01話 脱兎する錬金術師
幻神歴2943年、歴史上類を見ない大規模な戦争が起きた。
否、人類側は戦争と命名したが当時の様を知ってる者はあれは天災と誰もが痛感した出来事だった。
当時何処の国も躍起になっていた召喚獣や幻獣といった超常の力を軍事転用に活用するという計画を一早く成功し覇権を奮っていた大国メネシア。
当然他国に猛威を振るって破竹の勢いで勢力を伸ばしていたがある日、術の暴発か禁術に手を出したのか、今では知る由も無いが憎悪で満ちた召喚獣が大量に召喚され一夜にして大国メネシアを滅ぼし、それだけに留まらず人間国全てに対してそれまで統率の無かった魔獣を傘下に収め、軍を率いての無差別侵攻による世界規模の大戦。
後に幻魔泣戦と呼ばれたこの天災により人間種族の生存権は脅かされるも人類側にも幻獣と召喚獣の介入によりメネシア消滅から3年という月日を経て幻神歴2946年。辛くも勝利した人類だが被害は甚大でどの国もかろうじて国体を首の皮一枚で保っている程度だった。それはあくまで生き抜いた国の話で滅ばされた国の数が圧倒的に多く、数えきれないほどの移民が大国に流れ込むも、どの国も人手不足で移民を受け入れ急速な復興作業を成し遂げる。
そして12年後の現在
幻神歴2958年01月10日
国も人も戦争の傷が癒えた今、複数の国が武器を手に政略戦争を企てる程度には回復していた。
パラミス国最南部に位置するテンゲン大樹海、此処の北部、人も寄り付かない僻地にて
パラミスの南部地方に位置するこの大樹海は貴重な資源が無く、また、土地的に重要な要素も無い上にエーテルが不規則に吹き荒れておりとてもではないが常人が長期間立ち入る事もできないことで長年人の手が加わらず自然の宝庫となっており危険な野生生物やそれを餌とする魔獣の独占する危険地帯となっている。
そんな物騒かつ不便な大樹海の一部に樹木に紛れて古めかしい今にも倒壊しそうな様の簡素な掘立小屋が場違いにポツンと佇んでいた。だがそこは無人ではなく蝋燭の明かりが煌々と照らされておりその明かりの下では珍妙な様子の1人と1匹が慌ただしく駆け巡っていた。
「おい急げっ! 夜中の内に出発しないと不味いぜっ」
人の子供と同じぐらいの背だが全身が白毛に覆われており、地肌は日焼けとは明らかに異なる褐色をしており、その姿は獣人を彷彿とさせるが明らかに異なるのが獣人と違い頭が人間身が全く無く、狼そのもので誰が見ても一目で最下級の幻獣コボルトと判明するが往来のコボルトより大分恰幅が良く、寸胴なせいで狼種特有の険が感じられず何方かというと愛嬌が持てる様相。黄金色の腰蓑と同じ素材で造られた黄金色のとんがり帽子を着こなしたそのコボルトは短い手足で荷物を抱えて部屋を忙しなく往復している。
「分かってるわよっ、あんたも手伝いなさいよ」
コボルトに急かされ返事を返すのは女性のようだが黒のローブを纏いフードを目深に被っており、更にその奥には顔の上半面に涙を零す道化を象ったアイマスクがあり、殆ど肌を隠しているが辛うじて垣間見える肌からは色白だが美肌というより全く日光に当たっていないかのような病的な白さで、胸部の膨らみと落ち着いた大人びた鈴の音のような声から辛うじて女性と判る程度だった。
その恰好は誰が見てもいかにもな魔女にしか見えない装いだった。
「どうせ全部は積めないんだから売れそうなものだけ積んでとっとと離れようぜ」
目につく物で役に立ちそうな物を片っ端から掴んでは乱暴に鞄に詰め込むコボルトに対し女性は慎重に品定めして左右の手で外見からは何の用途に使うのかすら不明な代物を手に唸っておりコボルトは呆れながらも再び急かす。
「簡単に言わないでっ! ここにあるのは錬成するのに何年も掛かった苦労の結晶なのよっ」
コボルトの言は最もと頭では理解できてもこの部屋に所狭しと乱雑に積まれてる品はどれもが彼女が血の滲む研究の成果の結晶だった。
非常時でなければ全て持ち出したいのだが今この時は時間が迫っており荷馬車に積む品を厳選しなければならない。
