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黒針、天を穿つⅢ

今回はSNSとメディアが中心の回です

今回出てくる田中君には今後もご期待してね。

 午前十一時四十七分。


 最初に投稿された動画は、ほんの数時間前までなら、誰も見向きもしなかったかもしれない。だが、この日は違った。


 黒い針の根元に存在する洞窟。その内部を、実際に人間が歩いている。そして、その奥から現れた――粘性のある何か。


 投稿された動画は、昼を過ぎる頃には数え切れないほど拡散されていた。


【例の黒い針の動画、内部映像出てる】

【マジで入った奴いるのかよ】

【昨日ニュースでやってたやつ?】

【これ本物?】

【CGにしか見えん】

【いや撮影場所一致してるぞ】

【別の角度から撮った動画もある】

【本物じゃん……】

【警察何してんの?】


 疑う声は、次々と別の映像によって潰されていった。


 同じ黒い壁。同じ下り坂。同じような岩肌。そして、動画の最後に映り込んだ異様な存在。


 透明に近い、濁った粘性の液体。その内部には、丸い石のようなものが浮かんでいる。それはゆっくりと身体を縮め、伸ばしながら三人へ近付いていた。


【何だよこれ】

【生物?】

【ゼリーみたい】

【中の丸いの何?】

【核じゃね?】

【ゲームのスライムにしか見えん】

【スライムじゃん】

【リアルスライムで草】

【これ捕まえられそうじゃね?】


 そんな書き込みが増える一方で、動画を細かく確認する者も現れた。


【水みたいなの飛ばしてない?】

【撃ってるな】

【あれ当たったらどうなるんだ?】

【動画の人、ヒリヒリしたって言ってたぞ】

【じゃあ酸?】

【酸性の水とか?】

【成分分かってないのに酸って決めつけるなよ】

【でも普通の水じゃないのは確かだろ】


 映像の切り抜きが作られ、速度を落とした動画が投稿され、画面を拡大した画像まで出回った。未知の生物について、様々な考察が始まっていく。


 だが、誰も正解には辿り着けない。それも当然だった。まだ、人類はその生物について何一つ知らない。


 どのように動くのか。何を食べるのか。何を目的としているのか。どうやって周囲を認識しているのか。


 何も分からない。


 ただ一つ。人間が近付けば、あれは反応する。そして、液体を飛ばしてくる。それだけだった。


 それでも人々は、見慣れた名前をその存在へ貼り付け始めていた。


【これもうスライムでいいだろ】

【スライム確定】

【黒い針にスライムいるのヤバすぎ】

【現実にスライムいるとか笑うわ】

【捕まえてみたい】

【飼えるんじゃね?】

【誰か捕まえてきてくれ】


 その言葉が、後に一つの問題を引き起こすことになる。だが、この時点では誰も気に留めなかった。


     ◇


 午後一時五十五分。


 平日の昼下がり。テレビでは、情報番組が始まった。


 その日の番組でも、当然のように最初の話題として取り上げられたのは、昨日から日本を騒がせている巨大な黒い針だった。


「こちらをご覧ください。昨日発生した巨大な黒い構造物、その根元に存在する洞窟内部を撮影した映像です」


 画面に、三人組が撮影した映像が映し出される。スタジオにいたキャスターの表情も硬い。


「映像には、これまで確認されていなかった生物のような存在が映っています。専門家の方に、この生物について伺います」


 画面が切り替わる。大学で生物学を研究する専門家が映った。


「まず、この映像だけで生物だと断定することはできません。ただ、少なくとも自律的に移動しているように見えることから、何らかの生命活動を行っている可能性は考えられます」


「ネット上では『スライム』という呼び方が広がっていますが?」


「現時点では、正式な名称はありません。ですので、私は粘性物質を持つ未知の存在、と表現するのが適切だと思います」


 そこで、別の映像が流れた。


 粘性のある身体。内部に存在する丸い核のようなもの。そして、そこから飛び出す水。


「こちらの液体については?」


「映像を見る限り、水に近い性質を持つようには見えます。ただし、成分については現状では何も分かりません。酸性かどうかも含め、分析結果が出るまでは断定できないでしょう」


