第六話 夜明け
(父上?)
シュツェルツの言葉を頭の中で繰り返したアウリールは、入室してきた男を改めて凝視した。
では、この男が国王メルヒオーアなのか。
どういう風の吹き回しだろう。国王は、シュツェルツに無関心なはずではなかったのか。
そもそも、息子を心配して見舞いに訪れたのだとすれば、なぜ、シュツェルツがうなされていた昨夜に、きてくれなかったのだ。
そんな反感はおくびにも出さず、アウリールは右手を胸に当てて一礼し、壁際に下がった。
メルヒオーアは寝台脇まで歩いていくと、シュツェルツに声をかけた。
「先程、そちの兄を見舞ってきた。そちのほうが元気そうだが、具合はどうだ?」
「お心遣い、ありがとうございます、父上。まだ熱っぽいですが、そのうち良くなるかと存じます」
シュツェルツはいつになく緊張していた。彼にとって父親とは、安らぎを与えてくれる存在ではないのだ。
メルヒオーアは、次にアウリールを振り返った。
「そちは、王子の容態をどう思う?」
今の自分の表情を、メルヒオーアに見られるわけにはいかない。アウリールは、こうべを垂れたまま答えた。
「は。昨夜は高熱を出されましたが、順調に回復している由にございます。数日中には、また、授業をお受けになることができるでしょう」
「それは何よりだ。王子は我が国にとって重要な王位継承者の一人。これの兄のようにはするな」
メルヒオーアはそれだけ言うと、シュツェルツに別れの挨拶もせず、部屋を出ていった。
(何という言い草だ)
アウリールは怒りを抑えきれなかった。メルヒオーアは、息子のことを大切に思っているつもりなのかもしれない。
だが、あれではまるで、シュツェルツに王位継承者としての価値しか見出していない、と言っているようなものだ。道理でシュツェルツが、国王夫妻は仕方なく彼を生んだという噂を、信じているわけだ。
それに、アルトゥルは望んで病弱に生まれついたわけではない。国王夫妻の仲が悪いのも、合点がいく。
「……そなた、怖い顔をしているな。そなたのそのような表情は、今まで見たことがない。何を怒っている?」
アウリールは自分が拳を握って、メルヒオーアの消えた扉を睨んでいることに、ようやく気づいた。外に聞こえないよう、声を潜めて答える。
「失礼致しました。国王陛下のおっしゃりよう、あんまりだと思いまして」
「なぜだ? 父上はいつも、あのような感じなのに」
「陛下は、まるでシュツェルツ殿下に、王位継承者としての価値しか認めていないように、わたしには感じられました」
シュツェルツは、まだ十歳にもなっていない少年にはそぐわぬ、大人びた笑みを浮かべる。
「だが、それは正しい。先程も言ったが、僕は兄上の代わりだ」
「そのようなことはございません」
アウリールは力強く否定した。
「殿下の価値は、そのようなつまらないことに左右されるものではございません」
シュツェルツは、呆気に取られたようだった。
「つまらないこと……? 王位継承権が?」
「はい。あえて申し上げますと、その通りでございます。王位継承権を持っておいでかどうか──そのようなことよりも、殿下の価値は、殿下が今、存在なさっていること、それ自体にございます」
少し難しい言い回しだったかな、とアウリールは言ったあとで思ったのだが、聡いシュツェルツは、その意味を正確に察したようだ。
「──つまり、僕は、僕のままでいれば良いのか……?」
「さようでございます。さすが殿下、よくお分かりになりましたね」
「馬鹿にするな。これでも、本だけは読んでいる」
可愛げのない返答をしたあとで、シュツェルツは真顔になった。
「……もう一度、ここに座れ」
寝台脇の椅子を指し示されて、アウリールは言われた通りにする。
「何でございましょう? 殿下」
シュツェルツは、やや不安そうな顔をしたあとで、おずおずと形の良い唇を開く。
「──さっきは、すまなかった。そなたに八つ当たりをしてしまって。そなたには関係のないことなのに」
「関係ございますよ。殿下は人形ではないのですから、お怒りになってよろしいのです」
「……じゃあ、赦してくれるのか?」
「赦すも何も、最初から腹を立ててはおりません」
シュツェルツは、きゅっと唇を引き結び、眉尻を下げると、消え入りそうな声で言った。
「……ありがとう。アウリール」
それは、シュツェルツが初めてアウリールの名を呼んだ、記念すべき瞬間だった。
アウリールは感慨に耽ったあとで、ふと思い出す。
「そういえば、先程は何をおっしゃろうとしていたのです? 確か、夢がどうとか……」
「な、何でもない!」
シュツェルツは赤面して、首をぶんぶんと横に振った。
