第10話 三銃士登場
さて、チェスはいつ普及したのかと聞かれたら、多くの研究家は17世紀ごろのヨーロッパでと答えるだろう。当時、フランスでコーヒーハウスが拡大し、コーヒーを飲みながらチェスを楽しむ文化が生まれた。つまり、チェスは競技的な側面の前に交流の手段として愛されてきたのである。
その交流や戦いの歴史を支えるチェス倶楽部に、勇たち一向はまさに今足を踏み入れようとしていた。
「東京ってどうしてこう同じ景色ばかりなの? 迷っちゃうじゃない」
「もうすぐだって……と、ついた。ここだよ」
薄暗くなってきた頃、僕たちは都会の喧騒から少しはみ出た通り、銀座5丁目のとある建物の前で立ち止まった。
深い赤と焦げ茶色に彩られたレンガ組みのレトロな外観をしたそれには、白い文字でCardinalと書かれた看板がデカデカと壁面に掲げられていた。
「すごく年季が入ってそうなところだネ」
「たしか、創設して100年は経っているはず」
「へー、大人なところって感じ」
僕は先頭に立ち、立てつけの悪い重い扉を力を込めて開く。
入った瞬間に感じたのは親しみやすさ。店内が全体的にウッディモダンな作りになっているのが原因だろう。少し薄暗い部屋の中に所々置かれたスタンドライトが店全体を淡く照らしあげ、テーブル、カウンター席を際立たせる。
いくつかのテーブル席は仕事終わりだろうか、シャツをラフに着こなしグラス片手にチェスボードに向き合う大人たちが、楽しそうに会話しているのが見える。
「いらっしゃいませ……って、おいおい高校生じゃねぇか」
入り口向かって左側にあるバーカウンターから声が聞こえた。そこには、30代半ば程だろうか、屈強で大柄な男がグラスを拭きながら黒いサングラス越しに僕たちを見据えていた。白いシャツに黒ベスト、よく漫画とかで見るバーのマスターって感じだ。違うのは、見栄っ張りなのか驚くほどたくさんのアクセサリーを身につけている点だろうか。
「高校生にはまだ早ぇぜ、悪いが帰ってママのオッパイでも吸ってな」
ゲラゲラと笑うカウンター席の客たち。
「悪いけど、チェス倶楽部に用があるんで」
その一言でチェスを指していた客の手が一斉に止まり、全員の目がこちらに向けられる。
「ひぇー、勇くん。これ大丈夫?」
「怖そうな人たちだヨ」
さっきから僕の影に隠れている良々と部長がビビって震えながらきいてくる。
「ほう? ただのマセたガキじゃなさそうだな。バーじゃなくてチェスとしてか……普段この時間は断ってるが、せっかく来たんだ。その度胸、歓迎しようじゃねぇか。ようこそチェスバー『カーディナル』へ!」
「ありがとうございます」
その時、カッカッとハイヒールの音を響かせ、美人のお姉さんが近づいてくる。彼女は鮮やかなブロンドに染まった長い巻き毛をサラッとなびかせる。いかにも仕事ができそうなキャリアウーマンだ。
「へぇ〜、可愛い子たちじゃん。お姉さんと遊ぶ?」
「おいスミ、自分が寂しいからって子供に手出すんじゃねぇぞ」
「するわけないでしょ! トッポのバカ、余計なこと言わないの!」
スミと呼ばれた彼女はトッポと呼ばれたマスターと小競り合いをした後、こちらに向き直す。
「ごめんね、私の名前は澄、そのままスミとかスミちゃんって呼ばれてるわ」
「はぁ……」
「それで、あんたたち名前は?」
「あっ、私、良々って言います」
「よろしくね良々ちゃん。可愛いわね〜」
「えへへ」
大人のお姉さんに褒められて照れる良々。
「僕は勇、王城勇……」
——パリン!!
