For ランドール
ミナとパッセルが牢屋を脱出した頃。
シスネは処刑台の上から広場を見ていた。
処刑台の周囲には多くの武器を持った兵士が立ち並ぶ。
そして、視界いっぱいに拡がるその場所には、悪魔の最後を見届けようと広場を埋め尽くす数多くの群衆が集まっている。
どれだけいるか分からないが、ランドールの人口よりもずっと多いように見える。
集まる人々の表情の中に、シスネが上洛した初日に見た期待に満ちた目と、憧憬し歓迎するような明るい声などは何処にもなかった。
嫌悪や忌避を向けられる事自体は、諦めと共にある程度予想して中央へとやって来たシスネだったが、いまシスネに向けられるのはそのどちらでもない。
憎悪。
ただ憎悪だけが広場には充満していた。
シスネが処刑台に姿を見せた途端、まるで爆発でもあったかの様に凄まじい喧騒が広場を支配した。
悪魔と罵る恐ろしく甲高い女の声。
殺せというフレーズをただ繰り返す威圧的な男の声。
慟哭にも似た何かを、誰もがヒステリックに叫んでいた。
その全てが、シスネただ一人に向けられている。
「集まった王国人民諸君! まもなく! 我らがアルガン殿下に災いをなし、国家転覆を企てたこの悪魔の処刑を執行する! 人民諸君! その眼で悪魔の最期を見届けよ!」
位の高い役人とおぼしき男が、広場の民衆に向けて仰仰しい態度で言い放つ。
喧騒が一段と大きくなる。
「さっさと殺しちまえ!」
「今すぐ殺せ!」
「悪魔を殺せ!」
足を踏み鳴らしての殺せ殺せの大合唱が巻き起こる。
シスネは処刑台の上で、その光景をただ眺めた。
シスネが何をしたわけでもない。
しかし、もはや真実はシスネを離れ、手の届かないところに行ってしまった。
ねじ曲げられた事実を真実だと思い込んだ群衆を前に、現実感の無いまま、シスネはただ震えるしかなかった。
実感が無いわけじゃない。
目の前で起きている事の状況が分からないわけでもない。
ただ、頭が現実だと拒否している。
現実だと認識した途端、シスネはきっと立っていられなくなる。
極度の緊張と、過度の恐怖に、自他共に鉄仮面を称するシスネの顔が青ざめる。
広場を埋め尽くす程の人々から向けられる憎悪に、足が震え、呼吸が荒くなり、吐き気が込み上げてくる。
耳を塞いでうずくまり、這いずってでもその場から逃げ出したくなる。
手首に付けられた錠と、そこから伸びる鎖で逃げ出す事など出来ないと分かっていても、とにかくこの場に居たくない、と心が叫び声をあげていた。
それでも、齢19の少女が涙も見せずに気丈に立っていられたのは、処刑台の下、シスネから少し離れた位置に腹心とも云えるクローリが居たからである。
激しい拷問でも受けたのか、鉄の鎖でがんじがらめにされたクローリの体は、傷だらけで、至るところから血を流している。
しかし、そんな状態になっていても、なお自分を心配そうに見つめてくるクローリの優しい目。
そんなクローリの存在が目の届くところにあるというだけで、シスネは安心出来た。
信頼出来る私の怪物。
身の丈2メートルをやすやすと越えるその巨躯に、本当に怪物なんじゃないかと怯えた事もあった。
熊すらも素手で引きちぎるその腕に掴まれ、このまま紙切れの様に殺されるんじゃないかと思った事もあった。
女ばかりのランドール家の屋敷の中で、違和感無く話題に溶け込む様子に、「実は本当は女なのでは?」という疑惑を持った事もある。
部下になる以前はろくに出来なかった裁縫や料理を、いつの間にか特技にまで昇格させて、「女子力皆無な私への当て付けですか?」と拗ねた事もある。
たまに遠方に出る事はあったが、部下になったあの日から、常に自分の傍に寄り添い、支え、励まし、安らぎを与えてくれた信頼出来る存在。
私だけの怪物。
シスネは目を瞑った。
そのままゆっくりと息を深く吸い、同じだけの時間を掛けて吐き出した。
次に目を開けた時には、シスネの身体の震えは無くなっていた。
喧騒が消えたわけでもない。
憎悪の目が無くなったわけでもない。
けれど、震えはきれいさっぱり消えて無くなっていた。
