18-C -氷牙の殺し屋-
8年前…―――――
深い蒼をした空に緩やかな風。誰もが心を落ち着かせてしまうような穏やかな日。
ファラル大陸。聖クレア教会の敷地外。純情無垢を思わせる銀色の肩に届くほどの髪、水色の澄んだ瞳。8歳の少女が塀の横の石垣に座って泣いていた。
「なに泣いてんの?」
少女の前に薄紫色の髪をした12歳の少年が立っていた。少女は気付いていたが泣いていた。しばらくしてから少年は黙って隣に座った。少女が泣き止むのを待っていた。
「名前は? 教会の子だよな?」
少女はコクりと頷いた。少年は足をブラブラさせながら考え事をするように空を見上げる。やがて少女は泣き止み、顔を伏せたまま言葉を発した。
「…マリアリアドネレイドリス・ヒエロス…それが私の名前…」
「長いな…」
「マリアでいい…皆そう呼んでる…」
「おう、それでマリアよ。なぜ泣いてたんだ?」
マリアの心は随分と弱っていた。どこの誰かも知らない年上の少年だったが、悩みを相談するように声を出していた。
マリア「落ちこぼれで…怒られてばかりで…もう嫌なの。帰りたい…けど…両親は優秀な聖者で…後を継がせようとして家に帰してくれない…。私は生まれてからここで暮らす運命…。けど私…そんなの望んでない…!」
涙が落ち、少し湿ったままのスカートをギュッと握りしめていた。
マリア「私なんて家事も下手…聖歌も下手…法術も下手…何をしても下の下…。運命なんて嫌い…最初から道が決まっているのに、人の目から映る姿は未確定で…不安を心に纏わせてくる…」
誰にも言えなかった自分の心、意見。教会の考えに背くような発言は許されていなかったし、マリア自身も誰かに言う勇気など持っていなかった。
少年「なるほどなー、運命ってのはズルいな。運命によって敷かれたレールを歩かされてるのにも関わらず、あたかも俺達が選んだかのように確信させ、見せかけてるってことだろ?」
マリア「そう…最初から全て決まっている…。だから私は教会から出ることもできない…このまま教会に身を捧げて死んでいく運命…」
少年「だったらさ、俺達が今ここで出逢ったのも運命だな」
マリアは少年を見た。マリアの方を見て笑っていた。その笑顔を見ていると救世主に思えた。
少年「俺もさ、自分の境遇が嫌いなんだ。毎日毎日、稽古だとか勉強だとかばっかでさ。マリアと同じで、自由の身になれたらいいのになって思うんだよな」
マリア「なら…どうしてここに?」
少年「抜け出してきた。ウロウロしてたらマリアが泣いてた。俺の所じゃ男は女に優しくしないといけないから放っておけなかった」
マリア「なにそれ…?」
少年「運命ってやつサ」
マリアは呆れた。救世主と思ってしまったのは気のせいと感じた。どうしてこんな男の子に相談なんてしてしまったんだろうと思った。だが、この気さくで付き合いやすい空気から少し安心感を抱いていた。
少年「よし…俺、剣の稽古も勉強も頑張る!」
マリア「えっ…? 何を急に…」
少年「だからさ、マリアも一緒に頑張ってみようゼ!」
少年は立ち上がり、マリアに向き合った。そして自身を鼓舞させるかのように、マリアを励ますかのように言った。
マリア「私…」
最初から自信など無かった。励ましと言うのは、奥底に眠る可能性という感情を呼び覚ます行為。運命と言う言葉で己を縛り、未来など見ていないマリアにとっては頑張りなど無意味にしか思えなかった。
マリア「頑張ったら…なにかあるの?」
特に質問した意味は無かった。褒美が欲しいわけじゃない。褒めて欲しいわけじゃない。
質問に意味は無かった。ただ、なんとなく聞いてみたかった。少年の反応が見たかっただけだった。
少年「結婚しよう」
マリアは驚いて心臓が飛び出しそうになった。鼓動がバクバクと激しく動き、ドキドキする。冗談だと思っているものの、その少年の真剣な瞳を見ていたら顔が赤くなってしまう。無意識に目を逸した。
少年「結婚したら教会も聖女も辞めてもらうからな」
マリア「…!」
少年なりに考えた不器用な励まし方なのだろうとマリアは思った。しかし、無意味だと思っていた励ましという行為に効果を感じていた。少しだけ頑張ってみようと勇気を持つことができた。
マリア「それじゃあ…また会いにきてくれたら頑張る」
少年「本当か!? じゃあ、毎週会いに来る! それでいつかは結婚だ! 今日はそろそろ帰らなきゃいけないから、また来週な!」
少年は目を輝かせ、嬉しそうに言った。マリアの両手をギュッと握って上下にブンブン振ってから手を離し、帰ろうと走って行く。
マリア「マナ・エスディ…。あっ…待って!」