マスターのトッポが手に持っていたグラスを滑らせ、床に落ちたそれが派手に割れる。
「う……そ、でしょ……もしかして」
「……おいおい、マジかよ」
スミとトッポが絶句する。
「あなた、もしかして……先生の……王城さんの息子の勇くん?」
コクリと頷く僕。
その瞬間、カウンター席からテーブル席まで、全ての客が勇に駆け寄る。ただ一人、テーブル席の奥に座る男を除いて。
「おい、ほんとかそれ?」
「顔確認させろ!」
「押すなコラ!」
「そうかも〜」
「おい、アスマも来いよ!」
群衆に呼ばれた男はテーブル席のソファから動かず、酒をすする。
「チッ……うるせぇ」
店内は大騒ぎ、どうやら父さんの名は想像以上に有名らしい。
カウンターから出てきたトッポが群衆をかき分けて僕の目の前まで近づき、僕の顔を覗き込む。サングラスの奥から厳つい目が透けて見えた。
「うーむ、確かに……、あの頃来ていた勇坊だ」
「子供ってほんとおっきくなるの早いわね〜」
トッポがしっしっと群衆を手で払い席に戻らせた。
「この人たちと知り合いなのかイ? 勇くん」
「えっと……昔のことで、ちょっと」
「えーショック! あんなに可愛がってあげてたじゃな〜い」
「す、すみません」
「ま無理もねぇ、あの頃は王城の旦那も仕事が忙しいって、あまり顔を出してなかったしなぁ」
少し思い出した。父さんと一緒に来た時、このお姉さんに嫌というほど頭を撫でられていたような気がする。
「とりあえず、座れ座れ」
「ありがとうございます」
「お邪魔しまーす」
「し、失礼しますネ」
促されるまま、僕たちはスミと共にカウンター席に腰を下ろした。
その時、アスマと呼ばれていたテーブル席の男がボソっと呟いた。
「いまさら何しに来たんだよ」
「おいアスマ! お前も声かけてやれ! ったく…悪ぃな」
「さっきから先生って、勇くんのお父さんのことなんですよね?」
良々が手を挙げて聞く。
「そうよ、私とトッポ、そしてあのアスマはチェスで王城さんの弟子だったの。だけど、先生は5年前……ってまぁ知ってるわよね」
「特にアスマは一番弟子でな。先生のことを誰よりも慕ってたんだ。あんなことがなけりゃあよ。今は酒浸りの毎日でごらんのありさま。本当はいいやつなんだがなー」
「……」
ひとまず目的は達成できた。予想通り父さんのことを知る人物がいる。しかし父さんが弟子をとっていたとは知らなかった。
トッポはマスターとしてノンアルコールのドリンクを振る舞ってくれた。南国感たっぷりのフルーツジュースのようだ。
「飲め、おごりだ」
「……ありがとうございます」
「わー! これおいしーい!」
「おいしいネ!」
「でしょー、トッポのドリンクは絶品だからね」
その時だった、奥からアスマがふらついた足取りでカウンターまでやってきた。仕事終わりの白いYシャツをはだけさせた短髪の男。その顔は酒の飲み過ぎで赤みがかっている。
「おいトッポ、酒」
空のグラスを置いてマスターに酒を要求する。
「アスマ、何杯目だ? ほどほどにしとけ」
「るせーぞ!」
「ちょっと、先生の子の前でみっともないわよ」
「黙ってろスミ、てめーにゃ関係ねー」
「あんた、ほんと変わっちゃったね」
心配そうにその様子を伺う僕たちに、トッポが優しく声をかける。
「俺たちはな、同じ高校出身でチェス部の部員だったんだよ。3年のアスマ、2年の俺、1年のスミ。団体戦で全国優勝までしてな、『三銃士』って異名までついてブイブイ言わせてたんだぜ」
「へー、すごい!」
「相当強いんだヨ」
「へっ、先生の指導のおかげだろうが!」
怒鳴るアスマに肩をすくめるトッポ。
「それでお前、勇、てめーは先生が亡くなって5年も経ってんのによぉ、なんの連絡もよこさずのこのこやって来て、今更何しに来やがったんだ? ぁあ!?」
「ちょっと、喧嘩腰なのやめてよ。ごめんね酔っ払いがうるさくて……」
勢いよく顔を近づけてくるアスマを制止するスミ。
僕は真剣な顔でアスマを見据える。
「要件は一つ、父さんを殺した人物に心当たりはありませんか?」
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