勇んでランドールを離れ、赴いてはみたものの、故郷の街を一歩も出た事が無い自分が中央でろくに動けなかった事を認めよう。
時間も、動かせるだけの駒も少なかった。しかし、それは結局、自分の認識と力が足りなかったのだ。それも認めよう。
アルガンが倒れるという予想外の出来事が起きた事は不運であった。
―――いや、それすらも相手の手の内であったのだ。自分の上を行かれただけ。計略で負けたのだ。それも認めよう。
―――けれど、終わった事だけは認めない。
容認出来ない。
まだ私は生きている。
信頼出来る部下もすぐ傍にいる。
怪物以外にも頼りになる部下が二人もいる。
ランドールに深く関わる事は無かったのに、それでも力を貸してくれる奇特な者がいる。
まだ終わったわけではない。
獣でも悪魔でも呼び方など好きにすればいい。
そんなモノ周りが勝手に言っているだけだ。
人間たる自分は、人間らしく最後の時まで泥臭く足掻いてみせよう。
―――そうでもしなければ、あの人を小馬鹿にするのが生き甲斐の様な小さな悪魔に、何しに行ったのかと鼻で笑われるに決まっている。
決意したかの様に息を吸った後、シスネらしからぬ声量で広場に向けて言葉を発した。
「私は―――」
―――小さい。
広場に轟く喧騒に、いとも容易くかき消されてしまう。
もう一度、今度は更に大きく息を吸い、言葉を吐き出そうとした時。
「ドン!」と地の底から響き渡る様な地鳴りがあった。
ビリビリと処刑台のみならず空間ごと足先から震えが伝わってくる。
そして、喧騒がピタリと止んだ。
その震えを伴う地鳴りは、シスネだけでなく広場にいた群衆達にも伝わったらしい。
シスネが、処刑台の上から横に顔を向ける。
鎖で拘束されつつもいつの間にか立ち上がっていたクローリが、踏む込む様にして大地に足を付けていた。
クローリの周囲の大地に無数の亀裂が入っている。
常識はずれの膂力を用い地面を震脚し、それを引き起こした怪物クローリは、一言も発する事なく、ただ行動でのみ「黙らせ」「機会を作った」。
「私は!」
静寂に包まれた広場に向けてシスネが叫んだ。
「私は、皆さんに謝らなければなりません!
期待していたランドールの恵みを、皆さんに届けられなかった事!
不運にも巻き込まれたアルガン殿下が倒れてしまった事!
そして―――」
「黙れこの悪魔!」
傍にいた役人が怒りをあらわにシスネを殴りつける。
華奢な体のシスネは簡単に倒されてしまう。
しかしシスネはすぐに身体をお越し、膝立ちのまま前を向く。
シスネの口元を血が伝う。
それでも、血を拭う事もせずシスネは尚も言葉を続ける。
「私達ランドール家は、数百年もの間! ただ耳が長いというだけで! ただ少し違うというだけで! 悪魔というレッテルを貼られ、蔑みの目と汚い言葉を向け続けられて来ました!」
「このッ! ―――ぐぁ!?」
憤怒の表情で再び止めさせようと、膝立ちのシスネを蹴りつける為に近付いた役人が、何も無いところで突然蹴躓いて倒れた。
まるで何かグニャリと柔らかな物でも踏んづけた様な転び方だったが、役人の足元には、ただ水に濡れた様なシミが小さく広がっているだけであった。
そんな役人になど目もくれず、シスネの言葉は続く。
「皆さんは私の容姿が自分達と違うと言います! 生まれ持った私の個性を! 悪魔だと罵ります!
個性を持つ事が! 人と少し違うという事が! そんなにおかしな事なのですか!?
ただ耳が長いという事が! 処刑台に上るほど、そんなに悪い事なのでしょうか!?
―――世界には色々な人が居ます。
容姿に自信のある者。そうでない者。
腕っぷしが強い者。弱い者。
歌が得意な者。下手な者。
肌が白い者。足が長い者。背が低い者。高い者。
瞳が黒い者。赤い者。
耳が長い者。
生まれ持ったそれは、神様からの初めての贈り物です」
「口を閉じろ悪魔!」
「悪魔が神を口にするな!」
広場の誰かが叫び、飛んで来た石がシスネの額を直撃する。
シスネは一瞬怯むが意に介さず、踏む込むようにしてすぐに体勢を元に戻す。
鋭い眼光で広場を睨み付けたシスネの額から赤い血が流れる。
それでもシスネは叫び続ける。
「私は悪魔なんかではありません!
