29.ヒュールとコラン
ロワルスの山道は、歩くほどにその険しさを増す。
不意に、隊列の先頭から「おっと」という軽い声が響いた。 崖の上のガレ場から顔を出した山狼が鋭い歯をむき出しにして、今にも商人頭の馬に飛びかかろうとしている。
「ヒュール、右! 正面のは俺がやる。焦がしすぎるなよ、焼けた肉の匂いが山犬を呼ぶ!」
「わかってるよ、コラン!」
コランの動きは、今朝の不遜な態度から想像もつかないほど鋭い。
流れるような動作で馬を降り、瞬時に地面を蹴って跳ぶ。頭を低く下げ、飛びかかってくる狼に小手を噛ませると、その喉元を吸い込まれるようにして彼の剣が貫く。
ヒュールの正確な唱文によって放たれた火球が、崖の上から飛び降りる寸前だった狼の顔を焼き、姿勢を崩させる。落下した狼が体勢を立て直す前に、コランがその心臓を突いて仕留める。
生臭くも洗練された、生き残るための剣。
イェルドは馬の上からその様子を冷ややかに見ていたが、その実力だけは認めざるを得なかった。鉄級上位というのは伊達ではない。イェルドの出る幕はなかった。
「……ふぅ。商人サマよ。牙だけでも回収しときゃどうだ? そこそこの値はつく」
言いつつ、自分は討伐の証になる耳を回収する。
コランは剣に付いた脂を器用に拭い、にやりと笑って最後尾の少女に視線を投げた。
「見たか、チビ。お守りされるだけのお前と違って、傭兵はこうやって自分の食い扶持を稼ぐんだよ」
突然言葉の矛先を向けられた少女はびくりと肩を震わせ、下を向いた。
「おい、コラン! その子は関係ないだろ!」
「余計なことを言うな、コラン」
ヒュールとイェルドはすぐに彼を窘める。
「……ったく、お前みたいな奴の顔を見てると反吐が出る」
わざと少女に聞こえる声でコランは言う。
「いかにも『私は絶望してます』みたいなその顔だよ」
少女は下を向いたまま、唇を噛んでいた。
何も間違っていない。自分が役立たずの穀潰しで、イェルドが居なければ生きていくことすらできない弱虫。
真実、そうなのだから。どんな顔をしていればいいというのだろうか。
その後も、弱い魔獣は何匹か出たが、双徒の彼らが難なく切り抜けた。
イェルドは一度も鞘から剣を抜くことはなかった。
やがて日は落ち、ゆっくりと歩みを進めた隊商はなんとか野営のための空き地にたどり着くことが出来た。
「この調子なら明日の夜か、遅くても明後日の昼には街に着ける」
少女が傭兵や商人たちの会話をつなぎ合わせたところ、次の街はアンブレ・ルーエという街らしい。急峻なロワルス山地に位置するものの、貿易の要衝であり、傭兵団の拠点でもある。かなり大きい街のようだ。
「いいや、明後日どころか明々後日になる。馬疲れてんだ。わからねえか? お前らが強情張って括り付けてきた腐りかけた死体のせいだ」
「もうやめろコラン。みんなで話し合って納得したことじゃないか」
コランの口調は厳しく、不満がにじみ出ている。
少女は傍らに座るイェルドの手元をちらりと見た。
彼は、道具の手入れをしていた。彼は剣を使わなかった日にも、自分の剣や短剣の刃や柄を確認する。
イェルドが少女の視線に気付く。少女は目が合う前に下を向いて誤魔化した。
昼間の、コランの言葉が頭から離れなかった。
コランとヒュールは水場を探しに行き、隊商の面々は夕食の準備に勤しんでいる。
何もせず時間を徒に過ごしているのは自分だけだ。
イェルドは何も言ってはくれない。
水くみからコランとヒュールが戻ってきた。二人は何やら楽しげに話している。
コランは背中に何かをぶら下げて戻ってきた。
「おいお前ら! 喜べ! 今日の晩飯は岩トカゲの炙り肉だ」
それは、少女の背丈と同じか少し小さいくらいの、トカゲだった。灰色の鱗を纏う体表は岩肌に溶け込む地味な色をしている。体表の棘はすでに切り取ってある。
「ん? 何だぁ、そりゃ」
コランは夕食のスープを煮ている鍋に近づいて、わざとらしく匂いを嗅いだ。遠慮なく指を突っ込んで汁を掬い、それを舐めて味見をした。
「チッ。おい、犬の餌でも作ってんのか?」