「なるほど……」


 キャスターが一度画面の外へ目を向ける。


「そして今回、実際にこの洞窟内部へ侵入した三人の方にお越しいただいています」


 画面が切り替わる。三人の姿が映った。


「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします……」

「お願いします」


 最初の二人は、明らかに緊張していた。


 テレビカメラ。照明。スタジオにいるスタッフ。普段なら絶対に関わることのない世界に突然放り込まれれば、無理もない。


 だが、その隣。田中だけは、緊張こそしているものの、周囲を落ち着いて観察していた。


「まず、実際に洞窟内部へ入った時の状況を教えてください」


「最初は……本当に怖かったです」


 一人が答える。


「入り口から中が暗くて。奥が全然見えないし、普通の洞窟とは思えませんでした」


「途中で何か異変は?」


「音ですね。水滴みたいな音がしてました。ピチョン、ピチョンって。それと、自分たちの呼吸とか、歩いた時の靴の音とか……」


「そして、あの生物と遭遇した」


「はい」


 映像が再び流れる。田中が画面を見る。


「田中さんは、あの生物についてどう考えていますか?」


「……まず、分かっていることと分からないことを分けたほうがいいと思います」


 スタジオの空気が少し変わった。


「分かっていること?」


「はい。映像と自分たちの体験から確認できるのは、あれが粘性の高い身体を持っていること。中に硬い丸いものがあること。それから、水みたいな液体を飛ばしてくることです」


 田中は一度言葉を切る。


「その液体に触れた時、俺はヒリヒリしました。ただ、俺たちは成分分析なんてしていません。だから、『酸だ』とは言えない。刺激性がある何か、としか言えないと思います」


「なるほど……」


「あと、動き方も普通の動物とはかなり違います」


「どういう意味でしょう?」


「身体を縮めて、伸ばす。その繰り返しで移動していました。少なくとも、俺たちが見た範囲では脚みたいなものはありませんでした」


「では、どのように周囲を認識しているのでしょう?」


「そこは分かりません」


 田中は即答した。


「目みたいなものは見えなかった。耳も見えない。でも、俺たちが逃げたら追ってきた。だから何らかの方法で周囲を認識している可能性は高いと思います。ただ、それが何なのかは現状では判断できません」


 キャスターが感心したように頷いた。


「かなり冷静に観察されていますね」


「怖かったですけど、怖いからって分からないものまで分かったことにするのは違うと思うので」


 その回答に、スタジオの専門家が少しだけ表情を変えた。


「……この年齢で、そこまで整理して話せるのは珍しいですね」


 田中は少し困ったように笑った。


 そして、キャスターが次の質問をする。


「では、ネット上で広がっている『スライム』という呼び方についてはどう思いますか?」


 田中の表情から、わずかに笑みが消えた。


「……俺は、あまりそう呼ばないほうがいいと思っています」


「それはなぜでしょう?」


「スライムっていう名前を付けると、どうしてもゲームとかに出てくる生物を連想するじゃないですか」


 田中は画面に映る粘性生物を見る。


「弱いとか。最初に出てくる敵とか。簡単に倒せるとか」


「確かに、そういうイメージはありますね」


「でも、俺たちが見たものは違う」


 田中の声が少しだけ強くなる。


「粘性のある身体があって、核みたいなものがあって、刺激性のある液体を飛ばしてくる。しかも、人間が逃げたら追ってきた」


 田中は一つ一つ確認するように言葉を重ねた。


「それなのに『スライム』って呼んでしまったら、名前を聞いた人が勝手に『じゃあ大したことないんだろ』って考える可能性があると思います」


 スタジオが静かになった。


「名前って、結構怖いんですよ」


 田中は続ける。


「未知のものに名前を付けると、人間はそれを知った気になっちゃうから」


「……」


「特にゲームのスライムって、最弱クラスの敵として出てくることが多いじゃないですか。だから『スライムがいる』って聞いただけで、危険じゃないって思う人が出てくるかもしれない」


