第24話 続々と増えて続ける彼女達
翌日の放課後、文化祭準備に追われる校内は、昨日までよりもさらに騒がしくなっていた。
廊下には各クラスが集めた段ボールや木材が並び、教室の扉には制作途中の看板が立てかけられ、普段なら教師から注意されるような大声や足音さえ、今だけは祭りを形にするための熱気として許されている。
俺たちのクラスが企画しているお化け屋敷も例外ではなく、窓を黒い画用紙で覆う者、壁に貼る血糊まみれの手形を作る者、驚かせる役の演出について言い争う者が入り乱れ、教室はまだ完成していない段階から十分に混沌としていた。
「春日井、この板を奥へ運んでくれ!」
実行委員に呼ばれた俺は、壁際に積まれた薄い木板を抱え、教室後方に作られた通路へ向かった。
文化祭当日には客が進む迷路になる予定だが、今は骨組みだけが立てられ、床には工具や切れ端が散乱している。足元へ注意しながら木板を置いたところで、背後から紙の擦れる音が聞こえ、振り向くと琴葉が装飾用の幽霊を抱えて立っていた。
「悠人、少し手伝ってくれる?」
「どこに付けるんだ?」
「入口の上。私じゃ届かなくて」
琴葉が指した場所は、教室の扉より少し高い位置だった。以前なら彼女から頼られることそのものに意味を見つけ、必要以上に張り切っていただろうが、今の俺は脚立を持ってきて幽霊を固定しながら、ただクラスメイトとして自然に作業をしていた。
完全に割り切れたとは言えないものの、琴葉の声を聞くたびに胸が痛む時期は、少しずつ終わりへ近づいているらしい。
「最近、悠人は変わったね」
脚立から下りると、琴葉が俺を見上げながら言った。その表情には責めるような色はなく、むしろ遠くへ行きかけているものを確かめようとする不安が滲んでいた。
「そうか?」
「前は、私が頼んだらもっと嬉しそうだった」
「今も嫌々やったわけじゃないぞ」
「そういう意味じゃなくて……私がいなくても、平気そうになった」
その言葉へどう答えるべきか迷っていると、教室の入口から俺を呼ぶ声が飛んできた。振り向けば、氷室が生徒会の資料を抱えて立ち、その隣には白崎もいる。
二人は俺と琴葉が向かい合っている状況を見た瞬間、わずかに表情を変えたものの、周囲にクラスメイトがいるためか、いつものように露骨な言葉を投げてくることはなかった。
「春日井君、生徒会室へお願いします。喫茶スペースの配置案を確認していただきます」
「今、クラスの準備中なんだけど」
「十分程度で終わります」
「先輩が戻るまで、私がお手伝いします」
白崎はそう言いながら教室へ入り、俺が先ほど設置した幽霊を見上げると、琴葉へ柔らかく微笑んだ。その笑顔は礼儀正しかったが、自分が俺の代わりを務められることを示すような強さも含んでいる。
「春日井先輩は生徒会でも必要とされていますので」
「……そうなんだ」
琴葉の声が僅かに沈んだ。俺はその変化に気づきながらも、以前のようにすぐ機嫌を取ろうとは思わなかった。彼女には蓮がいる。そして俺にも、琴葉だけを中心に回らない生活が生まれ始めている。その変化を受け入れることは、きっと俺だけでなく琴葉にとっても必要なのだろう。
生徒会室へ向かう途中、氷室はしばらく無言で隣を歩いていたが、階段を上りきったところで、ようやく小さく口を開いた。
「水瀬さんと、何を話していたのですか?」
「俺が変わったって話」
「実際、変わりましたね」
「氷室から見ても?」
「はい。以前は水瀬さんの表情が少し暗くなるだけで、ご自身を後回しにしていました」
氷室の言葉は容赦がなかったが、否定はできなかった。琴葉が笑っていることを、自分が隣にいる理由にしていた時期は確かにある。しかし、それは優しさだけではなく、嫌われたくないという臆病さでもあった。
「今の春日井君のほうが、好ましいと思います」
氷室は前を向いたまま、静かに付け加えた。その声音は落ち着いていたものの、言葉の意味だけを拾えば、かなり直接的だった。
「それって、失恋仲間として?」
俺が尋ねると、氷室の歩みが一瞬止まる。
「……今は、そういうことにしておきます」
「今は?」
「聞き返さないでください」
それ以上は答えず、氷室は先に生徒会室へ入っていった。意味を考えようとしたものの、また余計な勘違いをして怒られる未来が浮かび、俺は深く追及しないことにした。
♦
その日の『アネモネ』には、開店から一時間ほどして三島先輩が現れた。昨日より二時間以上早い来店であり、彼女は空いているカウンター席へ座ると、鞄から資料ではなく一冊の文庫本を取り出した。
「今日は仕事を持ってこなかったんですね」
「休息も予定へ組み込むべきだと判断しました」
「誰かに言われたんですか?」
「非常に世話焼きな後輩に」
どうやら俺のことらしい。三島先輩はコーヒーへ砂糖を二つ入れ、昨日より慣れた動作でスプーンを回していた。その向かい側では氷室が紅茶を飲みながら、何度もこちらへ視線を送っている。夏目と椎名が来る前の店内は静かだったが、その静けさの中には、落ち着きとは別の張り詰めた空気が流れていた。
「三島先輩」
氷室がカップを置く。
「最近、頻繁にいらっしゃいますね」
「二日目です」
「今後も来るおつもりですか?」
「予定が合えば」
「生徒会の仕事に支障が出ない範囲でお願いします」
「副会長に管理される必要はありません」
二人のやり取りは丁寧でありながら、明らかに穏やかではなかった。どちらも久世会長への失恋を抱えているからこそ、互いに似た部分を見つけて気まずいのかもしれない。そう考えた俺が二人の間へ水を置くと、三島先輩は俺を見上げ、わずかに口元を緩めた。
「春日井君」
「はい」
「昨日より、コーヒーが甘く感じます」
「砂糖の量は同じですよ」
「では、味以外の問題でしょう」
その意味を尋ねようとした瞬間、氷室のカップが再び強く置かれた。店の奥では、店長がグラスを磨きながら楽しそうに笑っている。
「悠人君」
「何ですか?」
「今のうちに席順を決めたほうがいいかもしれないわね」
「どうしてです?」
「そのうち、あなたの近くの席だけ予約制になりそうだから」
冗談だと思ったのは、どうやら俺だけだったらしい。氷室と三島先輩は揃って店長を見つめ、その提案を本気で検討するような沈黙を見せた。
失恋者が増えれば、互いの痛みを理解し合える場所になると思っていた。しかし現実には、同じ傷を持つ者同士だからこそ、譲れないものまで似てしまうらしい。
そして、その中心に自分が置かれつつあることだけは、認めたくなくても少しずつ分かり始めていた。
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