Episode.104 妖刀の告白
新しい生活を始めたミーナにとって、その夜の告白は青天の霹靂だった。
だが、不思議な程に動揺は無かった。
彼女は起き上がって坐り直し、妖刀の話に耳を傾ける。
「どういう事か、詳しく聴かせてくれる?」
『儂が自分の状態に異変を感じたのは、あの戦いが終わってからすぐの事じゃった。どうも、心なしか自分の意識が普段より薄い様に思えた。最初は百年以上の時を経た大きな仕事を終えて気が抜けたせいかとも思ったんじゃが、それから日が経っても良くなる所か更に弱まる始末じゃった。そして最近、目を背けていた事を漸く認められたんじゃよ。自分に終焉、畢りが近付いているのだと。本当は最初から気付いていたんじゃな……。』
妖刀の言葉がミーナの中にするすると入って来る。
今までの彼女なら到底納得がいかなかったであろうに、唯々それが事実なのだと奇妙な程すんなり受け容れられた。
予感があったのかも知れない。
薄々と、『古の都』の表層や地下遺跡で妖刀と共に戦う中で、彼との別れに近付いているのだと気付いていたのかもしれない。
「原因に……心当たりは有るの?」
『ううむ、言い難いの。先にこれだけは解って欲しいのじゃが、これは誰のせいでもない。強いて言うなら儂が自分の状態に見て見ぬ振りを決め込んだからじゃ。従って、この事でお前さん自身を含む誰かを責める様な真似は決してせんでくれ。』
「解ってる。大丈夫だよ。」
妖刀の持って回った言い方に、ミーナは思い出していた。
最初にダーク・リッチと戦って左腕を失うことになった時も、今の様に妖刀は中々本題に入らなかった。
それで痺れを切らしてさっさと腕を切断してしまったのだが、今思い出すと拙速に莫迦な事をしたものだ。
『違和感が始まった時期から考えて、原因はネメシス討伐に於ける一連の戦いで思念の力、〝命電〟が底を突いてしまったからじゃろうな……。』
「やっぱり……そうなんだね。」
それは最後の最後、ミーナ自身も感じていた事だ。
戦いの終盤、『カース・オブ・ネメシス』が発生した時、既に妖刀に力が残っていない事は解っていた。
「妖刀さん、本当は足りなかったんだね。『ネメシスの脳髄』を斬ったあの時、ビヒトが貸してくれた最後の力だけじゃ足りなかった。だから、密かに自分の力も使っていたんだ……。」
『事此処に至っては隠せんの。その通りじゃ。黙ってやってしまった事に関しては悪かったと思っとる。』
「でも、そうしなきゃ勝てなかった……。」
そう、避けられない事だった。
その様に妖刀が判断していなければ、今頃自分だけではなく人類そのものがネメシスに滅ぼされていたのだ。
『ミーナよ、儂の望みは一日でも長くお前さんを守ってやる事じゃった。それ故、この結果そのものに後悔は無い。出来ればお前さんの行く末を最期まで見守りたかったが、お前さんを喪うよりはずっと良い。後はお前さんが儂の消えた後も末永く幸せであってくれれば、儂自身は構わん。それは構わんのじゃ……。』
言葉とは裏腹に、妖刀には何か心に痞えを残している様に感じられた。
「でも、ただ黙って消えたくはなかったんだよね。最期に私と話がしたかった。ううん、それ以外にも、何か心残りがあるように聞こえるよ。」
『そうじゃの、一つだけある……。』
ミーナは予感した。
ここからが、妖刀が今話を切り出した本当の動機なのだ。
『お前さんがネメシス討伐前に言うとった願い、もう一度皆で冒険をするというのをまだやり残しとる。そして、状況が落ち着いてから旅立つのでは恐らく間に合わんのじゃ。その時まではまだ当分かかるじゃろう。儂はもう風前の灯火。屹度、後数日の後に消えてしまう。』
ミーナは目を閉じた。
妖刀と出会ってから、一つの絶望と多くの喪失を経てではあるが、彼女の世界は大きく広がった。
必要に迫られての事だが、未知の世界へ飛び出し気の赴く儘に歩いたあの頃は、確かに自由だった。
今、あの時求めた安住の地は確固たる物となっている。
戦いを経て多くの仲間に恵まれ、共に生活を営んでいる。
だが、ミーナは決してあの頃の時めきを忘れた訳ではない。
もう一度、あの頃の様な冒険を、今度は皆で。――その願いは確かに今も胸の中に息衝いている。
ミーナは薄目を開き、初めて悲しみを漏らした。
「それは……嫌だな……。」
『うむ、それは儂とて同じじゃ。あの時のお前さんの願いは今、儂の願いでもある。お前さんの願いを叶えてやりたい等という言い方になったが、それはお為ごかしじゃ。儂もまた、最後にもう一度お前さんと旅がしたいんじゃよ。それが偽らざる儂の本音じゃ。恥ずかしながら、な。』