教会の挨拶で見送ろうとしたマリアだったが、突然の呼び止めに少年は立ち止まって振り返った。
マリア「名前を聞いてない」
少年「バサラ」
マリア「バサラ…って、えっ…!? それって楼黤の…」
バサラ「俺は婆娑羅・楼黤。俺は楼黤王国の王子。マリアは未来の妃だゼ!」
バサラは手を振って、城のある方向へと走り去ってゆく。マリアは小さく手を振って見送った。
マリア「妃…。…結婚って…もしかして本気…?」
その日からマリアは努力した。最初は頑張っているつもり、くらいだった。しかし日に日に血の滲むような努力をしていった。今まで自分で嫌々行っていたことも精力的に成すようになった。
バサラのことを好きなつもりも、結婚するつもりもあるわけでは無いし、未来の妃なんてものも本気と思っていなかった。しかし、バサラの存在が励みになっていた。
二人は一週間に一度、同じ時間に一時間ほど会う。最初こそ日頃の辛さから、いつものように泣きながら話をしていたマリアだったが、会う回数を重ねる毎に泣くことはなくなっていた。会う度に近況報告をする度に、泣いている姿を見せたくなかったからだった。
そして毎週会い続け、最初の出逢いから4年が経過していた。
マリア「はぁ…気が休まるのがこの時間しかない…」
教会の敷地の外。12歳となったマリアが、16歳となったバサラへ今日も不満を打ち明けていた。
バサラ「お疲れさん。目一杯休んでけ」
マリア「バサラといると落ち着く…言葉遣いも気を遣わなくていいから楽」
バサラ「旦那の前では全てを曝け出すものだからな」
また堂々とそういうことを言う…と思いながらも顔を赤らめてしまうマリア。
バサラ「聖クレア教会は20歳になったら辞めることはできるんだろ? それまでの辛抱さ」
マリア「…けど辞めるなんて簡単なことじゃないから…」
そう言いながら地面を見て、悲しそうな表情を浮かべる。
マリア「私は幼児洗礼を受け、今までずっと聖女の道を進んできた。私はそういった運命の元に生まれた。神の救済の元にある身で簡単に辞めるなんて…」
バサラ「けど教会に居るの嫌いなんじゃなかったのか?」
マリア「うん…。けど…最近は運命に感謝しているの」
バサラ「感謝?」
ゆっくりと横目でバサラを見た。真正面から見て言うのは恥ずかしかった。
マリア「私に今の運命を授けた神に感謝している。努力をして強く信仰すれば、それが結果に結びついた。やはり神はいつも見守ってくれている…それに…」
バサラ「それに?」
バサラが顔を覗き込むが、マリアは急いで顔を逸した。
マリア「それに…バサラと出逢うことができたから…」
バサラ「嬉しいこと言うねー。俺もマリアと結ばれたんだから神サマに感謝しないとな」
マリア「む…結ばれたって…まだ私はバサラのことを好きだって…」
バサラ「それじゃあ、俺との結婚はダメなのか?」
マリア「それは…そういうわけじゃないけど……」
―――――…
マリア「ん…」
気がついたら座った状態で手すりを背にし、ロッドを抱えて眠っていた。朦朧とした意識の中、周りを見渡すと船の上で揺られていた。6日に渡って殆ど寝ずにファラル大陸中を歩いて回った。疲れが蓄積していたためか、移動の船の上で眠ってしまっていたらしい。
マリア「頭…痛い…」
寝不足のせいか、ガンガンと酷い頭痛がする。太陽の光が眩しく、目も強く開くことができない。目尻が痛い…私は眠りながら泣いていたのかも知れない。幸せだった頃の夢…。
マリア「私…夢の続き…なんて言ったんだろう…」
忘れるような話ではないのに、何故か思い出せない。12歳だった頃の、もう4年も前の話。ぼんやりとした頭では思い出せなかった。
マリア「何か…条件を言った気がする…」
毎週会うことで、私の心の支えになってくれていた人。私の事情で会えなかった日はあった。それならバサラは別の日に会う予定を取り付けてくれた。絶対にバサラから約束を破ることはなかった。
けれど先日、約束の時間になってもバサラは現れなかった。その日…楼黤王国が滅びたという報告があった。
最悪のケースが頭を過り、それを考えるだけでまた頭が痛くなる。泣きそうになる。現実から逃避したくなる。叶うのであれば…もう一度、夢の中の頃へ帰りたかった。
マリア「バサラ…。マナ…エスディ…」
私は頭の痛みに耐え切れず、再び眠りについていた…。
あの日へ帰りたかった。帰りたい。帰ろう。もしもの時は…永遠に眠ることになって、幸せだった頃の夢の世界へ帰ることになっても…。
最後の時は、誰かのために…この命を使ってしまっても構わない…。
第十八話 -氷牙の殺し屋- End




