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第4話

 翌週の土曜の朝早くに雛希はベッドを飛び出した。冷え込む朝の寒さも何のその、急いで朝ご飯を食べて身支度を調えると、昨晩用意しておいた荷物を持って玄関まで駆け下りてきた。

 朝早くからドスドスと響く音に、まだ寝惚け眼の父親が何事かと起きてきた。

「何だぁ? こんな朝早くからどこ行くんだ?」

「友達と会う約束してるの!」

「それにしたって……まだ八時過ぎだぞ?」

「いいの、お店が開く前に行かなきゃいけないんだから!」

 何処へ行くのかと聞き返す父親の言葉を無視して、雛希は玄関を飛び出した。



***



 八時四十五分。雛希は目的の建物の前に到着していた。

 早めに家を出たおかげで、のんびり自転車を漕いでもこの時間。遅刻したらとんでもなく怒られそうだ。そう考えて昨日の夜は十時前に布団に入った。

「さて、行くか」

 自転車のカゴに乗せていた荷物を持つと、雛希は建物の中へと入って行った。



 まだ九時前というだけあって建物内の店舗は全て営業していなかった。しんと静まりかえる屋内は朝陽が入って明るいといえど少し不気味に見える。

 建物の中央に位置する階段をゆっくり登ると、目的のニットカフェが見えた。看板はもちろんCLOSEになっている。

「勝手に入っていいのかな……」

 店の前で数秒考えた後、雛希は軽く深呼吸してから入口の取っ手に手を掛けた。



 カラン――と音がした。扉の上部に付けている鈴が鳴ったのだ。予定表を見ていた高槻は、その音に気付いて顔を上げた。

「お、おはようございます」

「おう」

 遠慮がちに顔を覗かせた雛希を見て、高槻は立ち上がった。

「入ってもいいですか?」

「いいに決まってんだろ」

 約束をしていたから入っていいに決まっている。それでも何となく気まずくて、雛希は高槻に確認をした。

 高槻から許可を貰ってホッとし、店内に足を踏み入れる。外の寒さとは違って暖まった空気に、少し緊張がほぐれたような気がした。

「た、高槻君」

「ん?」

「今日はどうぞ宜しくお願いします!」

 コートも脱がず、荷物も持ったままで雛希がガバッと頭を下げる。

 いきなりの事に驚いた高槻はぎこちなく返事をした。

「お、う」

「これ!」

 高槻の返事が聞こえたので雛希は顔を上げると、そのままの勢いで今度は思い切り手を前に突き出した。

 さっき自転車のカゴに乗せていた荷物だ。

「見て!」

「は……」

 勢いに押されて、高槻は恐る恐るそれを受け取った。生成りの袋の中に、もじゃもじゃとしたものが入っている。

 高槻は袋の中身を見てから視線だけを上げて雛希を見た。目が合うと、何を意味しているのかは分からないが、雛希はこくんと頷いた。

 取り出せ……と? 高槻は覚悟を決めると、袋の中身を取り出した。

「何だ、これ……」

 もじゃもじゃの毛糸がかろうじて形を保っている。幅は約20cm位、長さはその4、5倍位の……これは……まさか……。

「マフラーです!」

 高槻が確信を口にする前に先に雛希が言ってしまった。

 雛希は足下に視線を落とすと、沈んだ面持ちで先を続けた。

「それが先週言ってた、小学生の時に編んだ物です……下手でしょ」

 雛希のマフラーを見た途端、高槻の表情が曇ったのが分かった。あからさまに「なんだこの得体の知れない物は」という顔をしたのを見て、恥ずかしさすら吹っ飛んだ。残ったのは悔しさだけ。

「……下手でしょ」

 さっきと同じ事をもう一度言う。下手だというのは自分でも嫌になるくらい分かっている。それならば言われるより先に言ってしまえと思っていたのだ。

 案の定、高槻は雛希の編み物の下手さに驚いている様子だ。言葉も出ない程に。

「そんなのしか編んだ事無いけど……私も上手くなるかな」

 酷く落ち込んだ声だった。雛希は俯いたまま高槻の返事を待っている。

 高槻はそれ以上何も言わなくなった雛希を見て、そしてマフラーを見た。

「大丈夫だろ」

 考えた末の言葉は簡単に口に出た。

「え? 本当に?」

 顔を上げた雛希は高槻に疑いの目を向けた。このマフラーの出来を見て、自分があの高槻が編んだ――一目惚れしてしまったような可愛い手袋を編めるようになるとは到底思えなかった。