ミーナは考える。
彼女と妖刀、今二人が抱いている思いは、謂わば我が儘だ。
今、この『新たなる都』に移住した人々はそれぞれの生活を必死で回している。
人手が足りない中、誰もが自分の役割以上の事を担って助け合って生きている。
それを分からないミーナではないし、妖刀は尚の事同じだろう。
ミーナは思い出す。
妖刀は、異常な程に共同体を重んじる考えを持っている。
その彼が、今共同体の都合に増して自分の気持ちを押し出しているのだ。
そうした中、ミーナは一つの結論に辿り着いた。
「妖刀さん、私にはとても否定出来ない。だって私達、人間だもの。我が儘の一つも言いたくならないなんて、そんな事ある訳無いじゃない。」
そう、彼女は人間を唯美しい、利他的な存在として肯定する為に戦ったのではない。
時には周りを顧みない、身勝手さを見せる事だってある。
それでも尚、人間を守るべきものとして戦った筈ではないか。
「こういう時はお互い様だと思う。今は周りに甘えて、厄介になって、その分だけ次の時はお返しすれば良いと思う。唯自分を押し殺すよりは、その方が人間らしいでしょう?」
ミーナは妖刀に微笑み掛けた。
『……何故人間は共に生きるか……。』
「明日皆に相談してみるよ。まずは話してみなきゃ何も始まらないし。」
『済まんの、急な話で……。』
良いよ、心配しないで。――ミーナはそう告げて再び横になった。
『大きくなりおった……。』
妖刀が感嘆の声を漏らす程、出会った頃に比べてミーナに成長は目を瞠るものがある。
考えてみれば、彼女は人類の未来を拓いた英雄なのである。
いつまでも未熟な少女の儘でないのは当然の事だった。
夜は更けていく。
小さな体に大きな器を秘めた少女は寝息を立てている。
睡眠の要らない妖刀は、長い夜をそのまま過ごす。
幸いな事に、彼には少女との出会い、思い出を振り返る時間が充分にあった。
***
翌日、ミーナは先ずシャチに昨晩の事を話した。
付き合いが長く深く、妖刀とも直接話が出来る彼が最初の相談相手としては最適だった。
それから、同じく警邏仲間となったエリ。
昼の休憩に入るタイミングで、三人揃ってフリヒトとルカに話を通しに彼らを訪れた。
『正直、単なる思い出作りに冒険へ出ても良いと言ってあげられる余裕は無いな。』
フリヒトの補佐をするルカの判断は冷徹だった。
これはこれで、彼の立場として『新たなる都』の人手不足という事情を鑑みれば已むを得ないだろう。
ミーナはその答えをただ黙った儘、真剣な眼差しで聴いていた。
そしてその表情から何も察せないルカではない。
『ミーナ、僕も君とは付き合いが長い。君の頑固さは良く知っているつもりだ。本来、君は集団の都合に唯々諾々と従うような性格じゃない。』
ルカはそう告げると、フリヒトに伺いを立てる。
『フリヒト様、ここは一つ、三人にあれをお願いしては……。』
「ああ、あれですか……。」
フリヒトはルカの言いたい事を察した様に頷いた。
この一年で、フリヒトという少年もすっかり人の上に立つ者の表情をするようになった。
ミーナ達は彼にリヒトとクニヒト、そしてビヒト三人の面影を混ぜて重ね合わせていた。
そんな彼が付け加える。
「ルカ、あれって何?」
『まあ平たく言えば、君達に向かって貰いたい場所があるんだ。都の為の探索任務として、それを引き受けて貰えるならこちらもすぐに旅の準備をさせてサポートしようって事さ。』
ルカは三人に交互に視線を向け、要求する行先を告げる。
『君達に目指して貰いたい場所、それは五大遺跡最後の一か所、〝西の大遺跡〟!』
ミーナの顔に笑みが咲いた。
ルカによって告げられたのは、ミーナと妖刀の長い旅の締め括りに相応しい冒険の出発許可だった。
お読み頂きありがとうございます。
本作のストーリーは最終節に入ろうとしており、完結まで後僅かとなって参りました。
つきましては次回以降の更新予定を御連絡致します。
Episode.105:5/28㈰
Episode.106:6/1㈭
Episode.107:6/2㈮
Episode.108:6/3㈯
Epilogue(完結):6/4㈰
以上の通り、6/1のEpisode.106以降四日間は毎日連続更新し、本作を完結させる予定です。
それでは引き続き、願わくは最後までお楽しみいただければ幸いでございます。