大事な品は勿論、今後の道程を考慮して使えそうな物、とある目的の為に長年掛けて錬成してきた換金用の品々。
だがどの品も思い入れがあり手放すのにどうしても躊躇いがあるのか彼女は選別に迷っている。
「殆どがガラクタか危険物じゃねえかっ!」
彼女が大事に思ってる品の大半が役に立たない珍品と痛感してるコボルトは人の数倍は大きい口を広げツッコミを入れてバッサリと切り捨てる
「っ!? これなんて半年も掛けて作成したエーテル不要の――」
「講釈は後にしてとにかく積んじまうぞ」
聞く耳持たないとコボルトは近くの品を適当に選び詰め込み荷馬車に運んで行く
そんなコボルトの背に女性が弱弱しい声で呟く。
「凄い品なのに―――」
「おい・・・詰め込みすぎだ、これじゃリリーがへばっちまうぞ」
彼女の抵抗で詰めるだけ詰め込んだ荷馬車には隙間無く山のようにぎっしりと荷が積まれておりそれを愛馬である鳥馬のリリーに引かせて険しい森の中駆け抜ける一向。
この荷馬車はコボルトの利用目的で購入した1人用の小さい幌無しの馬車で荷台が荷物で埋まってる以上狭い御者台に女性とコボルトが掛けて馬車を走らせるが馬より一回りも小さい鳥馬では流石にこれだけの荷物を積んで走るのはリリーの体力が心配だった。
鳥馬は駝鳥に酷似しているが雌雄共に駝鳥より二回りは大きく長毛種が特徴だが雌雄によって体質が異なっており雄なら筋肉質で悪路でも長時間走行できる持久力があり雌は雄に比べて筋肉が付きにくい体質でその代わり早馬より早く走れるが長距離は不向きと一長一短あるが2人の愛馬、リリーは雌でこの大樹海に移り住んですぐに出会い、今はいない姉、コボルトに続いて長年苦楽を共にした数少ない家族だ。
「これでも厳選したのよ。それで、討伐隊は今どの辺りまできてるの?」
リリーの体調も心配だが今は心を鬼にして彼女は馬車を走らせる。
「そうだな――二手に分かれて盗賊を追い込んでるみたいで半数は南に向かってるがもう半分はそのまま直進してる、盗賊のほうは家の近くまで逃げてきてるが速度が違いすぎる。直ぐに戦闘になるぜこれは」
そう、討伐隊は一行を探してるのではなくこの大樹海に逃げ込んだ盗賊の集団を追っており、2人は争いに巻き込まれないよう避難中で、攪乱と痕跡を消す為に家にわざわざ高値のする油を撒いて火を付けるほどの念の入れ様だっだ。
数日前にコボルトから買い出しの際に得た情報でこのテンゲン大樹海に盗賊の集団が逃げ込んだという事は伝えられていたが距離が離れており安全と放置していたのだが今日になって討伐隊の追い込みから逃れるためか急遽2人の家のほうに進路を変えたとコボルトが息を切らせながらも確認してきたのでこの有様だ。
状況を確認しようとするも常人より聴覚は鋭い彼女だが今の状況では馬車の走行音で状況を把握できないのでコボルトに尋ねるとまるで目の前の出来事のように詳細を把握して伝える。
コボルトの特徴で森林等の人の手が介在しない場所だと個体の能力差にもよるが知覚することができ、その能力で状況を伝える。
そしてそれはまだ安心できない結果でもっと距離が必要とリリーを急かす。
「そう・・・まったく、なんでこんな僻地に逃げ込んでくるのよっ! ああぁ、これからどうしよう・・・」
御者台の上で女性は外見に反して子供のように取り乱し頭を抱えて今後の行く末を想像して弱音を吐く
彼女は長年隠居生活をしているが研究一筋でこのような非常事態に遭遇するのは初めての事で軽い錯乱状態に陥っていた
「どうせおめぇの運の悪さが原因なんだろ。兎に角できるだけ離れようぜ、戦闘になったら逃げだす奴らがこっちに来るかもしれねぇ」
コボルトの冷静な助言によりとりあえず悩むのは後にして一刻も早くこの場所から離れる事を優先する
「・・・そうね、―――今はまず安全第一よ。リリー、悪いけどもう少し頑張って」
リリーの頑張りによって一先ず一息付けるとこまで離れた一行はリリーに休息させて腹ごしらえを済ませ自分達も食事を、と積み荷を漁り食料を確認するコボルトだが明らかに少ない食料に悪態を付く。