 高槻は雛希のマフラーをテーブルの上に置いた。

「俺もこんな感じだった。最初の頃は」

「えっ!? 高槻君がこんなガタガタのマフラー編むの!?」

 あんなに可愛い手袋を編んだ高槻がこんなガタガタの物を編んだ事があるとは信じがたい。雛希が小学生の時でさえ、周りの友人達でもこれ程下手には編んでいなかったのだから。

 高槻はテーブルに置いたマフラーに乗せた手の平を滑らせるようにして、マフラーの上をなぞった。本来なら綺麗に一直線になるマフラーが上下に歪んでいる。凹凸のある編み目が高槻には何だか懐かしく思えた。

「俺だって初めから上手かったわけじゃない」

「それはそうだけど……」

「まぁ、ここまで下手でもなかった」

 鼻で笑われて、雛希は少しムッとした。分かってるもん、と口を衝いて出たのは少しだけ残っていたプライドのせいだった。

「それにこれ編んだのって小学生の時だろ? 今ならもっと上手く出来るんじゃねぇの?」

「そうかなぁ……」

 テーブルに置かれたマフラーを見て、小学生の時と同じレベルだったら……と思うと余計に自信が無くなる。

 そんなガタガタのマフラーから目を上げると、高槻の横顔が目に飛び込んできた。

 窓から差し込む朝の暖かい光が、高槻の顔を照らす。

「うわっ……」

 思わず声が出た。小さな声だったので、未だマフラーを見ている高槻はそんな雛希には気が付いていない。

 高槻君が格好いいって事、すっかり忘れてた――――雛希はこの時、初めて高槻の顔を至近距離でまじまじと見て、その横顔に釘付けになった。

「じゃあ始めるか」

「えっ? あ、はい!」

 いきなり振り向いた高槻に驚き、雛希は変に裏返った声で返事をした。それを特に気にする様子もなく、高槻は用意をするためにと店のカウンターの所へ向かった。

 カウンターの上に置かれていたカゴを提げて戻って来ると、高槻がそれを雛希に渡した。

「練習用に要らない毛糸とか用意しておいたから。用具持ってないだろ」

「あ……うん。持ってないです」

 小学生の時は学校の備品の編み棒を借りていたので、雛希は編み物の道具を所持していなかった。

 道具の事なんてすっかり忘れていた。高槻にお礼を言いカゴを受け取る。カゴからぴょんと飛び出している編み棒が二本と赤い色の毛糸玉が三つ入っていた。

 高槻が雛希に話し掛けながら入口の方を指差した。

「コート掛けはそっち。荷物はここに置いて」

 指差された入口横のコート掛けに上着を掛けると、戻ってきて指示されたカゴに荷物を入れる。それを足下に置き、椅子に座った。テーブルは二人ずつが向かい合わせになるような四人席になっている。高槻は雛希の隣に座ると持っていた本を開いた。