*
順調に回復したシュツェルツは、アウリールへの態度に変化を見せた。
まず、授業で分からなかったところがあると言って、勉学の質問を頻繁にしてくるようになった。
それから、チェスの相手をしてくれ、と頼んでくるようにもなった。本を読んでルールだけは知っているが、今まで一度も人と遊んだことはなかったそうだ。
時々同席していた昼食は、今では毎日、ともに摂っている。
お陰で、アウリールは忙しくなり、今まで以上に充実した毎日を送るようになった。
そして、シュツェルツの一番の変化は──。
「アウリールは、僕の侍医になっていなかったら、何になりたかったの?」
アウリールと会話する時の口調が、女官たちと話す時のような、気安いものに変わったのだ。
アウリールは、チェス盤に落としていた視線を、シュツェルツに向ける。
「故郷に帰って医師をする、という目標がございました。わたしの故郷は小さな村で、医師がおりませんから」
「医者がいないなんて大変じゃないか。病人が出たらどうするの?」
さすがのシュツェルツも、無医村のことは知らなかったようだ。たまにしか見せない子どもらしい反応を目にして、アウリールは微笑して答える。
「村の神官である父が、神学校で医術も学んでおりましたので、医師の代わりを務めております。それでも手に負えない時は、遠い街に住んでいる医師を頼ります」
「落ち落ち風邪も引けないね。じゃあ、どうしてアウリールは、故郷に帰らずに、侍医になったの?」
「それは……」
アウリールは口ごもった。奨学金の返済を免除してもらう代わりに、侍医になったことは、シュツェルツの前では、口が裂けても言えない。
「何? 隠しごと?」
白い駒を動かしながら、シュツェルツが問う。
「まあ、大人の事情というものが、色々とございまして……」
アウリールはチェスの応戦をしながら、だんまりを決め込むことにした。せっかく、シュツェルツに信頼され始めたのに、自らぶち壊しにするような真似はしたくない。
「ふーん、アウリールは、そのうち故郷に帰りたいんだ」
シュツェルツが不機嫌そうに言った。良からぬ理由で侍医になったことに、感づかれたらしい。アウリールがシュツェルツに手を焼くのは、こういう時だ。
アウリールは動かすべき駒に思いを巡らせながら、シュツェルツへの答えも考えるはめになった。本でチェスの勉強をしているだけあって、シュツェルツの腕はなかなかのものなのだ。
「……そうですね。ですが、しばらくはやめておきます」
「どうして?」
「殿下が立派に成長なさったお姿を見届けてからでも、遅くはないと思いますので」
アウリールがほほえむと、シュツェルツは目を見張り、頬を染めてうつむいた。しばらくして、シュツェルツは上目遣いにこちらを見る。
「僕の成長がそんなに見たいなら、女官たちや侍従たちみたいに、この東殿に住みなよ。侍従長には、僕から言っておくから」
「え……」
アウリールが驚いて言葉を失っていると、シュツェルツは駒を指先でトントンと叩きながら、頬をふくらませた。
「何? 嫌なの?」
アウリールは苦笑した。正直、チェスの次の一手を考えるより、先程のシュツェルツの問いに答えるほうが、ずっとたやすい。
「いいえ。殿下がお望みなら、喜んでそのように致します」
シュツェルツはぽかんと口を開けたあとで、顔をほころばせた。
その様子を見守りながら、アウリールは一年前のステラエ医科大学での出来事を思い出していた。あの時、鼻持ちならない学長はこう言った。君を必要としている患者がいるのだから、辞令を受けてくれたまえ、と。
その患者とは、シュツェルツに他ならない。今から思い返せば、確かに彼は、アウリールを必要としていたのだ。
こんな時、無神論者の自分は、偶然というものの偉大さに思いを馳せずにはいられないのだが、父ならば、こう言うのだろう。運命神ロサシェートのお導きだ、と。
運命とやらを操っているのが、何者であろうと構わない。シュツェルツと巡り合わせてくれたものが、偶然だろうと神だろうと、自分はこの出会いに、心から感謝しているのだから。
アウリールは、掛け替えのない主君に、笑顔で応えた。
『ひねくれ王子と新米侍医』完
短い話ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
その後のシュツェルツとアウリールが登場する長編、『未来の女王陛下、初恋の君と再会する』も、興味があればよろしくお願いします。
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