましろに聞いた。
「あなたたちがなかなか戻ってこないから、授業が終わって様子を見に来たのよ。……というより、大丈夫? もしかしてお腹痛くて動けない感じ?」
ましろが心配げに僕に近づいてくる。ど、どうしよう。この状況から、どうやれば助かる? 美柑はまだトイレの中だし、かといってこのままここにいるとましろに不審がられてしまう。どころか、限界がきてしまうかもしれない。
こんな一見するとアホみたいなことで、絶体絶命みたいな状況に陥るだなんて!?
しかし、取り返しのつかないことになってからでは遅い。そう思い、僕は思い切って意を決した。
「げ、限界!?」
僕はもう不慮の事故を装って、男子トイレのほうに入った。慌てたところを見せれば、間違って入ったものだと勘違いしてくれることに賭けてのことだった。
「れ、蓮!? そっちは男子トイレよ!?」
ましろの言葉も聞こえないふりをし、僕は男子トイレに駆け込んだ。
…………中に男子生徒もいなく、大惨事を引き起こすことはなかったものの、僕はその後、こっぴどくましろに叱られてしまうのだった。