あまりの言葉に、その場に居た全員が声の主を見上げた。
「んだと!?」
「貴様の分まで作ってやっているんだぞ! 腕が立つからと図に乗りやがって……剣さえできれば礼節を顧みずとも良いとでも言うつもりか?」
料理をしていた商人の召使たちは怒鳴って反駁する。
「そういうお前らは料理すらまともに出来ねえだろ。貸せ」
貸せ、と言いつつ半ば強引に匙を奪い取り、コランはせっせと鍋の世話を始めた。
彼は驚くほど手際良く、山で摘んだ苦い葉、隠し持っていた香草や岩塩を鍋に放り込んでいく。
「おい、誰か浅い鍋は持ってねえのか?」
答える者は誰も居ない。皆、どうしたものかと場の空気をはかりかねていた。
コランは舌打ちして、時折鍋の様子を見ながら、自分が持ってきたトカゲの処理に取り掛かった。手際良く皮を剥ぎ、解体してサイコロ状にしていく。
イェルドは横目でその様子を見ていた。
少女もコランのことを気にしていた。ただ、どうしていいのか分からない。少女はためらいがちにイェルドを見上げた。
イェルドは頷きもせず、自分の鞄をごそごそと漁って浅い鋳鉄の鍋を取り出した。一人旅に最適な、煮るも焼くもこれ一つでこなせる絶妙な大きさ。
それを、イェルドはやはり何も言わないまま少女に差し出す。持っていってやりたいなら自分で持っていけ、ということらしい。
少女はあの攻撃的な傭兵が怖かった。できることなら近寄りたくない。しかし、役立たずのままで居るのも嫌だった。
少女はイェルドから鍋を受け取り、落とさぬよう両手でしっかりと掴んでそれをコランのところに持っていった。
「ん? なんだガキ……それを、使えってか?」
コランは少女の手から鍋をぞんざいにひったくろうとして、すんでのところで手を止めた。
少女の背後、少し離れたところで青いふたつの目がこちらを睨んでいるのを見つけたからだ。
「こいつは小さすぎる」
小さい声で言いつつ、コランは丁寧に鍋を受け取る。見れば、かなり古い代物らしいが、よく手入れされていて綺麗だ。
「……ありがとよ」
彼が感謝の言葉を口に出したのだと気づくのに少し時間がかかった。
少女がうろたえるうちに、彼は、その浅い鍋をよく熱した後、切り落としたトカゲの肉を入れて焼き始めた。
「おい、ガキ。暇なら手伝え。お前でもその鍋をかき混ぜるくらいできるだろう」
言われるがままに、近くにあった鍋をかき混ぜ始める。近くに来るとわかるが、鍋からはいい匂いがする。
「そうだ。悪くねえ。焦げ付かないように下の方からしっかり混ぜろ」
少女はコランの指示を忠実に守りながら鍋の世話をする。
一方、イェルドは少し離れたところからじっとその様子を見ていた。
水くみから戻ったヒュールがイェルドの方に近づいてくる。
「お疲れ様です、イェルドさん」
「ああ。お互いな」
イェルドはコランの姿を見つめながらそう言ったので、ヒュールは苦笑した。
「あいつは性格が悪いですが、悪人というわけではありません」
「ああ。分かっている」
「そう言っていただけるとありがたいです」
少女とコランが共に夕食の支度をする光景は、さっきまで張り詰めていた隊商の空気を不思議と和らげているようだった。
「あの子は、奴隷だとおっしゃっていましたが……なぜ……」
「成り行きだ」
イェルドはいつものように短く答える。説明が十分でないことは分かっているが、説明は長くなる。ヒュールは無精髭ひとつない顎を撫でながら、そうですか、と言った。
「お前達は?」
「――成り行きです」
イェルドは眉をぴくりと動かした。何も言えない。
ヒュールはまた小さく笑う。
「冗談ですよ」
彼はイェルドの隣に座り込んで、同じ様に料理の光景を見る。
「僕がまだまだ傭兵に成りたてだった頃のことです。私は悪い傭兵にいいように使われて、囮にされ、魔獣に襲われて死にそうになったんです。そこを彼が助けてくれたんです。私は悪い傭兵仲間とは縁を切って彼についてまわるようになったわけです。幸い、並程度には魔術を使えますから」
お読みいただきありがとうございます。
またまたかなり久々になってしまいました。エタらぬように頑張ります。