 初めの方のページを開き、高槻は黙り込んでそのページを読み始めた。

 雛希は何も言わずじっとその様子を見ている。というよりも、まさか高槻が隣に座るとは思ってもいなかったので、実は驚いて……緊張して固まっていた。

「じゃあ今日は基本からやるけど、お前どこまで覚えてる?」

「覚えてるって……?」

 高槻に言われた意味が分からず、雛希は不思議そうな顔をして首を傾げた。

「小学生の時に編んだろ、あれ」

 高槻の視線がテーブルの上のマフラーに向かう。雛希もその後を追って、自分のガタガタのマフラーを見た。高槻の“あれ”とは、そのマフラーの事だ。

「お……覚えてません……」

「全然?」

「うん……」

 質問の意図を理解したので答える。雛希はバツが悪そうに高槻から視線を逸らした。

 いくら小学生の時とは言え、そういうのって普通記憶に残っているのだろうか……と考えると恥ずかしくて、覚えていないと言う事が憚られた。

 が、高槻は全く気にしていない様子でさっき開いたページをずいっと雛希の前に差し出した。

「じゃあ本当に最初から。まずは棒針の持ち方からやるから」

「うん」

 高槻は用意していた自分の編み針を手に取った。

 雛希も高槻に倣い、カゴに入っていた編み針を取り出す。昔はとても大きくて長く感じた編み針が、今はそれほどでもない。懐かしさに胸がわくわくしてきた。

 高槻がカゴから毛糸玉を取り出す。三つ入っていた毛糸玉のうち一つを雛希の前に置いた。

「まず作り目から」

「作り目……」

「毛糸をこれくらい取り出して、輪を作って、その間に毛糸を通す」

「輪を作って……通す……」

 高槻の言った事を繰り返し、呟きながら見よう見まねでやってみた。作り目の一つ目の輪が完成した後、実際に編み針を使ってその先の作り目を編んでいく。練習用にマフラーを編んでみると言う事で、そのために三十の目を作ったら完成となる。

 左手に毛糸を掛け、右手に持った編み針でその毛糸を掬って行くのだが――。

「ちょっ……ちょっと待って! もう一回! もう一回やって見せて!」

「お前なぁ……さっきからもう三回目だぞ」

 そう言うと高槻は呆れて溜め息を吐いた。

 作り目が出来ないと編み物が進められない。基礎になる部分だ。そしてその基礎の“き”にすら入っていない状態で雛希は躓いてしまった。

 一生懸命見ているのに……何が違うんだろう。雛希は高槻の手元も本も、注意深く見たつもりだった。それでも何故か作り目がうまく作れない。雛希は編み棒を膝の上に置いて編み棒から手を離した。

「ごめん。わざとやってるんじゃないの。真剣に見てるつもりなんだけど」

 掠れてしまいそうなくらい小さな声が出た。雛希は肩を縮めて俯いた。

 下唇を噛んで拳を握り締める。不器用すぎて悲しくなる。始めたばかりだけど、こんな所で躓くなんて思いも寄らなかった――いっその事、諦めてしまおうかという考えが頭を過ぎった時、

「悪い。言い過ぎた」

 テーブルの上に編み針を置くと高槻は身を乗り出して雛希に近付き、ぐいっと両手の手首を持ち上げた。

「へっ!?」

「まどろっこしいから、こうやって教える。ちゃんと見て覚えろよ」

 高槻は目を見開いて驚く雛希を全く気にもせず、強く握られた雛希の拳を開いていく。

 左手にあっという間に毛糸が掛けられ、右手に編み針を二本まとめて持たされた。分かりやすいようになのか、ゆっくりと始めの作り目の輪を作って見せる。輪の作り方は何とか理解したので頷くと、その輪を編み針に通した。

「ゆっくりやるから。分からない所があったら言って」

 高槻に動かされるまま、雛希は操り人形のように手の動きを高槻に委ねた。

 左手の指に交差するように掛けられた毛糸を編み針が掬って動く。一つ目の作り目が完成した。

「分かった?」

 雛希に合わせて屈んでくれていたのだろう、同じ高さで視線が交わる。頷く事も言葉を発する事も出来ずにいると、高槻はもう一度、たった今した動きをもう一度やってみせた。それも、更にゆっくりと。

