第一話 高木くん
二歳年上の高木くんとは、彼が中学生になるまでよく一緒に遊んだ。
高木くんの家とあたしの家は向かい合わせにあり、間の道は行き止まりになっていたから車が入る心配もない。しゃがんで、チョークで絵を描いても平気だった。
アスファルトに空想の世界を広げ、互いの陣地を争う。
「キューン。ダダダダッ」。そう言って、高木くんは攻めてきた。彼の想像の国にはロボットや戦車がたくさんあったが、あたしの国には花と動物ばかり。それでも、あたしたちは勇敢に戦った。
ライオンが死に、熊が死に、キリンが死に、象が死んだ。
戦争が終わると、あたしは死んだ動物たちのお墓をチョークで描いた。高木くんも何か、葬儀の真似ごとをしていた。
小学校の近くに神社があり、境内の奥に小さな公園があった。近所の仲間たちと、あたしたちはそこでもよく遊んだ。
公園の周りは暗い森のような木々に囲まれていたから、ボールが飛んでいくと捜し出すのに苦労した。
隠れんぼうをすると、鬼を残し、みんな本当に消えてしまう。普通は鬼役の子が寂しくなり降参して終わる。ところが高木くんが鬼になると、「ババババ、ギューン」と独りで銃声を口真似し戦争ごっこをしているので、隠れ役の方が寂しくなって出てきてしまう。
今は公園の周りは伐採され、花壇や駐車場になっている。遊具も一新され明るくなった公園に、子供たちの隠れ場所はもうない。
たまに高木くんの部屋にも遊びに行った。
あたしたちはお互い独りっ子で、両親の帰りが遅い。一階の居間には、お菓子やジュース、カップ麺が揃っていたから、適当に選んで二階に上がる。高木くんの部屋の本棚には、残酷なホラー漫画がいっぱいあったから、あたしはドキドキしながらそれを読んだ。
赤いエレキギターがあり、小学生の仲間でギターを持っているのは高木くんだけだった。あたしが漫画を読む間、高木くんはギターで下手な練習をしていることが多かった。
そんな高木くんも、中学生になってからあたしを遠ざけるようになった。
向かいの家だから、玄関先でよく顔を合わせる。
「おはよ」
あたしが挨拶しても、詰め襟の制服を着た高木くんは冷たく、無言で目を逸らしたりした。
高木くんがイジメられていると知ったのは、彼が中学生になって半年後の秋だった。
両親の帰宅が遅い高木くんの家に、同級生や先輩が出入りするようになった。最初の異変は、ネックが折れた赤いギターが、ベランダに野ざらしになっていたことだった。彼の部屋のベランダは、あたしの家の玄関からよく見える。ギターをあんなふうにして、親に怒られないのだろうかと思った。
冬がきて寒風がすさぶ頃、今度は高木くん自身が、薄着でベランダに座っているのを見るようになった。
あたしが見上げていることに気付くと、高木くんは怒った顔をして立ち上がり、「おーい。もう開けてくれーッ」とガラスを叩いて叫んだ。それで開けてもらえることもあったし、いつまでも部屋に入れてもらえないこともあった。
ある朝、家を出たところで、あたしと高木くんはばったり会った。あたしは思い切って訊いた。
「高木くん。イジメられてるでしょ」
「しらねえ」。高木くんは目を逸らした。
「ギター、壊れされたでしょ」
「るっせえよ」
怒ったのか、乱暴に肩を突き飛ばした。よろけて尻餅をつく。転んだあたしを残し、高木くんは行ってしまった。
翌日、学校から帰ってくると、高木くんの家の前に10人くらいの中学生がたむろして、大声で叫んだり、玄関のドアを蹴ったりしていた。
「タッカギー。おーい」
「出てこい。殺すぞォ」
あたしは怖くて後戻りし、離れたブロック塀の陰に隠れて見ていた。
しばらくすると高木くんが玄関から出てきた。たちまちみんなに囲まれ、殴られる。それから中に連れ込まれた。
あたしは家に帰ったが、隣の様子が気になり、勉強するのも、テレビをつけることも出来なかった。大人を呼んで助けるべきだろうか。けれど、あたしは何もできなかった。
夜になった。両親はまだ帰らない。あたしは電気もつけないで、部屋のなかでじっとしていた。
救急車のサイレンが近づいて、家の前に止まった。窓から覗くと、救急隊員が高木くんの家に入って行った。門の前に警察官が立ち、二人の中学生が無表情で立っている。他の奴らは帰ってしまったのか。
あたしは裸足のまま玄関から飛び出した。そこで転びそうになったのを、警察官に支えられた。
目の前にいる中学生を睨みつけた。何か言いたかったが言葉が出ない。震えながら、相手の顔を指差した。
中学生はうろたえ、「……まだ、死んでねえんだ」と言い訳して横を向いた。
救急車は走り去り、母が帰ってきたので、あたしは家に戻された。
続けて帰宅した父も気が動転したのか、早口で母と何かを話している。あたしは二人の言っていることがわからない。深刻ぶって、関係ないことを喋っているように思えた。
それから二週間して高木くんは退院したが、顔を合わせる間もなく、一家はどこかへ引っ越してしまった。