第14話 胎動
その部屋は薄暗かった。
普段は点いている灯りが全て落とされ、机の上にある燭台だけが灯っている。昼間なら豪華に見えたであろうその部屋は、薄暗さも相まって異様な雰囲気を演出していた。
「なんだ、こんな辛気臭いところに俺を呼び出して。その態度も含め、偉くなったもんだな」
やってきた人物が、用意されていた椅子にどかっと座った。
その態度こそ偉そうなのだが、実際に偉い。少なくともテーブルの向かいに座る男よりは。
「ようこそおいでくださいました、殿下」
「ふん」
殿下、と呼ばれたその人物は、テーブルの上にあったブランデーのボトルを開け、深い琥珀色の液体を無造作にグラスに流し入れた。
それから向かいの男の前にあったグラスにも、めんどくさそうにはするものの、とくとくと満たしてやる。
「これはこれは。殿下自ら、ありがとうございます」
「そう思うなら先に動いたらどうなんだ」
ボトルをどん、と置いて、乾杯を誘ってくる男に構わずグラスを揺らす。
「いいものを飲んでるな」
「五十年ものでございます、殿下」
「羽振りがいいようでなによりだ」
グラスに揺れる色を楽しみ、フルーティーでありつつも、熟成樽のウッディーな香りを存分に堪能してからぐいっと呷って、喉が焼け付くようなその味を満喫する。おおよそ平民が味わえるような代物ではなかった。
「それで、なんの用だ」
またボトルを傾けながら問いかける。
眼の前の男──宰相は『くくっ』と喉を鳴らし、グラスを同じように傾けた。
「第二──ウィルフィード殿下が考えられた魔導車は、素晴らしいものでございますな」
強烈な視線が突き刺さる。
それを意に介さずグラスを揺らし続ける宰相の姿に、いらいらしたような声が発せられた。
「そうだな。母上──王妃協力とは言え、弟は昔から優秀だ」
そんなことはわかっている。何が言いたいんだお前は?
そんな声が見え隠れしていた。
宰相はもう一度笑い、酒を流し込んだ。
「王位に近いのは、さてどちらでしょうな」
「──っ!」
グラスを割れんばかりに握りしめる。
言われずとも、呼び出された人物である彼、レオナルド第一王子は痛感していた。
昔から弟は優秀だった。奴が通した案は一つや二つではない。今度に施行する新たな政策も、そのうちの一つだった。
技術革新に対しても前向きである。有名なのが魔導車だった。これまで馬にしか頼ることができなかった移動方法を、変革させたのだ。
一番の違いはその速さ。疲れもせず、休むことなく走り続けるそれは、馬とは段違いに移動時間を短縮する。
乗り心地も申し分ない。馬のように激しく揺れないのだ。荒地であろうとも衝撃を吸収するその作りは、移動の負担を大いに軽減していた。
もちろん、技術的な課題はまだまだあるだろう。長距離での安定性、ボリュームゾーンが大きな壁となっていた。
だがそれを差し引いたとしても、持たされる恩恵は大きい。外交面でも十二分に役に立つ。他国にアピールできる技術、技工は大きな武器となった。
「……弟のほうが王に相応しい。それは俺も納得している」
やけになったかのようにグラスをあおり続ける。
すてばちになる彼の姿を見た宰相は腕を組み、にやりと笑った。
「私は貴方のほうが王であるべき、と考えております」
「!? なにをバカな!」
「本心ですゆえ」
「嘘をつけ!」
激高する彼の言う通り、どう考えても第二王子のほうが優秀だった。すでに外交面でも、何度となく他国と交渉の場についていた。
王国内のプロジェクトでも、第二王子の担当は多い。優秀な頭脳を誰もが頼りにしていた。時に温厚に、時に非情に。問題点を厳しく追求する姿には、兄である彼でもカリスマ性を認めざるをえなかった。『こいつについていけば』と思わせるには十分な姿だった。
それに見た目もいい。トップが見目麗しい人物だと、従う者も多い。持って生まれた容姿だって己の武器だ。
容姿に頭脳に。第二王子はまぎれもなく王になるべくして産まれた人物だった。
それを、この男はそいつを差し押さえて、自分が王になるべきだと言っている。
「なんの冗談だ」
「冗談など申すはずもございません」
「俺など、平凡だ。弟が王位についたほうがいい。別に俺は王位に執着していない」
投げやりに言うが、事実、昔から思ってきたことだった。
自分なんかより弟の方が遥かに王に向いている。俺は弟のサポートでいい。そう言い聞かせて育ってきた、つもりだった。
だが、宰相はイヤな笑みを浮かべる。
「嘘、でございましょう?」
「なんだと?」
「貴方様は第一王子。常に王に近い存在として教育されたきた。それは今もです」
「それは……」
「さぞ辛かったでしょう、心苦しかったでしょう。こんな思いをなぜしなければいけないのか、と」
「…………」
「それなのに、《《ただ少しばかり頭がいいだけ》》で、なにもかも奪っていく」
「……っ」
「そんなものが許せるはずないでしょう?自分の頑張りはなんだったのか。なんのために王太子教育を受けているのか……そんな思いが溢れているはずでございましょう?」
「わかったような口を……」
「ええ、ええ。私はわかっておりますとも。貴方の数少ない味方ですよ、私は」
声が、心に絡みつくように浸透していく。
昔から何一つとっても敵わなかった。卒業するのがやっとの自分を嘲笑うかのように、首席で卒業していった。
政策の一つに力を入れてみた。重臣の前で披露したその場で、致命的な矛盾を指摘してきた。それも改善策付きで。その瞬間、その政策は奴のものになった。