 雛希は一生懸命に高槻の手の動きを目で追った。数回それを繰り返した後、雛希の手に自然と手に力が入る。それを感じて、補助していた高槻の手から少し力が抜けた。

 高槻の手の動きを追うように、雛希の手が動く。二回……三回……五回目の時、高槻はそっと手を離した。

 六回……九回、十回。雛希は一人で作り目を十作り上げた。

「でっ……出来た!」

 編み針に十数個の作り目が出来ている。雛希はそれを見て声を上げた。

「ねぇ高槻君! 出来たよ!」

「おー、良かったな。じゃあ忘れないうちにそれ外してもう一回始めからやってみて」

 言われた通りにすると、さっきまで何故出来ていなかったのか不思議になるくらい、すいすいと手が動いた。

 三十の作り目を全て作り終え、雛希は満足げに編み針を置いた。

 高槻は出来上がった作り目の状態を確認してから雛希の方を見た。

「満足そうな所悪いけど、まだ編み始めてないから。これは一番最初の土台みたいなもん」

「う……」

 さらっと言われて雛希の表情が固くなる。そういえばこれが出来たところでマフラーにはなりはしないのだ。この後にやっと編み物が始まると言ってもいい。

 高槻は自分の編み針を持つと、雛希とは比べものにならない速さで作り目を作り終えた。

「じゃあガーター編みやるから」

 開いたままの本を数ページ捲り“表編み”と書かれたページを開いてその箇所を指で突く。この編み方をずっとやっていくという物だ。小学生の時に編んだマフラーもこれだった。高槻の指示通り説明文を読み終えると、雛希は顔を上げた。

 完成していた三十の作り目には二本の編み針が通してある。その内一本を引き抜いて、作り目が出来ている方の編み針は左手に、何も糸の掛かっていない編み針は右手に。左手に毛糸を引っかけて……高槻はゆっくりと表編みを始めた。

 小学生の時の記憶が蘇る。先生が実際にやっている様子をみんなで囲んで見ていた時の事だった。

「どう? 出来そう?」

 一段目の端までを編み終わり、高槻は手を休めて雛希を見た。雛希はそれに頷いてみせると、自分の編み針を動かし始めた。

「へぇ、表編みはすんなり出来るんだ」

「これは大丈夫。覚えてるみたい」

 ゆっくりとではあるが、雛希はしっかりと表編みを編む事が出来た。高槻と同じく一段目の端まで編み終わると、雛希も手を休めた。

「小学生の時の事、思い出したんだ」

「何を?」

「私、殆ど先生に手伝ってもらったみたい」

 視線をマフラーに向ける。ガタガタのマフラーを見て、雛希はふぅと溜め息を吐いた。

「作り目は全部先生にやってもらったような気がする。だから覚えていなかったんだと思うの。でも表編みは先生と一緒に私もやったから……さっき高槻君がしてくれたみたいに手を添えてもらった事を思い出したの」

 高槻は軽く頷く。雛希はそれを見て話を続けた。

「先生もああやって、私の手を持って動かして教えてくれたんだ。だから表編みは覚えられたのかもしれない。出来は良くなかったけどね」

 へへへ、と笑って誤魔化してみせる。高槻はそんな雛希に特に反応はしなかった。それでも雛希は話を続けた。

「だからね、高槻君がさっきみたいに手を添えて教えてくれれば、すぐに覚えられるかなぁって思ったんだけど」

 そこで言葉を切って、雛希は高槻を見たが――何故だろうか、高槻は少し困った様な顔をしていた。

「え? 私何か変な事言っ……」

 高槻の反応を不思議に思い、今自分の言った事を思い返してみて、はたと気付く。

 ――ちょ、ちょっと待って! そう言う意味じゃない!

「違うの! 変な意味で言ったんじゃないから!」

 慌てて否定すると、持っていた編み針が落下して音を立てた。テーブルの上に置いていた毛糸がするするとそれについていく。

 わあぁぁ! と悲鳴を上げてその毛糸を掴んで持ち上げると、編み針から毛糸がほどけてしまい、編み針が完全に毛糸から抜けてしまった。

「なっ、何だよ、変な意味って!」

 動揺している雛希の様子に、高槻も声を荒げる。雛希は顔を上げると、高槻の顔を見てぶんぶんと頭を振った。

「だから変な意味じゃないってば!」

「その変な意味って……何だよ! 別に俺だって変な意味でお前の手触った訳じゃねぇよ!」

 今度は高槻の手から編み針が転げ落ちた。雛希と全く同じように音を立てて編み針が落ちたかと思うと、慌てて編み針に繋がっている毛糸を引っ張って持ち上げた。もちろん毛糸はほどけ、そして雛希と同じように編み針が抜けてしまった。

