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『勇者リリアと魔王のフィアンセ』Eden Force StoriesⅣ(第四部)  作者: 瀬尾 碧


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『第三話・5 六翼の勇者と、逃げ腰の御曹司』

「……ひっ、ひぃ……!」


リセルは蒼仮面の奥で顔をひきつらせ、声を裏返した。


(……違う。これは、“勇者”じゃない)


背筋を、冷たいものが一筋で走り抜けた。

六枚の光翼が、呼吸ひとつ分だけ――目に見えない重圧で、空間を押し潰していた。

谷の空気そのものが、わずかに沈んだ。


「レ、レオ様っ……! わ、私……その……っ、き、急にお腹の具合が……! と、途中ですが……し、失礼しても、よろしいでしょうかぁっ……!」


気品を装った声音は裏返り、淑女の体裁など跡形もない。

裾を翻し、氷霧を蹴散らすように後ずさると――必死に最後の置き土産を絞り出した。


「リリア様がレオ様の花嫁だなんて……あまりにも、もったいのうございますわぁぁ!!」


「ど、どうか……どうか別の方を……お選びくださいませぇぇ!!」


半泣きの悲鳴とともに、彼女の輪郭は蒼白い魔法陣に呑まれる。

残響だけを谷に残し、リセル=フロストの姿は光の欠片ごと霧散した。


残された沈黙。

風が鳴り、羽ばたかぬ六翼の黄金光だけが谷を染め上げる。


セラフィーは言葉を失い、ただ、剣を握る手の震えを抑えきれずにいた。それは恐怖か、畏敬か──自分でも判別できなかった。


ブッくんは頁を抱え込み「見なかったことにしよ……」と呟くのが精一杯。


ワン太に至っては、リリアの背でぽふっと尻尾を下げ、完全に“借りてきた犬”状態だ。


ネイルは、いつの間にか半歩だけ後ずさっていた。

自分では気づかぬまま、喉がひくりと鳴る。


(……なんだよ、今の……)


強がるように歯を食いしばるが、額を伝う冷たい汗だけは止まらなかった。


そして――最後に残った、レオ。


「リリア……美しい。気高く、神々しい。

そのすべて――いずれ、俺の手で縛り取ってみせる……」


だが、その言葉とは裏腹に、レオの脚はすでに逃げ腰だった。

言い放ちながらも、背を向ける初動だけ、不自然なほど速かった。


「……くっ、悪いが――俺にも急用ができた。

リリア……この話は、また次の機会にしよう」


翻る黒マント。背を向けるその姿は、あくまで冷静沈着な“魔王軍の御曹司”を装っている。


――完全に、格好だけは決まっていた。

――だが、その静かな微笑の裏で、レオの心臓は暴れ馬のように跳ね、肋の内側を乱暴に蹴り上げ続けていた。


(あっっぶねぇぇぇ!!! 六翼とか神話のラスボス枠だろアレ!!

フィアンセどころか、寿命が三日くらい縮んだわ!!)


(いやいやいや、婚約者トーナメントって何だよ!?

普通に“婚約者葬式トーナメント”開幕するとこだったからな!?)


(てか可愛い可愛いって思ってたけど――

もう“可愛い”のカテゴリ、とっくに突き抜けてるだろ!!)


(美しい? 神々しい?

……いやそれ以前に、普通に怖ぇぇぇぇぇ!!)


(……なのに――)


(くそ……なんでだよ。

めちゃくちゃ惹かれてんだけど、俺……)


心の中では小市民のように取り乱しながらも、外面だけは完璧にクールを装ったまま、レオは背を向けた。

翻る黒マントの裾が、遅れて静かに風を裂く。

その背中だけは、不思議なほど微塵も揺らがなかった。


――その致命的なギャップを、谷に残された誰一人として知る由もなかった。


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