5.元悪役令嬢の不安
「最近マリーってば、ちっとも食堂でお昼食べていないけど何処で食べてるの?」
「え?」
王宮内にある使用人専用の食堂で一緒に朝食を摂ることにしていたニキが私に聞いてきた。
思わずフォークに刺していたソーセージが落ちてしまった。
「時々外で食べていることは知ってたけど、ここ最近は毎日じゃない。雨の日だって外で食べてるでしょ? 何かあるの?」
「そう……かな……」
「隠しても無駄よ」
ニキは意地悪な笑みを浮かべて私に近寄ってきた。
私は慌てた気持ちを取り戻すようにお水を飲み干す。
「最近、昼食に誘われているの」
「男の方?」
「………………うん……」
まるで尋問を受けているような気分になってしまい、結局正直に伝える。顔が熱い。
「やっぱり! もう~言ってよ! ね、どんな方? 爵位持ち? それとも騎士? 官吏の方?」
矢継ぎ早な質問だけれども、私はどう答えれば良いか悩む。
「身分はよく分からないの。ただ、多分貴族らしい教育を受けていらっしゃるように思うわ。あまり身分を明かせない方らしいから」
「身分を明かせない人?」
ニキは先ほどまであった興奮が一瞬にして落ち着くと、席に座りなおして顔をあげる。何かを考えている時にする彼女の癖だ。
「だとすると、礼拝堂の方かしら。ほら、聖職者の方も時々いらしてるじゃない」
「う~ん……でもお会いする場所が騎士団の訓練所なのよね」
「じゃあ騎士の見習いかしらね。お名前は分からないの?」
「……うん」
私は、彼がリゼルという名前であることを伝えなかった。
彼が、身分や素性を知られたくない様子を知っていたからだ。
「マリーはその人とどうなりたいの?」
「どうって……」
やはりニキ。恋話が大好きな彼女は、侍女の中でも恋話が出てくると喜び勇んで話を聞きに行く性格だった。そして今も同様に聞いてくる。
それでも不快にならない言い方や、時には親身に相談に乗っている彼女の姿は傍目から見ていてとても好感を抱いていた。
私もつい、その調子に飲まれてしまう。
「今のままでいいと思っているわ」
「今のままって……昼食友達?」
「そうね」
「ダメでしょ」
一蹴されてしまった。
「素性も知らない男性と毎日昼食を摂っていてそのままでいいわけないでしょうが。それに相手も、好きでもない女性とわざわざご飯なんて食べにこないでしょ? 確実に相手は貴女に気があるわよ」
「…………そうかな」
「絶対に」
深く頷くニキ。
私も、考えないわけではなかった。
どうしてリゼル様は毎日のように私に会いに来てくださるのだろうか、と。
忙しい日は来れないけれど、また別の日にはと必ず約束を交わし、いつも他愛のない会話に付き合ってくれる。
そのサファイヤの瞳から見える感情に、もしかしたらという考えは時々浮かんでいた。
けれど自分から聞き出すこともせず考えに蓋をしていた。
それは、リゼル様と過ごす時間が心地良くて。出来ることならこのまま過ごしていければな、という甘い気持ちがあった。
「ねえ。マリーはその人のことどう思ってるの?」
「…………分からない」
正直に伝えた。
嫌いではない。けれど好きだと言うには、あまりにもリゼル様の事を知らない。
「このままでも変わらないなら、思い切って進んでみるのも一つの手よ?」
「……そう、だね……」
私はニキの助言に小さく頷いてからスープを口に含んだ。
さっきまで美味しいと感じていたスープの味が、今は全く味がしなかった。
仕事をこなしながら、私は今朝ニキに言われた言葉を思い出していた。
(勇気を出してみようかな)
たとえ居心地の良い時間であったとしても、いずれは終わってしまう。このまま引き延ばしていたとしても逃げているように思えた。
正直に言えば、そう。逃げている。
(私の考えが当たることが怖いんだわ……)
リゼル様と会う度に浮かんでいた思いがある。
もしそれが、考えていた通りのことだったら。
(私はリゼル様と軽々しくお会いできないだろうな)
もし本当に、リゼル様が王太子であるとしたら。
そんな思いが彼と会う度に浮かんでいた。
扉が開く音がした。
周囲の侍女達が頭をさげる。私も倣い頭を下げた。
私が今、清掃していた場所は居館の中でも大広間の傍だった。長い廊下の先にある広間は舞踏会や騎士叙任式などが行われる。
そして、ローズマリーがグレイ王に婚約を破棄された場所でもある。
「期間は短いが進められるか?」
「問題ありません」
足早に廊下を進む男性達の声。私は頭を下げたままのため、彼らの足元だけしか見えない。
「しかし公爵。王からの許可がまだ出ていないが……」
「グレイ王は現在療養中と聞いているので文で伝えておいてます。許可を待ってからでは時間が足りないでしょう」
「ですが……」
「アークベルト宰相」
ひどく冷たい声が廊下に響いた。
「王子の婚約を急ぎたいと仰っていたではないですか? この機会を逃せば無駄に税を削るだけだと何故分からないのです?」
「…………」
宰相と言えば、現在の国の中でも強く勢力を維持する方だったはず。
その方が押し負けてしまうような公爵様は、どれだけ力のある方だろう。
気になったけれども顔をあげるわけにもいかず、立ち去るのを待つのみ。
「この件にはガスティア公爵からも了承を得ておりますよ。ご相談されるのも時間の無駄ではありませんか? 我々が目下協力すべきことは王子の婚約者をどうするか……ではないですか?」
「ローズ公爵! 言葉が過ぎますぞ!」
私は、宰相が言った名前に全身が凍り付いた。
(レイナルド・ローズ……公爵?)
