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ep.1 リタイア当日に世界が滅びた男

「……平穏な生活、こそが……私の目標だったのだよ……」


乾いた喉から漏れたのは、祈りにも似た、あるいは呪詛に近い独白だった。


新宿。

かつて眠らない街と呼ばれた欲望の集積地は、今や巨大な墓標の群れと化していた。

鈴木一郎は、崩れかけた雑居ビルの3階、埃の積もった事務デスクの上で目を覚ました。


窓の外を見れば、コンクリートを突き破って異常発達した不気味な赤黒い蔓が、都庁の無残な残骸に絡みついている。

空はどんよりとした鉛色で、時折、遠くから正体不明の怪物の咆哮が響いてくる。


「せっかく……せっかく、20年かけて積み上げたのに」


一郎は、ボロボロになった自分の掌を見つめた。

彼は、いわゆる「社畜」だった 。

上司の理不尽な怒号に耐え、満員電車で押し潰され、深夜までサービス残業を繰り返す。

そんな日々を支えていたのはただ一つの希望。


――質素倹約と投資を極め、早期リタイア(FIRE)を実現すること 。


昼食は常にカップ麺か自作の握り飯。

趣味は家計簿の管理とインデックスファンドのチャートを見ること。

あらゆる娯楽を断ち切り、血の滲むような思いで資産を積み上げ、ついに彼は「あがり」を迎えたのだ。


1999年7月、世界中にダンジョンが出現した 。

当然、各国政府は軍を投入した。

しかし、現代兵器はいっさいの効果を出さず、ただ無為に被害を深めるだけ。

ついに政府はダンジョンを閉鎖しこの問題は解決したように見えた。


2020年、突如として現れたモンスターの群れ。

現代兵器を嘲笑うかのような蹂躙 。

間引きの行われなかったダンジョンから溢れ出した魔物の津波――モンスタースタンピードによって、彼が愛した(あるいは憎んだ)文明社会はあっけなく崩壊した 。


通貨は紙屑となり、投資していた企業の株は電子の藻屑へと消えた。

20億人まで激減した人類 。

崩壊した政府 。

そして今、彼が立っているのは、暴力と搾取が支配するディストピアのど真ん中だ。


「……ふざけるな」


一郎はゆっくりと立ち上がった。

40代のくたびれた体は、寝起きの節々が痛む 。

高級なスーツはボロ布のようになり、かつての「勝ち組への切符」は何の価値も持たない。


「あんなに、あんなに我慢して……『平穏な生活』のためにすべてを犠牲にした結果がこれか?」


ビルの階段を降りる足取りは重い。

外に出れば、そこにはかつての秩序など微塵もない光景が広がっていた。

武装したゴロツキたちが、生き残った人々から食料を奪い、力こそが正義であると誇示している。

文明崩壊後の野蛮な民度。

一郎が最も嫌悪する光景だ 。


だが、この絶望的な状況下でも、支配を続ける者たちがいた。

モンスタースタンピードを予見し、地下核シェルターに逃げ込んだ一部の富裕層 。

彼らは潤沢な資源と核融合炉を独占し、新たに「新日本民主主義国家」を樹立していた 。


「民主主義、ね。笑わせてくれる」


実態は支配階層のみが投票権を持つディストピア 。

通貨はすべて電子化され、歩くこと、息をすること、生きることそのものが搾取の対象となるシステム 。

一郎のような「持たざる者」は、この荒廃した地上で泥水を啜りながら、新国家に上納金を払い続けるしかない「奴隷」だった。


その時だった。


「おい、そこのくたびれたオッサン。動くなよ」


不意に背後から声をかけられた。

振り返ると、手製のボウガンと錆びた鉄パイプを持った3人組の男たちが立っていた。

新日本民主主義国家の末端組織を名乗る、自警団という名の略奪者だ。


「その背負ってるリュック、置いていけ。それと、お前のIDデバイスを出せ。今月の『生存維持税』、まだ払ってねえだろ?」


「……税金、か。こんな世界になっても、まだ私から奪うのか」


一郎の目が、冷たく沈んだ。

社畜時代、給与明細から引かれる税金の額を見ては溜息をついていた。

FIRE後の平穏を夢見て、1円単位で計算し尽くした人生。

それを、この無粋な連中が土足で踏みにじろうとしている。


「おい、聞いてんのか!? さっさと出せよ!」


リーダー格の男が鉄パイプを振り上げる。

一郎は逃げなかった。いや、逃げる気力がなかった。

ただ、心の底から湧き上がる激しい「拒絶」があった。


(私は、平穏に生きたいだけなんだ。私の資産、私の時間、私の人生を……これ以上、誰にも、一滴たりとも搾取させない……!)


その瞬間。


彼の視界に、かつて見慣れたゲームの管理画面を思わせる、半透明のウィンドウが浮かび上がった。


【――『残存人類最適化』システムを起動します――】

【それぞれの人生経験を統合完了……】

【条件:システム起動時に確認のとれた特殊生存個体】

【固有スキル:『最適化の極致パッシブ・マスター』が解放されました】


「……なんだ、これは?」


一郎が呆然と呟くと同時に、男が鉄パイプを振り下ろした。

だが、その鉄パイプは一郎の頭上に触れる直前、目に見えない「金色の障壁」に弾かれた。


【リンク発動:Cast when Damage Taken(被ダメージ時キャスト)】

【支援効果:Increased Area of Effect(効果範囲拡大)】

【発動スキル:Shockwave(衝撃波)】


――ドォォォォォンッ!!


「ぎゃああああ!?」


一歩も動かず、一郎は敵を吹き飛ばした。


「な、なんだ!? 何をした!」


残りの二人が腰を抜かして後ずさる。

一郎は、自分の周囲に漂う金色の光の粒子を見つめていた。

それは、彼が人生をかけて積み上げてきた「資産」の概念が、この異変した世界で形を成した力のように感じられた。


「ふ、ふふふ・・・・!? バカバカしい、なんだこれは・・・」


一郎の精神は限界だった。

我慢に我慢を重ねてやっと平穏な生活が得られたと思った矢先の文明の崩壊。

あらゆる我慢をしいてきた社会がすでに崩壊している。

全て無価値だ。

もう、いい!!俺の平穏な生活を邪魔するものは誰であれ敵だ!


新宿の廃墟に、静かな、だが確かな闘志を宿した男が立つ。

FIRE生活を台無しにされた哀れな男の、世界を相手にした反逆が今、始まった。


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