弟の存在が鬱陶しかった。あいつさえいなければ。何度思ったかわからない。
憂鬱な気分で王太子教育を受けてきた。なんのために俺が。誰もいないところで愚痴を零してきた。
弟のほうが優秀よね。全然違うよね。兄より優秀な弟はいないなんて笑っちゃうわ。あんなのが王位に近いなんてね。
そうやって陰口を叩く侍女やメイドも見てきた。そのたびに歯ぎしりをして、悔しい思いもしてきた。
それでも、ただ一人の弟だ。
別にそれでもいい。あいつが王になればいい、俺は凡庸なのだから、と縛ってきた。
「貴方様の頑張りは、私がずうっと見てきました」
「…………」
「貴方様こそ、次王に相応しいお方。貴方様こそ、私が仕えるべき主でございます」
「…………」
「私に任せれば、次期王位を確実なものにできるかと」
宰相が恭しく頭を下げる。
その姿が。
その声が。
自分を縛る鎖を緩くしていく。
高級な酒のように、体と心に染み込んでいった。
「……なにをする」
ばっと顔を上げた宰相は、気色の悪い満面の笑みを浮かべていた。
「査察に参るようです」
「査察?」
「街の外れの教会、孤児院となっているそこに」
「それがどうした」
「そこで醜聞になれば、彼の信頼も揺るぐことでしょう」
「孤児を襲うのか!?」
驚きに声を荒げるが、宰相は笑みを絶やさない。
「あくまでフリですよ、殿下。信頼、信用、外聞。それをほんの少し弄るだけです」
「だが……」
「いいのですかな? このまま弟君様が立太子を授かっても」
「ぐっ……」
だん、とグラスをテーブルに叩きつけ、うつむいて黙る。
その間声もかけず、宰相はじっと答えを待つようにしていた。
しばらくして、レオナルドは振り絞るように言った。
「……孤児に害をなすことは許さん。司祭やシスターにもだ」
「ええ、わかっておりますよ殿下。《《直接》》手を下したりはしません。そのあたり、全て私にお任せを」
「あぁ……わかった」
苦渋の表情で戻っていくレオナルドの背中を見て、宰相がにやあっと笑う。空になったグラスに酒を満たしていった。
「そうですよ殿下。愚鈍な貴方が王になることを、私は心の底より望んでいるのです」
宰相──デイモン・マローニ公爵は、乾杯のようにグラスを掲げ上げた。
部屋を去ってから、自室への長く広い廊下を歩いていると、夜も更けるという時間なのに使用人ではない女性に出会った。
美しいが、疲れが顔に出ている。王妃教育がこの時間まで延びたのだろう。
こちらに気づいたのか、表情と雰囲気を変えて嬉しそうに駆け寄ってきた。
「レニー様っ」
その可愛らしい声に、沈んでいた気持ちが少し湧き上がる。
幼い頃からの婚約者だった。出会いはもう、十何年前になるか。弟はどうか知らないが、自分は将来の相手に深い愛情を抱いていた。
「フィフィ。こんな遅くまで……大丈夫か?」
「はい、わたくしは大丈夫ですわレニー様。お気遣い、ありがたく存じます」
心配をかけないためだろう。綻ぶように微笑んだ。優しい娘だった。
「教育係も無茶をする。このような時間までお前を帰さないだなんて」
「そう仰らないで。わたくしのため、レニー様のためを想って、心を鬼にしてくださっているんだもの」
「だが、少しばかり詰め過ぎだろう。お前の身体になにかあったらどうする。倒れたりしては元も子もない」
「レニー様……本当に、大丈夫ですから」
「……お前がそう言うなら、俺からはなにも言うまい」
「はい……心配くださって、嬉しゅうございます」
そう言って、身を寄せるように甘えてきた。健気なその姿に、思わず抱き寄せてしまう。『レニー様っ』と驚くその声が、耳に響いてきた。
恥ずかしそうにこちらを見上げてくる、大きな瞳と目が合う。彼女の頬が赤く染まり、すっと目が閉じられた。
そのまま、優しく唇を重ねる。
どくん、と波立つ己の半身と感情を叱咤し、数瞬してから顔を離した。
『ふは』と小さくとも熱い吐息を彼女が漏らす。目は潤んでいるようだ。
これ以上は我慢できそうもない。
「早く部屋に戻れ。侍女も心配する」
「はい……レニー様」
名残惜しいが、身体を優しく離してやった。
嬉しそうにしているが、どことなく物足りなく感じているかのようにも見える。
寝室に放り込みたくなる劣情を、ぐっと堪えた。
「でも、レニー様もこんな夜更けまで、どうされたのですか?」
「──!」
思わず固まってしまった。その瞳に、心が見抜かれたように感じてしまう。
脳裏に先ほどの会話が甦ってきた。
『孤児院となっているそこに』
『醜聞になれば、彼の信頼も揺るぐことでしょう』
『いいのですかな? このまま弟君が立太子を授かっても』
「……っ」
「レニー様?」
「……なんでもない。用があっただけだ。もう戻る」
「そう、ですか……」
不自然な態度に気づいたのかもしれない。王妃教育を受けるほどだ。人の機微には聡い娘だった。
「あの、レニー様……」
「本当になんでもない。お前ももう戻れ。明日に響くぞ」
「……はい」
何度も振り返りながら去っていく姿を見やる。
彼女も陰口の対象だった。ハズレを引いた可哀想なご令嬢、そんな汚名を着せられている。思いやりに溢れ、聡明でありながらも純粋で、気品に満ちているというのに。
後ろ指をさされながらも、厳しい教えに食らいついてくれている。自分なんかにはもったいないくらいの女性だった。
それなのに、他でもない自分のせいで。
「必ず、王になる」
拳を握りしめてつぶやく。
己の矜持、弟のことなどどうでもいい。
他の誰でもない、ただ、彼女のために。