「ちょ、ちょっと! 何動揺してるの!?」

「してねぇよ馬鹿!」

 高槻は落ちていた編み針を拾い、雛希の分を差し出した。雛希がそれを受け取ると、今度は素早く毛糸を巻き取り、テーブルの上に乱雑に置く。毛糸はどう見ても絡まっていた。

「来週までに三十段全部完成させて来いよ、分かったな!」

「は、はい、分かりました」

 気まずいまま初めてのレッスンが強制的に終了した。

 高槻はさっさと机の上の道具類を片付けると、立ち上がってカウンターの方へと行ってしまった。

 雛希は自分のカバンに高槻が用意してくれた編み針と毛糸を放り込むと、掛けておいたコートを取りに向かった。

 コートに腕を通しながら、さっき言われた事を思い出す。それを確認するため、振り返った。

「えっと……高槻君」

「何?」

 高槻は酷く不機嫌な様子で雛希の方を向いた。手にはマグカップを持っている。漂ってくる匂いでそれがコーヒーだと分かった。

「来週も来ていいの?」

 質問されて、高槻の眉間に皺が寄った。何も言わないまま高槻がコーヒーを一口飲んだ。

「す、すいません。来週も来させてください……」

 縮こまった体から精一杯の声を出す。不機嫌そうな高槻の表情は一向に変わらない。ただ、一言「おう」とだけ返事が返ってきた。

「じゃあ、また来週、同じ時間に来ます」

 今度は返事はなく、高槻は雛希を見て頷くのみだった。

 だーーーもう! 怖い! 高槻君マジ怖い! と心の中で叫びながら雛希は入口の扉を開けて外へ出ようとした。

 が……

「あら」

 開けた扉の向こうに人が立っていた。

 半開きに口を開けたまま、雛希はその場で立ち止まった。

「若い女の子……珍しいわね」

 目の前にいるのは金髪の女の子だった。くるくると巻かれた髪の毛に、全身白のドレス。フリルがたくさんあって……いわゆるゴスロリと言うものだろう。背の高い雛希と目線の高さが同じなのは、えらく踵の高い真っ白な厚底の靴を履いているせいだ。

「こんにちは」

「こ、こんにちは」

 な、何故傘を差しているの……ここは室内なのに……!? 

 雛希の視線が傘に向かっていたのが分かったのか、金髪のゴスロリ少女は真っ白の日傘を畳んだ。その手には、白のモコモコした手袋がはめられていた。少女の服装で、その手袋だけは可愛いと思えた。

「傘が好きなの」

「え?」

「雨の時だけしか差さないなんて淋しいでしょう?」

「は……」

 唐突に言われ、雛希は言葉を失った。言っている事は分からなくもないが、やはり室内で傘を差すなんてどうだろうか……と。考えつつも口に出せず、雛希の口はさっきから開いたまま塞がらない。

「それと、余計な音を聞きたくないのよ。そういう類の物を傘ではね除けているのよ」

 もう返す言葉も見つからない。ゴスロリ少女は終始無表情で語ると、雛希の脇をすり抜けてニットカフェの中へと入って行った。

 関わらない方がいいのだろうか……と悩みながら、そっと扉を閉めようとした時だった。

 閉まる寸前の扉の隙間に、ぬっとゴスロリ少女が現れた。

「っ、っ!?」

 声にならない悲鳴をあげ、雛希の手からドアノブが離れていった。けれど扉は閉まる事が無く、むしろ少し開いた。ゴスロリ少女が内側で扉を支えていた。

「そうね、貴女は……」

 バッチリと目が合う。明らかにグレー色のカラコンをしている目が、雛希を見て少し細まった。

「大丈夫みたいね」

 バタン――――言い切るや否や、静かに音を立てて扉が閉まる。雛希は呆然とその場に突っ立っていた。


 だっ……誰なの!? ねぇ高槻君、その人は誰なの!? 何でゴスロリーー!? 


 聞きに戻りたい気持ちを抑え、雛希はニットカフェの前から立ち去った。頭の中は白でいっぱいになっていた。

 自転車に乗る寸前、ふと建物の二階を見上げる。そこに見えた光景にぎょっとして肩が跳ねた。

 ……ゴスロリ少女が無表情でこちらに手を振っている。雛希はどうしたものかと悩んだ末、ぎこちなく手を振り返した。

 それに満足したのか、ゴスロリ少女は窓辺から離れていった。

「一体……何なの、あの子は……」

 よろりと自転車に跨り、雛希は力無くペダルを漕ぎ始めた。全ては来週聞けばいいのだと思う事にして、必死でマフラーの編み方を考えて帰る事にした。

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