急遽の避難とはいえ家には2週間分は保存食があった筈だが積み荷は心許ない僅かな食料しか無く彼女に向けて問い詰める。
「はぁ?! おめぇ! 食料がこれだけって、5日分もねえぞ?!」
「しょうがないじゃない。道具で荷物一杯なんだから」
「こんなガラクタより食料のが大事だろうがっ!!」
「大丈夫、なんとかなるわよ。いざとなればその辺の雑草でも齧ってれば飢えは凌げるわ」
「また暫く雑草で耐えるのか・・・まったく使えねぇ仮主だな!」
家計が頻繁に赤字になる2人はよく雑草のお世話になっており家の付近の食べられる薬草や香草は取り尽くしており、今やなんの効能も味も無い雑草をなんとか彼女の調理の腕で誤魔化す事が間々ある。
ちなみに仮主とはそのままの意味で本来のコボルトの契約者は女性の姉にあたる。
コボルトと契約して得る力は未開地での探査要員と鉱石の発掘だ。
幻獣とはいえ狼の精霊種族に属するコボルトは戦闘能力の殆どない最下級の幻獣なので契約は容易だが長期契約には向いていない。
その理由が定期的に新鮮な牛の乳を捧げなければならず、またコボルト自身が鉱石の銀を好み、気を抜くと契約者をほっぽり出して銀の発掘に専念してしまうという精霊種らしい奔放振りなのだが、このコボルトは契約時に無茶難問を吹っ掛けられ実質ほぼただ同然で酷使されている。
「文句があるならあんたが狩りすればいいじゃない」
「馬鹿野郎、家の近くならなんとかなったがこの辺りは物騒な生き物やそれを餌にする魔獣がいるんだよ。怖いじゃねえか。それに火もねぇのに狩った所でどうすんだ? 生で食うつもりか?」
コボルトの指摘通り深夜の森の中だというのに火を起こしていない。
火元が無いわけではなく警戒の為だ。
警戒なら火を焚いて獣除けするのが常識だがこの辺りの森では獣より厄介な魔獣がおり、火なんて起こそうものなら魔獣に此処に人間が居るから襲ってと宣伝してるようなものだ。
魔獣に対してまともに自衛の術がないのでせめてもと火を焚かず、獣除けに熊や狼の体液を周囲に撒き散らしている。
ちなみにこのコボルトは野生をどこぞに忘れてきたのか幻獣とはいえ狼種族なのに生肉は受け付けないという舌が肥えたコボルトである。
そんな状況なので料理の腕には自信がある彼女でも流石に狩猟した獣肉を火も使わず生で頂くのは無理と諦める。
「――大人しく食べられる野草や木の実でも探しましょ、この近くで」
持ち出した食料はなるべく温存の為に、魔獣に怯えて月明りでも馬車が視える範囲で食料を探すもそう都合よくあるわけもなく、初めてみる明らかな警告色を放ついかにもな草や実しか見つからず、それを口にするぐらいなら、と最早慣れ親しんだリリーの干し草や青草を調理する事になり唯でさえ疲労と不安で胸一杯の2人は更に空気の重い食事風景となった。
リリーの食料を本人の目の前で最早慣れた手つきで調理する様をリリーが無言で見つめる中、火が無いのでいつもの草スープではなく、草をお手製の香辛料で味付けして細かく千切った黒パンと一緒に水に付けて香料を垂らして完成の冷やし草スープだ。
女性が草スープをスプーンでちまちま掬っている哀愁漂う様にコボルトが場の空気に耐えられず今後について切り出す。
「それでどうする? ここいらで人の寄り付かない辺境なんてないぜ」
錬金術師も幻獣も世間では認知されてるので人目に出ても問題は無いのだが彼女のとある事情により長年隠居生活を過ごし、コボルトとリリー以外と交流を取っていない彼女は益々人目を避けるような生活をしてきたがこれを機に移住を考える。
騒動が落ち着いてから大樹海の他の地に移れば今までの生活は保てるかもしれないが彼女にはコボルトと話し合い、ある目的の為に近年只管に錬成に励んでいたのだ。
「そうね・・・船で大陸渡るのはいざという時逃げられないから無理だし・・・」
船はおろか海すら実物を目にしたことの無い彼女だが書物の知識を頼りに今後について熱考し、コボルトにはこの先の彼女の選択が薄々判っているようで彼女の様子を黙って見つめている。
「仕方がないわ。まだ不安だけど予定を繰り上げてどこか人里で店を出しましょう」