ローズマリーの弟だったレイナルド。
彼が爵位を得てローズ公爵と名乗っていることは知っている。そして、滅多に王城に訪れることがないため、顔を見かけたとしても遠目で一瞬見れるかどうかの距離だった。
それが、こんなにも近くにいるなんて。
ローズマリーだった頃の記憶が一瞬で蘇る。そして、打ち砕かされる。
(ああ)
どれほど辛い思いをしてきたのだろう。
慕っていた姉が死に、ユベールの名は落ちていた。その絶望の中でどれほど苦しんできただろう。
(でも無事でいてくれた)
それが嬉しい。
少しずつ遠ざかる声は、大広間の扉が閉まると共に消えた。
周囲が顔をあげる中、私は顔を下げたまま立ち尽くしていた。
「マリー? どうしたの……? 具合でも悪いの?」
ニキが心配そうに私の背中を撫でてくる。
俯いたまま涙を零す私を心配してくれる。
「ごめんなさい。何でもないの……」
笑って涙を拭い、気を取り直して掃除を始めようとニキに声を掛けた。
レイナルドもアルベルトも、変わらず生きていてくれたことが嬉しいけれど。
私は何故か、レイナルドが先ほどまで交わしていた会話に胸の不安が拭えなかった。
仕事の時間が終わり、用意された個人の部屋で侍女服から私服に着替え終えた頃。
廊下で少し賑やかな声がし始めた。
気になったので部屋から出てみると、仕事を終えた令嬢や、まだ仕事中のはずなのに持ち場を離れて話に盛り上がる令嬢の姿があった。
「どうしたの?」
「ニキ」
ニキも騒ぎが気になって部屋から出てきたらしい。
「ニキ、マリー! チャンス到来よ!」
顔見知りの侍女が私とニキに抱きつく勢いで寄ってきた。
「私達と王子の舞踏会ですって!」
「…………はあ?」
私とニキは、重なるようにして声を出していた。
別の令嬢から書面を渡されたので、ニキと私は並んで読み始める。
そこには確かに舞踏会のお知らせが書かれていた。
「日頃から勤めに励んでいる王宮侍女への慰労も兼ねて舞踏会を開催する……ってこれ」
「ローズ公爵とアークベルト宰相が大広間で話されていたことかもしれないわね」
仕事中に見かけた二人の会話がここに来て繋がった。
彼らは、強引にリゼル王子の婚約者選びを進めようとしている。
「でも舞踏会を開いたって……」
数多の令嬢に王子が押しつぶされる未来が見えた。
「あら。もしかしたらリゼル王子にお相手が出来たのかもしれないわよ?」
「そう……かな……」
書面をもう一度眺めながら、私はローズ公爵を見かけた時に感じた不安が余計に広まった。書面に書かれる出席者は今回招集された令嬢達を対象としている。つまり私も参加が義務付けられている。
「見て! ドレスは後日王宮の物を貸して下さるみたいよ! 嬉しい~!」
流行りのドレスが着れるとはしゃぐニキを見て、私も微笑んだ。
不安を感じても仕方がない。
ただ、一つだけ勇気を出して導かなければいけない答えがある。
その期日が早まったことに。
私は少しだけ胸が痛んだ。