皆さんと同じ、ただ耳が長いという個性を持ったひとりの人間です!
私は! 悪魔に似た自分の容姿を否定しません!
誰を恨んだりもしません!
この長い耳を持つのが、私という人間だからです!
神様から貰ったそれは! 個性は! 自分だけが持つ宝物だからです!
それで悩む事もあるでしょう!
他人を妬んだり、羨ましく思う事もあるでしょう!
けれど、違うからこそ人はそれを補うべく努力し、時に足りない部分を補い合い、助け合い、成長出来ます!
自分の宝物も他人の宝物も否定せず! 認め! 受け入れた者だけが前に進めます!
何故なら、それが人間という生き物だからです!
獣とは違います!
自分で考え、努力し、自分だけでなく他者を思いやれるのが人間です!
悪魔とも違います!
他者を傷つけ、追い込み、ただ壊すだけの悪魔の様な生き方は、私には出来ません!
私は、獣の様に本能だけに従って生きていません!
私は、悪魔の様に人を傷つける事を考えて生きていません!
ひとりの人間として! 誇りを持って気高く生きています!
―――感じる痛みも。流れる赤い血も、皆さんと何一つ変わらない気高きひとりの人間です」
広場の民衆はおろか、処刑台を取り囲む兵士も、傍に居た役人さえも、シスネの話に黙って耳を傾けていた。
シスネ以外の全員が、言葉も忘れ聞き入っていた。
静寂の中、シスネが語り掛けるように言葉を紡ぐ。
「私は、感情を表に出すのが下手で、それでよく人形のようだと比喩される事があります。
でも、私はちゃんと人間として生きています。
―――朝起きて、おはようの挨拶を交わす。
それから、朝ご飯を食べて、街に響き渡る鐘の音を合図に毎日の仕事をこなします。
お昼になったら、温かいご飯を、庭の青空の下、温かな陽気に囲まれてみんなで食べて、そうしてまた仕事に戻ります。
仕事は、やりがいもあるけれど大変で。いつも私を悩ませます。
日が暮れて、夜になったら夕飯です。仕事で疲れた身体を癒すご馳走です。みんなと食卓を囲んで食べるご飯は、王国のどんな料理よりも美味しく感じます。
ご飯は美味しいけれど、私は無口なので黙々と食べ進めます。でも、楽しいのです。みんなが笑顔で、今日1日あった出来事を話す声に耳を傾けながら食べる夕飯は、とても楽しいのです。
それは些細な事です。どこにでもある普通の日常です。
けれど、きらきらと輝くかけがえのない私の宝物です。
人形のような私を、人間らしくしてくれる時間です。
私は、そんな人間らしい時間を、王国の皆さんとも過ごせると思ってここに来ました。
少しの不安と、淡い期待を持ってここに来ました。
ここに来るまでの馬車の中、私は子供みたいにわくわくしました。年甲斐もなくそわそわもしました。
恥ずかしくて表情になんか出せません。私は照れ屋なので……。
私が来たあの日。皆さんの目に映る私は、無愛想で、無愛嬌で、人形のような人間が居ただけでした。
でも、―――嬉しかった。
私の姿を見た時。皆さんから挙がる歓声。拍手。それらは、少なくとも私が想像していたものとは真逆のものでした。
悪魔と罵りを受ける事ばかり心配していた自分が馬鹿らしくなった程です。
だから―――
―――だから!
私は皆さんに謝らなければいけません!
私は! 私のせいで! 皆さんを巻き込み! 不安にさせ! 怒らせ! 皆さんの期待を裏切ってしまいました!
―――きっと仲良くなれたはずなのに……。私のせいでそれをぶち壊してしまいました。
―――でも! まだやり直せると思っています!
何故なら! 誓って! 私はやましい事は何もしていないからです!
気高く生きるひとりの人間として! 恥ずべき事などしていないからです!
王国の転覆など企てていないからです!
何故なら私は! 皆さんと仲良くなる為にここに来たのだから!
同じ人間同士! 分かり会えると信じているから!」
拍手も歓声も無かった。
罵声も蔑みも無かった。
ただ、沈黙だけがそこにあった。
それは、数百年の永きに渡り、ランドール家が叫び続けて来た嘆きであった。
それは、数百年もの長い間、決して外の人々に届く事の無かったランドール家の想いであった。
今日、
この日、
初めて、
処刑台という舞台の上で、
連綿と続き、何世代にも渡って声を上げ続けたランドール家の魂の叫びが、外の人々の耳に届いたのである。




