『第四話・4 勇者帰還、王都騒然』
霧氷の谷を抜け、王都の尖塔が見えはじめた頃には、
空はすっかり春の色に変わっていた。
石畳の道を踏みしめるたびに、雪解けの雫が靴底で弾ける。
門前には往来が戻り、商人たちの声が重なっていた。
それは確かに、戦の終わった世界の音だった。
セラフィーが遠くを見つめながら呟く。
「……懐かしいわね。ほんの数週間ぶりなのに、ずっと昔に帰ってきたみたい」
リリアは苦笑した。
「うん。こっちは神格覚醒とかしてたからね……時間感覚めちゃくちゃ」
(現実世界のプレイヤー感覚で言うと、“一晩で半年分のクエストやってきた”みたいなやつだ。
……あと副作用で社会復帰ムリなテンションになってる気がする)
ブッくんがバサッと頁をめくり、空に向かって叫んだ。
「みんな聞けぇぇぇ!! 勇者リリア様、御一行、ついにご帰還やああああ!!!」
「ちょっ、やめろぉぉぉ!!! まだ非公式だって!!」
(これバレたらまずいやつだろ!? 医療塔どころか王国ニュース全部ストップするやつ!!
“勇者帰還”がトレンド入りして炎上確定案件!!)
門番たちは最初、ただ目を丸くしていた。
が、次の瞬間――
「ゆ、勇者リリア様!? えっ、療養中では!? てか行方不明扱いでは!?!?」
「いや生きてる!! しかも立ってる!! 歩いてるぅぅ!!!」
ざわめきが波のように広がる。
衛兵、通行人、商人、露店の子供。
誰もが半開きの口で立ち止まり、
あっという間に人垣ができる。
その光景を見て、リリアの胸の奥がふっと温まった。
“ああ、生きて帰ってきたんだ”──その実感が、ようやく心に降りてきた。
「リリア様が……帰ってきた……!」
「ほんとに……奇跡だ……!」
どこからともなく拍手が起こり、
やがて歓声となって王都の空を震わせた。
「うわ、すご……完全に帰還パレードじゃん」
リリアが呆れたように笑うと、セラフィーが小声で囁いた。
「……いえ、“行方不明だった勇者が徒歩で帰還”なんて、普通なら神話よ」
(そりゃそうだよな……。
俺の入院記録、今ごろ“状態:不明”になってるだろ……いや、もはやホラーだよ!!
“ベッド空きました”って病室で通知鳴ってる未来が見える!!)
――その瞬間、地を蹴る音が響いた。
白衣の裾をひるがえし、髪を振り乱した女性。
医療塔の主任医師、カルネ・ミレーユ。
「リリア様ぁぁぁぁっっっ!!!!」
リリアは思わず一歩下がる。
「え、えっと……お久しぶりです?」
「お久しぶり、じゃありませんっ!!」
カルネは息を荒げ、涙目でリリアの両腕を掴んだ。
「病室からいなくなって!! 捜索願いが出て!! 城下は非常警戒!!
王都中があなたの死亡フラグでパニックになってたんですよ!!!」
(死亡フラグて言った!? 公式の口から今、死亡フラグて言った!?!?
てか医者がフラグ管理してんの!? 俺RPGのイベントNPC扱いかよ!!)
「も、申し訳……!」
セラフィーが慌てて頭を下げるが、カルネの怒りは止まらない。
「それで“勇者リリア、谷で第三将を討伐”って報告がきたとき、もう誰も信じてなかったのよ!? “夢でも見たんだろう”って処理されたんです!!」
リリアは思わずずっこけそうになった。
「夢で第三将倒すって、どんなレム睡眠だよ!? それもう脳波が神話レベルだろ!!」
(いや実際倒したけど!? てか“夢オチ”で済まされる規模じゃねーから!!
どんだけ現実よりファンタジー超えてんだこの世界!!)
リリアは一瞬、言葉を失った。
指先が、わずかに空を掴み損ねる。
群衆の中で「本物だ!」「奇跡だ!」と歓声が湧き起こる。
誰かが花びらを撒き、城門の上からトランペットが鳴った。
空気が一瞬で祝祭に変わり、街全体が金色に染まる。
ワン太がリリアの肩の上で耳を立て、小さく首を傾げる。
ネイルは完全にフリーズ。
ブッくんはというと、なぜか興奮気味に頁を開いた。
「こりゃあ決まりやな……!」
「な、何が!?」
「第一報タイトル!! 『勇者、無断退院で第三将討伐!!』」
「やめろォォォォ!!! 字面だけで全国ニュース飛ぶやつ!!
“勇者、病棟を抜け出し戦場へ”とか書かれたら完全に不祥事案件だろ!!」
(しかも報道特番で絶対“勇者リリア、心の葛藤”とかドキュメンタリー風にされるやつ!!)
(やめろN◯K! 俺まだ療養中扱いなんだよ!!)
ブッくんは更にページをぱらぱらめくり、
「サブ見出しはこうや! “医療塔激震、ベッド空室に世界が涙”!」
「誰がそんな感動ストーリー望んだぁぁぁぁ!!!」
――その横で、さっきまで借りてきた猫のようにフリーズしていたネイルが、カッと目を見開いた。
彼女はおもむろに膝をつき、熱に浮かされたような手つきで王都の石畳をなぞる。
「……なるほど。これがリリア様の御威光、王国の隅々まで行き渡っておりますね。……ふふ、この数分で理解いたしました。ここはもはや王都ではなく、リリア様の『聖域』なのだと……」
「お前も勝手に脳内アップデートしてんじゃねえよ!! 適応早すぎだろ!!
あと石畳なでるな、不審者扱いされるから!!」
セラフィーが堪えきれず吹き出した。
「……ふふ、こうしてまた騒がしくなるのね、リリア」
リリアは苦笑しながら首をすくめた。
「うん……結局、平和でもうるさいんだな……」
その時。
カルネ医師が、獲物を狙う鷹のような鋭い眼光でリリアを指差した。
「……いいですか。死人扱いを取り消す前に、まずは『精密検査』です! 魔力、細胞、魂の摩耗度……最新型の測定器をフル稼働させて、隅々まで洗わせてもらいますからね! さあ、さっさと測定室へぶち込みますよ!!」
(出たよ『測定室』!! やっぱりそこ行くのかよ!!)
(今の俺の魔力、測定器どころか医療塔のヒューズごと飛ばす自信あるんだけど……!! 始末書がさらに増える未来しか見えねえ!!
しかも書式たぶんA3両面印刷!!)
そして、ふと気づく。
この喧騒こそが、戦いのあとに残った“世界の鼓動”だと。
誰かの笑い声も、花びらのきらめきも、
全部、生きて帰ってこなければ見られなかった景色なんだ──。
その笑い声を包むように、王都の鐘が鳴り響いた。
空に透けるような音が、冬と春の境を告げている。
新しい季節の音だった。
鐘の余韻の中、リリアはそっと息を吐いた。
「……ただいま」
セラフィーが微笑みながら頷く。
「おかえり、リリア」
その瞬間、風が街を駆け抜け、花びらが光をまとう。
リリアの髪が揺れ、頬をかすめるその光は、
確かに“生還”の証として、春の空へと溶けていった。
――その鐘の余韻が、なぜか一拍だけ長く尾を引いたことに、このとき誰も気づかなかった。