「お! やっとその気になってくれたか。どこに店を構えるんだ?」
自分の店を出し自分の錬成した魔道具を世間に広めたい。
しばらく前からコボルトと話し合っていた彼女にしては大言壮語な目的だが
自分は錬金術を存分に追及し、コボルトは商売を満喫したい。そんな2人の目的が重なった理想だった。
「んん~。―――遠いけどシャルマーユに行こう。あそこは強国で戦争は滅多に起きないって姉様が言ってたわ」
「シャルマーユか、一番近い町でも3週間は掛かるが俺っちも賛成だ。この国も最近やばいらしいからな」
加えてこの地を離れる後押しとなるのが戦争が予想されていた。
現在地の国パラミスは去年から他国に領土侵犯を繰り返しており戦争も近いと、テンゲン大樹海の麓の寒村でも噂されており、税の徴収が極端になり村もひっ迫していたのを彼女はコボルトから聞いていたので内心不安しかないが人前に出ることを決意する。
(そうよ。この森のどこかに移り住んでも戦争が起きればなにが起きるか分からない、それなら安全・・・だと思うシャルマーユに行けばいいのよ)
当然シャルマーユの他にも大小様々な国があり中には彼女にとって住みやすい国もあるだろうが錬金術以外の知識に乏しい彼女は昔姉から口伝で聞きかじった国しか選択肢は浮かばなかった。
「けどよ、店出す金はどうすんだ? 予定ではおめぇの錬成で金になりそうなの処分して店出すつもりだったけどよ、シャルマーユだとここより何かと金が掛かるぞ?」
「ううぅ・・・悔しいけど私のコレクションも資金の足しにするしかないわ・・・それでも足りないようなら露店とか行商という手があるからなんとかなるわよ」
コボルトの現実的な疑問に彼女は自分のコレクションを手放す覚悟も示すができればそれは避けたいのが本音だ。
彼女のコレクションは値段より希少性が高い珍品で使い勝手がすこぶる悪いがどれも彼女の琴線に触れた品の数々でコボルトもそれは承知なので彼女の覚悟を本物と見る。
当初の予定では大樹海で入手した素材を錬成して換金に向いてる回復効果のあるポーションや稀に見つかる2級品のクズ原石を適当な原石に錬成し直した品を売ってパラミスの田舎に分類される町で店を建てる計画だったが不況が続くパラミスよりシャルマーユのほうが何かと値が張るのは理解できるので代替案として行商も視野に入れる。
「工房に引き籠って接客は俺っちの役割って話だったろ。行商なんておめぇにできるのか?」
「できるわけないじゃない。その場合私は人の少ない所で野宿しながら錬成頑張るから行商は任せるわね」
情けない台詞を胸を張ってアイマスクの上からでも判るドヤ顔でふんすと言い張る彼女の態度が気に入らないのかコボルトが一方的な吊り上げ交渉でその様を崩す
「幻獣使いが荒すぎるぜ・・・行商するなら売上の6割は貰うからな」
「っ!? 仲良く折半って話だったじゃない!?」
一瞬にして先の余裕の顔を崩しコボルトに詰め寄るがアイマスクの泣いてる道化の様相は正に今の彼女に似合っていた
余談だが仲良く折半という話だが商売の知識なんて欠片もない彼女を言い包めて経費や雑費、しまいには全ての税金など掛かる費用は全て彼女の負担にし総売上額だけ見てそこから仲良く折半という大変コボルトに都合の良い折半だが知識の無い彼女が悪い。コボルト曰く商人を目指すなら良く解らんガラクタ作るより最低限の商売の基礎でも覚えろとの事
「そりゃ店での話だ。不満なら自分も行商手伝え、それなら折半でいいぜ。まぁもっとも? おめぇさんにできればの話だがな」
「っく・・・できないの知ってる癖に・・・」
「なんにせよ無事シャルマーユについてからの話だろ。シャルマーユは広いからどの町にするかも考えなきゃいけねえしな」
「それもそうね」
有難くない食事と休憩を終えた2人はこの場での野営は危険と明け方までリリーに頑張って貰い、できるだけ距離を稼ぎつつ大樹海の南部の麓まで到着し、短い時間の仮眠を取って遅めの昼食にリリーのご飯を調理して干し草スープを食べた後に移動の前に近くにコボルトの行きつけの村から教わった別の村があるらしく、そこで物資の仕入れとシャルマーユについての情報を仕入れるという話になったがいざ人前に出るとなると及び腰になった彼女はリリーの番をしてると言い逃れリリーと共にコボルトの帰りを待つこと数時間