 田中はカメラを見る。


「でも、実際には怪我をする可能性がある。もっと危険なことをしてくる可能性だって否定できない」


 そして、はっきりと言った。


「だから、正体が分かるまでは、俺はスライムとは呼ばないほうがいいと思います」


 その発言は、放送終了後すぐにSNSへ切り抜かれた。


【田中くんめちゃくちゃ頭いいな】

【言ってること正しい】

【名前が認識に影響するって話か】

【確かにスライムって聞くと弱そう】

【でももうスライムで定着してるだろ】

【田中「スライムと呼ばないほうがいい」】

【俺「スライム捕まえてみたい」】

【草】


 田中の警告は、確かに届いた。だが、それ以上の勢いで「スライム」という言葉も広がっていった。


     ◇


 午後三時過ぎ。


 政府への批判は、さらに強くなっていた。


【一般人が普通に中に入ってるんだけど?】

【完全封鎖してないの?】

【未知の生物いるのに?】

【昨日から何やってんだ政府】

【警察だけで対応できる規模じゃないだろ】

【自衛隊出せよ】


 政府は記者会見で、立入規制を強化していること、関係機関と連携して安全確保を進めていることを説明した。


 しかし、黒い針はあまりにも巨大だった。周辺全てを完全に封鎖するには人員も時間も必要になる。


 そして、何より問題だったのは、黒い針そのものが未知の存在であることだった。


 危険性が確定していない以上、どこまでの範囲を立入禁止とするべきなのか。内部をどう扱うのか。何を基準に危険と判断するのか。


 政府側にも答えがない。


 その間にもSNSでは情報が飛び交っていた。


【まだ入れる場所あるらしいぞ】

【警察いないところ探せばいける】

【動画撮りたい奴にはチャンスだな】

【奥まで行ってみてほしい】

【スライム捕まえたらバズるんじゃね?】

【誰かやってくれ】


 政府が危険性を訴えるほど、SNSでは好奇心が膨らんでいく。その温度差は、もはや無視できないほどになっていた。


     ◇


 午後五時十六分。


 掲示板に、一つの書き込みが投稿された。


【例のスライム捕まえてくるわー】


 その数分後。黒い針を背景にした写真が貼られた。


【今ここ】

【マジで行く】

【捕まえてくるから待ってろw】


 軽い調子の書き込みだった。


 その後、男たちは黒い針の根元にある洞窟へ入っていった。


 洞窟内部は、完全な暗闇ではない。ライトを点ければ周囲の岩肌は十分に見える。だが、それでも先の見えない空間を進む恐怖は消えなかった。


 やがて。


「いた!」


 粘性のある何かが現れた。


 透明に近い濁った身体。内部には丸い石のような核。


「やっぱスライムじゃん」


 男は笑った。


 粘性生物が身体を縮める。伸びる。そして、水のような液体を飛ばした。


「うわっ」


 少し驚いたものの、男は笑っている。


「これくらいなら余裕じゃん」


「でも触ったらヒリヒリするって」


「ちょっとくらいなら平気だって」


 男はそのまま粘性生物へ手を伸ばした。そして――捕まえた。


「取った!」


 粘性生物が男の手の中で蠢く。


「マジで捕まえられたわ」

「すげえ!」

「これどうする?」

「もっと近くで撮ろうぜ」


 男は、そのまま触り続けた。


 最初は何も起きなかった。だから、誰も止めなかった。


「なんかちょっとヒリヒリするな」

「大丈夫?」

「平気平気」


 男は笑った。


 そのまま撮影を続ける。


 数分。さらに数分。


 粘性生物を手で持ち続け、身体へ触れさせ、何度も位置を変える。


 そして、ようやく。


「……あれ?」


 男が自分の手を見る。


「赤くね?」

「え?」

「ちょっと待って。これ……」


 手の皮膚が赤くなっていた。


 だが、その程度なら大したことではない。そう思った。


「やっぱヒリヒリするわ」

「もう離せよ」

「いや、もうちょい撮ってから――」


 その時だった。


「……痛っ」


 男の声が変わった。


 先ほどまで笑っていた顔から、表情が消える。


「ちょっと待って。これ……マジで痛い」


 粘性生物を離す。


 だが、遅かった。


 手だけではない。腕にも赤みが広がっている。


「おい、これヤバくない?」

「外出よう」

「……うん」


 男が立ち上がる。だが、数歩進んだところで足を止めた。


「待って……」

「どうした?」

「足も……なんか変だ」


