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『勇者リリアと魔王のフィアンセ』Eden Force StoriesⅣ(第四部)  作者: 瀬尾 碧


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『第三話・3 勇者、修羅場に立つ』


一拍置き、黒リリアの口元が歪んだ。


「名前も変えた。リリアなんて物騒な名前、名乗ってりゃ命がいくつあっても足りねえからな。

だから、自分で選んだんだ。――今の俺は、“ネイル”だ!」


谷の空気が、わずかに揺れた。


リリアは思わず目をぱちくりさせた。


「……えっ、ネイル? あんた、それ……」


「ちょ、ちょっと待って……名前、もう少しマシなのなかったの!?」


(やべー! 小指の爪カスが“ネイル”って名乗ってる!? ラスボス口上に爪のネーミングって!)


(……ダメだ、笑うな俺!笑ったら絶対殺される!! いや、もう口の中で笑いが暴れてる!お願いだから今だけ真顔でいさせてくれぇぇ!!)


ブッくんはページをガタガタ震わせながら、かすれ声でつぶやいた。


「……いや、“ネイル”て……おしゃれサロンかいな……」


セラフィーは思わず息を震わせ、小さく呟いた。


「……お願いだから、今は黙ってて……真剣勝負の場で、冗談なんて聞きたくない……」


ワン太は、小さく身をすくめ、尻尾を丸めていた。

谷を満たす冷気が、その毛並みさえ逆立たせていた。それは二人の異常な気配を感じ取った、本能の震えだった。


黄金と黒――二つの瞳が火花を散らし、谷の空気は一層凍りついていた。

そして、その瞬間、大地ごと裂けるような緊張が走り、谷全体が静かに息を止めた。


リリアは思わず両手を広げ、一歩前へ出た。


「ま、待ってネイルっ! いきなり決闘モード入んないで――あんた、爪カ……っ、じゃなくて!! えっと、落ち着いて!!」


(あっぶねぇぇぇ!! 今“爪カス”って言いかけた!! 命捨てる気か俺!?)


(……おいワン太、怯えてんじゃねえ!俺なんか、今、笑い堪えすぎて横隔膜つりそうなんだぞ!)


(ちょ、みんな殺気ビリビリ張りつめてんのに、俺だけ腹筋ピクピクって何の地獄だよ!?)


(てか深爪リソースから生まれた分身がラスボス感全開ってどういうギャグ!?格好良すぎて俺がただのネイルサロンの予約客じゃん!!)


(おいレオ!お前魔族の王子だろ!?なんで分身くんに存在感で完敗してんだよ!?お前の席もうないぞ!?)


(……そもそも、主人公俺だよな!? このままじゃ“深爪製造機”兼“腹筋痙攣マン”で終わる未来しか見えねぇ!)


そのやり取りを、レオと側に控える敵将はじっと見ていた。

黒と金、二人のリリアを見比べるレオの瞳が、かすかに笑みを帯びる。


「……面白い。……混乱の中こそ、魂は牙を剥き、真実をさらすものだ」


その声は愉悦を含みつつも、谷の空気をさらに凍りつかせた。

敵将は息を呑み、思わず半歩退いた。冷気よりも鋭い圧に晒され、視線を逸らすしかなかった。


レオの瞳が細められ、冷ややかに告げる。


「……どちらが“本物の勇者”か。強い方だけが、俺の婚約者を名乗る資格を持つ。弱い方は、ここで斬り捨てるまでだ。」


「ちょ、ちょっと!? わたし、そんなトーナメント出場の申請してないからっ!」


(……おいおいおい!?なんで俺、婚約者トーナメントの決勝に勝手にエントリーされてんの!?)


(この試合、優勝賞品=フィアンセってシステム、誰が許可出したんだよ!?国の倫理委員会どこ行った!?)


(てか、俺が負けたら“婚約者はネイル”ってことになるのか!?)


(……最悪の未来タイトル『勇者と魔王のフィアンセ♡ネイル編』とかやめろよ!?)


ネイルの口元が、わずかに吊り上がった。


「……面白え。なら、本物かどうか――ここで証明してやるよ。」


セラフィーは耳まで真っ赤に染め、剣を握りしめたまま声を震わせた。


「リリア……。あなた、あの男(魔族)と、何の話をしてるの……?」


セラフィーの瞳から光が消え、淀んだ色が広がる。安堵の涙はとうに乾き、剣を握る指がミシミシと音を立てていた。


「『本体』って何……? 婚約者って何……? ……リリア……わ、私じゃ……なかったの……?」


「ち、違うってばセラフィー!? 今のはそういう意味じゃ──」


(ちょ、待てぇぇぇ!!意味わからん!

セラフィーまで誤解して参戦してきたら修羅場が四角関係に進化すんだろ!?そもそも、この世界、同性婚アリなのか?)


(このままじゃ、冒険譚どころか“勇者リリアのド修羅場ラブコメ編”スタートじゃねえか!!)


兵士の一人が、動揺のあまり足をもつれさせ、陣形がガタガタと崩れかけた。


「ど、どうするんだよ!? 俺ら今まで“勇者さま”に命預けてたけど……まさか魔王のフィアンセ決定戦に巻き込まれるなんて聞いてねぇぞ!」


ブッくんは、ページをばさばさ振り乱し、耳障りな声を響かせる。


「――アカン、これ完全な修羅場イベントやないかい!! 戦場BGMが愛憎ドロドロの昼ドラ主題歌に書き換わっとるでぇぇ!!主演・リリア、破滅へのカウントダウンやな」


(やめろやめろやめろ!! 今この谷のBGM、完全に“オーケストラ大合唱”から“昼ドラ愛憎メロディ”に差し替わってんじゃねーか!!)


(効果音も“斬撃”じゃなくて“心臓ドキュン♡”に聞こえてきたぞ!?)


(次回予告で「勇者リリア、愛と修羅場の三角関係に挑む!」とか言われたら俺、冒険譚じゃなくて昼ドラ主演だぞ!!)

だが、現実の空気は笑いなど一切許していなかった。


――キィィィィィィンッ!


鼓膜を刺すような、鋭い抜剣の音が谷に響き渡った。

浮ついた思考が、氷水を浴びせられたように凍りつく。


セラフィーが引き抜いた剣先は、

あろうことかネイルではなく、リリアに向けられていた。


一瞬。

誰も、理解が追いつかなかった。


「……は?」


「え……勇者さま、に……?」


前列の兵士の槍先が、わずかに泳ぐ。

後衛の魔導兵が、詠唱を途中で止めた。


――陣形が、崩れる。


味方に向けられた白刃。

それだけで、戦場の前提が音を立てて軋んだ。


カタカタと震える兵士たちの鎧が擦れる。

ここが紛れもない死地であることを、今さらのように思い出させる音だった。


(……やばい。これ、完全に洒落になってねえ)


颯太の中で、最後に残っていた軽口が、音もなく凍りついた。


――指先ひとつ、動かなかった。

呼吸すら、胸の奥で引き結ばれたままだった。


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