「―――まだかしら。こんな所で私一人置いてくなんてなんて薄情なコボルトなの」
彼女の理不尽な独白に相槌を打つようにリリーが嘶くと暫くの間鳥馬相手に一方的にコボルトの愚痴を零すという光景が物言わぬ草木が眺めること暫く、漸く前方から大荷物を抱えたコボルトが姿を現す
「戻ったぞ~」
「遅いわよっ! それで、どうだった?」
「リリーの飯は買えたが俺っちらの分は一週間分ぐらいしか買えんかったわ。もうこの辺りまで戦争の影響出てるな、物資は軍に徴集されてほとんどねぇし、あっても滅茶苦茶たけぇ。後のこと考えて出費は抑えるべきだろ」
生活費はコボルトが管理しており買い出し等全てコボルトの仕事だったが日増しに相場が上がり今では倍以上の値だが、それでも物資の供給不足でなんとか買い揃えられたのは一週間分と心許ない
ここで資金を余分に出費するより道中で自給自足してでも少しでも自分達の店の為に資金は抑えとくべきとコボルトの判断に彼女も同意する。
「そう・・・少しでも買えただけ良かったわ」
「だがよ、情報のほうは結構収集できたぜ」
「おお~。どんなの?」
買い足した食料を馬車に積みながらコボルトがシャルマーユについての情報を集められたと報告すると彼女は大げさに感心し小さく拍手しながら続きを促す
「シャルマーユはここと違ってどの町や村でも税は変動しねぇらしいからどこで店構えても差はねぇとよ。だが首都は人が多すぎるし物価も高いから端から除外するとしてだ、此処からだと最寄りの町テスラとは真逆の北に進路を取ることになっちまい道中での補給はできねぇがルルアって所が俺っちらにとっては無難だな。此処から直進すれば一月程で行けるが反対方向のテスラで補給を挟むと倍は掛かるからテスラには寄らないほうがいいだろ、それにテスラは隣国との窓口だけあって出入りが多くなにかと制限もあるらしいから俺っちらには不向きだろ」
「ルルア・・・たしか渓谷が綺麗な所だって姉様が言ってたわね。その近くかしら」
彼女は昔姉から聞かされた絶景が拝めるルルアという地名を耳にし其方に意識を集中させるが常人なら税の統一という偉業に重きを置くだろう。
パラミスは勿論人間が治める国は何処も領地によって領主が税を決めており、税は変動するのが当たり前で主要都市や名産地と寒村では税率に大きな差がありそれが常識だった。しかし税率なんてお構いなしの彼女はその異常ともいえる偉業に関心は無く、姉が素晴らしいと言っていた風景を妄想するのに忙しく、そんな彼女を後押しする様にコボルトが更に続ける。
「ああ、ルルア渓谷から20㎞程の所にある町だが重要拠点が近くにねぇから人口は他の町に比べて少ねぇし異端審問官も滅多に寄り付かねぇとさ。それに渓谷ならおめぇの錬金に必要なもんがなにかとありそうだろ?」
「凄くいいじゃない! そこにしましょう」
彼女の二つ返事にコボルトは計画通りと内心ガッツポーズを取る。
嘘は言ってないが仕入れた情報の全てを伝えたわけではない、ルルア渓谷はテンゲン大樹海同様に低級とはいえ魔獣等が生息しているのだがここで少しでも懸念事項を伝えてやっぱり引き返すなんて言い出したら叶わないと敢えて伏せていた。
そして彼女の食い入れ様から大丈夫だと判断して唯一にして根本的な不安要素を切り出す。
「だが問題も有るんだよ・・・ここと違ってシャルマーユはどの地も管理が行き届いてる分店を出すには組合に登録して許可を貰わなきゃ駄目らしい」
「組合? 登録? なにそれ」
パラミスでは適当な土地を購入して店を出す計画で手続きや手順等不要だった。
シャルマーユも同様だと考えていた彼女だが初めて聞く単語に疑問を口にし首を左右に振るがそれで驚かされたのはコボルトだった。