 ズボンの裾から見える皮膚にも赤みが出ていた。


 男は慌てて顔を触った。


「顔は?」

「触るな!」


 仲間の制止が飛ぶ。だが、その声を聞いた時にはすでに遅かった。


「……顔も痛い」


 誰も喋らなくなった。


 さっきまでの軽い雰囲気が、完全に消えていた。


「外……出られる?」

「分かんない」

「歩ける?」

「……やってみる」


 一歩。二歩。三歩。


「無理……」


 男がその場に膝をついた。


「痛い……」

「おい!」

「もう無理だって……」


 黒い針の洞窟の中。外は、まだ遠い。


 そして、ここでは電波が届かない。


「電話!」

「圏外だよ!」

「じゃあどうすんだよ!」


 男がスマートフォンを確認する。


 画面には、何度試しても通信を示す表示が戻ってこない。


「……俺が外に出る」

「え?」

「外なら繋がるだろ!」


 もう一人が立ち上がった。


「お前、一人で行けるか?」

「行くしかないだろ!」


 男は負傷者を見る。明らかに状態が悪い。このまま二人で運ぼうとしても、外まで辿り着ける保証はない。


「すぐ戻るから!」


 そう言って、男は走り出した。


 洞窟を一人で戻っていく。足音が遠ざかる。


 ずり。ずり。ずり。


 残された男は、その場で荒い呼吸を繰り返していた。


「……早く……」


 返事はない。


「早く……来てくれ……」


 そして――。


 洞窟の外へ出た男のスマートフォンが、一斉に震えた。


 圏外だった画面に、次々と通知が表示される。


「……繋がった!」


 男はその場で119番へ電話をかけた。


「もしもし! 救急ですか!」


『はい、119番です。火事ですか、救急ですか?』


「救急です! 友達が怪我して……黒い針の中です!」


『黒い針、というのは――』


「昨日からニュースになってるやつです! あの洞窟の中!」


『落ち着いてください。怪我の状態は?』


「皮膚が……赤くなって、ただれて……動けなくなってます!」


『現在地を教えてください』


「小田原です! 黒い針の根元! 洞窟の中にまだ一人います!」


『分かりました。救急隊を向かわせます。ただし、現場の状況が不明なため――』


「早くしてください!」


『可能な限り急行します。あなたはその場から離れず、救急隊の指示に従ってください』


「分かりました!」


 電話を切る。


 男は黒い針を見上げた。


 巨大な黒い構造物。その根元に開いた、暗い洞窟。その奥に、まだ友人がいる。


 自分が軽い気持ちで連れてきた。自分たちが、面白半分で触った。その結果だった。


     ◇


 午後六時三十九分。


 SNSに、また新しい情報が流れた。


【黒い針の洞窟で負傷者】

【さっきのスライム捕まえてみたって動画の奴じゃね?】

【救急呼んだらしい】

【マジ?】

【まだ中にいるって】

【え、出られてないの?】

【政府の警告ガン無視した結果かよ】

【だから田中が言ってただろ】

【スライムじゃねえって】


 そして、午後七時過ぎ。


 ニュース速報が流れた。


『本日午後、黒い針の根元に存在する洞窟内部へ侵入した男性が、内部に存在する未知の生物との長時間の接触後、皮膚に重い損傷を負い、動けなくなる事故が発生しました』


 画面には、黒い針の映像が映し出される。


『男性は現在も洞窟内部に取り残されており、消防などが救助活動を進めています』


 キャスターの表情は硬い。


『なお、男性は意識があり、現時点で生命に関わる状態ではないとみられています。ただし、広範囲にわたる皮膚の損傷が確認されており――』


 そこで画面が切り替わる。


 黒い針。その根元。人間が何人も横に並んで歩けるほどの幅を持つ、洞窟。


 昨日まで、誰も知らなかった場所。


 そこへ、人間が入り始めた。


 そして今日。


 初めて、その中にあるものによって、明確な被害者が出た。


 誰かが「スライム」と呼んだもの。


 誰かが「大したことない」と考えたもの。


 その正体は、まだ何も分かっていない。


 ただ一つ。


 あの黒い針の洞窟は、人間が面白半分で踏み込んでいい場所ではない。


 それだけが、ようやく少しずつ理解され始めていた。


だいぶ田中君は頭よさそうですね

君にはもっと地獄(胃痛)を味わってもらうから待っててね♡

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