第二十七話 「父と漆(ジャパン)の箱」の話
合格的な?
夕食後。
屋敷は、静かだった。
昼間とは違う、落ち着いた空気が廊下に満ちている。
人の気配はあるのに、音だけが丁寧に削ぎ落とされていた。
エドワードは、一人で歩いていた。
手には、あの箱。
漆の黒が、灯りを柔らかく受け止めている。
ただの黒ではない。深く、奥に沈むような色だった。
自然と、持ち方が慎重になる。
曲がり角を曲がったところで、足が止まった。
「……それは何だ」
低い声。
父が、立っていた。
「……日本からの贈り物です」
エドワードは、わずかに姿勢を正す。
「サエキの母上から、私へ」
一拍。
父は、何も言わない。
ただ、手を差し出した。
言葉はない。
しかし、意味は明確だった。
「……」
エドワードは、ほんの一瞬だけ箱を見下ろす。
それから、静かに差し出した。
受け取られる。
父の指先が、漆の表面に触れる。
「……ジャパンか」
低く、確かめるような声。
「はい。特注の一点ものだそうです」
父は答えない。
ただ、見る。
箱の合わせ目。
塗りの厚み。
光の沈み方。
指先が、わずかに動く。
撫でるように、確かめるように。
それは、装飾品を見る手ではなかった。
“作られ方”を見る手だ。
やがて、静かに蓋が開かれる。
中。和紙。折られた、小さな人形。
簡素だが、崩れていない。
均整が取れている。
沈黙が落ちる。
長くはない。
だが、浅くもない。
エドワードは何も言わない。
ただ、父の視線を追う。
どこを見ているか。
何を見ているか。
分かる。
これは、品物だけを見ているのではない。
”その向こう”を、見ている。
(……そうか)
整えられた塗り。
過不足のない意匠。
過剰ではないが、手は抜かれていない。
そして、この贈り方。
「本好きの友達に」
その言葉の軽さと、品の重さ。
そこにある距離感。
踏み込みすぎず。
引きすぎず。
丁寧に保たれた、他者との線引き。
(……人だな)
父の視線が、ほんのわずかに変わる。
箱から、その“背景”へ。
やがて、蓋が閉じられる。
「……良いものだ」
短い一言。
だが、十分だった。
「大切にしろ」
それだけ。
「……はい」
エドワードは、わずかに頭を下げる。
箱が、返される。
父はそれ以上何も言わず、歩き出した。
足音が遠ざかる。
振り返らない。
だが。
(……なるほど)
エドワードは、箱を見下ろす。
理解する。
あの男は、物を見ていた。
だが、評価したのは、物ではない。
それを選び、それを送った人間。
そして。
それを受け取るに値すると判断した、自分。
「……」
わずかに、息を吐く。
口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
(……間違っていない)
選んだのは、自分だ。
連れてきたのも、自分だ。
そして。
あの男は、それを否定しなかった。
それで十分だ。
「……タクミ」
小さく名前を呼ぶ。
その響きが、わずかに柔らかくなる。
箱を、抱き寄せる。
「……合理的だな」
ぽつりと呟く。
だがそれは、いつもの言葉とは少し違った。
結論ではなく、
確認のような響きだった。
廊下は、変わらず静かだった。
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悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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