幾ら辺境での隠居生活とはいえ自分の職業の組合についてすら知らなかったとはコボルトも思わず、そんな当たり前の常識を問うことも無かったがここにきて彼女の常識不足が早速露わになる。
「ったく。これだから錬金馬鹿は・・・各職業には大抵組合ってのがあってだな、おめぇの場合錬金術の工房を構えるから錬金術師の組合、錬金術教導組合だな。ここに登録して身分を明らかにしねぇと店を出せねぇってわけだ。登録の条件や費用なんかは其々の組合で変わるらしくてそこまでは聞けなかったが・・・おめぇさんで登録できるか怪しいぜ」
そこまで言い放つとコボルトは彼女の全身を下から上へと見渡し顔に視線を止める
ローブで全身を覆い顔には道化のアイマスク、どう見ても不審者なそれに彼女も自覚があるのか、わたわたと慌てふためきながらもなんとか打開策に思案を巡らせるが良い案は出ず、その間に保存食を持ち出し夕食を済ませるが食事中も彼女は思考に耽りコボルトの問い掛けにも曖昧だった。
そんな彼女を放置して獣除けの準備をして野営の準備を進めているとやっと彼女が口を開くが・・・圧倒的な知識不足な彼女から出た解決策は酷く場当たり的な作戦だった。
「っぐぅ・・・閃いた! 組合とかそんなの無視してこっそり店出しちゃえばばれないんじゃないの?」
「――税の統一なんてやっちまう国だぞ? そんなに甘くねぇだろ、それに万が一ばれたら異端審問の馬鹿だけでなくシャルマーユの兵にまで目をつけられちまうぞ」
彼女のあまりにもな案に即答で切り捨てる。
彼女同様隠居生活をしていたコボルトだが買い出し等で多少とはいえ人里と交流があるだけにシャルマーユの徹底管理振りを朧気にでも察していたのでその策を止める。
「むぅ~――そうなの?」
彼女的には妙案だったらしくそれを否定され策無しと素直にコボルトに丸投げするがコボルトもこの件については現地で確認しないとどうしようもないので結果行き当たりばったりと落ち着く。
「ここで悩んでも仕方ねぇ。とにかく現地に行って駄目そうだったらその時考えようぜ」
「こんな身形で身分の証明なんて無理に決まってるじゃない・・・そうだ! あんたが店構えたらいいじゃない」
「・・・・・亜人やら幻獣の国でもねぇ限りどこの国でも幻獣が店出すなんて言ったら珍しがられてどこぞの研究機関に連れ去られるのが落ちだろ」
「そうなの?」
それ以前の問題で錬金術師でもないコボルトに許可が出るわけもないのだが此処で常識を説き伏せるより現地に連れて行って体で覚えてもらうほうが手っ取り早いと匙を投げるコボルト
「おめぇはまず町に着いたら世間の常識を叩き込め。ガラクタの製造よりよっぽど有意義だろうよ」
「失礼ね。私だって常識ぐらい弁えてるわよ、それに! ガラクタじゃないって何度も言ってるでしょ!!」
「あぁ~はいはい。ガラクタじゃないなら幾らで売れるか楽しみだな、さっさと寝て明日の早朝には此処を出るぞ」
通貨の換金率も果物1つの値段も知らない彼女の常識等これほど当てにならない物は無いと鼻で笑って寝具も無しに草の生い茂る地面に横になる
ちなみに換金用の道具以外は初めから当てにしていないのでコボルトからすればガラクタ同然なのは言うまでもない。
「なによ、今に見てなさいよ。――ねぇちょっと、今日は寒いから一緒に寝てよ、あんたフサフサで暖かそうじゃない」
今朝もそうだったが今日も地面に雑魚寝となる。
今まで必要無かった野営用の寝具の準備なんて当然しておらず、避難時には僅かな食料と彼女の錬成品を詰めるだけ積んだので寝室の寝具すら失念していたのだ。
コボルトの仕入れでも寝具は入手できなかったのかはたまた高くて諦めたのか、無かったのでコボルトに習ってその場で雑魚寝するが今朝は疲労と緊張感から気にするまでもなく寝付けたが今は落ち着いているので肌寒さを感じコボルトに甘える。
なにせ目の前に自前の天然の毛皮の塊がいるのだから
「お断りだ。リリーにでもしがみついてろ」
「ケチ」
翌朝コボルトが目を覚ますと本当にリリーに抱き着いて呑気に寝ている彼女とそれに困惑して恐らく睡眠の取れていないリリーを目にして起きたらまた説教してやろうと決めたコボルトだった。