最新型映像機器、ゲット【M視点】
後から考えると、なぜ彼女がそんな表情をしたのか、よく分かる。
なにしろ僕が驚きの声を上げたのは、百円ショップで売っているような使い捨て型アイマスクなのだ。
それを、まるで貴重な宝物でも捧げ持つようにして「すごいですねぇ」だとか「こんな商品があることを、はじめて知りました」なんてことを、熱い口調で語りかけられたら、たいていの人間は、怯んでしまう。
しかし、その時の僕は、そのアイマスクを、最新型映像機器だと思い込んでいたわけだから、客室乗務員の気持ちになれるはずがない。
「初めて、とおっしゃったのは、この、アイマスク、のことでしょうか?」
確認のための質問、と言うより、恐る恐ると言ったような感じ。
冗談だろうか。それとも、本当に初めて見たのだろうか。まさか、この後に、犯罪をほのめかすような言葉が出てくるのでは……
そのようなものが、含まれているような口調だった。でも、僕の耳には、
マニュアルも見ないで使いこなすなんて、すごいですね。このような映像機器の取扱に、お詳しいんですか?
と言ったような内容に聞こえていた。
「そうです」
と答えると、彼女の表情が更に険しくなった。それには、さすがの僕も、おかしいな、と思った。
なぜ、笑顔がないんだ。どうして、そんな顔をしなければならないんだ。笑顔は、接客の基本中の基本なのに。
とそこで、ひょっとすると、と思った。
自分では気づかないうちに、他人に迷惑をかけていることはよくある。飛行機は定時に飛び立ったが、ぎりぎりに乗り込んだ僕が、何か迷惑をかけたのかもしれない。
しかしよく考えてみると、座席に腰を下ろした時、窓の外には、作業車両を動かしているスタッフがいた。彼らに、慌てた様子はなかった。通常の任務を淡々とこなしているようにしか見えなかった。
となると、原因は、彼女自身にあるとしか考えられない。彼女は、何か失敗をやらかした。そしてそれを、丸く収める方法を必死に考えている。だから、表情が冴えないのだ。
だとすれば、彼女の失敗は、一体、どんなことなのだろう。
すると、ひとつのストーリーが浮かんできた。
原因は、このアイマスク。それしかない。
たぶん、このアイマスクは、製作途中のプロトタイプ。それも、超の上に、いくつもの超が付くほどの最高機密に包まれた、アイマスク型ディスプレイ。
そう考えると、彼女の冴えない表情や、口調の意味が理解できる。
各メーカーは、新商品を発売するまでに、様々な性能をチェックする。
特に、いままでの常識を覆すような画期的な製品の場合、過酷な条件下での入念な検査が必要。
たぶん、気圧の微妙な変化に対応できるかどうかをテストするために、どこかのメーカーから預かっていたか、担当者のみが触れることができる試作機。
それを間違えて、僕に渡したことに、たった今、この客室乗務員は気づいた。
だと、すれば、僕が取るべき行動は、ひとつしかない。
さり気なく、この映像機器を彼女に返してやること。でも、急がないと、他の客室乗務員が「どうしたの?」と様子をうかがいにやって来る。
僕は笑顔を浮かべて、彼女を見た。
そして「どうも、ありがとうございました。おかげさまでよく眠れました」と言ってから、アイマスクを差し出した。「これ、お返しします」
すると、彼女は意外なことを言った。
「お気に召されたのなら、どうぞ、お持ち帰り下さい」
自分の耳を疑った。
「こ、これを、ですか?」
僕としては、本当に、こんな貴重な物を頂けるんですか、と言ったつもりだったが、彼女は別の意味に取ったらしい。
「あ、失礼しました」慌てたような声で、そう言った彼女は、しばらくすると航空会社のマークが入った小さな紙バックを片手に帰ってきた。
「こちらも、何かの時にお使いください」
なぜか、すっきりとした笑顔に戻っていた。
たぶん、彼女の表情の変化は、紙バックの中身と関係があるのだろう。
上から覗いてみると、セロファンに包まれた黒い物が見えた。
まさか、そんなことは、ないよな。
手にとって調べてみると、その、まさかだった。僕の膝の上のものと、まったく同じアイマスクが入っていた。
ふーっ、無意識のうちに、ため息が漏れた。
航空業界の熾烈なサービス合戦を、目の当たりにしたような気がした。
3Dテレビ用のメガネだけでも結構な値段がする。なのに、僕がもらったのは、装着するだけで映像が見える最新型ディスプレー。それも二台。このファーストクラスの料金よりも、はるかに高いはず。これでどうやって、採算が取れるのだろう。
そんなことを思いながら、ありがとうございますと、言おうとしたが、やはり、ここは、念を押した方が良さそうだ。
「本当に、もらって、いいんですね」
言葉を句切りながら訊ねると、彼女は、にっこりと笑って答えた。
「ご遠慮なさることはございません。またのご利用を、お待ちしております」
客室乗務員が深々と頭を下げたとき、着陸体勢に入ることを告げるアナウンスが流れた。